Archive for the ‘哲学者’ Category

5歳の愛と死

2012年7月19日

 

5歳の愛と死


(orphan04.jpg)

プノンペンにあるマザーハウスは、20人くらいの孤児を預かる施設だった。
大通りに面しているにもかかわらず、小さな看板に気づかずに素通りしてしまうほど、地味なたたずまいだった。
 …


(phnom_pen.gng)


(phnom_pen2.jpg)

私と同じ日にこのマザーハウスの門をくぐった4歳の男の子は、HIV感染者だった。
両親が亡くなり、ここへ引き取られてきた。
彼の皮膚には、タイのホスピスで見たことのある症状がすでに現れていた。
彼は歩けない。
かろうじてつかまり立ちと、体を支えていれば自分が足を前に踏み出しはするが、まったくと言っていいほど、力が入らない。
体を支えられないのだ。
彼の名はビレアック。

ビレアックは来たばかりではあったが、泣きじゃくるとか、脅えきっているとかという風ではなかった。
そのかわり、あたりの様子をじっとうかがっているようだった。
何度かちょっかいを出してるうちに、口角が上がった。
でも、なかなか心は許してもらえないのか、顔全体で笑うとか、声をあげてはしゃぐとかはしてくれなかった。

そのうち、お絵描きの時間になって、クレヨンと画用紙を持ち出したが、彼はそれをひたすら丸めるのだった。
私はそれで彼の顔をのぞいたり耳打ちしたりしたが、それほどの反応もなく、やはり口角を少し上げるだけだった。

クレヨンがテーブルの上を転がり、落ちそうになったところを“おっとっと~!”と言ってキャッチした時、彼は口を開け、大きな声をあげて笑った。
それから、彼は私で遊ぶようになり、ハイハイをしながらボールを私の足にぶつけて、私の反応を楽しんでいた。
とにかく彼が笑ってくれた。
口を開けて、声をあげて笑ってくれた。


(orphan03.jpg)

木曜日は、孤児院のシスターがエイズホスピスを訪問する日だ。
ホスピスにいるシスターが休息を取るためである。
その日の朝、私はビレアックを抱きかかえ、シスターたちとともにホスピスに向かった。
郊外にあるホスピス。 彼はそこに移るのだ。
車に乗ると、ビレアックは私の胸にしっかりと顔を隠すように押し付け、力が入った両手が掴んだ私のTシャツは、袖が伸びるようだった。

次第に慣れてきたのか、窓の外を眺めたり、私の顔を見てまた口角を上げた。
プノンペンのこぢんまりとした町のはずれにあるホスピスは、どんな所だろう?
子どもはビレアック一人きりなんだろうか?
ちゃんと面倒を見てくれる所なんだろうか?
私はビレアックを抱きしめながら、不安で不安でしょうがなかった。

 (中略)

2階に上がると、広いバルコニーで4,5歳の子どもたちが思い思いに遊んでいた。
勉強している子どももいた。
この子たちもHIV感染者なのだ。
新生児の部屋に入り、シスターの説明を受けると、またもや“貧困”が引き起こす現実に胸が締め付けられる思いがした。
この十数名の赤ちゃんたちはHIV感染者ではなく、親に売られたところを保護されて、ここに引き取られてきたということだった。

ビレアックがシスターに抱っこされて病棟にやってきた。
新しい子どもたち、次から次へと変わる景色、孤児院よりも多い大人の数。
バルコニーの床に座ったビレアックの顔が歪んでいた。
オーストラリア人の女性に寝かせられて、いよいよ涙があふれそうになった。
“この子、泣いてるわ……” とやさしく撫でたはずの手を、ビレアックは嫌がった。

ビレアックと目が合った私は、抱き上げてほっぺにキスをした。
しがみつくビレアックのおでこに何度もキスをした。
それでも、子どもなんだなぁ、また周りの様子をじっとうかがっていたかと思うと、床に降ろしてくれと意思表示をし始めた。
大きくなったら、好奇心旺盛な冒険好きの男の子だな、なんて思って少しホッとした。

 (中略)

お昼少し前に、私たちは帰ることになった。
2階にいるビレアックにサヨナラを言わなければいけない、もう合えないかもしれないからきちんとサヨナラを言っておきたい。
そうシスターに言うと、“言ってらっしゃい”と笑顔で承諾してくれ、その前に手を洗うように言われた。

 (中略)

私は今、彼のことを思うだけで切なくなる。
その幼くて儚(はかな)い命を、そう燃やせと言うのか。
子どもが最初に知る親の愛を十分に受け取ることさえなく、もし彼がエイズで死んでいくのだとすれば、それはあまりにも耐え難い恐怖だ。
怖くて、苦しくて、痛くて……。
どんなにイキがってた大人だって、死ぬのなんて怖くないさと胸を張る大人だって、その瞬間はやっぱり怖くて震えるのに……。

ビレアックより私の方が離れられなくなりそうな予感を残して、なかなか笑ってくれない彼のほっぺに、またキスをした。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)


256-261ページ 『愛してるって、どういうの?』
(生きる意味を探すたびの途中で)
著者: 高遠菜穂子
2004年4月26日 初版第5刷発行
発行所: 株式会社 文芸社

デンマンさん。。。、あんさんは、どうして急に、こないな記事を持ち出してきやはったん?

あのなァ~、わてはバンクーバー図書館で『愛してるって、どういうの?』という本を借りてきて夕べ読んでいたのや。

その中に上のエピソードが出てきやはったん?

そうなのや。。。読んでいたら、ずいぶん前にめれちゃんがネットに公開した次の手記が思い出されてきよったのやァ。

不安と焦燥感と寂しさ

2004/10/03 18:28

もう、このままで生きてるんなら、

命いりません。

ドナーカード持ってるから、

心臓でも角膜でも、

なんでも持っていって下さい。

家族はいません。

承諾とらなきゃいけない人は

誰もいません。
 
 
by レンゲ


『ん?体の関係と無責任大国日本』より
(2007年11月21日)

デンマンさん。。。、これはレンゲさんの手記ですやん。

めれちゃんも同じような手記を書いていたのや。 何度も死のうとしたやないかいなァ!

あんさんは、わたしの古傷を掻き毟(むし)るようなことをしますのやねぇ~。

めれちゃんは死にたいという手記を書いていた頃とは変わったと言うのんかァ~?

あたりまえですやん。。。こうして生きているのが何よりの証拠ですう。。。で、あんさんは上の手記を持ち出してきて何が言いたいねん?

あのなァ~、世の中には何の罪もなく生まれてきた者が、それこそ親の因果(いんが)のために生きたくとも生きられない運命を背負わされている。 そないな幼児がいるのやがなァ。

つまり、わたしが死にたいと思ったこと自体が我侭(わがまま)で、身勝手で、短絡的な事やったと、あんさんは言わはるのォ~?

いや。。。わては神様ではないよってに、そないな事はよう言わん。 ただ、本を読んで、めれちゃんの手記を読み返していたら、いろいろなことを考えさせられたのやァ。

いろいろなことってぇ。。。?

この著者は1970年の1月生まれなのや。 めれちゃんの方が若いけれど、それほど年が離れているわけやない。 大学卒業後1年間OLしたあとで再びアメリカへ渡って“どう生きるか”の旅をしやはったのやァ。 めれちゃんも一度アメリカの西海岸を旅したと言ってたなァ~?

そうですう。 ロスとシスコに行きましてん。 もう一度行きたいと思うてますねん。

高遠さんは帰国後、30歳までは経済活動を学ぶ目的でカラオケボックスを始めるねん。 6年後の2000年、30歳を迎えて閉店し、ボランティアに専念するためにインドへ行ったのや。

つまり、それからカンボジアのプノンペンのマザーハウスへ行き、そこで孤児のビレアックに会(お)うた、と言うのォ~?

その通りや。

そやけど、どうしてアメリカからインドになったん?

高遠さんがインドのカルカッタに着いたのは、ちょうどマザーテレサが始めた Missionaries of Charity の50周年の年だったらしい。

“神の家の宣教者会”というものやねぇ。。。

あれっ。。。めれちゃんも知ってるのか?

そうです。 わたしも少しはマザーテレサに関心がありましたさかいに本を探して読みましてん。

さよかァ~。。。今ではマザーテレサが始めた“神の家”は世界120カ国以上に広がったらしい。 本部はカルカッタ。 マザーテレサが1日中、足をマメだらけにして歩き回った活動の拠点やがなァ。 現在では、それこそ全世界からボランティアが集まり、施設も充実しているらしいけど、1950年の発足当初はマザーテレサに対する風当たりは強くて、ずいぶん苦労したと言うこっちゃ。

たとえば。。。?

ある日、台所を受け持っていたシスターがマザーテレサにそっと耳打ちしたのやァ。 “マザー、もう一切れのパンも残っていません。 どうすればよいでしょう”

それで、どうしやはったん?

マザーテレサは答えたのやがなァ。。。“祈りましょう”と。。。

それで。。。?

