Archive for the ‘バルト3国’ Category

イングナさんを探して

2017年4月24日

 

イングナさんを探して

 


(bikini26c.jpg)


(girl300b.jpg)


(sylvie500.jpg)

 


(sylviex.jpg)

ケイトーはイングナさんを探しているのォ~?


(kato3.gif)

イングナさんに会えるのであれば会いたいです。。。

だから、探しているのでしょう?

いや。。。 実は、僕が探していたわけではないのですよ。。。

じゃあ、誰が探しているのォ~?

アムステルダムに住んでいる編巣 照子(あむす てるこ)さんが探しているのですよ。。。


(girl300.jpg)

あらっ。。。 とってもきれいで可愛い人なのねぇ~。。。 ケイトーがアムステルダムでナンパした女性なのォ~?

どうして僕がアムステルダムで編巣 照子(あむす てるこ)さんをナンパしなければならないのですか?

私がその理由を訊いているのよ。。。

だいたいアムステルダムまで行って編巣 照子(あむす てるこ)さんをナンパする必要がないでしょう!

考えてみれば そうよねぇ~。。。 あそこには世界的に有名な“飾り窓の女たち”がたくさんいるものねぇ~。。。


(hollmap5.jpg)


(amster6.jpg)


(amster3.jpg)


(amster5.jpg)

あのねぇ~、今日はアムステルダムの“飾り窓の女”の話ではないのですよ。。。

だってぇ~、ケイトーがわざわざアムステヅダムに住んでいる編巣 照子(あむす てるこ)さんを持ち出してくるから、“ナンパ”か“飾り窓の女”に行き着いてしまうのよ。。。 そもそもイングナさんというのは“飾り窓”と関係があるのォ~?

もちろんイングナさんは“飾り窓の女”ではありません。。。

だから、どういう人なのよォ~?

シルヴィーは忘れてしまったようだねぇ~。。。

忘れてしまったってぇケイトーは言うけれど、私にイングナという知り合いはいないわよう。。。

あのねぇ~、かつてイングナさんのことを記事で取り上げてシルヴィーと語り合ったことがあるのですよ。。。

マジで。。。?

とにかく、次のリストを見て欲しい。。。


(liv70417a.png)


『拡大する』

『実際のタグのページ』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の 日本時間で4月16日の午前7時38分から午後4時52分までの約9時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。。。

あらっ。。。 GOOGLEで検索して“人間の鎖”のタグが付いて記事を読んだのねぇ~。。。 でも、このGOOGLEはどこの国のものなのォ~?

赤いアンダーラインが引いてある「リファラ」をクリックすると次のページが出てきます。


(gog70417a.png)


『拡大する』

『実際のページ』

あらっ。。。 オランダのGOOGLEじゃないのォ~。。。

“飾り窓”が話題に飛び出したのだから、オランダ以外に考えられないでしょう!

。。。で、どのようなキーワードを入れて検索したのォ~?

編巣 照子(あむす てるこ)さんは次のようにして検索して“人間の鎖”のタグのページを見つけたのですよ。。。


(gog70417b.png)


『拡大する』

『実際のページ』

あらっ。。。 「人間の鎖 イングナ」と入れて検索したのねぇ~。。。

そうです。。。 すると、トップから8番目に“人間の鎖”のタグのページが表示されるのです。

ところで、編巣 照子(あむす てるこ)さんがアムステルダムに生んでいると、どのようにして情報をつかんだのォ~?

IPアドレスを調べたのですよ。。。


(ip14885b.png)

『拡大する』

確かに IPアドレスを調べれば、アムステルダムからアクセスしていることは判るわァ~。。。 でも、アクセスした人物が編巣 照子(あむす てるこ)さんだということはプライバシーを守るために確定できないことになってるのよゥ。。。

だから、僕も個人情報を保護するために仮名にしたのですよ。。。

でも、写真まで貼り付けたということは、どういうことなのよォ~。。。

写真があった方がシルヴィーだって、僕と語り合うのに気分が乗ってくるでしょう!?

別に、写真があろうがなかろうが、そんなことは関係ないわァ~。。。

あのねぇ~、この記事を読み始めたネット市民の男性のイマジネーションとインスピレーションを妨害するようなことを言わないでねぇ~。。。

つまり、写真に写っている編巣 照子(あむす てるこ)さんの美しさと可愛さに惹かれて 男性読者が この記事を読み続けている、とケイトーは独断と偏見で思い込もうとしているのォ~。。。?

