Archive for the ‘ロシア文学・ロシア文学者’ Category

民主主義とロックンロール

2017年11月29日

 

民主主義とロックンロール

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで“民主主義とロックンロール”というタイトルでオイラを呼び出したのですかァ~?


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オマエと“民主主義とロックンロール”について語り合いたくなったのだよ。

どちらもオイラの嫌いなものですよ。。。

でも、オマエは“民主主義とロックンロール”について書いてたのだよ。

まさかァ~。。。!?

オマエは僕の言う事が信じられないのォ~?

だってぇ~、オイラは民主主義もロックンロールも嫌いなのだすよ。。。 だから、その事について書いてるはずがありません。

だったら、オマエが書いた文章をここに書き出すから読んでごらんよ。

1.8 Richard Wagner (1813 – 1880)

R. Wagnerの<<Tannhäuser>>全曲を聴いたのは、考えてみれば、二十年ぶりだった。彼の作品のなかでは、このドラマに一番,正悪(或は、聖俗)二元論が全面に出ている、と私は思う。そうした二元論も、清純な女性による救済も、馬鹿馬鹿しくなる程にprimitifなromantismeであるが、それも、遡れば、C.M.v. Weberの<<Der Freischütz>>、つまり、ドイツ民族楽派の狼煙に初源を見つけることができる。ドイツ語によるオペラの悲劇と喜劇の未分化、ということについて言えば、そもそも、W.A. Mozartの<<Die Zauberflöte>>からして、その通りであったのである。
どのような本を読んだところで、また、どのような音楽を聴いたところで、その人の人生とはいかないまでも、生活に何らの影響も関係もないのではないか、といった類の人々もいるものだ、と思うようになってきた(草子地:そうは思っていなかった頃の私は、喜劇的に純情であった、ともいえる)。そうした人にとっては、音楽とは、単に、たまたまあいた一、二時間をうめるための余興にしかすぎない。その後は、何も残らない。それの何処が悪い?悪くはないが,うそぶくな、と私の心は呟く。
私も同類だ、と思う時と思わない時がある。思わない時、というのは、文章や音楽作品による、私に残された傷痕を省みた時であるが、自分のことなどを書いてもはじまらない。
全くもって、この人生を覆う巨大な無意味さに対して、音楽でもしなければ、短いようで長たらしい時間の間がもたないではないか。そういう時には、Wagnerの楽劇が絶好なのである。誰も、古ゲルマンの神々を、もはや、信仰の対象とはしないように、彼の思想なるものを自己のそれの依りどころとはしてはいないからである。
私は、第一級の演劇の台本はオペラには向かない、と思う。それにしても、台本だけを取りだして言えば、Wagenrの作品の場合は、素人の水準ではないか。私には、そこに、支離滅裂な筋書きと幼稚な思想まがいしか見ることができない。F. NietscheからT. Mannに至るまで、Wagnerの思想に関する様々な論評があるが、それらのどれを読んでも、私には、彼の思想の現代に於ける普遍的な有効性を見い出せないのである(草子地:ある意味では、これが一番危険でもある)。
それにも拘らず、我々が、現在、彼の作品を聴くのは、その音楽に於いての交響的音響の適用に、今なお、魅力を感じるからではないであろうか。全く、彼の偽対位法の効果は他の追従を許さない。そこでは、無茶苦茶な筋書きが音楽の文脈で抽象化されて、音楽の本流、支流と共に頂点を創る。それこそ、それは、Wagner現象、とでも呼ぶべき一つの現象であって、その音楽史上の有効性を除いたのなら、彼は、大言壮語するだけの矮小化したドイツ音楽の作曲家にしかすぎなかったことになるであろう。
言い表す語彙、つまり、言語の粗い網目によっては音楽を表現する手段がない、という事実は、何も、逆に、音楽は何ものをも表現しない、ということを意味し得ない。音楽は、音楽の表現するものを表現している(草子地:私は、ここで、音楽はWagnerの楽劇の荒唐無稽な筋書までを表現している、などとは書いてはいない)。彼のLeitmotivは、聴き手の記憶に頼る補助的な手段でもあるが、一方、その交響的な響きが筋書きのTextと、ある地点で出会う時、音楽が筋書きを説明するなどということではなく、抽象化された筋書きが音楽を支えている、という効果を感得するのである。そうした音楽に於ける経過には、もはや、Recitativは使用できないことは明白であろう。
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Recitativ、これは、Bachの受難曲に於けるような理想的な適応例があったにも拘らず、ことオペラになると、Singspielの台詞からSprechstimmeに至るまで、特にドイツ語による作品では、解決の難しい問題であるらしい。Wagner流の解決を先送りした和声に乗せた旋律による説明部分も、長すぎる人生でもない限り、付き合うのに困難を覚えるのは、私だけではあるまい。
処女を犠牲に供する事は、いにしえの社会に於いて、洋の東西を問わなかった。ドイツに限らず、ヨーロッパの処女崇拝は、原始までに遡るのであろうか。そうであったとすると、キリスト教の彼の地に於ける土着とは、その表層にすぎなかった事になろう。新約に於いて、Lukasのみに見る処女懐妊の記述は、最も古代ヨーロッパ的であることは、その宛先によっても明白であろう。
それとも、処女性を殆ど問題にしなくなった現代人は、古代人の知恵を失いつつあるのであろうか。
蛇足(コーダ):
よくある平凡な話であるが、我が家の次女が私を批判して言った。人それぞれなんだから。Bachを聴かないでロックを好きな人は、それはそれでいいの、とのことである。家内も娘に同調して、自分の好みを人に押し付けるのは良くない、だと。だから、私は民主主義が嫌いなのである。頭の悪い、汗臭くて、むさくて、未熟な若者たちが、がなりたてる雑音と、J.S. Bachの清澄な音楽を同列にしているのが大衆社会化状況である。どれだけ彼らが、自ら知らずして、先人の業績、例えば、J.P. Rameauの<和声楽>に負っているか、を考えてみるがよい。
私は、誰にも、何ものをも押し付けたりしてはいない。しかし、私の思うことを主観的に愚妻や豚女に話してもしかたがないので、Bachを聴くような人が、この前、downtownで暴動があった時、lootingをしていたかい、と聞き返しておいた。ロックならともかく、例えば、Bachの音楽が入っているCDなどが略奪された、などという話は、誰も聞いたことがないであろうからである。
誰にでも等しい権利があるのならば、保護は期待しないほうがいい。義務と責任も科するべきである。甘ったれた、いいとこ取りはやめたほうがいい。


19-20ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

オイラが上の文章を掲載したサイトは消滅しているのに、デンマンさんは どのように上の文章をゲットしたのですか?

サイトが消滅する前に、僕はオマエのサイトを丸ごと僕のフラッシュ・メモリーにダウンロードしておいたのだよ。

つまり、オイラを徹底的に批判するために、前もってオイラの作品を保存しておいたのですねぇ~。。。

その通りだよ。。。

デンマンさんは、かなり執念深いのですねぇ~。。。 オイラが 気まぐれに匿名でデンマンさんのブログにコメントを書き込んだことが それほど頭にきたのですか?

それもあるけれど、オマエが他の5人に成りすまして 見え見えの自作自演で 僕を非難したことが 僕の気持ちを逆なでしたのだよ。。。

それで、こうして限(きり)もなく オイラをネットで晒しているのですか?

いや。。。 オマエを晒しているんじゃないのだよ。。。 オマエがせっかくクラシックについて拙い文章を書いた。。。 オマエはその“下書き”を出版しようとして 多くの出版社に原稿を見てもらった。。。でも、結局どの出版社からも拒否されたので、可哀想になったから、こうしてオマエの“下書き”を取り上げて オマエと語り合おうと思ったわけだよ。

つまり、デンマンさんはオイラを応援しているつもりなのですか?

その通りだよ。。。 だけど、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やラテン語が入り混じっている。。。

デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

 

海外からのアクセス@Denman Blog

 


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『葛飾北斎と太田将宏』@Denman Blog

 

133ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。

1.8 リヒャルト・ワーグナー (1813 – 1880)


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ワーグナーの<<タンホイザー>>全曲を聴いたのは、考えてみれば、二十年ぶりだった。

彼の作品のなかでは、このドラマに一番,正悪(或は、聖俗)二元論が全面に出ている、と私は思う。


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そうした二元論も、清純な女性による救済も、馬鹿馬鹿しくなる程にアカデミックな修練とは無縁なロマン主義であるが、それも、遡れば、カール・マリア・フォン・ウェーバーの<<魔弾の射手>>、つまり、ドイツ民族楽派の狼煙に初源を見つけることができる。
ドイツ語によるオペラの悲劇と喜劇の未分化、ということについて言えば、そもそも、モーツァルトの<<魔笛>>からして、その通りであったのである。

どのような本を読んだところで、また、どのような音楽を聴いたところで、その人の人生とはいかないまでも、生活に何らの影響も関係もないのではないか、といった類の人々もいるものだ、と思うようになってきた(草子地:そうは思っていなかった頃の私は、喜劇的に純情であった、ともいえる)。
そうした人にとっては、音楽とは、単に、たまたまあいた一、二時間をうめるための余興にしかすぎない。
その後は、何も残らない。
それの何処が悪い?悪くはないが,うそぶくな、と私の心は呟く。

私も同類だ、と思う時と思わない時がある。
思わない時、というのは、文章や音楽作品による、私に残された傷痕を省みた時であるが、自分のことなどを書いてもはじまらない。
全くもって、この人生を覆う巨大な無意味さに対して、音楽でもしなければ、短いようで長たらしい時間の間がもたないではないか。
そういう時には、ワーグナーの楽劇が絶好なのである。

誰も、古ゲルマンの神々を、もはや、信仰の対象とはしないように、彼の思想なるものを自己のそれの依りどころとはしてはいないからである。
私は、第一級の演劇の台本はオペラには向かない、と思う。

それにしても、台本だけを取りだして言えば、ワーグナーの作品の場合は、素人の水準ではないか。
私には、そこに、支離滅裂な筋書きと幼稚な思想まがいしか見ることができない。

 


(wagner92.jpg)

ニーチェからトーマス・マンに至るまで、ワーグナーの思想に関する様々な論評があるが、それらのどれを読んでも、私には、彼の思想の現代に於ける普遍的な有効性を見い出せないのである。
(草子地:ある意味では、これが一番危険でもある)

それにも拘らず、我々が、現在、彼の作品を聴くのは、その音楽に於いての交響的音響の適用に、今なお、魅力を感じるからではないであろうか。
全く、彼の偽対位法の効果は他の追従を許さない。
そこでは、無茶苦茶な筋書きが音楽の文脈で抽象化されて、音楽の本流、支流と共に頂点を創る。

それこそ、それは、ワーグナー現象、とでも呼ぶべき一つの現象であって、その音楽史上の有効性を除いたのなら、彼は、大言壮語するだけの矮小化したドイツ音楽の作曲家にしかすぎなかったことになるであろう。
言い表す語彙、つまり、言語の粗い網目によっては音楽を表現する手段がない、という事実は、何も、逆に、音楽は何ものをも表現しない、ということを意味し得ない。
音楽は、音楽の表現するものを表現している(草子地:私は、ここで、音楽はワーグナーの楽劇の荒唐無稽な筋書までを表現している、などとは書いてはいない)。

彼の「繰り返し使われる短い主題や動機」は、聴き手の記憶に頼る補助的な手段でもあるが、一方、その交響的な響きが筋書きのテキストと、ある地点で出会う時、音楽が筋書きを説明するなどということではなく、抽象化された筋書きが音楽を支えている、という効果を感得するのである。
そうした音楽に於ける経過には、もはや、「概して大規模な組曲形式の作品の中に現れる叙唱や朗唱」は使用できないことは明白であろう。

「概して大規模な組曲形式の作品の中に現れる叙唱や朗唱」、これは、バッハの受難曲に於けるような理想的な適応例があったにも拘らず、ことオペラになると、「ドイツ語による歌芝居」の台詞から「表現主義ボーカルテクニック」に至るまで、特にドイツ語による作品では、解決の難しい問題であるらしい。
ワーグナー流の解決を先送りした和声に乗せた旋律による説明部分も、長すぎる人生でもない限り、付き合うのに困難を覚えるのは、私だけではあるまい。
処女を犠牲に供する事は、いにしえの社会に於いて、洋の東西を問わなかった。

ドイツに限らず、ヨーロッパの処女崇拝は、原始までに遡るのであろうか。
そうであったとすると、キリスト教の彼の地に於ける土着とは、その表層にすぎなかった事になろう。
新約に於いて、ルカのみに見る処女懐妊の記述は、最も古代ヨーロッパ的であることは、その宛先によっても明白であろう。


(maria88.jpg)

それとも、処女性を殆ど問題にしなくなった現代人は、古代人の知恵を失いつつあるのであろうか。

 

蛇足(コーダ):

よくある平凡な話であるが、我が家の次女が私を批判して言った。

人それぞれなんだから、バッハを聴かないでロックを好きな人は、それはそれでいいの」、とのことである。

家内も娘に同調して、「自分の好みを人に押し付けるのは良くない」、だと。

だから、私は民主主義が嫌いなのである。
頭の悪い、汗臭くて、むさくて、未熟な若者たちが、がなりたてる雑音と、バッハの清澄な音楽を同列にしているのが大衆社会化状況である。
どれだけ彼らが、自ら知らずして、先人の業績、例えば、ジャン=フィリップ・ラモーの<和声楽>に負っているか、を考えてみるがよい。

私は、誰にも、何ものをも押し付けたりしてはいない。
しかし、私の思うことを主観的に愚妻や豚女に話してもしかたがないので、バッハを聴くような人が、この前、ダウンタウンで暴動があった時、略奪をしていたかい、と聞き返しておいた。
ロックならともかく、例えば、バッハの音楽が入っているCDなどが略奪された、などという話は、誰も聞いたことがないであろうからである。

誰にでも等しい権利があるのならば、保護は期待しないほうがいい。
義務と責任も科するべきである。
甘ったれた、いいとこ取りはやめたほうがいい。


赤字はデンマンが強調)

19-20ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

ところで、オマエが上の文章をPDF形式でネットで公開したようだけれど、上のリンクをクリックしたら、もう削除されてないよ。。。 オマエ、また管理人に抗議してシカトされたのだろう!?