奇跡が起こったと言うのやァ。 翌日、カルカッタ市内の学校が急遽休校となり、トラックいっぱいのパンがシスターたちのもとへ運ばれてきたという。

マジかいなァ~?

高遠さんが本の中で書いていることやァ。 嘘は書かんやろう! マザーハウスの1階にあるマザーの墓には、ことあるごとにシスターたちが額をつけ、墓にくちづけ、言葉を捧げていくらしい。 シスターたちだけではあらへん。 ボランティアや墓参りに訪れた観光客も墓にお参りしてゆくねん。

それで高遠さんとビレアックはその後どうなりはったん?

引用するから、めれちゃんも読んでみたらええやん。

(2001年)9月に帰国してから10日ほどたった頃、ビレアックは私の夢に出てきた。
しっかりと私にしがみつき、私を見上げた顔に笑顔はなかった。


(orphan02.jpg)

その顔がずっと気になって、私はプノンペン行きのチケットを予約したのだった。

 (中略)

エイズの子どもたちの平均寿命は5歳である。
最初に出会った頃の彼は歩くことも話すことも、そして笑うこともなかった。
人気のない村から連れてこられた所にはたくさんの人がいて、彼の目は始終辺りを見回していた。
周りを取り囲みあやしてくれる大人や、同じように孤児となった子どもたちの遊ぶ姿を見ても、彼は笑うことをしなかった。
口をつぐんだまま、少し口角を上げるだけだった。

ビレアックを抱きかかえる私に、シスターは言った。
“この子、リハビリすれば普通に歩けるようになるのよ”
私はすっかりエイズが原因で足の筋力が衰えたのかと思っていたのだが、それはどうやら見当違いだったようだ。
彼は歩くこと、話すことを教えられなかったのだ。

床に伏した両親は起き上がることもできず、その傍らで彼はただ黙って座り、ハイハイ以上の歩行訓練を習得することができなかったのだ。
そして、そこに言葉はほとんど存在しなかったのだろう。
ビレアックは大きな声で、くちゃくちゃな笑顔で笑うことがなかったのかもしれない。

彼に出会ってから毎日ホスピスに足を運び、歩行のリハビリをした。
そのうち、彼は私の膝につかまりながら、自力で立ち上がるようになった。
両手を引いてあげると、一歩ずつ足をしっかりと前に出すようになっていた。
そして、かわいい笑顔で私を見上げるのだった。
何よりもうれしい瞬間がそんな時だった。

悲しいけれど別れの時が来て、離れたくない気持ちを彼に悟られないように私は帰国の途についた。
日本に帰ってからも写真を眺めては、ビレアックに会いに行くよと声をかけ続けていた。

そして2度目のカンボジア。
いよいよ彼との再会の日。
プノンペンの空港に着くとすぐにバイクタクシーにまたがり、ホスピスに向かった。
久し振りに会う私を覚えているだろうか?と多少不安もあったが、一瞬の戸惑いの後にこぼれた笑顔から、彼が私を覚えていてくれたことを確信した。

彼が夢に出て来たのは、きっと寂しかったのかと思う。
体調はそんなに悪くないようだし、食欲もある。
だけど、昼寝から覚めた彼の目には涙がこぼれていた。

笑顔はやっぱり救われる。
命に彩を添えてくれる。
それは自分の命にも、そして周りの命にも鮮やかな色を与えてくれる。
“親がなくとも子は育つ”とは言うけれど、周囲に色を与えてくれる人がいなければ、その命は目覚めることができない。
たとえその命が儚いものだとしても、命は輝くためにある。

昨日も今日も、私とビレアックはただ笑い合っている。
そして、ビレアックがぎゅーっと私にしがみついて来る時、私はこの上ない幸せを感じる。
この子に出会えたことに、この子のそばにいられることに心から感謝して……。
いつまで続くかわからない私たちを“永遠”と呼んで……。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


282-285ページ 『愛してるって、どういうの?』
(生きる意味を探すたびの途中で)
著者: 高遠菜穂子
2004年4月26日 初版第5刷発行
発行所: 株式会社 文芸社

デンマンさん。。。、あんさんは、わたしのために上のエピソード持ち出してきやはったん?

いや。。。わては上のエピソードを読んでマジで感動したのやがなァ。

その感動をわたしに押し付けるために持ち出してきやはったん?

いや、ちゃうねん。。。マザーテレサといい、ボランティアに専念するシスターといい、ビレアックのような孤児に手を差し伸べている高遠さん。。。その心とは。。。?

やっぱり、宗教と関係あるのとちゃうん?

めれちゃんもそう思うか。。。

そやかてマザーテレサもシスターたちも皆、敬虔なキリスト教徒やないかいなァ。

そのマザーテレサやシスターたちは、どうしてそれほど宗教に打ち込めるのか? どうしてなのか?

あんさんは、わたしに尋ねるのォ~?

そうや。。。めれちゃんはどうしてやと思う?

実は、わたしも夕べ本を読んで考えていましてん。

どの本を読んでいたのや?

『儒教とは何か』という本ですねん。 次のように書いてありましたわ。

宗教の定義


(kierk2.jpg)

キルケゴールという19世紀の哲学者がいる。
彼は神を信じるのか信じないのか、あれかこれかと非常に悩んだ。
私は、学生時代、キルケゴールの著作をわずかながら読んだが、この人がなぜこんなに悩むのか、正直のところ不思議であった。
神を信じるのか信じないのか、という二者択一の場合、一神教であるキリスト教の信徒にとっては、唯一神を捨てると、そのとたんに無宗教となってしまうという大問題かもしれないが、われわれ東北アジア人一般にとっては、大した問題ではない。
なぜなら、神は唯一ではなくて、八百万(やおよろず)ましますからである。
 
 (中略)

東北アジア人は多神感覚だから神のスペアがあり気楽なものである。
あれかこれかではなくて、あれでもいい、これでもいいと自由な選択がきくわけである。
とこう述べると、キリスト教徒は、だから多神教者は不謹慎であり彼らのは宗教ではない、たとえ宗教だと言っても低い水準のものだ、ということであろう。

 (中略)

もっとも、キリスト教徒の中には、自分たち一神教の傲慢さを反省する人もいる。
たとえば、現在の宗教哲学者、J・ヒックに『神は多くの名前をもつ』という著述がある。
現在のイギリス社会では、世界各地からいろいろな民族すなわちいろいろな宗教徒が集まってきている現状を踏み、ヒックはキリスト教のみが中心ではありえないとして、他の宗教との調和を図ろうとする立場でキリスト教神学を考えている。
ヒックは、キリスト教や、ユダヤ教、イスラム教、シク教、ヒンズー教といった諸宗教で礼拝されている神々をつきつめ、究極的にはたがいに同一の神的実在であることを認めようとしている。

その、調和、適正な関わりの方法というものを見ると、何のことはない、多神教的世界にいる東北アジア人がすでにとっくの昔に考え出した方法と、思考類型的にはほとんど同じである。
すなわち、ヒックの説は本地垂迹(ほんじすいじゃく)といった考えに近い。
本地垂迹とは、或る最高神が姿をいろいろと変えてこの世に現れてくるとする立場である。 … 或るときは地蔵さんであり、或るときはお不動産であり、はたまた或るときは八幡さまであり、お稲荷さんであるとする。
だから、どの神、どの仏を拝んでも、心配することなく、結局は最高の神的実在につながるとする。

 (中略)

さて、話を「宗教の定義」にもどす。
われわれは、キリスト教を念頭に置く宗教学の呪縛から解き放たれるべきであろう。
なにもキリスト教が唯一の絶対的宗教ではないからである。

 (中略)

宗教哲学者の西谷啓治氏は、「宗教とは何かといふことは、裏から見れば宗教といふものが我々にとって何のためにあるか、我々になぜ必要かといふことである」と述べる。
西谷氏は、宗教はその人にとって必要ということがあって始めてその姿が現れるものだと考えている。
私はこうした解釈に同意する。
宗教とはそのように「自分にとって」という実存的なものであろう。
必要としない人には宗教は無縁である。

まさに「馬の耳に念仏」である。

それでは、いったいどういうときに宗教を意識し、求め、必要とするのかということになる。
もちろん各人各様であろう。
しかし、大半において宗教が意識に上ってくる大きな機会がある。
それは死である。

赤字はめれんげが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


28-33ページ 『儒教とは何か』
著者: 加地伸行
1998年12月20日 第17刷発行
発行所: 中央公論社

なるほど。。。なるほど。。。

デンマンさん。。。、あんさんは、わたしの言おうとしている事が判ってますのォ~?

判っておるがなァ。 わては、めれちゃんの知能指数が140あることを改めて感じさせられたのやがなァ。

なんで、知能指数など持ち出してきやはったん? 関係ないやんかァ!

いや。。。関係あるでぇ~。。。つまり、機転が利(き)くということやァ。 わてが、めれちゃんの「死にたい手記」を持ち出してきたさかいに、めれちゃんは返す刀で上の文章を『儒教とは何か』の中からを引用したのやないかいなァ。

解りますかァ~?