いけませんかァ~?

いけないわよう! この記事を読んでいる男性のすべてが アムステルダムへ行くとケイトーのように“飾り窓の女”に会いに行くというような考え方は、独断と偏見以外の何モノでもないわァ!

シルヴィーこそ、独断と偏見で“飾り窓の女”と僕を結び付けているじゃありませんかァ!

とにかく、ここでプライベートな話をこれ以上続けると、ここまで読んできたネット市民の皆様が他のブログへ飛んでいってしまうのよゥ。。。 だから、いい加減に本題に戻ったらどうなのォ~?

シルヴィーが“飾り窓の女”を持ち出してきたからこういうことになるのですよ。。。 んもおおおォ~。。。!

それよりも、アムステルダムに住んでいる編巣 照子(あむす てるこ)さんが なぜイングナさんを探しているのか?。。。 その理由を話しなさいなァ~。。。

分かりました。。。 あのねぇ~、検索結果の赤枠で囲んだ“人間の鎖”のタグのタイトルをクリックすると次のページが表示されるのですよ。。。


(livtag96.png)


『拡大する』

『実際のタグのページ』

つまり、このタグのページには2011年4月29日に投稿した『波乱の人生』という記事が出てくるのですよ。。。 そして上の画面にも書いてある通り、シルヴィーが登場する。。。 要するに、この記事はシルヴィーの波乱に富んだ人生についての記事なのですよ。

おくればせながら思い出したわよう。。。 でも、私はイングナさんとは会ったことがないのよ。。。

うん、うん、うん。。。 確かに、シルヴィーはイングナさんとは会ったことがない。。。 でもねぇ~、編巣 照子(あむす てるこ)さんはイングナさんと会ったことがある。。。

どこで。。。?

『波乱の人生』という記事の中の次の小文を まず読んで欲しい。。。

ラトビアからやって来た

イングナさん


(bikini26c.jpg)


(himiko22b.gif)

イングナさんは、安子さんが経営していた英語学校の生徒の一人だったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。僕は英語学校の仕事を手伝っていた関係から、イングナさんとも知り合いになったのですよう。

イングナさんがきれいだったのでデンマンさんは、ちょっかいを出したのでござ~♪~ますわね?

やだなあああァ~。。。人聞きの悪い事を言わないでくださいよう。イングナさんのお母さんがブティックを始めたのだけれど、税務が分からないからと言うので安子さんが僕を紹介したのですよう。

それで、イングナさんとは特に親しくしたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。ソ連崩壊のことには興味があったから、僕は当時の事をずいぶんとイングナさんに尋ねたものですよう。

それで。。。?

一つだけ不思議な事をイングナさんが言ったのですよう。

どのような事を。。。?

手をつなぎあってエストニアから、ラトビア、リトアニアのバルト三国を結んだと言うのですよう。


(baltic10.jpg)

手をつなぎあって三国を結ぶなんて冗談ならともかく、マジで考えるような事ではないのですよう。不可能ですよう。イングナさんは、まだ英語が充分に話せないので言い間違えたと僕は思ったのですよう。

それで。。。?

「手をつないでデモ行進したと言うのでしょう?」。。。僕は、そ~聞き返したのですよう。でも、手をつないでデモ行進したのではない!3つの国を手をつないで結んだんだと言い張るのですよう。

。。。んで、デンマンさんは納得したのですか?

もちろん、納得できませんよう。「あのねぇ~、3つの国を結ぶって、距離にしてどれくらいあるのォ~?」

イングナさんは、なんと答えたのでござ~♪~ますか?

約600キロメートルあるわ。。。と言うのですよう。。。600キロと言ったら、東京から大阪を越えて神戸を越えて明石の方までですよう。人間が手をつないで東京から明石まで並べるはずがないじゃないかア~!何を寝ぼけた事を言ってるのォ~!

そうしたら。。。?