判りますか?

あのさァ~、オマエは以前にも「ボイジャー」の社長の鎌田純子さんに掲載を断られてしまった。 それなのに、オマエは自分の欠点を棚に上げて 「ボイジャー」の社長に次のように文句を言っている! 

太田将宏著作集 (E-Book Mode)

告発状以下の筆者自身の著作がボイジャー、ロマンサー(社長:鎌田純子)の一方的な暴挙で読めなくなりました。

その一切の経過につき、筆者の告発文書、<<ボイジャー、ロマンサーへの抗議録>>を
上の告発状をclickして御参照願います。


Ⅰ あれかこれか

哲学 (実践知性批判、Sartreを中心に)、

神学(純粋意識批判、Kierkegaardを中心に)


Ⅱ 愛と生命の摂理

文学(ドストエフスキーを中心に)


Ⅲ 前奏曲集 第一集

音楽(あるアマチュアの覚書、(批評の批評 ⅰ)


Ⅳ 前奏曲集 第二集

音楽(私はアマチュアである、(批評の批評 ⅱ)


Ⅴ 間奏曲集

音楽(主題なき変奏、(言葉と音楽 ⅰ)


Ⅵ 後奏曲集

音楽(後書きばかり、(言葉と音楽 ⅱ)


Ⅶ 瞬間

書簡集


『EBOOK MODE』より

『失意の太田将宏』にも掲載
(2015年12月12日)

オマエは太田将宏の著作がボイジャー、ロマンサー(社長:鎌田純子)の一方的な暴挙で読めなくなりましたと書いたけれど、重要な2つのことでオマエは間違いを犯している。

その重大な 2つの間違いとは、いったい何ですか?

まず、オマエは“著作”と書いているけれど、オマエの書いたものは“下書き”なのだよ!。。。 作品というには程遠い。。。 ヒルデガルト・フォン・ビンゲンについての文章を見れば一目瞭然なのだよ!

やっぱり、日本語が理解できる人のために解り易く できるだけ日本語で書くべきですか?

当たり前だろ! 要するに、オマエは“現実感を喪失”しているのだよ。。。 ネット市民の皆様が読むようには書かれてない! 英語の単語がやたらに散りばまられて、しかも、似非ドイツ語や、似非ラテン語までが注釈なしに散りばめられている。。。 極めて読みづらい。。。 改行がなく、やたらに長い持ってまわった言い回しになっている。。。 オマエの文章を見ると読む気がしなくなるのだよ!

デンマンさんの“バカ野郎文章”の方が、もっと酷(ひど)いと思うのですけれど。。。で、2番目の重大な間違いとは。。。?

だから、すでに言ったように、オマエは自分の欠点を棚に上げて 「ボイジャー」の社長に文句を言っている! 悪いのは 「ボイジャー」の社長じゃなく、オマエの未熟な“下書き”なのだよ!  「ボイジャー」の社長は当然のことをしたまでだよ! オマエの“下書き”はネット市民の皆様に公開されるには 未熟で未完成なのだよ!

それは、デンマンさんの個人的な意見ですよ!

僕の個人的な判断じゃなくて、現に 「ボイジャー」の社長の鎌田純子さんが掲載を拒否したのだよ! 当然のことだよ! しかも、止せばいいのに、僕に対する抗議文までネットで公開している!


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『実際の抗議録』

つまり、オマエは、文章の中だけじゃなくて、どこへ行っても人間関係を破綻に導いているのだよ!

要するに、オイラは反省が足りないので家族関係も破綻していると言いたいのですか?

その通りだよ! オマエは「私は、誰にも、何ものをも押し付けたりしてはいない」と書いているけれど、次女に対してバッハを聴くように押し付けたじゃないか! だから、次女がオマエに対して「人それぞれなんだから、バッハを聴かないでロックを好きな人は、それはそれでいいの」と抗議したのだよ! 「ボイジャー」の社長や僕に対するオマエの理不尽な抗議と比べれば、次女の抗議こそ 正当な抗議なのだよ!

そうでしょうか?

当たり前だろう! それが理解できないので、オマエは女性系家庭で孤立してしまうのだよ!

私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。

長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。

私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。


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Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。

しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。


【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家


56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)

デンマンさん! いったい何度この手記を引用すれば気が済むのですかァ~?

あれっ。。。 オマエは覚えてるのォ~?

覚えてますよう! これまでに上の手記をデンマンさんは何度も何度も記事の中で引用したのですよ!

とにかく、オマエは性格的に人間関係をうまくやってゆくことができないのだよ。

そのように決め付けないでください。。。

とにかく、これからは長女と次女と心優しい奥さんの言う事に素直に耳を傾けて、反省しながら、仲良く暮らすことだよ!


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【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。

これまでに、デンマンさんは太田さんのことで いろいろと記事を書いてますから、

太田さんとしても次のサイトだけは残しておきたいのかもしれませんわァ。。。


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『実際の抗議録』

 

すると、デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)

あなたが絶対、

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(30june.jpg)

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(hooker08.gif)

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『きれいになったと感じさせる

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『センスあるランジェリー』


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美しい日本語 チェーホフ

2017年5月3日

 

美しい日本語 チェーホフ

 


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ケイトー。。。、今日はどういうわけで“美しい日本語”と“チェーホフ”を取り上げるわけぇ~? 


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実は、新潟市に住んでいる美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんがGOOGLEで検索して『美しい日本語』を読んだのですよ。。。


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『美しい日本語』

新潟市に住んでいる美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんが上の記事を読んだということが どうしてケイトーに判ったのォ~?

まず次のリストを見てください。。。


(liv70426a.png)


『拡大する』

『美しい日本語』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で4月25日の午後7時36分から午後9時51分までの約2時間の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。

あらっ。。。 4月25日の午後8時45分にGOOGLEで検索して『美しい日本語』を読んだと記録に出ているわねぇ~。。。

。。。でしょう!

でも。。。、でも。。。、新潟市に住んでいる美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんが読んだとは書いてないじゃない!?

IPアドレスを調べたのですよ。。。


(ip1810b.png)

『拡大する』

あのねぇ~。。。 IPアドレスを調べれば アクセスポイントは判るけれど、プライバシーを保護するためにアクセスしたネット市民の名前までは判らないようになっているのよゥ。。。

あれっ。。。 シルヴィーは見かけによらずネットに詳しいんだねぇ~。。。

その程度のことはネットの常識なのよゥ。。。

僕だってぇ~、ネチケットぐらい知っていますからねぇ~。。。 アクセスした女性のプライバシーを守るために仮名を使っています。

分かったわァ~。。。 でも、どういうわけで“チェーホフ”を取り上げたわけぇ~。。。

実は、美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんが次のようにして検索したのですよ。。。


(gog70426a.png)


『拡大する』

『美しい日本語』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「美しい日本語 チェーホフ 徒然」と入れてGOOGLEで検索したのねぇ~。。。

そうです。。。 4,020件ヒットする内のトップに『美しい日本語』が出てくるのです。。。

でも。。。、でも。。。、美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんはどういうわけで“徒然”を加えたわけぇ~?

美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんは『徒然ブログ』の常連さんだからですよ。。。

マジで。。。? その証拠でもあるのォ~?

シルヴィーも疑り深いのだねぇ~。。。 「生ログ」にちゃんと記録が残っているでしょう!

でも、ただの一度だけじゃない!

あのねぇ~、検索ワードに“徒然”を付け足して検索したことが 『徒然ブログ』の常連さんだという証拠ですよ。。。

そうかしら?

シルヴィーは猜疑心の塊なんだねぇ~。。。

。。。で、美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんは『美しい日本語』を読んで どんなところに感銘を受けたわけぇ~?

次の小文ですよ。。。


(chehogh3.jpg)

チェーホフは2月に日露戦争がはじまったあとの明治37(1904)年7月15日(グレゴリ暦)に亡くなった。
その3日前の友人あての手紙で、日本が戦争に敗北するのを予想して、「悲しい思いにかられている」と記した。
そして死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたという。

夫人のクニッペルがちょっとシャンパンを口に含ませた。
するとチェーホフはドイツ語ではっきりと医師に「Ich sterbe」(死にます)といい、それから夫人の顔を見て微笑んで「長いことシャンパンを飲んでいなかったね」と語りかけ、静かに横になり、眼をつむり、そのまま永遠の眠りについた。
午前3時であった。

まるで一場の芝居をみるようであるが、日本に来たこともないチェーホフが、死の床で日本と日本人にたいして何やらの想いを吐露しているようで、すこぶる不思議ではないか。

ところが、そのナゾが中本信幸氏の『チェーホフのなかの日本』(大和書房)を読むことでスパッと解けた(ような気がする)。

明治23(1890)年の春、彼はサハリン(樺太)への長途の旅にでた、その帰り道の途中のこと。
ときは6月26日、ところは中国と国境が接しているアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクである。
ここで何事かが起こった。

翌27日、チェーホフは友人の作家スヴォーリンに手紙を書いているそうな。
「……羞恥心を、日本女は独特に理解しているようなのです。
彼女はあのとき明かりを消さないし、あれやこれやを日本語でどういうのかという問いに、彼女は率直に答え……ロシア女のようにもったいぶらないし、気どらない。
たえず笑みを浮かべ、言葉少なだ。
だが、あの事にかけては絶妙な手並みを見せ、そのため女を買っているのではなくて、最高に調教された馬に乗っているような気になるのです。

事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれます。
紙が腹にこそばゆく当たるのです。
そして、こうしたことすべてをコケティッシュに、笑いながら……」
と書き綴ってきて、最後に記すのである。

「ぼくはアムールに惚れこんでいます。
2年ほどここで暮らせたらもっけの幸いと思うのです。
美しく、広々として、自由で、暖かい。
スイスやフランスでも、このような自由を1回も味わったことはありません」
アムール河畔でのたった一夜の契り。
だが「ぼくはアムールに惚れこんでいる」とまでいう。

当時、シベリア沿海州には、日本人の“からゆきさん”が多くいたことは記録にも見えている。
その中の一人が、チェーホフに優しさと暖かさというイメージ(夢)を抱かせ、その想いがふくらみ、ついに名作『桜の園』を生ましめた。
「庭は一面真っ白だ。 …… 月光に白く光るんだ」(ガーエフ)、
「すばらしいお庭、白い花が沢山」(ラネーフスカヤ)、
こうした日本の桜の純白の美しさを教えたのは、実に、その言葉少なな日本女であった。


(chehogh4.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


237-239ページ
『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

『美しい日本語』に掲載。
(2013年03月16日)

要するに、ケイトーが記事の中で引用した『ぶらり日本史散策』の本の上の箇所に美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんは感銘を受けたわけなのォ~?

その通りですよ。。。

でも、上の文章のどこに感銘を受けたわけぇ~?

事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれますというところです。。。

そんなところに美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんが感銘を受けるはずないでしょう!?

シルヴィーは美芭里 弐位奈さんでもないのに、どうしてそのようにムキになって否定するわけぇ~。。。

だってぇ~、女性が男性に奉仕するような。。。、それは男尊女卑の考え方を、男性が自分勝手に、つまり、男に都合がいいように書いているだけじゃない! 女性として美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんは上の箇所を読んでムカついたに違いないのよォ~。。。

あのねぇ~、シルヴィーは男女同権のフェミニストだから、そのようにムカついて、ムキになっているけれど、美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんは ちょっと“違う視点”から上の小文を読んだのです。。。

その“違う視点”というのは、どういう視点なわけぇ~。。。?

あのねぇ~、美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんは『美しい日本語』を読む前に 次の本を読んだのです。。。


(suji001.jpg)

この上の本の中の次の箇所を読んで、考えさせられたのです。

仕事の大切さなんて、

口にするもんじゃない

 

先日、とあるバラエティ番組で、大御所の俳優さんが役者の難しさ、大変さを滔々(とうとう)と語られた。
当然、出演者の多くは芸人さんやタレントさんであり、大御所の俳優相手に言い返せるはずもなく、微妙な空気の中、独演会状態。

しかし、わたしだけは同業の役者で、先輩といえども芸歴も大差ないことから、やんわりと突かせて頂いた。

「役者が役者の大変さを謳うことほど見苦しいものはない」
大変ではない仕事などない」と……。

 


(digger1.gif)

 

全然やんわりじゃないですよね。
ただ、どうしても我慢ならなかったので、言わずにはいられなかったのです。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
アニメはデンマン・ライブラリーより)


22-23 ページ 『スジ論』
著者: 坂上 忍
2016年10月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社

つまり、 美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんは仕事の大切さなんて、口にするもんじゃないというところに共感したわけなのォ~?