解るでぇ~。。。人は死に向かい合う時に、生きると言うことをマジで考え始めると言うことやなァ。 高遠さんも言うてるやないかいなァ。

たとえその命が儚いものだとしても、

命は輝くためにある。

 。。。

この子に出会えたことに、

この子のそばにいられることに

心から感謝して……。

いつまで続くかわからない私たちを

“永遠”と呼んで……。

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
そうですよね。
たとえ5歳の命でも、
それは“永遠”に生きることができるのですよね。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

あなたはブログを書いていますか?

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それともGOOで書いていますか?

会員数が多くても実際に活動している会員は

少ないところもあります。

言葉狩りや写真狩りをしているサイトは当然嫌われます。

どうして会員数を誇示しようとするのでしょうか?

会員数が多ければ広告主に対して

広告の効果をアピールすることが出来るからです。

でも、デンマンさんが説明したように

冬眠中の会員が多いところはすぐに判ってしまうのですよね。

アメブロは、会員数にだいぶこだわっているようです。

2000万人どころか、1000万にも居ないということを

次の記事の中で分かり易くデンマンさんが説明しています。

面白いですからぜひ読んでみてくださいね。

『ファシスト管理人』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあ、また。。。


 

愛の人生とカフカ

2010年6月14日

   
愛の人生とカフカ

レゾンデートル

見失いそうな
消え入りそうな
自分の存在理由

懸命に鏡を見つめても
そこには何もない

大声で叫んでみても
誰の耳にも届かない

すがりつくものは
あまりに脆弱だ
手を触れることはできないのだから

毎日書き続ける遺書
生きていた証しを記そうと
からっぽの遺書を書き続ける

生まれてきたことに意味などない
死にゆくことにも意味はない
生きていることに意味を見出そうと
もがきあがき疲労する

諦観するにはまだ早いのか
 
 
by merange (めれんげ)

October 26, 2009 19:40


『極私的詩集 – レゾンデートル』より

めれちゃん。。。この詩は、わてに対する当てこすりか?

デンマンさん。。。あんさんは、わたしの書くものは何でもあんさんのことを考えながら書いていると思い込んではるのォ~?

そやかてぇ、毎日書き続ける遺書と言うのんは、毎日わてが書いているブログの記事やないかいなァ。

あんさんは自意識が過剰とちゃいますのォ~?

めれちゃんは、わてが自意識過剰だと信じ込んでいるのかァ?

だってぇ、そうですやん。。。あんさんは被害妄想に陥(おちい)っているのでっせぇ~。あんさんは、わたしが書いた次の手記も読みはったやろう?

 
老人福祉

テーマ:ヲチヲチヲチ~♪

最近調子ええわ~
それもこれも、おじいさんが
「即興の詩」から去ってくれたから
(=⌒▽⌒=)

あの人って思い込みが激しすぎるねんなー。
めれんげの詩を、ぜーんぶ自分への
メッセージって思い込んでるんやからwww

試しに「大嫌い」って書いてみたら、
見事に引っ掛かってくれたよ!テラワロス

ま。実際大嫌いやけどね。

老人福祉も疲れたわ。
て言うか、なんで「老人」呼ばわり
するのかってのには、
根拠があるのさ。

本人は忘れてるかも知れんけど、
前にわたしは、彼があるサイトに自分のことを
「定年退職者」と自己紹介してるのを、
密かに発見したのさ。
年齢も書いてあったなあwww
もちろん、今とは違うコテ使ってたけど、
めれんげの情報処理能力を
甘く見たらあかんで~

とにかく。
わたしの「即興の詩」は、おじいさんが
長ったらしいコメント書くおかげで
他の人がコメントしづらい状況やったのよ。
それは、個人的にメールくれる人が
そう言ってたのさ。

中身のあるコメントやったら大歓迎やけど、
おじいさんのコメントはア○ツですか?
って感じの、同じことのくりかえしwww

どーせ、おじいさんは
遅かれ早かれ、これ読むんやろーけど
ま、ご自由に自分のブログで
使ったらええんちゃう?

言葉ドロボーと、
文章改ざんはお得意やしねwww
意訳って何よ?
イコール「他人の著作物改ざん」やん

わたしは今でも、ひろこさんのことを、
文学的資質に欠けるって言ったおじいさんの
妄言を忘れてへんから!!
ひろこさんとわたしは
メールのやりとりもしてたんや
その文章にわたしはいつも感服させられてた
一部分だけを見て、
わたしの友達を侮辱したことが
許せへんねん!!

もう人生残り少ないんやし、
あんまり生き恥さらすのは、やめときや

あ。
おじいさん。
エセ関西弁使うのやめときや
めっさダサいから。

二度とわたしに関わってくんなよ。
マジうざいしキモいから。
めれんげネタで、自分のブログ書くのも
未練がましいって言うか、不愉快やねん。
小難しいことは言わへんわ。
とにかくウザくて吐き気すんねん。
お年寄りには失礼やとは、思うけどさ。
 
 
by merange (めれんげ)

2009-08-25 17:11:16


『めれんげの原材料 - 老人福祉』より

めれちゃんは、こないなエゲツナい事がよう書けるなァ~。

事実を書いたまでやん。

あのなァ~、めれちゃんは、ずいぶんと根拠の無い事も書いているのやでぇ~。

たとえば。。。?

わては「定年退職者」と自己紹介した事など一度もあらへん。

マジで。。。?

大真面目やがなァ。。。めれちゃんの情報処理能力も、ちょっと信用できへんなァ。

。。。で、あんさんは、いったい、いくつやねん?

めれちゃんよりも10歳年上やァ。うししししし。。。

それをわたしに信用しろと、あんさんは言わはるのォ~?

それは、めれちゃんの勝手やァ~。信用したくなけれべ信用せんでもええでぇ~。

とにかく、わたしの冒頭の詩は、あんさんとは関係ないことやねん。

さよかァ~?

わたしは、生まれてきたことに意味などない。死にゆくことにも意味はない。。。そう思い始めているねん。

しかし、今さら、そのよなしょうもない事を考えても時間の無駄やでぇ~。

あんさんにとって、哲学的思考は全く意味がないのォ?

あのなァ~、そのような事はすでに350年以上前に、デカルト先生が解答を出していたのや。

どのように。。。?

デカルト先生は次のように言うてたのや。

我思う、ゆえに我あり

ルネ・デカルト(1596年3月31日ー1650年2月11日)が自著「方法序説」の中で提唱した有名な命題である。

原語はフランス語で Je pense, donc je suis.

ラテン語訳でcogito, ergo sum.
(コーギトー・エルゴー・スム)
cogito – 私は思う、
ergo – それ故に、
sum – 私は在る

英語では “I think, therefore I am”
漢文に訳すると”我思故我存”。

ちなみにラテン語訳はデカルトと親交のあったメルセンヌ神父によるもので、デカルト自身は「哲学原理(Principia philosophiae)」で初めてこの言葉を使っている。

解説

一切を疑うべしDe omnibus dubitandumという方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない。
「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。
“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。

後世への影響

スピノザは「我は思惟しつつ存在する(Ego sum cogitans.)」と解釈している。

アンブローズ・ビアスは『悪魔の辞典』の中で、デカルトの発言は不徹底である、厳密性を更に求めるならcogito cogito, ergo cogito sum.(「我思うと我思う、故に我ありと我思う」)というべきであろうと書いている。
確かに、cogitoを論ずるときには、それが単なる「私」ではなく「考えるところの私」もしくは「私は考える」の意味であることを忘れてはいけない。

夏目漱石の『吾輩は猫である』において、主人公の猫が「人間は長い歴史の中でこんな当たり前のことしか思いつかない愚かな生き物だ」と嘲笑している。


出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

分かるやろう?。。。デカルト先生は上のように言うたのやがなァ。

上の格言ならばわたしも知ってますう。

そうやろう?。。。夏目先生かてぇ、わざわざ小説の中でニャンニャンに次のように言わせているほどなのやァ。

人間は長い歴史の中で

こんな当たり前のことしか

思いつかない

愚かな生き物だ。

でも、次の格言がわたしの存在理由をサポートするようには思えんわ。

我思う、ゆえに我あり

あのなァ、ちょっと言い方を変えれば、めれちゃんの存在理由などすぐに分かることなのやでぇ~。

あんさんは、どのように言うつもりやのォ~?

わてならば次のように言うねん。

人生に生きる意味を見出して生きる。

ゆえに我あり。

きゃははははは。。。

デンマン

これで、めれちゃんの存在理由もはっきりとするやろう?

わたしが人生を生きる意味って何ですの?

めれちゃん。。。惚(とぼ)けるのか? 

惚けてえ~へんでぇ~。。。わたしはマジで、あんさんに尋ねてますねん。

あのなァ~、そんなら、めれちゃんはすっかり忘れてしもうたのや。

わたしが何を忘れたと、あんさんは言わはるのォ~?