イングナさんが学校のインターネット・コーナーのところまで僕を連れて行って英語版のウィキペディアを開いて見せたのですよう。

人間の鎖 (Baltic Way)


(baltic99.jpg)

人間の鎖は別名「バルトの道」といわれ、1989年8月23日当時ソビエト連邦支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の独立運動の一環として行われたデモンストレーション。

およそ200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600キロ以上の人間の鎖を形成した。
このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めたモロトフ・リッベントロップ(独ソ不可侵条約)秘密議定書締結50周年を期して行われ、三国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。

背景

旧ソ連ではゴルバチョフ政権のもとでペレストロイカ、グラスノスチが進められ、街頭デモが急増し、市民の支持も集めていた。

1986年、3国のそれぞれの首都で、一握りの人々が集まり抗議行動を行ったが、直ちに警察により解散させられた。
1987年には大規模集会が3国の首都で行われたが、当局者に非難され、逮捕者が出て終わった。

一年後、大規模抗議行動が初めて当局の認可を得て、平和裏に行われた。
この「人間の鎖」の一週間前にはソ連政府も秘密議定書の存在を認めたが、バルト3国が自主的にソビエト連邦に加盟したという点については譲らなかった。

集会の数日前、リトアニアの独立運動組織サユディスの委員会の170人のメンバーが、「ソビエト連邦の政治的、文化的、行政的支配を受けない」独立のリトアニア国家をめざすことを議決した。

抗議

「人間の鎖」は地元の共産党当局によって認可され、鎖が切れないよう、周到に計画された。
例えば、各都市や町には担当の場所が割り当てられ、他の交通手段を持たない参加者には無料バスを提供するよう指示された。
参加者は、現地時間午後7時から15分間手をつないだ。
この集会を調整するため、特別のラジオ放送も行われた。

人間の鎖にどれだけの人が参加したかは報道によって異なる。
翌日のロイター通信によれば、エストニア人70万人、ラトビア人50万人、リトアニア人100万人が参加したと報じている。


(riga10.jpg)

ラトビアの首都・リガの旧市街

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

いやァ~~。。。驚きましたよう。僕はマジで知らなかった。

あたくしも知りませんでしたわ。

僕は、これを読んでソ連の崩壊がバルト三国から始まったと言うのも分かるような気がしましたよう。やっぱり、民衆の力ってすごいよう。日本人も見習うべきだよね。


『波乱の半生』より
(2011年4月29日)

イングナさんが この“人間の鎖”に参加した時に、アムステルダムに住んでいる編巣 照子(あむす てるこ)さんは たまたまリガ市の日本人の友達の家に滞在していたのです。。。


(girl300b.jpg)

    編巣 照子さん


(girl313b.jpg)

  雅子さんと照子さん

それで、1989年8月23日に行われた“人間の鎖”に編巣 照子(あむす てるこ)さんも参加したわけなのォ~?

そうですよ。。。 照子さんの友人の川口雅子さんがイングナさんの親友だったのです。。。

ちょっと話ができすぎてるのじゃない?

シルヴィーは僕の言うことが信じられないのですか?

だってぇ~、そこまでケイトーがつじつまを合わせると、私としては疑わざるをえないのよう。。。

あのねぇ~、シルヴィーが僕を疑おうとする気持ちを僕は理解できます。。。 でもねぇ~、昔の人は“信じる者は救われる!”と言ったのですよ。。。 だから、僕の言うことを信じて シルヴィーも救われませんかァ~?


(laugh16.gif)

【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

あなたは デンマンさんのお話を信じることができますか?

とにかく、“人間の鎖”というのは、実際にあったイベントです。。。

あなたのために、YouTube のクリップを貼り付けますね。。。

じっくりとご覧になってください。


(baltic99.jpg)

話は変わりますけれど、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでください。


(sylvie500.jpg)


『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』

『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

■ “JAGEL – Soft Japanese Bagel”


(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


(rengfire.jpg)


(byebye.gif)

波乱の人生

2017年3月13日

 

波乱の人生

 


(juana02.jpg)

今日はケイトーの“波乱の人生”についてしゃべるのォ~?


(kato3.gif)

。。。ん? 僕の波乱の人生?

だってぇ~、タイトルにそう書いてあるじゃない!

いや。。。 僕の波乱の人生じゃないのですよ。。。

じゃあ、誰の波乱の人生よ?

それに答えるには ちょっと次のリストを見て欲しいのです。


(liv70308a.png)


『拡大する』

『波乱の半生』

これはライブドアのの僕の『徒然ブログ』の日本時間で3月8日の午後9時3分から翌日の午前0時55分までの約4時間の生ログの一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。

あらっ。。。 3月8日の午後9時3分にGOOGLEで検索して『波乱の半生』を読んだネット市民がいたのねぇ~。

そうなのですよ。。。 次の記事を読んだのです。


(cute0026.jpg)

『波乱の半生』

あらっ。。。 ジューンさんの半生を書いた記事ねぇ~。。。

違いますよ。。。 実は上の記事はシルヴィーの半生が語られているのです。。。 シルヴィーは忘れてしまったのォ~!? 記事の中で僕がシルヴィーの半生について尋ねているのですよ。。。

上の記事は いつ投稿したものなのォ~?