その通りですよ!

でも。。。、でも。。。、その事と“違う視点”とどういう関係があるわけぇ~。。。?

あのねぇ~、「大変ではない仕事などない」と書いてあるけれど、正にその通りですよ。。。 だから、人前で自分の仕事だけが大変で、他の仕事は簡単だとか。。。 下らないとか。。。 価値がないとか。。。 そういう事は言うべきではないのですよ。。。

要するに、美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんも そのように思った、とケイトーは言いたいのォ~?

そうですよ。。。

でも、その事と事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれますという事実と いったいどのような関係があるわけぇ~?

あのねぇ~、ここまで僕が解り易く説明してきたのですよゥ。。。 聡明なシルヴィーならば僕の言おうとしていることが解っているでしょう!?

解らないから訊いているのじゃない。。。

マジで。。。?

もちろんよ。。。 真剣に、真面目に訊いているのよゥ。。。 教えてぇ~。。。

そのように急にナヨナヨとシナを作って言われると、なんだか僕はテレてしまいますよゥ。。。 あのねぇ~、この日本女の名前をチェーホフは記録に残していない。。。 しかし、この女性の“仕事”がチェーホフにとっては、忘れがたい心に残る経験として のちに本の中に書き記(しる)すほどに感銘深かった。。。 要するに、この日本女性の“カラユキさん”は実に見事な仕事をしたのですよ。。。 つまり、チェーホフの心を揺さぶるような心のこもった仕事をしたということです。。。

どのような仕事も、たとえ“カラユキさん”の仕事であっても、その仕方によっては文豪のチェーホフの心までも揺さぶるような仕事をすることができる。。。 ケイトーは、そう言いたいわけぇ~?

その通りですよ。。。 バラエティ番組で、大御所の俳優さんが役者の難しさ、大変さを滔々(とうとう)と語ったようだけれど、このような自分勝手な俳優の演技を見たら おそらくチェーホフが生きていたら“この大根役者!”と思うと僕は思うのです。。。 要するに、仕事はどんな仕事でも大変なのですよ。。。 それを決めるのは仕事をしている本人ではない!

第3者こそ、仕事の大変さ、素晴らしさを感じ取っている。。。 ケイトーはそう言いたいわけなのねぇ~。。。

そうです。。。

でも。。。、でも。。。、どうしてケイトーには 美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんがそこまで感じ取ったということが解るのォ~?

『美しい日本語』を読んで感銘を受けたので美芭里 弐位奈(びばり にいな)さんはメールを書いて僕に その事を知らせてくれたのですよ。。。

信じられないわァ。。。

あのねぇ~、昔の人は“信じる者は救われる!”と言ったのですよ。。。 だからシルヴィーも僕の言った事を信じて救われてねぇ~。。。


(laugh16.gif)

【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

あなたは デンマンさんのお話を信じることができますか?

とにかく、上のエピソードのカラユキさんは チェーホフに忘れられないほどの 心に残る経験をさせてあげたのでした。。。

名前は伝わっていませんけれど、この日本女性こそ unsung heroine と言う事ができるかもしれません。。。

では、カラユキさんのことを知らないあなたのために、YouTube のクリップを貼り付けますね。。。

じっくりとご覧になってください。


(karayuki2.jpg)

話は変わりますけれど、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでください。


(sylvie500.jpg)


『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』

『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

『イングナさんを探して』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(rengfire.jpg)


(byebye.gif)

Cherry and Silk

2013年5月18日

  
 
Cherry and Silk





(chehogh94.jpg+silkanim.gif)


Kato, do you like cherry and silk, don’t you?

Yes, I do.  How about you, Diane?

I like both.  Actually, I love a cheesecake with cherry topping.


(cheesecake9.jpg)

Oh, do you? … me, too.

And I like to wear my favorite silk dress.

Yes, yes, yes…, I know, I know.

Then how come you’ve brought up cherry and silk today?

Look at the following picture again.


(chehogh94.jpg)

Take a close look at the above picture!  Now, what comes up in your mind?

Well … a geisha girl standing by the cherry trees, isn’t she?

Is that all you’ve come up with?

Tell me, Kato, what else you expect me to come up with?

“The Cherry Orchard”

The cherry orchard…? Where is it?  In Stanley Park?  Which orchard are you talking about?

I’m talking about a play called “The Cherry Orchard,” which was written in 1903 by Russian playwright Anton Chekhov.


(chehov02.jpg)

Diane, have you ever seen the above play?

No, I don’t think so.

Well … I’ve pasted the video clip here for you.  Why don’t you take a look at this trailer.

Kato, this play is too old.  It was written in 1903, wasn’t it?

Yes, it was, but it is still quite famous.  Besides, this play gave a big influence to Eugene O’Neill, George Bernard Shaw and Arthur Miller.

Oh, did it?  I didn’t know that.  In any case, people nowadays don’t talk much about the above play any more, do they?

I guess not.

Then how come you’ve brought up the above play?

Well … the title of the play reminds me of the following picture.


(chehogh94.jpg)

Are you saying that a geisha girl shows up in the above play?

No, I’m not.  As far as I know, a Japanese geisha doesn’t show up in the play.

But the above picture shows a Japenese geisha girl, doesn’t it?

Yes, it does.  Actually, Anton Chekhov was once impressed profoundly by a certain Japanese girl.

Are you sure, Kato?  I’ve never heard that Anton Chekhov went to Japan.

No, he never went to Japan.

Then what makes you think that Chekhov was once impressed by a certain Japanese girl?

Anton Chekhov recalled a certain Japanese woman at his death bed.

How do you know?

… ‘Cause I was at his death bed in my dream.

Don’t be foolish, Kato!  I’m quite serious.  By the way, what brought up Anton Chekhov in the first place?

Good question!  The other day, I borrowed the following DVD from Vancouver Public Library.


(lib30509q.gif)

“Actual Catalogue Page”

So, you viewed the above DVD on May 8, and then jotted down the long comment, didn’t you?

Yes, I did.  It is an amazing and fascinating movie.


(silk01.jpg)

This is a 2007 film directed by François Girard, a French-Canadian director, based on the novel written by Alessandro Baricco, an Italian author.
It is a story of a French silkworm merchant-turned-smuggler named Hervé Joncour in 19th century France who travels to Japan for his town’s supply of silkworms after a disease wipes out their African supply.
Before the journey, he gets married to Hélène, a teacher and keen gardener.
He loves her so much.
During his stay in Japan, however, he becomes obsessed with the concubine (played by Sei Ashina: 芦名 星) of a local baron.

On his first visit to the secluded village in the Northern part of Japanese mainland, she handed him a note, which reads in Japanese: “Come back or I shall die.”
She appears misteriously attractive. Hervé Joncour never knows her name.
The concubine seems attracted to this silkworm smuggler, yet she introduces a girl to him one night, instead of sleeping with him herself.

His obsession somewhat puzzles me because he has never communicated with the concubine verbally—let alone sexually.

In any case, his obsession is so strong that he seems to do anything to meet her again, but to no avail.
Then he receives a long letter from the mysterious concubine, written in Japanese.
He takes the letter to Madame Blanche for translation, who agrees, providing he never comes to see her again.
Madame Blanche is a Japanese woman whose French merechant-husband has been long dead.
As a owner-and-manager of a high-class brothel, she lives in Lyon, a city in east-central France, and she is known for giving the small blue flowers that she wears to her clients.
The letter is a deeply moving declaration of love.
After his three journeys to Japan, his wife becomes ill and eventually dies.
Hervé finds a tribute of small, blue flowers on her grave.
He seeks out Madame Blanche once more, believing her to have written the letter, but Madame Blanche has moved to Paris without giving him a new address.

Hervé Joncour almost knocks at every door in Paris to find Madame Blanche, and finnaly he meets her.

Madame Blanche reveals a profound secret to him.
This is a big twist in this film.
I’d better not tell you about it.

After this revalation, Madame Blanche tells him that, more than anything, his wife loved him.
Too late, Hervé finally realizes that it was Hélène who was his true love after all.
It is a poetic film and really moving.
The Japanese scenery is authentic because it was filmed in a secluded part outside the city center of Sakata (酒田市、山形県).

You might be convinced that obsession is not love, but that it’s more like illusion. Love is real and it’s more like devotion.

I see… So you jotted down a rather philosophical comment at the very end, didn’t you?

Yes, I did.

But I don’t see any connection between the above movie and Anton Chekhov.  Does Chekhov have anything to do with the above movie?

Yes, of course, he does.  Otherwise, I wouldn’t have talked about him in the first place.

Tell me, then, what on earth makes you think that the above movie has something to do with Anton Chekhov.

Obsession! … That’s it… Hervé Joncour was obsessed with the misterious concubine.  Likewise, Anton Chekhov became obsessed with a certain Japanese woman.

Who the heck is that certain Japanese woman?

Read the following excerpt.

Chekhov died on July 15, 1904 after the Russo-Japanese War began in February.
Three days before his death, he wrote a letter to his friend: “Japan will probably lose the war, and I’m sad thinking about Japan’s defeat.”
When he reached the end of his life, Chekhov muttered “A Japanese woman …”
But nobody understood his following words.
Mrs. Chekhov let him sip a bit of champagne.
He said to his doctor, “I’m gonn die” in German.
Then he looked up at his wife and said with a faint smile, “I haven’t tasted champagne for a long time, haven’t I?”
He slowly took the last breath and died quietly.
It was 3 o’clock in the morning.

Chekhov had never come to Japan, yet he muttered about a Japanese woman.
Why?
I was profoundly puzzled.

Later when I happened to read a book titled “Chekhov and Japan” written by Nobuyuki Nakamoto, I felt that I’d solved the mystery.

In the spring of 1890, Chekhov travelled to Sakhalin, and on his way back he dropped in at Blagoveshchensk—a town along the Amur River near the Chinese border.


(blagioveshchensk.png)


(chehogh90.jpg)

Something happened on June 26, 1980.
The next day, Chekhov wrote a letter to his writer-friend.


(maiko19.png)

Japanese women seem to understand shame in a peculiar way.
Whe I went to bed with this Japanese woman, she didn’t put out the light.
When I asked a series of salicious question, she answered rather frankly—unlike Russian women who are pretentious with airs and graces.
She smiled constantly without much talking.
When it came to the love-making, she showed such exquisite manners and techniques that you would feel as if you were riding an expertly-trained horse rather than going to bed with a hooker.
Once it was over, she grasped my little dick lovingly and wiped it with soft tissues taken out from the sleeve of her kimono.
It was a grateful surprise, indeed.

Oh, I’m in love with Amur.
I wish I could live here for another two years.
… beautiful, spacious, and free and warm.
In France and Switzerland, I’ve never even once tasted the freedom like this.

At that time, in Siberia Primorye, there were a number of “Karayuki-san” or “Japanese hookers in foreign-land.”
Chekhov certainly met one of those Japanese women.


(chehogh94.jpg)

This woman inspired an image of warmth and tenderness in Chekhov, and later led to a creation of the play: “The Cherry Orchard.”
It was this modest yet unforgettable Japanese woman who taught Chekhov the beauty of pure white cherry.

(translated by Kato; pictures from Denman Library)


SOURCE:
pp.237-239 “Take a Walk in History”
Published in April 15, 2010
Author: Kazutoshi Handou
『ぶらり日本史散策』 著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

So, Kato, you’re saying that Chekhov was obsessed with this Japanese woman, aren’t you?

Yes, I am.

Quite interesting, isn’t it?  Hervé Joncour didn’t have sex with the concubine, yet he was quite obsessed with the mysterious woman.  On the contrary, Chekhov seems to have attracted to the exquisite manners and techniques of the Karayuki-san.

Yes, you’re right on, Diane.  Hervé Joncour looks like a man who tendes to look at the spiritual side while Chekhov seems like a man who focuses on the technical side.

Tell me, Kato, which woman you prefer to become obsessed with—the concubine or the hooker in foreign land?

It’s hard to tell, but I’d say both.


【Himiko’s Monologue】

“Karayuki-san (唐行きさん)” were Japanese women who traveled to East Asia and Southeast Asia in the second half of the 19th century to work as prostitutes.

It litetally means “Ms. Gone-to-China.”


(karayuki2.gif)

Karayuki-san in Siberia

Many of these women were said to have originated from the Amakusa Islands of Kumamoto Prefecture, which had a large and long-stigmatized Japanese Christian community.

Many of the women who went overseas to work as karayuki-san were the daughters of poor farming or fishing families.

The mediators who arranged for the women to go overseas would search for those of appropriate age in poor farming communities and pay their parents, telling them they were going overseas on public duty.

The mediators would then make money by passing the girls onto people in the prostitution industry.

With the money the mediators received, some would go on to set up their own overseas brothels.

In any case, I hope Kato will write another interesting article soon.
So please come back to see me.