めれちゃんは次のように書いてたのやァ。

めれんげは、

それでも詩人

テーマ:文学がテーマっす

混沌とした日々が続いています。
めれんげは、詩のことばっかり考えてます。
いや。考えていることを、
如何にして詩にするかということで
頭がいっぱいなのです。

このブログには詩は書かないけれど、
「即興の詩」
「極私的詩集」には、
ほぼ毎日詩をアップしているのです。

恋愛詩。
ダークな詩。
その両方は、めれんげという車の
別々の車輪みたいなもので、
それらがなければ、わたしの活動はストップ
してしまいます。

世に認められたい気持ちはあるけれど、
自分の詩が、どこまで通用するのか、
さっぱり自信がないんですよね(泣)

ただ書きつづけて、
死ぬまで書き続けて、
わたしの消滅のあとも、
作品だけは残ればいいなあ…
なーんて思っています。

まるで、カフカのように
奇特な友人がいればなあ…

なーんて消極的でへなちょこなわたしです。
 

by merange (めれんげ)

2009-08-21 19:17:19


『めれんげの原材料 - めれんげは、それでも詩人』より

めれちゃんは、こないに書いていたやないかいなァ!

あんさんは、わたしの書いたものは何でも保存しておくのォ~?

そうやァ。。。このような時にすぐに持ち出せるように、わては大切にしまっておくのやでぇ~。

確かに、わたしは詩人として世に認められたい気持ちがありますねん。。。でも、上の手記に書いたとおり、自分の詩が、どこまで通用するのか、さっぱり自信がないのですう。(泣)

あのなァ~、世に認められるかどうか?そのような事は、考えんでもええねん。画家のゴッホを見てみィ~なァ。ゴッホは死んでから世に認められたのやでぇ~。めれちゃんも知ってるやろう?

知ってますう。

めれちゃんのお気に入りのカフカかてぇ、世界的に認められるようになったのは死んでからのことなのやァ。

フランツ・カフカ

(Franz Kafka)

誕生: 1883年7月3日
オーストリア=ハンガリー帝国、プラハ
死没: 1924年6月3日(満40歳没)

フランツ・カフカは、出生地に即せば現在のチェコ出身のドイツ語作家。
プラハのユダヤ人の家庭に生まれ、法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆、常に不安と孤独の漂う、夢の世界を思わせるような独特の小説作品を残した。
その著作は数編の長編小説と多数の短編、日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙から成る。

生前は『変身』など数冊の著書が知られるのみだったが、死後に友人マックス・ブロートによって未完の長編『審判』『城』『失踪者』を始めとする遺稿が発表されてから再評価を受けた。
特に実存主義から注目されたことによって世界的なブームとなった。
現在ではジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と見なされている。

人柄

生前のカフカについては友人、知人たちによる多くの証言が残っている。
それらによればカフカはいたって物静かで目立たない人物であった。
人の集まる場ではたいてい聞き役に回り、たまに意見を求められるとユーモアを混じえ、時には比喩を借りて話し、意見を言い終わるとまた聞き役に戻った。
職場では常に礼儀正しく、上司や同僚にも愛され、敵は誰一人いなかった。
掃除婦に会った際にも挨拶を返すだけでなく、相手の健康や生活を案じるような一言二言を必ず付け加えたという。
掃除婦の一人はカフカについて「あのかたは、ほかのどの同僚ともちがっていました。まるきり別の人でした」と話している。

晩年は年少者の人の相談や対話の相手をすることも多く、1919年にサナトリウムで出会った少女ミンツェ・アイスナーとは死の年まで文通が続いた。
1920年には職場の同僚の息子で作家志望の青年であったグスタフ・ヤノーホと知り合い、後々まで彼の対話の相手となった。
ヤノーホは後にこの体験を回想して『カフカとの対話』(1951年)を執筆し、後のカフカ受容に影響を与えることになる。
1921年からは16歳年下の医学生ローベルト・クロプシュトックとも親しくなり、作家に憧れて進路に悩んでいた彼の相談相手になった。

カフカの晩年のエピソードとして、ドーラ・ディアマントより次のような話が伝えられている。
ベルリン時代、カフカとドーラはシュテーグリッツ公園をよく散歩していたが、ある日ここで人形を失くして泣いている少女に出会った。
カフカは少女を慰めるために「君のお人形はね、ちょっと旅行に出かけただけなんだ」と話し、翌日から少女のために毎日、「人形が旅先から送ってきた」手紙を書いた。
この人形通信はカフカがプラハに戻らざるを得なくなるまで何週間も続けられ、ベルリンを去る際にもカフカはその少女に一つの人形を手渡し、それが「長い旅の間に多少の変貌を遂げた」かつての人形なのだと説明することを忘れなかった。

女性関係

カフカにはフェリーツェ、ミレナ、ユーリエ、ドーラの4人の恋人の他にも様々な女性体験があったことが、残された日記、手紙などから分かっている。
カフカは1917年にミレナ・イェンスカに宛てた手紙の中で自身の性的初体験について綴っており、それによればカフカが20歳のとき、大学の中間試験のためにローマ法を勉強していた頃に、向かいの洋服店の店員をしていた女性と関係を持ち2度ほど逢瀬を重ねたという。
大学最後の年にはシレジアのツックマンテルにあるサナトリウムで、名前の伝わっていない人妻の女性と恋をし、翌年の夏にも同じ場所で再会した。
この女性は初期の作品『田舎の婚礼準備』に登場する女性のモデルになったと考えられている。
就職の前後にはモラヴィアのサナトリウムでヘートヴィヒ・ヴァイラーという女性と恋をし、就職後の新生活の様子を彼女への手紙のなかで綴っている。
この女性については詳しいことは分かっていない。

カフカは恋人ができると短期間に多数の手紙を相手に送った。
時には日に二度送ることもあり、相手の返事が滞ると催促の手紙を書き、返事を書かない理由を聞いた。
2度婚約したフェリーツェ・バウアーへは、1912年から1917年までの間に500通を越える手紙を送っている。
フェリーツェはカフカと別れて別の男性と結婚してからもこれらの手紙を保存し、ナチスを逃れてアメリカへ渡った際にも処分しなかった。
ミレナ・イェンスカは強制収容所で命を落としたが、1939年ナチスのプラハ侵攻直前にヴィリー・ハースにカフカの手紙を託し、後世に残された。
これらの手紙はカフカの死後『フェリーツェへの手紙』(1967年)、『ミレナへの手紙』(1952年、増補版1983年)として公刊されており、前者は原著で700ページ、後者は400ページを越える大部の書籍である。
カフカ自身は恋人との関係が終わると受け取った手紙を処分しており、このため恋人からの手紙はほとんど残されていない。

生前の評価

カフカの生前の名声はささやかなものではあったが、(主に同業者などの)少数の読者に注目されており、決して無名の作家だったわけではない。
カフカについての公刊された最も早い評は友人マックス・ブロートによるもので、1907年2月にベルリンの雑誌『現代』にて、著作家・編集者フランツ・ブライと同じ傾向をもつ作家としてハインリヒ・マン、フランク・ヴェーデキント、グスタフ・マイリンクとともにカフカの名を挙げた。
このときカフカは知人の前で作品を朗読していたのみで、まだ出版物には1作も発表していなかった。

死後の名声

カフカの死後、友人マックス・ブロートが遺稿を整理し、『審判』(1925年)、『城』(1926年)、『アメリカ』(1927年)と未完の長編を続けて刊行していった。
1926年には、カフカを認めていたドイツの批評家・編集者のヴィリー・ハースが雑誌『文学世界』でカフカの特集を組んでいる。
1931年には未完の短編を集めて『万里の長城』が刊行され、1935年からはナチス政権下で困難に遭いながらカフカ全集の刊行が行なわれた。
後述するようにブロートやハースはカフカをユダヤ教に引き付ける作品解釈を行い、1930年代までにいくつかのカフカ論を発表しているが、しかしカフカの名声が高まっていくのはまずドイツ語圏の外においてであった。

フランスでは1928年に、代表的な文芸誌『新フランス評論』にてA・ヴィアラットによる『変身』の仏訳が3号にわたって掲載され、続いて1930年にはピエール・クロソウスキーによる「判決」の仏訳が、1933年にはヴィアラットの訳による『審判』が出ている。
これらの作品はまずシュルレアリストたちによって注目され、シュルレアリスムの指導者であるアンドレ・ブルトンをはじめ、マヤ・ゴート、マルセル・ルコントらがカフカに言及した。彼らのカフカへの理解はブロートやハースらによる宗教的解釈に沿ったものであったが、特にその夢と現実が入り混じったような表現に注目し、カフカをシュルレアリスムの先駆者と見なした。

第二次大戦中、フランスでは実存主義の文学が盛んになり、カフカはサルトル、カミュら実存主義の文学者たちから注目された。
サルトルはカフカへのまとまった文章は残していないものの、カフカを実存主義文学の先駆者として評価し、書評やエッセイなどで頻繁にカフカに言及している。
またサルトルはハイデガーの思想における「現存在」「実存」「真正」といった範疇もカフカの作品を通じて立証しようとした。