2011年04月29日です。。。

6年も前の記事じゃないのォ~。。。 覚えてないわァ~。。。 いったい誰が6年も前の記事を読んだのォ~?

四国の徳島市に住んでいる波蘭 高貴(はらん こうき)さんですよ。


(ip239152b.png)

『拡大する』

ケイトーは IPアドレスを調べたのねぇ~。。。 でも、プライバシーを保護するためにアクセスしたネット市民の名前までは表示しないものなのよ。。。

あれっ。。。 シルヴィーは意外にネットに詳しいんだねぇ~。。。

その程度の事は誰でも知ってるわよう。。。

実は、波蘭 高貴(はらん こうき)さんという名前は仮名です。。。 シルヴィーがムキになって僕を非難することでもないのですよ。

いったい、どのような検索キーを入れて検索したのかしら?

次のように「ラトビア 人間の鎖 イングナ」と入れてGOOGLEで検索したのです。


(gog70312a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

波蘭 高貴さんは赤枠で囲んだリンクをクリックしたのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、『波乱の半生』という記事が出てないじゃない。。。

実は、上の赤枠のリンクをクリックすると「人間の鎖 タグ」のページが出てくるのですよ。。。


(livtag01.png)

『人間の鎖 タグのページ』

あらっ。。。 「人間の鎖 タグ」のページのトップに『波乱の半生』という記事が出くるのねぇ~。。。

そういうことです。。。 波蘭 高貴さんは次の箇所を興味深く読んだのですよ。。。

ラトビアからやって来た

イングナさん


(bikini26c.jpg)


(himiko22b.gif)

イングナさんは、安子さんが経営していた英語学校の生徒の一人だったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。僕は英語学校の仕事を手伝っていた関係から、イングナさんとも知り合いになったのですよう。

イングナさんがきれいだったのでデンマンさんは、ちょっかいを出したのでござ~♪~ますわね?

やだなあああァ~。。。人聞きの悪い事を言わないでくださいよう。イングナさんのお母さんがブティックを始めたのだけれど、税務が分からないからと言うので安子さんが僕を紹介したのですよう。

それで、イングナさんとは特に親しくしたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。ソ連崩壊のことには興味があったから、僕は当時の事をずいぶんとイングナさんに尋ねたものですよう。

それで。。。?

一つだけ不思議な事をイングナさんが言ったのですよう。

どのような事を。。。?

手をつなぎあってエストニアから、ラトビア、リトアニアのバルト三国を結んだと言うのですよう。


(baltic10.jpg)

手をつなぎあって三国を結ぶなんて冗談ならともかく、マジで考えるような事ではないのですよう。不可能ですよう。イングナさんは、まだ英語が充分に話せないので言い間違えたと僕は思ったのですよう。

それで。。。?

「手をつないでデモ行進したと言うのでしょう?」。。。僕は、そ~聞き返したのですよう。でも、手をつないでデモ行進したのではない!3つの国を手をつないで結んだんだと言い張るのですよう。

。。。んで、デンマンさんは納得したのですか?

もちろん、納得できませんよう。「あのねぇ~、3つの国を結ぶって、距離にしてどれくらいあるのォ~?」

イングナさんは、なんと答えたのでござ~♪~ますか?

約600キロメートルあるわ。。。と言うのですよう。。。600キロと言ったら、東京から大阪を越えて神戸を越えて明石の方までですよう。人間が手をつないで東京から明石まで並べるはずがないじゃないかア~!何を寝ぼけた事を言ってるのォ~!

そうしたら。。。?