Have a nice day!
Bye bye …

If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:



(sylvie121.jpg)

“Roly-poly in the wild”

“Silence is dull”

“Zen and Chi Gong”

“Piano Lesson”

“Dangerous Relation”

“Electra Complex”


(juneswim.jpg)

“Covent Garden”

“Fatal Relation”

“Notre Dame”

“Anne Frank”

“Biker Babe”

“Diane Girdles the Globe”

“Diane in Casablanca”

“Infidelity Neighbourhood”

“Forest Bathing”

“Enjoy Ramen!”

“Sex, Violence, Love”

“Halifax to Vancouver”

“A Thread of Destiny”

“Fujiyama Geisha”

“Beaver Lake”

“God is Near!”

“Holy Cow@Rose Garden”

“Vancouver Earthquake”

“Birthplace”

“KIFF”

“You Love Japan, eh?”

“Eight Bridges”

“First Love”

“Fright on Flight”

“Boy’s Movie”

“From Summer to Eternity”

“Sōseki & Glenn Gould”


(biker302.jpg)

“Dream Dream Dream”

“In Search of Your Footprint”

“Little Night Music”

“Merry X’mas”

“Happy New Year!”

“Long live Diane!”

“Mona Lisa”

“Flu Shot”

“Selfish TD Bank”

“Talk with Mozart”

“Bliss for Diane!”

“Romantic Bohemian”

“TD Bank or Mozart?”

“Diane@TD Bank”

“Tear Jerker”

“Diane in Chorus Line”

“Pork or Friend?”

“Easter Bloopers”

“Beauty is Heart-deep”

“Romance@South Pacific”

“Art Gallery”

“Diane Hypatia”

Hi, I’m June Adams.

“The Cherry Orchard” concerns an aristocratic Russian woman and her family as they return to the family’s estate, which includes a large and well-known cherry orchard, just before it is auctioned to pay the mortgage.

While presented with options to save the estate, the family essentially does nothing and the play ends with the estate being sold to the son of a former serf, and the family leaving to the sound of the cherry orchard being cut down.

Introduction to

“The Cherry Orchard”

The story presents themes of cultural futility—both the futility of the aristocracy to maintain its status and the futility of the bourgeoisie to find meaning in its newfound materialism.

In reflecting the socio-economic forces at work in Russia at the turn of the 20th century, including the rise of the middle class after the abolition of serfdom in the mid-19th century and the sinking of the aristocracy, the play reflects forces at work around the globe in that period.

ところで、愛とロマンに満ちた

レンゲさんのお話をまとめて

『レンゲ物語』を作りました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

『愛とロマンのレンゲ物語』

『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

チエホフとシルク

2013年5月13日

 
チエホフとシルク


(silk05.jpg)


(silk03.jpg)

デンマンさん…、 あんさんはどうして急にチエホフを持ち出してきやはったん?

めれちゃんは次の記事を読みよったかァ~?

『優美な日本女性』

(2013年5月11日)


(maiko19b.jpg) 

あらっ。。。 きれいで可愛い舞妓はんが出てきよりましたなァ~。。。

いや。。。 舞妓はんはどうでもええねん。 めれちゃんが上の記事を読んだかどうかを聞いてるねん。

読まへんかったわァ。

どうして読まへんかったのやァ?

あんさんのことやから、どうせ軽井沢タリアセン夫人を持ち出してきよって、おべっかを使いながらベタベタするような記事を書くやろうと思うたのですねん。


(salon22.jpg)

こうして軽井沢の別荘で小百合さんがあんじょう癒されている様子をベタベタと話しましたのやろう?

ちゃうねん。 そないなことは話題にならへんかったのやァ。

。。。で、どないなことを話しはったん?

わてが読んだ本からまず次の箇所を引用したのやがなァ。

優美な女性
 
 

(silk03.jpg)

確かにこの国には魅惑的な生活作法が存在する
友人(ジェームズ・ドラモンド卿を指す)は日本女性を手放しで賞賛している。

日本の女性はもうなんとも言えない自然な優美さを持っている。
私の見る限り、世界で最も魅惑的でエレガントな女性たちだ。
少しばかり風変わりなところを矯正すれば、英国の宮廷だろうがヨーロッパの宮廷だろうが、一度連れ出すだけで彼女たちは憧れの的になるだろう。
日本女性のちょっとした風変わりなところも、しばらく一緒に暮らせばすぐに慣れてしまう程度のものだ。

私は彼の言葉を信用している。
彼は世界各国を旅し、実際にそうした国々に住んだ経験があるのだ。
こうした話を聞いたことが私が日本への興味を抱いたきっかけだったということもおわかりだろう。

男を磨くのは女だとはよく言ったものだ。
女性が品よく、優雅で、洗練されていれば、男性が下品で、粗野で不恰好ということはない。
もちろんこの逆も真なりである。
少なくとも私たちが旅した国ではそうだった。
日本の男性も態度が立派でマナーが洗練されている。
それは身分の高い者だけの特徴ではない。
一般人にも、喧嘩早かったり大法螺を吹いたり、不快になるほどだらしない者はまずいない。
路肩でその日暮らしで働いている者でさえ、会話はまともで礼儀をわきまえている。
日本人を観察する者は、この社会の「礼(politeness)」の存在にはっきりと気づくのだ。
よほどの権力者の場合は別にして、日本人が横柄で不躾な受け答えをすることはまずない。
彼らは攻撃的で口汚い人を軽蔑する。
そうした人々のもとで働くことさえ拒否するのだ。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


261-262ページ 『日本 1852』
著者: チャールズ・マックファーレン
訳者: 渡辺惣樹
2010年10月1日 第1刷発行
発行所: 株式会社 草思社

あらっ。。。 ジェームズ・ドラモンド卿というイギリス人のおっさんは日本人の女をえろう美化してますのやねぇ~。。。

めれちゃんも、そないに思うかァ~?

そうですう。。。 ちょっと褒めすぎですやん。

やっぱり、そう思うやろなァ~。。。 でもなァ~、幕末から明治にかけての日本女性の中には、当時日本へやって来たイギリス人やフランス人に“優美な女性”という強烈なイメージを与えた人もおったようやでぇ~。。。

ホンマかいなァ~。。。?

最近のミーちゃん、ハーちゃんの仲間と遊んでいたら“優美な女性”というようなイメージは、めれちゃんのオツムに浮かんでこんやろなァ~。。。?

あんさん!。。。 いい加減なことを言わんで欲しいねん。。。 あんさんは、わたしがミーハーの仲間と遊んでいると思いはってるん?

ちゃうのかァ~?

ちゃいますやん。。。 わたしは文学の仲間と格調高く短歌や詩を詠(うと)うとりますねん。

うん、うん、うん。。。 そう言われてみれば次の詩を詠(よ)んでいたなァ~。。。

小さな赤い花
 
 

 
 
わたしをあなたの庭に咲く

小さな赤い花にしてください

そして、お水を注ぎながら

何かお話を聞かせてください

わたしは何も言えないけれど

あなたの言葉を聞きながら

いろんなことを思うのです

あなたに愛されるように

いつまでも綺麗に

咲いています

だからわたしのことを

忘れずにいてください
 

by merange (めれんげ)

2010.02.19 Friday 10:24


『即興の詩 小さな赤い花』より

『永遠の愛のコラボ』に掲載

あんさん!。。。 これは、もう3年前の詩やんかァ~。。。 こないな詩を持ち出してきて欲しくないねん。 そないなことよりも、幕末から明治にかけてやって来やはったイギリス人やフランス人の中に“優美な女性”という強烈なイメージを持ったおっさんが実際におったのォ~?

それが、おったのやがなァ~。 そやから、わては実例として記事の中で“Silk (シルク)”という映画を紹介したのやァ。

Silk (シルク)


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『シルク』は、アレッサンドロ・バリッコによる小説『絹』を原作として、2007年に製作された日本・カナダ・フランス・イタリア・イギリスの合作映画である。
日本では2008年1月19日にアスミック・エースの配給により公開された他、8カ国で上映された。
日本人もメインキャスト以外に多数出演している。

ストーリー

19世紀のフランス、兵役を終えて故郷の村に帰ってきた青年・エルヴェは、美しい小学校教師・エレーヌと恋に落ち、結婚する。
村ではバルダビューが経営する製糸工場が主力の産業だったが、蚕に流行病が発生し、製糸工場の先行きが怪しくなってくる。
エルヴェは一攫千金を目論み、バルダビューの「極東の国・日本へ行って蚕の卵を買い付けてくる」という危険な仕事を請け負う。
真冬、フランスから鉄道を乗り継いでロシア、そしてキエフからは橇を乗り継ぎ、ウラジオストクからは密航船で酒田に上陸、さらに身分を隠して信濃国の某所・原十兵衛なる謎の人物が支配する村に乗り込む。
そこで謎の美女に出会ったエルヴェは強烈な衝撃を受ける。


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日本への蚕の卵の買い付けを成功させたエルヴェは莫大な富を得、再び危険を冒して日本へ向かおうとする。
真の目的は謎の美女に再会することであった。
しかしその後、エルヴェ夫婦の間には微妙な風が吹くようになってくるのであった…。

キャスト

役名:俳優(ソフト版吹き替え)

•エルヴェ:マイケル・ピット(吹替:内田夕夜)
•エレーヌ:キーラ・ナイトレイ(吹替:弓場沙織)
•原十兵衛:役所広司
•少女:芦名星
•マダム・ブランシュ:中谷美紀
•パルダビュー:アルフレッド・モリーナ(吹替:稲葉実)
•右門:國村隼
•少年:本郷奏多
•ジョーンクール町長:ケネス・ウェルシュ
•ルドヴィック:マーク・レンドール
•貿易商:カラム・キース・レニー

スタッフ

•監督:フランソワ・ジラール
•エグセクティブプロデューサー:
 アレッサンドロ・バリッコ、ジョナサン・デビン、石井晃、パトリス・セロー
•プロデューサー:ニヴ・フィックマン、ドメニコ・プロカッチ
•脚本:フランソワ・ジラール、マイケル・ゴールディング
•撮影:アラン・ドスティエ
•音楽:坂本龍一
•美術:小川富美夫
•衣装:黒澤和子、カルロ・ポジオリ

『シルク — 予告編』


出典: 「シルク (2007年の映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この映画の主人公であるフランス人青年・エルヴェが密航船で鎖国をしていた幕末の日本へやって来るねん。 そいで信濃国の山奥の村で謎の美女に出会ったエルヴェは強烈な衝撃を受けるのやがなァ~。。。

これはホンマにあった話やのォ~。。。?

この映画はイタリア人の作家が書いた小説『絹』を基にして制作したものやねん。

。。。で、イタリア人の作家は歴史的事実を基にして、その小説を書きはったん?

そォ~らしいでぇ~。。。 兵役を終えて故郷の村に帰ってきた青年・エルヴェは、美しい小学校教師・エレーヌと恋に落ち、結婚するねん。


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エレーヌは美しい知的な女性なのやがなァ~。。。

それにも拘(かかわ)らずエルヴェ青年は日本に行くと日本人の女性に心を奪われてしまいはったん?

そうやねん。。。 例えば次のシーンやァ。。。 エルヴェ青年は原十兵衛の館(やかた)で彼のお妾さんから、初めて「もてなし」を受けるねん。


(silk03.jpg)

つまり、この時のお妾さんの作法と立ち居振る舞いにエルヴェ青年は魅了されてしもうたのやがなァ。。。 エルヴェ青年はフランス人やけど、この時、ちょうどジェームズ・ドラモンド卿が受けたような印象を持ったようやねん。


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日本の女性はもうなんとも言えない自然な優美さを持っている。
私の見る限り、世界で最も魅惑的でエレガントな女性たちだ。
少しばかり風変わりなところを矯正すれば、英国の宮廷だろうがヨーロッパの宮廷だろうが、一度連れ出すだけで彼女たちは憧れの的になるだろう。
日本女性のちょっとした風変わりなところも、しばらく一緒に暮らせばすぐに慣れてしまう程度のものだ。

。。。で、あんさんは、この映画を観終えてから、いつものようにキザにも英語でコメントを書きはったん?

うへへへへへ。。。 めれちゃんも、そないに思うのかァ~。。。? 実はそうやねん。


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『実際のカタログページ』

あんさんのコメントが一番長いやんかァ~。。。 長ければええもんとちゃいますのやでぇ~。。。 いったい、どないな事を書きはったん?