Albert Camus (アルベール・カミュ)

カミュは「フランツ・カフカの作品における希望と不条理」(『シーシュポスの神話』付録、1943年)において、カフカの作品を実存主義の文脈における「不条理な作品」と見なし、『審判』などの作品を評価した。
これらの実存主義文学における評価によって、カフカの国際的な名声は決定的なものとなった。

日本における状況

日本では1936年(昭和11年)のごく早い時期に岡村弘による「カフカ論」が書かれているが、本格的な受容が始まるのは戦後になってからである。
最初の翻訳は1940年(昭和15年)の本野亨一訳による『審判』(白水社)であるが、当時6,7冊しか売れなかったという。
また中島敦は早くからカフカを評価しており、中島の短編「狼疾記」(1942年)にはカフカの「巣穴」への言及が見られる。

戦後は代表作『変身』を始めとして多数の翻訳が出ており、1953年(昭和28年)にはブロート版全集を底本とした『カフカ全集』が原田義人、高橋義孝、山下肇らの訳によって刊行(3巻。4-6巻は1976年)。
1981年(昭和56年)からはブロート版全集第3版を底本とした全11巻の全集が新たに刊行された。
これらに伴って研究者による作家論や、海外の研究書の翻訳なども多くなされている。

2001年(平成13年)からは池内紀によって、カフカの草稿に忠実な手稿版全集を底本とした『カフカ小説全集』全6巻が刊行された。
池内はこの前後からカフカに関する著書を多数出しており、2004年には評伝『カフカの生涯』(『大航海』に1997年から2002年まで連載されたもの)を出版している。
このほか後藤明生『カフカの迷宮』(岩波書店、1987年)、室井光広『カフカ入門』(東海大学出版会、2007年)、保坂和志『カフカの「城」ノート』(『新潮』連載、未刊)など、作家によるカフカ論も多い。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

でも、わたしには、カフカの友人のマックス・ブロートのような人物が居(お)りまへん。

居るやんかァ!

どこに。。。?

めれちゃんの目の前に居るやんか!

わたしの目の前ってぇ、あんさんしか居(お)りまへん。

だから、わてがめれちゃんのために“マックス・ブロート”の役を務(つと)めているのやがなァ。

マジで。。。?

やだなあああァ~。。。もう、忘れてしもうたのかァ?

わたしが何を忘れたと、あんさんは言わはるのォ~?

めれちゃんとわての熱い友情を忘れてしもうては困るがなァ!。。。ここに書き出すから、じっくりと読んで思い出してぇ~なァ。

カミュの「ペスト」

めれちゃんとの「指きり」のつもりで

カミュの「ペスト」を読み出したけれど

マジで、しんどいねぇ~

うへへへへ。。。

この本をかつてボクちゃんが

投げ出した気持ちが

よみがえりましたよう。

love interest

が皆無に等しい!

つまり、“この人を大切にしたいなあぁ~”

と思わせるような登場人物が

作品の中に見当たらない。

ボクちゃんの読み方が

表面的だからだと思うけれど、

でも、小説家と言うのは

ミーちゃんハーちゃんの関心も

ひきつけなければならない!

そう考えるとき、たとえば、

ムルソーのガールフレンド(?)の

マリーのような人物を

登場させて欲しいよね。

とにかく、全部読みますよう!

今回は決して投げ出しませんからね。

でも、カミュがこの作品を書いたのは

テレビがなかった時代ですよう。

今時、このようなトロい作品を書いたら

読んでもらえないような気がします。

うしししし。。。

英語で読んでいるのだけれど、

言葉の問題じゃないのですよう。

39ページまで読みました。

めれちゃんとの「指きり」がなければ

ボクちゃんは投げ出しますよう。

書評をかなり読んでいるので

筋も、カミュが言いたい事も

すっかり分かっているつもりになっているから、

なおさら退屈しています。

 Albert Camus

 (アルベール・カミュ)

でも、絶対に全部読みますう。

\(@_@)/ キャハハハ。。。

めれちゃんの心を読むつもりで。。。

同時に読み始めた

大岡信の『拝啓 漱石先生』が

面白くなってきましたよう。

これは日本語です。

第1部の65ページまでは、

全くつまらない漱石研究の本だと思って

ボクちゃんは投げ出すところでしたよう。

こんな下らない書評をよく書けるなぁ~

そう思ってすっかり馬鹿にして

投げ出すところでしたよう!

ところが第二部、68ぺーじからの

『漱石と「則天去私」』になって、

面白くなってきた。

この著者の大岡信という男は

ボクちゃんは知らなかったのだけれど、

1931年生まれの詩人で

評論家と言うことだよ。

今でも生きているみたいだ。

やっぱり人生経験をつんでいるんだね。

本もたくさん読んでいる。

充分に読み応えがあると感心しながら

漱石先生を見直しているところです。

このことについては、後で

『小百合物語』で書こうと思っています。

■ 『夫婦関係 (2008年8月2日)』

■ 『ロマンと悪妻 (2008年7月31日)』

■ 『女と味噌汁 (2008年7月29日)』

めれちゃんも楽しみにしていてね。

『ペスト』は、とにかくしんどい小説です。

でも、次女猫の“ねね”を

思い浮かべながら

ゆっくりと読むつもりですよう。

うしししし。。。

♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。

本当に、あの“ねね”は

熟睡しているよねぇ~。

今夜は、僕も熟睡しよっとォ~。。。

うへへへへ。。。

by デンマン

2008/07/26 6:18 AM


あらららら…
「ペスト」しんどいですか…

あの素っ気ない文章がダメかなあ

わたしの友人は、『異邦人』の始めの
「ママンが死んだ」
という文章だけで、
脱力してしまうらしいです…

ペストの登場人物は、
皆、ルポルタージュ風に
描かれているので、
感情移入しづらいかも

なのにわたしは、あの本で泣いてしまいます

変人かなあ(´・Д・`)ショボ

by めれんげ

2008/07/29 3:37 PM


81ページまで(約3分の1)

読み進んで行ったけれど、

感情移入できる人物がまだ現れていません。

かなりしんど~♪~い。

でも、後の3分の2の中に

きっとボクちゃんの感情移入できる人物が

現れてくるのではないか?

そう、期待しながら読むことにしますよう。

  (フランス語版『異邦人』)

やはりフランス語で読む方が

読み応えがあると思うけれど、

フランス語だと、

辞書と首っ引きでないと読めないからね、

余計しんどくなってしまうよう。

でも、マジで最後まで読みます。

『孫が読む漱石』と

『拝啓 漱石先生』は面白かった。

ためになった。

『ペスト』も、何かしら記事に書けるだけの

題材が見つかるだろうとは思います。

とにかく、カミュはノーベル賞作家なんだから。。。

\(@_@)/ キャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/29 6:21 PM

 

「ペスト」に登場するのは、
ほとんどが男性ですよね

わたしは、読みかたとしては、
ちょっと邪道ですが、
勝手に空想をふくらませて、
登場人物に恋をするんです…

わたしのお気に入りは
タルーです(*´д`*)

by めれんげ

2008/07/30 1:38 AM


うん、うん、うん。。。。

登場人物に恋をするねぇ~

確かに、そういう人物が出てこないと

小説読んでいても、つまらないよねぇ。

日活ロマンポルノの「軽井沢夫人」

の佳子!

高田美和さんが演じているのだけれど、

35歳当時の美和さんが実に素晴しい!

日本女性の繊細なヌード!

すってきィ~♪~♪~ !!!

こういう女性を僕ちゃんならば『ペスト』に

登場させるのですよう!

確かに、邪道ですよう!

デンマン!!日活ロマンポルノと『ペスト』

を一緒にするなあああぁ!

ノーベル賞選考委員から

怒鳴られてしまいますよう!

うへへへへ。。。

\(@_@)/ キャハハハ。。。

『ペスト』は、とにかくテレビの無い時代に

書かれたんだよね。

今時、あんな小説を書いたら、

本を放り出されて、

みなテレビを見てしまいますよう。

めれちゃんのお気に入りは

タルーねぇ。。。?

う~~ん。。。?

英語の本では Tarrou だね?

夕べは81ページから

84ページまで読んだけれど、

82ページに出て来ましたよう!

ホテルに居るんだよね。

早い時期には登場しなかったような気がする。

だから、僕はこの人物について、

ほとんど分からない。

僕は、 Doctor Rieux の

視点から物語を見ているような気がする。

これまでの人物で最も感情移入できるのは

この人ですよう。

言わば、主人公のような人物ですからね。

これまで84ページ読んできて

面白いと思った人物は

自殺をしそこなって助けられた男。

Cottard ですよう。

この男は、自殺に失敗して

今では、生きる気持ちで居るのだけれど、

ペストで死んでしまうのだろうか?

これから、どうなってゆくのか?

興味が湧いてきましたよう。

それから、“語り手”の正体が

本の最後で分かることになっているのだけれど、

ん。。。?“語り手”。。。?