イングナさんが学校のインターネット・コーナーのところまで僕を連れて行って英語版のウィキペディアを開いて見せたのですよう。

人間の鎖 (Baltic Way)


(baltic99.jpg)

人間の鎖は別名「バルトの道」といわれ、1989年8月23日当時ソビエト連邦支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の独立運動の一環として行われたデモンストレーション。

およそ200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600キロ以上の人間の鎖を形成した。
このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めたモロトフ・リッベントロップ(独ソ不可侵条約)秘密議定書締結50周年を期して行われ、三国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。

背景

旧ソ連ではゴルバチョフ政権のもとでペレストロイカ、グラスノスチが進められ、街頭デモが急増し、市民の支持も集めていた。

1986年、3国のそれぞれの首都で、一握りの人々が集まり抗議行動を行ったが、直ちに警察により解散させられた。
1987年には大規模集会が3国の首都で行われたが、当局者に非難され、逮捕者が出て終わった。

一年後、大規模抗議行動が初めて当局の認可を得て、平和裏に行われた。
この「人間の鎖」の一週間前にはソ連政府も秘密議定書の存在を認めたが、バルト3国が自主的にソビエト連邦に加盟したという点については譲らなかった。

集会の数日前、リトアニアの独立運動組織サユディスの委員会の170人のメンバーが、「ソビエト連邦の政治的、文化的、行政的支配を受けない」独立のリトアニア国家をめざすことを議決した。

抗議

「人間の鎖」は地元の共産党当局によって認可され、鎖が切れないよう、周到に計画された。
例えば、各都市や町には担当の場所が割り当てられ、他の交通手段を持たない参加者には無料バスを提供するよう指示された。
参加者は、現地時間午後7時から15分間手をつないだ。
この集会を調整するため、特別のラジオ放送も行われた。

人間の鎖にどれだけの人が参加したかは報道によって異なる。
翌日のロイター通信によれば、エストニア人70万人、ラトビア人50万人、リトアニア人100万人が参加したと報じている。


(riga10.jpg)

ラトビアの首都・リガの旧市街

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

いやァ~~。。。驚きましたよう。僕はマジで知らなかった。

あたくしも知りませんでしたわ。

僕は、これを読んでソ連の崩壊がバルト三国から始まったと言うのも分かるような気がしましたよう。やっぱり、民衆の力ってすごいよう。日本人も見習うべきだよね。


『波乱の半生』より
(2011年4月29日)

つまり、私のことじゃなくてラトビアからやって来たイングナさんのことが知りたかったのじゃないのォ~?!

確かに、イングナさんのことが知りたかったのかもしれません。。。 でもねぇ~、上の記事を読むことによってシルヴィーの半生にも興味を持ったのですよ。。。

そうかしら。。。?

たぶん、波蘭 高貴さんも、安子さんが経営していた英語学校の生徒の一人だったのです。。。 それでイングナさんと友達になった。。。 でも、波蘭さんは徳島市に戻ってしまって、しばらくイングナさんと会ってない。。。 「今頃、どうしているだろうか?」そう思ってネットで検索したわけですよ。

そして波蘭さんは上の記事に出くわしたわけなのォ~?

そういうことですよ。。。 僕は安子さんの英語学校の仕事を手伝っていた。。。 それで、イングナさんとも知り合いになった。。。 その僕の友人がシルヴァーで、上の記事に登場する。。。 波蘭 高貴さんは記事を読みながら不思議な縁(えにし)を感じたに違いない。

それで私の半生も興味深く読んだとトケイトーは想像するのォ~?

そうですよ。。。 イングナさんの半生も波乱に飛んでいるけれども、シルヴィーの半生は、更に波乱にとんでいるからねぇ~。。。


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【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

波乱に富んでいる人生と言えば
国際的に有名な“蝶々夫人”も波乱に富んだ人生を歩んだのでした。

今ではプッチーニ作のオペラ『蝶々夫人』として日本人ならば誰もが知っています。

もともと“蝶々さん”の話はアメリカの作家のジョン・ルーサー・ロング(John Luther Long)さんが
姉のサラ・ジェーン・コレルさんが日本に滞在した際に聞いた話を基に書いた短編小説『マダム・バタフライ』(Madame Butterfly)がネタになっています。

同小説は1898年にユタ大学の学生雑誌『センチュリー・マガジン』1月号に発表され、
1900年に劇作家デーヴィッド・ベラスコが戯曲にしたのでした。

あなたはオペラ『蝶々夫人』を観たことがありますか?

もし、興味があったらここに2時間のオペラを貼り出しますので、

時間があったら観てください。。。


(chocho87.jpg)

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでください。


(sylvie500.jpg)


『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』

『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

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Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

■ “JAGEL – Soft Japanese Bagel”


(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


(rengfire.jpg)


(byebye.gif)

日本の良心は停止したの?

2012年5月17日

  
  
  

日本の良心は停止したの?
 