日本語に訳すと次のようになるねん。


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この映画は2007年に公開されたフランス系カナダ人のフランソワ・ジラール監督による作品です。
イタリア人作家による同名の小説を基にして制作されました。
舞台は1862年。 幕末の動乱の時期に当たります。
主人公はフランス人のエルヴェ青年で、蚕の卵を買い付けるのが仕事です。
当時の日本は鎖国でしたから、彼は危険を冒して密航船で日本へ渡ります。

この長旅の前に彼は美しい小学校教師・エレーヌと恋に落ち、結婚しています。
ところが日本へ渡り信濃国の某所・原十兵衛なる謎の人物の館で十兵衛の妾に出会います。
芦名 星さんの演じるこの女性の作法や立ち居振る舞いにエルヴェ青年はすっかり魅了されてしまうのでした。

やがて彼はこの女性から恋文を受け取ります。
その恋文には日本語で次のように書いてあるのでした。

「ぜひ、おもどりください。
さもないと、わたくしは死んでしまいます。」
(もちろんエルヴェ青年は日本語が読めません。 あとで日本人のマダム・ブランシュに読んでもらうことになります。)

十兵衛の妾もエルヴェ青年に惹かれている様子です。
ところが、この女性は原十兵衛に操(みさお)をたてるつもりなのか、エルヴェ青年と同衾する機会があるにも拘らず他の女を彼の夜伽(よとぎ)の相手としてあてがうのでした。

エルヴェ青年は、なぜ、これほどまでに十兵衛の妾に魅了されてしまうのか?
彼女とは、ほとんど言葉らしい言葉を交わしていないのです。
もちろん、肉体関係もありません。
常識的に考えるならば、同衾した相手の女性に心が惹かれるでしょう!

ところがエルヴェ青年は十兵衛の妾にハマッてしまうのです。
フランスに帰ると同僚から日本語が読める人を紹介されます。
それがマダム・ブランシュです。
横浜で絹商人をしていたフランス人のムッシュ・ブランシュと結婚したこの日本女性は、夫と共にフランスに渡りますが、この当時はすでに夫と死別して未亡人になっています。
それで当時、フランスのリヨンで高級娼婦を抱(かか)えて売春サロンを経営しているのでした。
マダム・ブランシュは自分のお客さんには、自分が身に着けている小さなブルーの花を与えるのを習慣にしていました。

3度目の日本行きを終えてフランスに戻ると、やがてエルヴェ青年は長い手紙を十兵衛の妾から受け取ります。
この時期、不幸にもエレーヌは病気になって死んでしまいます。
何度目かに墓に彼が立ち寄ると、墓には小さなブルーの花が捧げられていました。
エルヴェ青年は、その手紙をマダム・ブランシュに訳してもらおうとしますが、彼女は住所を誰にも知らせずにパリに定住していました。

パリの、これと思われるような館(やかた)のドアをすべてノックして探し廻ったあげく、やっと彼はマダム・ブランシュを探し当てます。
エルヴェ青年の求めに「もし2度と私を訪ねないと約束してくれたら、この手紙を訳して差し上げます」とマダム・ブランシュは応じます。

十兵衛の妾が書いた長い手紙はエルヴェ青年の心を揺さぶる熱烈な愛の告白でした。
その後でマダム・ブランシュは秘密をエルヴェ青年に打ち明けます。

この秘密をここで話してしまうと、あなたがこの映画を観る楽しみが半減してしまうので僕は言いません。

秘密を打ち明けてから、マダム・ブランシュはエルヴェ青年に言います。
「あなたの奥様は、あなたを本当に心から愛していましたわ。」

しかし、彼の妻は、もうこの世の人ではありません。
でも、彼は悟るのでした。 本当に愛していたのは十兵衛の妾ではなく、妻のエレーヌだったと。。。

この映画は詩的で、恐らくあなたも心を揺さぶられるだろうと思います。
日本のシーンは日本で撮影しているので、海外で見るとマジで日本の自然や景色が懐かしくなります。

映画を観終わった後で感じるのは多分次のようなテーマじゃないでしょうか?


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Obsession is not love,

but it’s more like illusion.

Love is real and

it’s more like devotion.

「オブセッションは愛なんかじゃなく、

どちらかと言えば幻想です。

愛はもっとリアルなもので、

どちらかと言えば相手をいつまでも

思いやるということです。」

あんさん!。。。 最後に、えろうキザなことを書きましたやんかァ~。。。、 この映画を観やはってぇ、あんさんはマジで上のような感想を持ちはったん?

そうやァ。。。

そやけど、チエホフがどこにも出てきよらんでぇ~。。。 あんさんは、どないなわけで「チエホフとシルク」というタイトルをつけはったん?

あのなァ~、わては映画を観てマジで次のように思うたのやァ。


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エルヴェ青年は、なぜ、これほどまでに

十兵衛の妾に魅了されてしまうのか?

彼女とは、ほとんど言葉らしい言葉を

交わしていないのです。

もちろん、肉体関係もありません。

常識的に考えるならば、

同衾した相手の女性に

心が惹かれるでしょう!

この疑問とチエホフが関係あるのォ~?

それがあるねん。 かつて、わてはチエホフの次のエピソードを読んだことがあるねん。。。


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チェーホフは2月に日露戦争がはじまったあとの明治37(1904)年7月15日(グレゴリ暦)に亡くなった。
その3日前の友人あての手紙で、日本が戦争に敗北するのを予想して、「悲しい思いにかられている」と記した。
そして死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたという。
夫人のクニッペルがちょっとシャンパンを口に含ませた。
するとチェーホフはドイツ語ではっきりと医師に「Ich sterbe」(死にます)といい、それから夫人の顔を見て微笑んで「長いことシャンパンを飲んでいなかったね」と語りかけ、静かに横になり、眼をつむり、そのまま永遠の眠りについた。
午前3時であった。

まるで一場の芝居をみるようであるが、日本に来たこともないチェーホフが、死の床で日本と日本人にたいして何やらの想いを吐露しているようで、すこぶる不思議ではないか。

ところが、そのナゾが中本信幸氏の『チェーホフのなかの日本』(大和書房)を読むことでスパッと解けた(ような気がする)。

明治23(1890)年の春、彼はサハリン(樺太)への長途の旅にでた、その帰り道の途中のこと。
ときは6月26日、ところは中国と国境が接しているアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクである。
ここで何事かが起こった。

翌27日、チェーホフは友人の作家スヴォーリンに手紙を書いているそうな。
「……羞恥心を、日本女は独特に理解しているようなのです。
彼女はあのとき明かりを消さないし、あれやこれやを日本語でどういうのかという問いに、彼女は率直に答え……ロシア女のようにもったいぶらないし、気どらない。
たえず笑みを浮かべ、言葉少なだ。
だが、あの事にかけては絶妙な手並みを見せ、そのため女を買っているのではなくて、最高に調教された馬に乗っているような気になるのです。
事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれます。
紙が腹にこそばゆく当たるのです。
そして、こうしたことすべてをコケティッシュに、笑いながら……」
と書き綴ってきて、最後に記すのである。

「ぼくはアムールに惚れこんでいます。
2年ほどここで暮らせたらもっけの幸いと思うのです。
美しく、広々として、自由で、暖かい。
スイスやフランスでも、このような自由を1回も味わったことはありません」
アムール河畔でのたった一夜の契り。
だが「ぼくはアムールに惚れこんでいる」とまでいう。

当時、シベリア沿海州には、日本人の“からゆきさん”が多くいたことは記録にも見えている。
その中の一人が、チェーホフに優しさと暖かさというイメージ(夢)を抱かせ、その想いがふくらみ、ついに名作『桜の園』を生ましめた。
「庭は一面真っ白だ。 …… 月光に白く光るんだ」(ガーエフ)、
「すばらしいお庭、白い花が沢山」(ラネーフスカヤ)、
こうした日本の桜の純白の美しさを教えたのは、実に、その言葉少なな日本女であった。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


237-239ページ
『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

『美しい日本語』にも掲載。
(2013年3月16日)

チエホフは死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたというのやがなァ~。。。

つまり、チエホフはんは死の床で忘れられない“優美な日本女性”を思い出していたと、あんさんは言わはるのォ~?

その通りやがなァ~。。。

要するに、死の床でチエホフはんが思い出しはった“優美な日本女性”というのんは事がすむと、袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれた女性のことやと、あんさんは言わはるのォ~?

あきまへんかァ~? (微笑)

あっか~~ん! それはえろうエロすぎやんかァ~~!

【レンゲの独り言】


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ですってぇ。。。
そうですよねぇ~。。。
めれんげさんが感じたように最後のオチが品格を下げると思うのですわ。

でも、どのような女性に強烈な印象を受けるのかは、その人それぞれだと思いますわ。
精神的な美しさや、立ち居振る舞いに強烈な印象を受ける人もいるかもしれません。

また、デンマンさんのように事がすむと、袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれる女性に“優美な女性”の姿を見る人もいるでしょう。
あなたは、どう思いますか?
 
とにかく、次回も興味深い話題が続きます。
あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。


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こんにちはジューンです。

確かに“優美な女性”は日本にはたくさんいると思いますわ。

でも、優美な女性ばかりではありません。

動物よりも劣るような女性もいます。

どういう女性かってぇ~。。。?

例えば、動物は我が子を殺したりしないものです。

でも、日本人の母親の中には、時に、我が子を見殺しにするような母親がいます。

ええっ。。。 そのような話は聞いたことがないのですか?

でも、実際にあったのですわ。

「苫小牧子殺し事件」ですわよ。

痛ましい事件でしたわ。

情事に浸る女が子供が邪魔になって

殺してしまうという悲惨な事件でした。

北海道・苫小牧で、3歳の長男と1歳の三男の兄弟が

鍵の掛かったアパートに閉じ込められ放置されのですわ。

長男は生米や冷蔵庫のマヨネーズやケチャップで

飢えをしのいだのです。

三男は飢餓と低体温症で亡くなってしまいました。

昼間に自動的に入る暖房で、餓死した弟が

無残に腐食する横で、お兄ちゃんは

必死で飢えを凌ぎ生き抜いて、

ママの帰りを待ち続けたというのです。

でも、ママは新しいボーイフレンドの部屋に住み着いて

1ヶ月以上、子供たちの養育を拒み、

ボーイフレンドと遊んで暮らしていたのです。

もう、死んでいるのではないかと思って、

アパートに戻ると、長男は生きていた。

「何で生きてるの?」

冷血女性のママは長男を見て

まず、そう感じたと言うのです。

人間は、それほどまでに非情に

冷血になれるものでしょうか?!

何度読んでみても、亡くなった子供のために

涙が流れてきますわ。(めそめそ。。。)

「苫小牧子殺し事件」のことは

次の記事の中で引用されています。


(kid91.gif)

『愛の進化論』

ところで、卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ


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美しい日本語

2013年3月16日

 

美しい日本語

 

 
(kuge03.jpg+maiko19.png)


ケイトーは日本語が美しいと思っているの?


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いや。。。 特に日本語が美しいとは思いませんよ。

でも、タイトルにそう書いてあるじゃない?

僕がそう思ったから書いたのではないのですよ。

じゃあ、誰がそう思ったのよ?

実は、バンクーバー市立図書館で次の本を借りたのです。


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つまり、赤枠で囲んである本を読んだのね?

そうです。 『日本人が忘れてしまった美しい日本語』というタイトルなのですよ。

それで今日はその日本人が忘れてしまった美しい日本語の話をするの?

そうです。。。 いけませんか?

別にいけなくはないけれど、それほど美しい日本語がマジであるのォ~?

やっぱり、シルヴィーもそう思う?

だってぇ~、言葉なんて生活に欠かせない、いわば道具でしょう? 普段使っている言葉を特に美しいと感じることなんてないわよね。

だから、本の著者も、たぶん、そう思っていたのですよ。 でもねぇ、古い本を取り出して読んでみると、もう普段使わなくなってしまった。。。つまり、ほとんどの日本人が忘れてしまった言葉の中に美しい日本を再発見したというのですよ。

。。。で、具体的にどのような言葉が美しいと言ってるのォ~?

じゃあ、次の小文を読んでみてください。

芥川龍之介 「舞踏会」


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(略) …が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭遇した。
と云うは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。
すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたような視線を明子へ投げた。
初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花—実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具えていたのであった。 (中略)


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二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬髯(ほおひげ)を蓄えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易(ルイ)15世式の装いを凝らした年上の伯爵夫人と一緒に、大様(おおよう)に客を迎えていた。
明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(ろうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかった。
人の好(い)い明子の父親は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。
彼女は羞恥と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。
が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


72-74ページ
『日本人が忘れてしまった美しい日本語』
著者: 佐藤 勝 
2002年8月19日 第1版発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社

著者は赤字で書いてある老獪(ろうかい)が美しい日本語だと言ってるのォ~?

そうらしいのですよ。

私は特に美しいとは思わないけれど。。。

僕も同感ですよ。。。 むしろ「老獪」という言葉には僕は醜さを感じますよ。 ただ、引用されている芥川龍之介の「舞踏会」という作品は美しいと思いました。

どういうところが。。。?

「舞踏会」は大正9年1月に発表された短編なのですよ。 鹿鳴館での舞踏会の一夜を描いた前半と、32年後の秋の日を描いた後半とから成り立っているのです。 前半は、明治19年11月3日、今で言えば天皇誕生日に、鹿鳴館での舞踏会にデビューした数え年17歳の明子が経験した忘れえぬ一夜の物語なのです。 上の部分は、その前半の一部です。 明子さんがマジで美しいので彼女を見た「主人公の伯爵」の「老獪らしい顔」にさえ「無邪気な驚嘆の色」が表れてしまうというのですよ。

。。。で、後半は?

後半では、上の場面から32年後の秋の日の事が書かれているのです。 つまり、大正7年の秋なのです。 汽車の中で青年小説家が明子さんと一緒になる。 その時、32年前の舞踏会の思い出を小説家に語るのです。

その思い出というのが上のエピソードの中の老獪(ろうかい)な顔をした伯爵のことですか?