確かに、 Narrator と言う

単語が2,3度見えたけれど、

特に、語っている部分があるようには見えない!

Doctor Rieux が語り手のようなんだよね。

この医者が物語を進めているように

僕には見えるのですよう。

その辺の事も、どう言う事なのか?

これからどうなるのか。。。?

そう思いながら夕べも読んだけれど、

イマイチ!

81ページから84ページまで読み進んで、

つまらなくなったので本を閉じました。

日活ロマンポルノの高田美和さんが

夢に出てくればいいなあああぁ~~

そう思いながら次女猫の“ねね”のように

ぐっすりと熟睡しました。

♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。

ついに美和さんは夢には出て来なかった。

その代わり、めれちゃんが出てきて

僕ちゃんにキスしてくれました。

うへへへへ。。。

そうなればイイなって。。。

そう思っただけ!

\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。

by デンマン

2008/07/30 4:50 AM


タルーは、とてもカッコイイです!
初めて「ペスト」を読んだ後、
しばらくは、タルーの事で頭がいっぱいでした!

リウーには、イマイチ関心がないです…
内面的な描写が少ない気がするのです
それは、彼の手記のような形をとっているからでしょうが…

コタールは興味深い人物ですね!
考えていることが、見え見えで、
こういう人物に下される運命は、
どんなものか?
目が離せません!

読み終えたときに、感想を話しあえたら、
とても楽しいですね♪

by めれんげ

2008/07/30 12:02 PM


Doctor Rieux は、

日本語では「リウー」と言うんだぁ~

僕のオツムの中ではリュウ(竜)と

読んでいましたよう。

。。。んで、Cottard は「コタール」ね。

僕のオツムでは

「コタードゥ」と英語読みでしたよう。

タルーはめれちゃんにとって、

そんなにかっこいいの?

僕にとっては、影の薄い存在ですよう。

まだ、本の中で出てきたばっかりだから

印象が薄いのだと思うよう。

それにしても、めれちゃんがタルーと書いた

前の晩に、僕は82ページでTarrouに

出会っていたのだよう。

だから、すぐに“タルー”と読むに違いないと

思ったものですよう。

“以心伝心”というのか、

なんだか不思議だよね。

テレパシーかな。。。?

僕は Tarrou を“太郎”とオツムの中では

読んでいましたよう。

うしししし。。。

うん、うん、うん。。。

『ペスト』を全文読むつもりでいるけれど、

めれちゃんに感想を書く楽しみが増えましたよう。

めれちゃんとは、かなり違った角度から

本を読んでいるような気がします。

あまり面白そうでないのだけれど、

めれちゃんと、こうして話していたら、

読む意欲が湧いてきましたよう。

でも、一気に読むだけの気力が

湧いて来ないんだよねぇ~。

気力をみなぎらせるための

脱力が足りないのだと思うよう!

うへへへへ。。。

次女猫のねねが居れば、

一緒に脱力できるのだけれどねぇ~、

バンクーバーと大阪では離れ過ぎているから、

ねねを迎いに行くわけにも行きません。

そう言う訳で、脱力せずに

ゆっくり読みますね。

じゃあねぇ~。

ヽ(´ー`)ノキャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/30 2:36 PM


タルーがなぜカッコイイか…
それは、読み進むうちに
見えてくると思います♪

しかし。
タルー=太郎とは…
笑ってしまいました

「ペスト」が終わったらラディゲの「肉体の悪魔」でも読もうかと考えています(^ω^)

by めれんげ

2008/07/31 6:03 PM


レイモン・ラディゲ(Raymond Radiguet)ねぇ~

めれちゃんは、本当によく本を読むねぇ~

感心させられるよう。

とにかく、小学生の頃から

「チャタレー夫人の恋人」を読んで、

それで、16歳で桜の花びらを

散らしてしまったのだから。。。

んも~~。。。

めれちゃんは文学少女だったんだよねぇ~

かなり、早熟だったのやでぇ~

ほんまに、おどろき、ためいきィ~、

さんしょのきィ~

このラディゲも、早熟だったのですよう。

14歳の頃、『肉体の悪魔』のモデルとされる

年上の女性と出会い、

勉強しなくなって、不登校!

そのために学校を放校処分になるんやでぇ~。

えらいこっちゃぁ~~

とにかく、『肉体の悪魔』は、

彼の自伝的要素が強い作品だよね。

でも、本人は、あくまでも

フィクションだと言っていたらしい。

なぜ。。。?

ところで、めれちゃんだって、早熟な上に、

かずかずの恋愛体験を持っている。

その体験に基づいて小説を書けば、

直木賞、芥川賞は、

当然のようにもらえるんやでぇ~

だから、ノーベル文学賞を目指してねぇ~。

めれちゃんの書く恋愛小説は

絶対に面白いと思う。

なぜならば、江戸川乱歩のような

エログロナンセンス的な要素が

必ず入り込むだろうと

僕ちゃんには思えるから。。。

でも、その前に次女猫のねねを

モデルにして小説を書いてね。

絶対に面白いものが出来上がると思うよう。

それに、めれちゃんのおばあちゃんを

モデルにした小説も。。。

めれちゃんが小説を書くことに没頭すれば、

日本文学に新しい気風を

吹き込む事ができるのに。。。

ボクちゃんは、めれちゃんの才能を

信じていますからねぇ~。

ぜひ、書いておくれましなぁ。

ほんまに、たのむでぇ~

じゃあねぇ。

\(*^_^*)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/31 8:07 PM


「肉体の悪魔」は、
ずっと前に読んだのですが、
やたらおもしろかったことをおぼえています

わたし、最近書けないんです(ノд<。)゜。
めれんげサバイバルで書いていた
「猫小町手習い日記」も
全然進まないし…

スランプかな?

by めれんげ

2008/07/31 11:22 PM


うん、うん、うん。。。

そういうことって、あるでぇ~

パソコンが使えんちゅうことがぁ、

よけいに、めれちゃんの気分を

落ち込ませとるんやでぇ~

一番ええのんわぁ、使えなくなった

パソコンを使えるようにするこっちゃぁ

友達にパソコンの詳しい奴が

おるんとちゃいまっかぁ~

ほなら、その奴にお願いして

直してもらうんやわぁ。

そう言う訳にはゆきしませんかぁ~?

わてが大阪におるんなら、

めれちゃんとこに飛んでいって

直してあげるんやけどォ~、

バンクーバーじゃぁ、次女猫のねねのように

宙にぶら下がって大阪に飛んでゆく訳にも

ゆきしませんがなぁ~。

ほんまにィ、じれったいこっちゃぁ~

そう言う訳やから、

今は、たくさんの短歌を詠(よ)んで、

その間に、たくさんの本も読んで

小説書くために、めれちゃんは

気力をみなぎる脱力をすることやでぇ~

つまり、勉強する時間が

たくさん持てるというこっちゃぁ~

そやないかいなぁ~?

そんな風に考えてみィ~なぁ~

人間万事塞翁が馬!やぁ~

あせってみても仕方ないやろうゥ。

そやさかい、気をらくゥ~に持って

あんじょうやっておくれやすゥ~

そうゆうわけやぁでぇ~、

ほんなら、マジでさいならぁ~

ヽ(´ー`)ノキャハハハ。。。

by デンマン

2008/08/01 9:48 AM


『即興の詩 指きり』のコメント欄より

『美しい愛のコラボ』に掲載
(2009年11月26日)

デンマンさん!。。。あんさんは、ホンマに長い引用をしやはりましたなァ。

そやかてぇ、めれちゃんが思い出してくれへんかったからやでぇ~。

思い出しましたわ。

これだけ読まされれば、思い出すやろなァ~。うへへへへへ。。。

それでぇ、あんさんは、わたしのために“マックス・ブロート”になるつもりでおるのォ~?

その通りや。

でも、一つだけ大きな問題がありますやん。

ん。。。? 大きな問題。。。?

そうですう。。。あんさんがわたしよりも少なくとも10歳年上ならば、どっちみち、あんさんの方が先にあの世に逝きますねん。

さよかァ~。。。

(めれちゃん、大きなため息をついて、しばし無言。。。)

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
確かに、そうですよね。
デンマンさんがめれんげさんよりも年下だという可能性は、まずありません。
そうだとするならば、事故でもない限り、当然、順序としてデンマンさんの方が先に天国に昇るか?あるいは地獄に落ちる?のですよねぇ。
うふふふふふ。。。
 
とにかく、あさっても興味深い話題が続くと思いますう。
あなたも、また明後日、読みに戻ってきてくださいねぇ。
では。。。

 
メチャ面白い、

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『露悪趣味(2009年10月2日)』

『カプリ島と香水(2009年10月10日)』

『小百合さんの香水10月14日)』

『ゴダイヴァ夫人のチョコ』

こんにちは。ジューンです。

現在、めれんげさんは

気力をみなぎらせるために

脱力しています。

でも、詩や手記や短歌を書き始めると

止まらなくなるのですよね。

3月10日に脱力してから、

3ヶ月が経ちました。

まだ、気力をみなぎらせているようです。

あなたも、めれんげさんの愛の詩を

早く読みたいと思うでしょう?

そのうち素晴らしい作品を

投稿するだろうと思います。

期待しながら待ちましょうね。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。

愛の涙

2010年2月16日

 

愛の涙

 


(rengfire.jpg)

 

デンマンさん☆
真冬にビキニのめれんげです。

くちづけ

 


(kiss003.gif)

 

罪深き

ことと知りつつ

この夜も

きみのくちづけ

もとめて止まぬ

 


(merange52.jpg)

 

by めれんげ

2009.01.14 Wednesday 14:21


『即興の詩 冬枯れ』より

この短歌を読んで、
六条の御息所を思われるとは、
さすがデンマンさんですね。


(sayuri22.jpg)

小百合さんは、ビキニでスノボですか…
その度胸は、さすがにありませんね~:p
わたしは部屋でビキニですね。
暖かいです(笑

めれんげ

2009/01/15 10:34 AM


『即興の詩 くちづけ』のコメント欄より

『愛のコラボと欺瞞 (2010年2月12日)』に掲載

 


(bond010.gif)

六条の御息所は
光源氏の初めての恋人。
年上の教養ある女性です。

気位の高い彼女は
源氏の心が自分から
離れそうになると、
自分の方から身を引きます。

でも、心の中では
光源氏への思いを断ちがたく、生霊(いきすだま)となり、源氏の正妻「葵の上」をとり殺してしまいます。

六条の御息所は
それ程の激しい愛情で
光源氏を愛していたのでしょう。

平安の昔、
家柄が高く、
やんごとなき貴家ともなれば、女児は未通で嫁入りする事が絶対条件でした。
男児は元服が筆おろしの
目安だったようです。

その“筆おろし”ですが、
天皇や将軍などの場合だと、
その介添えをするのは乳母
の場合が多かったと
言われています。

乳母といっても
だいたい24~5歳の
当時としては
女盛りの年増。

元服(男児の成人式)が
12~16歳の間ですから、
互いに理想的な
相手です。

少年の未知への
飽くなき好奇心と
有り余る精力。

女盛りで少年の心を
充分に知っている“熟女”は
勢い教育熱心な余り、
乳母であるよりも女として、
つい愛欲に溺れてしまうのも
自然な成り行き。

その結果、
乳母が妊娠する事も
あったようです。

男にとって最初の女に
特別な思いを抱くのは当然で、こうして乳母がそのまま正室になることも珍しくなかった。

入念に手ほどきを受け、
手練手管を仕込まれたら、
男たるもの、女好きにならないわけがない。

しかも乳母なるがゆえに、
他にさしたる仕事はなく、
男は心置きなく色事に専念できる。

光源氏にとって
六条の御息所は
乳母のような存在だったのでしょう。
それも、乳母と言うより
次第に女として愛してゆく。

六条の御息所も
“乳母”のように
源氏をいつくしみながらも
熟女として
源氏との愛に溺れてゆく。

でも、熟女の思慮と分別に
目覚めて身を引くのです。
しかし、萌え盛った
女の情念は止み難く
生霊(いきすだま)となり、
源氏の正妻「葵の上」を
とり殺してしまう。

光源氏と
六条の御息所の間に萌え盛った情念の激しさが見えるようです。

 

by デンマン


『エロい女と六条の御息所』より
(2007年1月19日)

(lily.jpg)


(merange12.jpg)

デンマンさん。。。、あんさんは、どうしてまた六条の御息所を持ち出してきやはったん?


(kato3.gif)

あのなァ~。。。、わては、たまたま夕べ太田さんのクラシックの本を読んでいたのやがな。

そのクラシックの本に六条の御息所が出てきやはったのォ~?

いや。。。六畳の御息所は出てきやへんかった。。。でもなァ~、源氏物語について太田さんが書いていたのやがなァ。

どのように。。。?

引用するから、ちょっと読んでみィ~なァ。

ある日本の西洋哲学者が、源氏物語、あれはたいしたことないよ、と言ったのを憶えている。こういう人を典型的な学者馬鹿という。
(西洋)哲学の思考を基準にするとしたならば(草子地: また、この文は仮定法である。)、源氏物語がたいしたものでないことは、私にですら明白である。
あの作品の凄さは、そんな処にはない。

作者は(草子地: ここからは直説法)、私は、未だかつて、女の人の誰をでも愛した男を見たことが無かった。それどころか、自分の息子、娘ですら愛した男を、一人だに知らない、と言っているのである。
そうした世界を描ききった芸術としての文学がこの作品である、と私は評価しているのである。
それは、作者の意図ではないにしても、これは、男の孤独である。

私がまだ小学生の頃に、国語(草子地: 嫌な言葉だ。「日本語」でいい。)の先生が、…では、作者は何をいわんとしているのか、と生徒たちに質問したときに、私は、ひそかに、そんなことが他の言葉で言えたのならば、作者は、手っ取り早く、それを言っていただろう、と呟いたのを思い出す。
あの哲学者は、この国語教師の程度である(草子地:逆も真である)。

【デンマン注:】 改行を加えて読み易くしてあります。あしからず。


34ページ Aribert Reimann (1936-)
『間奏曲集 (主題なき変奏)』 作品2
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月

この文章がどうだとデンマンさんは言わはるのぉ~?

あのなァ~、太田さんの源氏物語の評価が、わてとは全く違っているのやがなァ。

どこが、どう違いはるのぉ~?

太田さんは次のように書いているねん。


(seisho05.gif)

紫式部は、未だかつて、女の人の誰をでも

愛した男を見たことが無い。

それどころか、自分の息子、娘ですら愛した男を、

一人だに知らない、

作者の意図ではないにしても、

これは、太田さんにとって男の孤独である。

わては上の文章を読んで、まずビックリしたでぇ。。。おい!マジかよう?いったい、「源氏物語」のどこを読むと、そのような無鉄砲な結論が出てくるねん?

あんさんは、マジで、そう思いはったのぉ~?

マジやがなァ~。。。第一、上の光源氏と六条の御息所を読んでも、光源氏が御息所を愛したことは明白やがなァ~!確かに、光源氏は夕顔を愛するようになってゆく。しかし、だからと言って、光源氏が御息所を愛さなかったとは言えない!

確かに、わたしも、そう思いますわ。

そうやろう?。。。上の六条の御息所を誰が読んだってぇ、光源氏が物語の中で、かつて六条の御息所を愛したことがはっきりしている!

太田さんは、どうして、上のような評価をしたのやろか?

わても、じっくりと考えてみたでぇ~。。。

。。。で、分かりはったのぉ~?

分かった。。。太田さんは別の本の中で次のように書いていたのや。

私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。
長女は、私から去った。次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。

私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。
私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。

しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。


【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家


56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

この文章がどうやと、あんさんは言わはるのぉ~?

この文章を表面的に読めば、太田さんは二人の娘と奥さんとも、うまくいってないのやァ。。。つまり、源氏物語のところで言っている“男の孤独”を太田さんは味わっているのやがなァ~。

太田さんは二人の娘さんも奥さんも愛していないと、あんさんは言わはるのぉ~?

いや。。。違う!。。。表面的に読めば、その通りや。。。でもなァ~、わては太田さん夫婦を良く知っているつもりや。わてと太田さんは、実は、絶交している。でもなァ、太田さん夫婦は、どちらも善良な人なのや。

それなのに、太田さんは、どうして家族を愛していないように、また、愛されていないように書いてはるのぉ~?

あのなぁ~、太田さんが妻に寄せる、また、二人の娘に寄せる愛が、太田さんの思うようには受け留められていない。。。そのために太田さんは“男の孤独”を感じているのやがなァ。

つまり、太田さんは感情的と言うか?愛情的に不器用な人なのねぇ~?

そうなのや。。。親密な付き合いでない。。。要するに、ある程度距離を保ちながら付き合っている場合には、太田さんという人は実に人当たりの良い善良な印象を与える人なのやァ。次のエピソードを読めば、めれちゃんにも良く分かると思うのやァ。


(bus005.gif)

バスに乗り込んだ途端、ハーーイ、Mister Ota, Helloオーオ!、という女の子の大声が一番後ろの席から聞こえた。見ると、我が家の隣のChristineが、腕を170度ぐらいに大きく振って、にこにこしている。他の乗客は、いっせいに私を見ている。彼女が高校生のときであった。そして、大学に進んでドイツ文学を専攻した。それ以来、しょっちゅうドイツに行っている。今でも、まったく、彼女は天真爛漫である。

それが、彼女の母親、Victoriaの悩みの種なのだ。なにせ、三ヶ月と言って出て行って、一年以上、半年と言って、一年半も家に帰って来ないのである。大学も除籍になりかかったことがある。叱っても、娘の返事は、“Don’t worry”だそうだ。そして、Victoria は、Masahiro、今月の電話代いくらかかったと思う?$5,000以上よ、とこぼしていた。Christineが collect callで掛けてよこすからであろう。その挙句、先日は、金送れ、と言ってきたので、喧嘩してしまった、としょげていた。


145ページ
『前奏曲集』 (私はアマチュアである) 作品1の2
著者: 太田将宏
初版:1989年7月 改定:2006年5月

(注: イラストはデンマンが貼り付けました。)

『女とクラシック (2009年9月23日)』に掲載

つまり、隣人同士の付き合い程度ならば良い印象を与える人なのやねぇ。

そうなのや。。。ところが、親密感が増してくると、こじれる場合が多い。その典型的な例が太田さんの二人の娘と奥さんですよう。

つまり、太田さんという人は親密感が増すほど、むき出しの自分の感情を見せてしまいはるのねぇ~?