違うのですよ。 実は、伯爵に出会った後で明子さんはフランス海軍将校と踊るのです。 そのフランス人が明子さんの美しさを「ワットオの画の中の御姫様のよう」だと言うのです。

ワットオというのはフランス人の画家なのォ~?

実は、ワットオという呼び方は大正時代の呼び方だったらしい。 ウィキペディアで調べたらアントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau: 1684年10月10日 – 1721年7月18日)のことですよ。 


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300年前に活躍していた画家です。 Watteau は次のような女性の絵を描いたのです。


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ケイトーも、こういうタイプの女性が美しいと思うの?

いや。。。 僕が思っている「美しい女性」のタイプとはかなり違いますよ。

ケイトーが想っている「美しい女性」のタイプってぇ、どういうタイプなのォ~?

例えば、イタリア映画 “I girasoli (Sunflower)” に出てきたロシア人 (Masha) を演じた Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性ですよ。


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I girasoli – TRAILER

Henry Mancini

Love theme from SUNFLOWER

Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性が「美しい女性」なのォ~? つまり、ケイトーは白人女性志向なのねぇ~?

違いますよ。 たまたま Watteau の描いた絵にフランス女性が出てきたから白人の女性を取り上げたまでですよ。

日本人だったら。。。?

だから、この冒頭に取り上げたような可愛らしい舞妓さんですよ。

あらっ。。。 ケイトーってぇ、どちらかと言えば幼い感じの女性が好みなのねぇ~。。。? もしかしてロリコンじゃないのォ~?

やだなあああァ~。。。 ロリコンじゃありませんよう! シルヴィーはダイアンも幼い感じを与える女性だと思うわけぇ~?


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どちらかと言えばダイアンも熟女と言うよりは幼い感じを与える女性だと思うわ。

でも、いくらなんでもオッパイの感じといい、ヒップのムキムキした感じといい。。。 ロリコンとは違うでしょう!?

とにかく、ケイトーの美人観はフランス人将校とはだいぶ違ってるわよねぇ~。

その通りですよ。 僕もかなり違っていると意識しましたよ。

それで、明子さんはその将校と忘れられない思い出があるのォ~?

いや。。。 その夜、鹿鳴館で会っただけですよ。 ただ、二人でバルコニーに出て「ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美し」い花火を見ながら言葉を交わすのです。

どのような。。。?

「私は花火のことを考えていたのです。 我々の生(ヴィ)のような花火の事を」とフランス人の将校は言うのです。 花火は一瞬美しく輝いて永遠に真暗な闇の中に沈んでゆくので、そこにフランス人将校は「我々の生(ヴィ)」の象徴を見ていたと言いたかったのですよ。 つまり、人形のように美しい明子も、一瞬輝いて闇に消えてゆく。。。 美しさとはそのようなものと芥川は捉(とら)えていたのですよ、多分。。。 おそらく芥川がフランス人の口を借りて、そのように言わせたのですよ。

ただ、それだけのことですか?

そうです。 フランス人将校と明子さんとの間にそれ以上の発展はない。 ただ、物語を読んでゆくと僕はハッとしてある驚きを感じたのですよ。

どのような。。。?

明子さんの話を聞きながら、小説家は話の中の海軍将校がピーエル・ロティである事を知るのです。

あの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書いた作家ですか?

そうです。 芥川は短編の中で49歳の明子さんに次のように言わせているのですよ。


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存じて居りますとも。 Julien Viaud (ジュリアン・ヴィオ)と仰有る方でございました。


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あなたも御承知でいらっしゃいましょう。 これはあの『お菊夫人』を御書きになった、ピエール・ロティと仰有る方の御本名でございますから。。。


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「お菊」さんのモデルになった「オカネ」さん


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ケイトーにとってぇ、明子さんが鹿鳴館でピエール・ロティに出会ったということがそれほどの驚きなのォ~?

あのねぇ~、ピエール・ロティは1885年と1900~1901年の二度、日本へやって来ているのですよ。 鹿鳴館のパーティに出たのは1885年に日本へやって来た時なのです。 でもねぇ~、『お菊夫人』の中では芥川が『舞踏会』で書いているようなことは言ってないのですよ。

どのよなことを言ってるのですか?

鹿鳴館でダンスを踊る日本人を「しとやかに伏せた睫毛の下で左右に動かしている、巴旦杏(アーモンド)のようにつり上がった眼をした、大そうまるくて平べったい、小っぽけな顔」「個性的な独創がなく、ただ自動人形のように踊るだけ」「何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いている。

あらっ。。。 ピエール・ロティは日本人に対して蔑視に近い念を抱いていたということじゃない!?

だから、そのように言う評論家も多いのですよ。 でもねぇ、もしピエール・ロティが『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書かなかったら、ヨーロッパやアメリカでの日本女性の人気はなかったのですよ。

でも、「(鹿鳴館でダンスを踊る日本人は)何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いているのでしょう?

でもねぇ~、そういう悪い事ばかりを書いているわけじゃない。 ヨーロッパ人やアメリカ人が読んだら、「日本へ行って、ぜひとも日本のきれいな女性とロマンスを味わいたい」というような夢を膨らませるようなことも書いている。

マジで。。。?

もちろんですよ。 あの有名なプッチーニのオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』も。。。、また最近では、1989年9月20日にロンドンのウエストエンドで初演されたミュージカル『ミス・サイゴン (Miss Saigon)』も、ピエール・ロティの『お菊夫人(Madame Chrysanthème)』をストーリーのベースにしているのですよ。

Madame Butterfly

Miss Saigon

でも、ピエール・ロティがそれほどの影響をマジで与えたのかしら?

じゃあねぇ~、駄目押しのエピソードをシルヴィーのために、ここに載せますよ。 読んでみてください。


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チェーホフは2月に日露戦争がはじまったあとの明治37(1904)年7月15日(グレゴリ暦)に亡くなった。
その3日前の友人あての手紙で、日本が戦争に敗北するのを予想して、「悲しい思いにかられている」と記した。
そして死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたという。
夫人のクニッペルがちょっとシャンパンを口に含ませた。
するとチェーホフはドイツ語ではっきりと医師に「Ich sterbe」(死にます)といい、それから夫人の顔を見て微笑んで「長いことシャンパンを飲んでいなかったね」と語りかけ、静かに横になり、眼をつむり、そのまま永遠の眠りについた。
午前3時であった。

まるで一場の芝居をみるようであるが、日本に来たこともないチェーホフが、死の床で日本と日本人にたいして何やらの想いを吐露しているようで、すこぶる不思議ではないか。

ところが、そのナゾが中本信幸氏の『チェーホフのなかの日本』(大和書房)を読むことでスパッと解けた(ような気がする)。

明治23(1890)年の春、彼はサハリン(樺太)への長途の旅にでた、その帰り道の途中のこと。
ときは6月26日、ところは中国と国境が接しているアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクである。
ここで何事かが起こった。

翌27日、チェーホフは友人の作家スヴォーリンに手紙を書いているそうな。
「……羞恥心を、日本女は独特に理解しているようなのです。
彼女はあのとき明かりを消さないし、あれやこれやを日本語でどういうのかという問いに、彼女は率直に答え……ロシア女のようにもったいぶらないし、気どらない。
たえず笑みを浮かべ、言葉少なだ。
だが、あの事にかけては絶妙な手並みを見せ、そのため女を買っているのではなくて、最高に調教された馬に乗っているような気になるのです。
事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれます。
紙が腹にこそばゆく当たるのです。
そして、こうしたことすべてをコケティッシュに、笑いながら……」
と書き綴ってきて、最後に記すのである。

「ぼくはアムールに惚れこんでいます。
2年ほどここで暮らせたらもっけの幸いと思うのです。
美しく、広々として、自由で、暖かい。
スイスやフランスでも、このような自由を1回も味わったことはありません」
アムール河畔でのたった一夜の契り。
だが「ぼくはアムールに惚れこんでいる」とまでいう。

当時、シベリア沿海州には、日本人の“からゆきさん”が多くいたことは記録にも見えている。
その中の一人が、チェーホフに優しさと暖かさというイメージ(夢)を抱かせ、その想いがふくらみ、ついに名作『桜の園』を生ましめた。
「庭は一面真っ白だ。 …… 月光に白く光るんだ」(ガーエフ)、
「すばらしいお庭、白い花が沢山」(ラネーフスカヤ)、
こうした日本の桜の純白の美しさを教えたのは、実に、その言葉少なな日本女であった。


(chehogh4.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


237-239ページ
『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

つまり、チェーホフがアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクで日本人の「からゆきさん」に会ったのはピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』の影響だと言いたいのォ~?

その通りですよ。 チェーホフは1890年の4月から12月にかけて当時流刑地として使用されていたサハリン島へ「突然」でかけたのですよ。

どうして。。。?

あのねぇ~、ピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が出版されたのは1887年なのですよ。

つまり、チェーホフは『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を読んで、それでサハリン(樺太)への長途の旅の帰り道にアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクに立ち寄り日本人の「からゆきさん」に会ったと。。。?

その通りですよ。 『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』には、それほどの影響力があったということですよ。


(laugh16.gif)

【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。
ピエール・ロティの小説『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が、チェーホフにサハリンへの長旅に駆り立てる“公表できない動機”を与えたのでしょうか?
そのよなことは聞いたことがありませんわ。
でも、可能性としてはありそうですよねぇ。

プッチーニも日本へ行ったことはありません。
それにもかかわらずオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』を作ってしまったのですから。。。
その内、チェーホフに関しても動かぬ証拠が出てくるかもしれませんわ。

ところで、シルヴィーさんの事をもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。


(sylvie500.jpg)


『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』


(sunwind2.gif)

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』

『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』

『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』

『文は人なり(2011年9月15日)』

『キモい戦争(2011年9月19日)』

『バカの歴史(2011年9月23日)』

『ムカつく検査(2011年11月1日)』

『アッシジからの平和(2011年11月5日)』

『中国からの怪電話(2011年11月9日)』

『気になる英単語(2011年11月18日)』

『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』

『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』

『山形とバンクーバー(2011年12月8日)』

『ねえ、ねえ、ねえ見て(2011年12月10日)』

『URL スパマー(2011年12月20日)』

『坂の上の平和(2012年1月4日)』

『平和と武士道(2012年1月10日)』

『スカートをはいた兵隊(2012年1月15日)』

『レモン戦争(2012年1月16日)』

『常連さん、こんにちは(2012年1月23日)』

『チョコレートと軍産複合体(2012年1月28日)』

『壁に耳あり障子に目あり(2012年2月3日)』

『チョコレートと世界銀行(2012年2月10日)』

『チョコレートと甘い権力(2012年2月22日)』

『CIAの黒い糸(2012年3月6日)』

『CIAの黒い手(2012年3月12日)』

『平和が一番(2012年3月29日)』

『オツムの中の英語(2012年4月17日)』

『誰?あなたなの?(2012年5月5日)』

『ジャンボのエンジンが全部停止!』
(2012年5月15日)

『日本の良心は停止したの?』
(2012年5月17日)

『愚かな詭弁を弄する東電』
(2012年8月16日)

『僕のお父さんは東電社員』
(2012年8月20日)

『小学生でも知っている国のウソ』
(2012年8月25日)

『ん?オバマ大統領暗殺?』
(2012年9月3日)

『なぜ戦争するの?(2012年9月15日)』

『なぜ原発作ったの?(2012年9月19日)』

『国際感覚ダントツ(2012年11月11日)』

『国際化できてる?(2012年11月19日)』

『国際化とアクセスアップ(2012年11月23日)』

『国際化とツイッターと国際語(2012年11月27日)』

『お百度参りも国際化(2012年12月1日)』

『期待される人間像(2012年12月13日)』

『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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キモい写真狩り

2011年8月21日

 
キモい写真狩り

ケイトー。。。またアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人さんによる写真狩りに遭(あ)ったの?

そうなんだよ。 ちょっと、これを見てよ。

でも、写真狩りに遭(あ)う事が分かっていたのでしょう?!

もちろんですよ。

それなのに、どうして写真狩りに遭う記事をアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)で投稿したの?

言論の自由・表現の自由を守りたいからですよ。 こうして記事を書かねばならない。。。

でも、写真狩りをしているのはアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)だけなんでしょう?

僕の知る限り、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人だけですよ。 この愚劣な管理人は、教養がなく、芸術が人類の文化にどれほどの貢献してきたかを全く理解できずに自分の偏った判断基準で。。。、しかも、愚かな事に自分ではネット社会のためと思って独善的な写真狩りをしているのですよ。

でも、写真狩りでなくて言葉狩りに遭ったかもしれないじゃない!?

言葉狩りじゃないのですよ。

どうして写真狩りだと判るの?

なぜなら、一度は言葉狩りのプログラムを通り抜けて『死の写真狩り』は表示されたのですよ。

あらっ。。。マジで表示されてるじゃない!

そうですよ。 僕は根拠の無い事は書きませんからね。。。だから、アメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人か、そのスタッフの一人が自分の目で僕のページを見て、マジで写真狩りをしたのですよ。

。。。で、どの写真が問題になったの?

次の写真ですよ。

この上の写真は見る人によったら問題があると思う人だって居るんじゃないの?