そうなのやァ。

でも、どうして親密感が増すとこじれてしまいはるのぉ~?

雨降って地固まる

普通、ちょっとした感情のこじれや口喧嘩の後では、かえって以前よりもお互いの理解が進むものなのや。。。それで、以前よりも深い関係に進むことだってある。

太田さんには、それができへんのぉ~?

できない。。。太田さんは善良な人で、知的な教養人なのやァ。わては太田さんの本から結構たくさんの文章を引用しているねん。どの文章を読んでも知的なところが良く表れている。ところが、一つだけ大きな欠陥がある。

それってぇ、何?

考え方をちょっと改めて、めれちゃんのように仲直りする事ができへん。

2006-11-02 18:08:07 posted by merange

ちょいとマジな話やねんけど・・・

(テーマ:日記のつもり)


(merange42.jpg)

反省しきり。

わたし気がついたんやけど、
自分のことをずーっと考えてくれてる人の気持ちを、
もっと冷静になって、考える必要があったよ・・・
    
固定観念にしばられて、自分の尺度で相手のことを、
評価するのは、あまりにも心のせまいことやった。
人それぞれの個性を考慮せずに、
好きだの嫌いだの、いいとか悪いとか、
決め付けたまんまで、態度を硬化させて、
そのまんまで、再考しようともしなかった自分は、
なんちゅー視野のせまい人間やったことか。

いくら相手に理解を求めても、いっこうに気持ちがつたわらないことがある。
それはお互いの個性が、相容れないものであって、
どれだけの言葉をつくしても、関係は平行線のまんま。
まして相手が他人の性格や表現様式を、理解できなければ、
気持ちをつたえることは、あまりにもむずかしい。


(pray08.gif)

わたしは長年、固定された評価でしか、
その人の自分への気持ちを考えずにいた。
確かに人間として、相容れない部分はある。
でも、自分のものさしで、その人を判断して、
その判断を、見直そうともせずに態度を硬化させたままだった。
人それぞれの表現法や、思考の違いを考慮せずに、
一度拒絶の気持ちを持ったら、それを頑なに変えようとせず、
そのままで、思考をストップさせたままだった。

自分のことを、どんなかたちであれ、
考え続けてくれるということの意味を、
もっと尊重すべきだったことに、ようやく気がついた。

あらためて「ごめんなさい」と言います。
少なくとも、あなたを精神的に
拒絶することをやめます。
わたしの存在を忘れずにいてくれる人が
いるということを、
素直に受け入れるようにします。
それ以上のことは、
わたしにはできないけれど、
感謝の気持ちを忘れないようにしようと思います。


(girl100.jpg)


【デンマン注】 原文には全く手を加えていませんが
構成、背景や画像はデンマン流に変えてあります。

『めれんげの原材料 (第3ページ)』より

『出会い系の悪魔 (2008年9月10日)』に掲載

太田さんは頑固に自分の考えにこだわりはるのぉ~?

おそらく、相手の考え方を多少は認めるようにはなるのやろなァ。。。でもなァ、オツムでは分かっていても、実際に仲直りという行動にでることがができない。それで、次のようになってしまう。

長女は、私から去った。

次女は、中立を保つ為に、

この家に寄りつかない。

家内と言えば、

日本語も通じなくなってから

何年にもなる。

たぶん、気持ちの上では仲直りができているのですやろねぇ。。。わたしは、そう思うねん。ただ、太田さんは「男の沽券(こけん)」にこだわって、歩み寄ることができへんと思うわ。

そうやろな。そやから、めれちゃんが絶交状を書いてから仲直りしたのは、すっご~い事やがなァ!

『仲直りが不可能と思われる、

めれちゃんが書いた絶交状』

あんさんは、マジでそう思ってくれはるのォ~?

そうやでぇ~。。。

あなたはわたしに

愛されている

 

 

とってもうれしかったよ
あなたのくれた言葉が
わたしの気持ちが伝わってることが
涙が出るくらいうれしかったよ

あなたはわたしに愛されているって
ちゃんとわかってくれてたんだね
たくさんの出来事にうずもれても
この気持ちが光ってることを
あなたは知ってくれている

少ない言葉たちの中から
宝物を拾いあげてくれて
本当にありがとう

ほら、また涙が出てきちゃったよ

 

by めれんげ

2010.02.13 Saturday 12:11


『即興の詩 あなたはわたしに愛されている』より

これを読んだら、わてもホンマにルンルン気分になってしもうたでぇ~。。。

ホンマぁ~?

ホンマやがなぁ~!。。。マジでスキップしたくなってきたぁ。


(smilejp.gif)

そう言われると、わたしも、ホンマにうれしいわあああぁ~。

でもなぁ。。。次のような萌え萌えの詩を書いたら読む人は頭にきよるでぇ~。

狂ってしまいたい

 


(tantra20.jpg)

 

せつない声をあげて
あなたの背中を抱きしめる

そのくちびるが
その指先が
わたしを狂わせる

この濡れた身体の
一番深い場所で
溶け合うように
あなたとひとつになる

その熱いくちびるで
乱れた呼吸を吸い取って
あなたの欲望で
わたしを燃やしつくして

 

by めれんげ

2010.02.12 Friday 12:41


『即興の詩 狂ってしまいたい』より

わたしが詠んだ上の詩のどこがあかんのォ~?

あのなァ~。。。このような萌え萌えの詩をもらう男なんて1万人のうちに一人居るか居ないかという、極めて稀な事なのやがなぁ~。

つまり、あんさんは、その1万人のうちの一人やと言わはるのォ~?

そうやがなぁ~。。。

だったら、あんさんは喜びに萌えてスキップしてもええやんかぁ~。

でもなぁ~、こうして、めれちゃんが狂ってしまうほど萌え萌えの詩を書いたら、わては、めれちゃんのファンから憎まれてしまうのやでぇ~。

ホンマかいなぁ~?

さらに太田さんが上の詩を読んだら、間違いなく次のような捨て台詞が返ってくるのやでぇ~。

いい気なもんだねぇ~!

書く方も。。。もらう方も。。。

読まされる方が恥ずかしい!

太田さん本人でもないあんさんに、どうしてそのようなことが分るのォ~?

太田さんは本の中で次のように書いていたからや。

日本でTVを点けてみよう。
人前で、「切ない」との歌詞を唸って演歌を歌っている。
或いは、「恥ずかしい」と甘え、媚びるように通俗音楽を歌っている。
そういう私は、可愛いでしょ、と言いたい下心が丸見えである。

私は単純な人間であるので、本当に切なかったら歌なんぞは歌えないだろうし、本当に恥ずかしかったら、何で人前で歌っているのだろう、と思わざるを得ないのである。
それを容認するばかりか、共感して浸りきっている聴衆も同類である。

観ている方が、聞いている方が、気恥ずかしくなる、と言うのが正常な感覚だ、と私は思うのであるが、彼らは、こんな下賎なものに自他共に生理的な嫌悪を感じないのだろうか。
彼ら全体が、その風土が「亡国的」な女子大生を生み出しているのであろう。

私は、そうした自己欺瞞を自分に許さない。
私は、心情的には、亡命者なのであろうか。
文明とは躾(しつけ)の総体である、と司馬遼太郎も書いていた。


30ページ Francis Poulenc (1899-1963)
『間奏曲集 (主題なき変奏)』 作品2
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月

あんさんも、わたしの詩を読むと太田さんのように気恥ずかしくなるのォ~?

わては気恥ずかしくならへんでぇ~。。。

。。。で、あんさんは、どないになりはるのォ~?

わては谷岡ヤスジのように鼻血ブーになるのやがなァ~。。。


(boo11.gif)


(angry13.gif)

あんさん!。。。

少しは真面目にならんかいなア!

んもお~~

【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。
デンマンさんは、やっぱり、ちょっとハメをはずしていますよねぇ。
あなただって、そう思うでしょう?
うふふふふふ。。。

とにかく、まだ面白い話題が続くと思いますわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。


(byebye.gif)

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

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以前にも増して

親密な関係になる事だってあります。

英語にも、これにあたる諺がありますよ。

次のように言います。

After rain comes fair weather.

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そうですよね。

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次のように言うこともあります。

After a storm comes a calm.

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