もちろん、そう思う人も居ますよ。 だからアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人も、そう思って僕の記事を未公開にしてしまったのですよ。

でも、そうだからと言って、どうしてアメブロ(http://ameblo.jp/)の管理人さんを愚か者だと決め付けるの?

あのねぇ~、アメブロ(http://ameblo.jp/)の管理人が、どう思おうとかまいませんよ。 ただし、自分勝手に考え出した偏った判断基準で他の人の記事を未公開にするのは間違っています。

どうして。。。?

次のGOOGLE画像検索の結果を見てください。

あらっ。。。「蛸と海女」と類似の絵や写真がたくさん表示されてるじゃない!

でしょう! 実はGOOGLEでも写真狩りをやっているのですよ。 でもねぇ~、GOOGLEが民主的なのは検索利用者に判断を任せている。 アメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人のように独善的な写真狩りをしているわけじゃない! つまり、検索利用者が見て嫌悪感を催すもの、ネット上に公開されて不快感を与えるような画像を報告できるようにしてある。

画像検索結果の下の方に赤枠で囲んであるところね!?

そうですよ。 検索利用者が表示された画像を見て、特定の画像が好ましくないと思ったら報告できるのですよ。 GOOGLEの担当者が報告者の数を調べて、例えば100人を越えたとすれば、その画像を表示されないようにする。 これこそ、民主的だと思いますよ。 ところが、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人は、スタッフを使い、個人的な独自の基準を設けて、無駄な人材と無駄な時間を使って独善的な写真狩りをしている。 この愚かさに未だに気づいてない。 僕がアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の総責任者ならば、直ちに、この愚かな管理人をクビにしますよ。

つまり、ケイトーはアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんに怨念を抱いているのね?

いや。。。僕はアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人を個人的に恨んでいるとか、憎んでいるとか、そのような無駄な感情エネルギーを使ってませんよ。

マジで。。。?

あのねぇ~、僕はアメブロの愚かな管理人のためと言うよりも、他のサイトで管理人をしているネット市民の皆様のために書いているのですよ。 表現の自由を認めず、言葉狩り・写真狩りをしているようなサイトの管理人は、その教養が疑われる。 それでメンバーは呆れて離れてゆく!

人の振り見て我が振り直せ!

アメブロの愚かな管理人は反面教師なのですよ! 太平洋戦争中の愚かな言葉狩りや、“不真面目統制”をしていることが未だに分からない。 本人は教養がないから芸術的に価値のある、国際的にも認められている葛飾北斎の絵まで記事の中に表示することを禁止してる。

だけど、10年も経ってみれば。。。、いや、3年も経ってみれば、自分がアホな事をやっていたと判るようになる。

そうでしょうか?

それが教養を身につけた大人になるということですよ。 (微笑)

だけど、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんに分かる時がくるかしら?

いずれ分かる時がきますよ。。。僕は人間の良識を信じてますからね。。。

だったら、もういい加減にアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人さんに拘(こだわ)るのを止めたら?

あのねぇ~。。。アメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人が自分の愚かさに気づくのに最低3年かかると思うのですよ。

その根拠でもあるの?

いや。。。確かな根拠があるわけじゃないけれど、僕の経験ですよ。 僕がアメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人に拘るのは、このような愚劣な人間が今後増えると日本はますます悪い方向に進んでしまうのですよ。 だから、僕はこうして記事を書いている。

。。。で、まだ他に言うことでもあるの?

あるのですよ。 僕は夕べ、バンクーバー図書館で借りた『七人の侍』をじっくりと観たのです。 

ずいぶんと古い映画なんでしょう!?

あのねぇ~、古いとか新しいとかじゃなくて。。。いい映画は古くても、いいものなのですよ。

。。。で、ケイトーは暫(しばら)くぶりに観てマジに楽しんだの?

久しぶりに観てもメチャ面白かった。

『バンクーバー図書館の実際のカタログページ』

上の赤線で印をつけたところを見てもらえば分かるけれど、3つめのDVDディスクは付録なのですよ。 その中に『愛のコリーダ』で有名な大島渚監督が黒澤監督にインタビューしている2時間の記録があった。 これがとても興味深かった。 僕は引き込まれるようにして観たのですよ。

それほど感動的なことを語り合っていたの?

そうなのですよ。 あのねぇ~、太平洋戦争中の検閲のことを黒澤監督が次のように語っていた。

戦争中の検閲は厳しかったのですか?

厳しいなんてもんじゃないね。 内務省の役人は、もう、どうしようもない感じだったですよ。

例えば。。。?

内務省に呼ばれて検閲官の前で尋問のように、いろいろと訊かれるのだけれど、5時間ぐらい、なんだかんだと尋ねるんだよ。

黒澤さんは一人ですか?

そうなんだよ。 僕だけ一人が裁判官の前に引き出されたように一人で座っている。 その前の机に5人ぐらいの検閲官が座っているわけ。。。ボーイまでがコーヒーを飲みながらそばで見ているんだよ。 僕には水一杯もでない。

それで、どのような内容が検閲に引っかかるのですか?

どのような内容というよりも、すでにダメなものが決まっていて、こちらが何と言おうがダメなものはダメで、僕を呼び出すまでもないんだよ。 『虎の尾を踏む男達』は歌舞伎の『勧進帳』のオリジナルに基づいて作ろうとしたのだけれど、「改悪されている」と言うだよ。 歌舞伎の通りにやらにゃイカン!というようなことを言う。 歌舞伎の『勧進帳』は、実は「能」の作品を脚色したもので、改悪と言うならば、歌舞伎の『勧進帳』こそ改悪されている、と言うことを僕は言ったのだけれど。。。、とにかく、「この映画は意味がない」と言う。。。そのような事を5時間もクダクダと話し続ける。

それで、どうなったのですか?

僕もホトホト嫌気が指して「意味が分からん者が、意味のない映画を見て意味が無いと言う事こそ意味がない」という事を言ったら、相手も黙ってしまったよ。 僕も若かったし、相手も若造なんだよ。 とにかく、僕の本(シナリオ)は5冊ぐらいボツにされて、恨み骨髄に達していましたよ。

帝国政府と言う権力をバックに有無を言わさずに押し付けていると言う感じですね。

そうなんだよ。。。とにかく酷(ひど)いもんだよ。

こんな会話でしたよ。

つまり、ダメだともともと決まっているのを、役所仕事だから一応黒澤監督を呼び出して嫌がらせをしているようなものですわね。

僕もそんな印象を受けましたよ。 残念ながら黒澤監督は亡くなってしまい、もう新作が見られないのが悲しいですよ。

1998年9月6日世界を駆け巡ったNews

黒澤明逝く。大島渚が、フランスが、

ベネチアがハリウッドが、泣いた!

でも、旧ソ連時代の検閲から比べたら日本の検閲は、それほど酷くは無かったのでしょう?

厳しい検閲時代

旧ソ連時代、出版界には悪名高い検閲システムがあった。 これはちょっと卑猥な表現がカットされるなどという生易しいものではなく、検閲に引っかかること自体、時に死を意味するほど危険なものであった。
当然、反革命、反ソ的な作品が真っ先に引っかかり、それは第一に作家としての死、第二に強制収容所に送られるなど、人間としての死さえ結びついた。

 (中略)

しかし、真実を訴えようとする人間の口は簡単にふさげるものではなく、検閲を通さない非公式な出版システムが生まれてくる。 この検閲を経ない地下出版物は、「サミズダード」と呼ばれ、これは「自己出版」を意味する新造語である。 … このサミズダードによって知られるようになった人たちに、ソルジェニーツィン、サハロフ博士、詩人のブロツキーなどがいる。

ちなみにソルジェニーツィンの作品を日本語に翻訳した故木村浩氏は、長い間、ソ連への入国ビザが下りなかったという。 それほど旧ソ連政府は、思想統制に気を使っていたといえる。

(平野恵美子)

(注: イラストはデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)


44 – 45ページ
『ヨーロッパ・カルチャーガイド ロシア』
編集: ECG編集室
2000年6月20日 第2版第1刷発行
発行所: 株式会社 トラベルジャーナル

旧ソ連では検閲によって時には強制収容所に送られて殺された人も出てきたようだけれど、日本では、そのような事はなかったのでしょう?

いや。。。検閲のとばっちりを受けて、たくさんの人が理不尽に戦場へ送られて死んだのですよ。

マジで。。?

このような時にウソや「でまかせ」を言えませんよ。 次のエピソードを読んでみてくださいよ。

言葉狩りをする

未熟な精神構造は、

日本に何をもたらすのか?

生命の危機と言論の自由

知っていますか?
太平洋戦争時代、日本帝国政府は今から考えれば愚劣と言えるほどの言論統制で国民をがんじがらめにしたのです。

その良い例が英語を使うな、という規制です。
野球で英語が使えなかった。
ストライクと言ってはダメなんですね。
じゃあ、何と言ったか?

「当たり」「一本」「良し」とか言ったらしい。
「ボール」も使えない。
「はずれ」とか「ダメ」とか言ったらしい。

愚かと言うより、こうなるともう滑稽ですね。
しかし、戦争当時、みんなが真面目にこう言いながら野球したらしい。
いっそのこと野球も敵性スポーツとして禁止すればよかったと思うのですが、帝国政府の親玉の中に野球の好きな人がいたらしい。

それなら、英語も使わせればよいと思うのに、そうはしなかった。こういうところが片手落ちなんですよね。

アメリカはどうだったか?
すっかり逆でした。

日本人が昔から親しんだ「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という『孫子の兵法』の中の有名な格言を忠実に守ったんですね。つまり、戦争に勝つためには日本人を知らなければならない。そのためには日本語を大いに学ばねばならない。と言う事でアメリカ政府は日本語学校を作ってそこで日本語を徹底的に学ばせて、日本人の研究人材を養成したわけです。

『菊と刀』で有名な著者ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)さんも政府から依頼を受けて「お国のために」日本人と日本文化の研究をしたんですね。彼女がレポートを提出した時には戦争が終っていた。それで、その研究に基づいて1946(昭和21)年に出版されたのが『菊と刀』です。この本の事を全く知らない人は次のリンクをクリックして僕の書評を読んでみてください。

■ 『「菊と刀」 書評』

現在でも読まれています。すでに90版以上を重ねているはずです。僕は6度程読みましたが、読むたびに新たな感動を受けています。このべネデクトさんは日本で暮らしたことが一度もない人なんですね。もちろん日本へ行ったこともない。そういう人があれだけの研究成果を出したんですから、日本研究がどれだけ進んでいたかが良く分かるんです。アメリカ政府の採った政策は日本帝国政府がやった言論統制と比べると雲泥の差です。

しかし、日本にだって良識を失わない人たちも居たんですね。極めて少なかったですが。。。太平洋戦争下で唯一といってよい言論抵抗事件がありました。このことについて、ちょっと詳しく語ろうと思います。1944(昭和19)年2月23日の『毎日』新聞の竹ヤリ事件というのがこれです。

この記事を書いたのは37歳の新名丈夫記者でした。「竹やりなんかでアメリカに徹底抗戦なんてどうかしている」と言うような趣旨の事を書いてしまったんですね。もちろん、覚悟して書いたんです。うっかりして書いてしまったわけではないんです。

でも、当時の東条英機首相はこれを読んで激怒した。

それで、頭にきたものですから、できれば書いた記者を死刑にしたい。でもいくらなんでもそんな無茶な事は出来ませんから、赤紙で徴兵して南方戦線に送り込もうとしたわけです。当時の常識として、南方戦線に送り込まれれば生きて帰れないということが分かっていました。つまり事実上の「死刑」です。いづれにしても、無茶な事をしたんですね。

当時軍部と帝国政府に真っ向から反対すれば、このような仕打ちが待っていたんです。だから、分かっていた人もおとなしく黙っていた。でも、新名記者はメディア人としての良識を持っていたわけです。アメリカを例に取れば、あのニクソン大統領を退陣に追い込む事になったウォーターゲート事件を暴露したワシントンポスト記者のボブ・ウッドワード(Bob Woodward)のような人だったわけです。

最近、命を懸けて記事を書くような新聞記者が日本にはいなくなりましたね。残念です。

この記事が発表された頃には、もう戦局は悪化していました。問題の記事が発表された前年、1943(昭和18)年には、まず2月、ガダルカナル島で日本軍の撤退が開始されました。これを契機に、米軍は一挙に攻勢に転じたわけです。以後、5月にアッツ玉砕、11月にはマキン・タラワ全滅と戦局は日々悪化していきました。1944年2月17日には「日本の真珠湾」と米軍から呼ばれた作戦の最重要拠点、トラック諸島が米軍の手に落ちてしまいました。

軍部でも、帝国政府でも太平洋戦争の敗北はすでに決定的となったと考える人がでてきました。しかし国民には「勝った、勝った」という虚偽の情報以外は一切知らされていなかったんですね。そのためにも言論は厳しく統制されたわけです。

新名さんは海軍記者となって以来半年間にわたって主力艦隊に乗り組み、戦況を自分の目で確かめていた。戦況が悪くなっていた事も充分に知っていた。陸海軍が対立し、飛行機生産のためのジュラルミン三十万トンの大部分を陸軍が本土決戦用に抑えて出さないという内幕もキャッチしていたほどです。

マーシャル陥落の発表を大本営が20日間もためらって大騒動を演じているのを見た新名記者は決意を固め、一大プレスキャンペーンを社に上申しました。メディア人としての良識です。「日本の破滅が目前に迫っているのに、国民は陸海軍の醜い相克を知りません。今こそわれわれ言論機関が立ち上がるほかはありません」
そのように便せんに書いて、吉岡文六編集局長に上申したのでした。
「よし、何とかして国民に知らせるほかない」と決意した吉岡局長は社外の大物に書かせようと、まず元中国駐劉大使・本多熊太郎氏に交渉しました。しかし、「検閲があっては書けない」と断わられてしまいました。

結局、編集会議の結果、新名さんが指名されました。当時の記事は、もちろん検閲を受けなければならなかったのです。しかし、海軍担当の新名記者が執筆したものは海軍省の検閲だけでよく、各社のキャップの書くものは無検閲でよいという紳士協定になっており、その特典を利用したのです。

「書けば東条から懲罰召集を喰らうかも知れない。社もつぶされるかも知れない。殺されるかも知れない」
新名記者は悲壮な覚悟で執筆したのでした。実際、その通りになってしまい、ハチの巣をつついたような騒ぎとなったのです。新名記者は責任を感じ辞表を提出しました。しかし、吉岡局長は突き返し、逆に金一封の特賞を出したのです。その代わり、3月1日に吉岡局長、加茂勝雄編集次長兼経理部長は責任をとって辞任しました。

しかし、こんなことで東条首相はおさまりません。東条さんは情報局次長村田五郎を呼びつけて「竹ヤリ作戦は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と指示したのです。村田さんは答えました。「廃刊するのはわけありません。紙の配給を止めれば、毎日は明日から出ません。ただし、よくお考えになってはいかがですか。毎日と朝日は、いまの日本の世論を代表しています。その新聞の一つがあのくらいの記事を書いた程度で、廃刊ということになりますと、世間の物議をかもす、ひいては外国から笑われることになるでしょう」

東条首相も馬鹿ではありませんから、この説得が効いたのでしょう。廃刊は引っ込めました。しかし、陸軍からの新名さんへの執拗な処罰要求が出されたのです。そういうわけで、新名記者に対して陸軍から懲罰召集が強行されたわけです。

極度の近視ですでに徴兵検査で兵役免除になっていた37歳の新名さんへの再度の徴兵でした。海軍省は「新名は報道班員としてパラオ派遣が決定しているので、召集を延期されたい」と陸軍省に申し入れたのです。陸軍省はこれを突っぱねました。しかし、海軍も負けてはいられないと大運動を展開して、なんとか召集を解除させたのです。

ところが、陸軍中央から絶対に還すなという厳命がきており再度召集があり、丸亀連隊へ一人だけの中年二等兵の入隊になったのです。これはもう、海軍と陸軍の対立というところまでエスカレートしてしまったわけです。

これに対して海軍が再び抗議しました。「なぜ、中年二等兵が一人だけ入隊するのか?」
陸軍も黙っては居ません。何とかしようという事で、新名さんと同じく大正生まれの兵役免除者二百五十人を召集したのです。つじつまを合わせたわけですね。「新名記者憎し」の陸軍の執念はすごかった。

さらに、陸軍中央は新名さんを最激戦地の沖縄、硫黄島方面の部隊へ転属させろと厳命してきたのです。やることが汚いです。生きて帰さぬ方針を取ったわけです。こうなると、もう、無茶苦茶ですね。

しかし、陸軍の思い通りには行きませんでした。三ヵ月がたち、結局新名さんは他の戦友と除隊になりました。丸亀連隊報道部の香川進大将は 「この召集は東条大将の厳命だったんだよ。新名は絶対に還すな、重労働を課せとね。海軍や軍令部からもなんども人がきた。われわれは自分らの正しいと思う判断で君を扱った。善通寺師団司令部でも見て見ぬふりをしてくれた」と除隊の真相を説明したのです。

海軍は直ちに新名さんを報道班員としてフィリピンへ送り、陸軍の再召集を防いだのでした。新名記者がフィリピンに出発した直後、新名さんの“とばっちり”を喰らって再召集された丸亀連隊の中年二等兵たち二百五十人は硫黄島に送られ、全員玉砕してしまったのです。全くこれでは、この二百五十人の人たちの魂は泣き切れないでしょうね。ひどいものです。

言論統制から、人の命までが軽々しく一部の人間の思うように処分されてゆく。死ななくても良い人たちまでが、とばっちりを受けて250人もが硫黄島のチリとなって消えてしまう。もし、あなたがこの250人の中に選ばれたとしたらどう思いますか?

ええっ?現在、そんな馬鹿げた事は起こらない?
そうでしょうか?
太平洋戦争が終って戦争放棄を謳(うた)った憲法が出来た時、いったい誰が自衛隊が出来ると考えたでしょうか?
その自衛隊が、イラクに派遣されると誰が考えたでしょうか?

ええっ?でも徴兵なんて日本には絶対にないから、戦争で死ぬ事はない?
そうでしょうか?
あなたと私が声を大きくして、表現の自由と言論の自由のもとで戦争反対を訴えない限り、
一体、誰が徴兵の無い時代を保障しますか?

これまで読んできて、表現の自由と言論の自由の大切さが分からないとしたら、あなたも、あの250人の中に選ばれて硫黄島へ送られるということが、また起こるかもしれないですよ。
そう思いませんか?
ええっ?あなたは女だから心配ない?

しかし、アメリカを見てくださいよ。
アメリカ女性兵士がイラクで救出されたことがありましたよね。あなただって知っているでしょう?
日本はアメリカの真似をしますからね、志願だけではなく女性だって徴兵される時代が来るかもしれませんよ。現在の日本の自衛隊にも男性と同様に実戦訓練を受けている女性自衛官が結構たくさん居るんですよ。

ええっ?もう兵隊にとられるような年齢じゃない?
あなたの子供の事、あなたの孫の事を考えてくださいよ!
表現の自由、言論の自由のもとで、平和な国にしようと主張しましょうね。
とにかく、表現の自由、言論の自由を守りましょうね。


『少しでも日本を良くしたいと思いませんか?』より
(2005年7月3日)

あらっ。。。太平洋戦争中に、ずいぶん酷いことが起こったのね。

そうでしょう!?

でも、今の時代に上のような悲惨な事は、もう起こらないでしょう?

あのねぇ~。。。太平洋戦争前にも、まさか戦争が起こるなんてぇ?。。。と考えていた人は多かった。

不穏(ふおん)表現取締り

その年(昭和15年)の12月頃、雑誌「文藝春秋」が「日米戦争は避けられるか」というアンケートをしました。
掲載は翌年1月号で、回答は「避けられる」412人、「避けられない」262人、「不明」11人。
この時すでに約3分の1の日本国民は、もはや戦争は避けられないと思っていたのですが、逆に3分の2の人はまだ避けられると考えていたわけです。
ただ、雑誌がこんなことをやっていたのもこの頃までで、昭和16年に入りますと統制は厳しさを増します。
治安維持法、国家総動員法、言論出版集会等臨時取締法、軍機保護法、不穏(ふおん)文章臨時取締法、戦時刑事特別法など、マスコミはありとあらゆる法令によってがんじがらめとなり、息もつけないような状態になるのです。

(注: イラストはデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)


319ページ
『昭和史 (1926-1945)』
著者: 半藤一利
2009年6月11日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 平凡社

分かるでしょう!? 本来ならば、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人のような人物こそ、言論の自由や表現の自由を守らなければならない。 それなのに、教養のない、芸術がどういうものか理解できないアメブロの管理人は太平洋戦争中の日本帝国政府の愚かな役人と同じような愚劣な事をやっている。

そうでしょうか?

そうなのですよ。 だから、そのような愚かな管理人が多くなると、日本はますます悪い方向に進んでゆく。

見れども見えず

昭和10年代の日本人は、世界そして日本の動きがシカと見えていなかったのじゃないか。 そう思わざるをえない。
つまり時代の渦中にいる人間というものは、まったく時代の実像を理解できないのではないか、という嘆きでもあるのです。 とくに一市民としては、疾風怒濤の時代にあっては、現実に適応して一所懸命に生きていくだけで、国家が戦争へ戦争へと坂道を転げ落ちているなんて、ほとんどの人は思ってもいなかった。

これは何もあの時代にかぎらないのかもしれません。 今だってそうなんじゃないか。
なるほど、新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、われわれは日本の現在をきちんと把握している、国家が今や猛烈な力とスピードによって変わろうとしていることをリアルタイムで実感している、とそう思っている。 
でも、それはそうと思い込んでいるだけで、実は何もわかっていない、何も見えていないのではないですか。
時代の裏側には、何かもっと恐ろしげな大きなものが動いている、が、今は「見れども見えず」で、あと数十年もしたら、それがはっきりする。

歴史とはそういう不気味さを秘めていると、私には考えられてならないんです。 ですから、歴史を学んで歴史を見る眼を磨け、というわけなんですな。 いや、これは駄弁に過ぎたようであります。

(注: イラストはデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)


267 – 268ページ
『昭和史 (1926-1945)』
著者: 半藤一利
2009年6月11日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 平凡社

つまり、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんは「言論の自由」も「表現の自由」も、その大切さが分からないと、ケイトーは主張するの?

その通り。 歴史を学んでないから、「言論の自由」と「表現の自由」を守らなければならない立場にある者が、愚かにも「表現の自由」を自分で統制してる。 自分で自分の首を絞めてることが、愚かだから理解できない。

だったら、ケイトーが直接アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんに注意すればいいじゃないの?

あのねぇ~、言っても愚かな管理人には分からない!

でも、考えてみたら、何をするのもアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人さんの自由じゃない!?

その通り。 でもねぇ、僕が言いたい事は、自分が愚かな事をしていると気づいていれば、写真狩りなどしない。

でも、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人さんは、それほど愚かな事をしているのかしら?

していますよ! 僕は根拠のないことは書きませんからね! その証拠を見てください。

これはねぇ、8月7日の記録ですよ。

つまり、614、000件の記事がアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の言葉狩りと写真狩りに引っかかって未公開にされてしまったのね!?

その通り! もちろん、614、000件の記事やページのすべてではない。 言葉狩りや写真狩りの説明をしているページも含まれている。 しかし、少なくとも600,000件以上の記事が言葉狩りと写真狩りの犠牲になって未公開にされているはずです。

ケイトーの記事もその犠牲になったというわけね?

その通りですよ。 しかも、次の8月13日の記録を見てください。

『あなたが読んでいる現時点での検索結果』
( ↑ ここをクリック!)

あらっ。。。625,000件に増えてるじゃない!

その通りですよ。 要するにアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人は8月7日から13日の6日間に、なんと 625,000 - 614,000 = 11,000件 の記事を自分の目で一つ一つ見て写真狩りをしながら記事を未公開にしているのですよ!

つまり、1日平均 1、833件の記事を未公開にしている。 1日実際に働いている時間が 7時間として 1時間平均 247件の記事を未公開にしているのね?

その通り! 10分当たり約40件の記事を未公開にしているのですよ。

。。。ということは 1分当たり4件だわ。 一人では無理だわよ。 1分当たり 4件の記事を未公開にするには、そのために40件以上の記事を見ていることになるわ。 一人では絶対に不可能だわ。

だから、愚かな管理人の指図(さしず)を受けて同じように愚かなスタッフが、黙々と一つ一つの記事を見ながら、愚かな身勝手な基準で写真狩りをしているのですよ。

マジで。。?

上の記録がアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人の愚かさを証明しているのですよ。

歴史を学ばない者は

過去の過ちを繰り返す

歴史を学ばない人間が増えてくると、また過去の過ちを日本人が繰り返すかもしれない。

マジで。。。?

太平洋戦争中の大日本帝国政府の役人は愚かな過ちを犯したのですよ。 戦前の日本人の3分の2が戦争は避けられると思っていたのにもかかわらず、あの悲惨な戦争に走ってしまったのはアメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人のようなダサい人間が言論統制をしたからですよ。 日本人の多くが知るべき真実を知らされなかった。 だから、言葉狩りも写真狩りもやるべきではないのですよ

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。

“馬鹿は死ななきゃ治らない”

昔の人は、このような事をおっしゃったのでござ~♪~ますわ。

そうですよね。
日本語の読解力のない人に説明しても無駄かもしれませんわ。

あなたも、たまには滑稽な事をしてもよいですけれど、日本の進路をあやまるような言論統制と写真狩りだけはしないでくださいまし。

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。

『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

何をもって言葉狩りとするのでしょうか?

差別そのものと同様、

言葉狩りは、用語が使用された場合ごとの

関係者の主観に基く部分が大きいですよね。

規制が過剰あるいは

不適切な場合が多いようです。

たとえば、かつて、フルーツブログでは

「セックス」が禁止語でした。

「セックス」を禁止用語にするなんて、

ちょっと考えられませんよね。

呆れて開いた口がふさがりませんわ。

葛飾北斎の漫画を表示禁止にするのも

「セックス」を禁止用語に指定するほど

滑稽だと思います。

あなたも、滑稽な事をすることはあっても、

愚かな人間にだけはならないでくださいね。

うふふふふふ。。。

ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。