ケイトー。。。、今日も昨日に引き続いて私の出番なの?

あのねぇ~、昨日投稿した次の記事に反響があったのですよ?


(jumbo01.jpg)

『ジャンボのエンジンが全部停止!』

(2012年5月15日)

あらっ。。。そうなの? うれしいわねぇ~。。。で、どのような反響があったのォ~?

アメブロに投稿した記事を読んで、たくさんのアメブロ会員が足跡を残してくれたのですよ。

それだけ。。。?

シルヴィー。。。つまらなそうな表情を浮かべないでよ! 僕が調べた限りでは、残してくれた足跡の数がこれまでの最高なのですよ。 とにかく、その足跡の記録をシルヴィーも見てよ。



(ame20516.gif+ame20516b.gif)

あらっ。。。ずいぶん長い記録じゃないの!? でも、足跡と言っても、たったの54個でしょう?

あのねぇ~。。。去年までは多くても、せいぜい12個とか15個とか。。。とにかく、足跡が20個を数えることは珍しかったのですよ。 それが5月11日には47個の足跡(ペタ)がついて、そして昨日、記録を更新して54個のペタですよ。

でも、54個という数字だけを見れば、たいしたことはないじゃない!?

確かに 54個は決して多くないけれど、それまでの12個だとか15個と比べれば、3倍以上。。。4倍近いのですよ。

つまり、いつもよりも3倍から4倍の反響があったとケイトーは言いたいのォ~?

その通りですよ。

でも、なぜ、そのような反響があったの?。。。その理由までは上の記録では判(わか)らないわねぇ?

いや。。。充分推測できますよ。

どのように。。。?

例えば、次の足跡(ペタ)を付けた人を見てください。


(ame20516c.gif)

あらっ。。。この人はアメブロの会員で『福島原発から日本の明日を考える』というブログを書いているの?

その通りですよ。

。。。で、ケイとーの昨日の記事のどこに共感したの?

もちろん次の部分ですよ。

賞賛される日本人、批判される日本政府

3万人近い死者・行方不明者—これだけの惨事のなか唯一の光明は、われわれ日本人が世界中から賞賛される素晴らしい民であると言う事実に改めて気づくことができたことであろう。
身を犠牲にして人々を津波から守ろうとした勇者たち、そして忍耐強く秩序を守り、自力で立ち上がろうとする人々、苦しい中でも思いやりと助け合いの心を行動で示す被災者たち……。
世界のメディアが賞賛し、世界中に共感と支援の輪が広がった。
涙が出るほど嬉しいことだった。

他方、地震後の日本政府の対応には世界中から非難の声が集中した。
日本政府を賞賛する論評は、残念ながら、私は見たことがない。
原発事故対応を含め、日本のメディアが政府批判を抑えるなか、海外の論調は総じて厳しかった。

 (中略)

福島原発の事故処理を見て、優秀なはずの官僚がいかにそうではないか明白になった。
いや、無能にさえ見えた。
専門性のない官僚が、最も専門性が要求される分野で規制を実施している恐ろしさ。
安全神話に安住し、自らの無謬性を信じて疑わない官僚の愚かさ。
想定外を連呼していたが、すべて過去に指摘を受けていた。
それに耳を貸さなかっただけ。


原子力村と言う閉鎖空間にどっぷりとつかってガラパゴス化した産官学連合体も恐ろしい。
しかし、これらの問題は、決して今日に始まったことではない。
何十年間と言う歳月をかけて築かれた日本の構造問題そのものである。
未曾有の危機だから、それが極めて分かりやすいかたちで、国民の目の前に晒されたに過ぎない。
「日本中枢の崩壊」の一つの縮図が、この危機に際して現れた、そういって良いだろう。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


22-23ページ、37ページ
『日本中枢の崩壊』
著者:古賀茂明
2011年6月30日 第5刷発行
発行所: 株式会社 講談社

でも、この部分はケイトーが書いたのではなくて、他の人が書いたものを引用しただけでしょう?

確かに、そうなんだけれど、僕が言いたい事を『日本中枢の崩壊』の著者が代弁しているのです。 だから引用したわけですよ。

。。。で、足跡を残してくれた人も上の部分に共感したとケイトーは信じるの?

もちろんですよ。 何十年間と言う歳月をかけて築かれた日本の構造問題そのものであるという考え方に賛同したと僕は容易に推測することができますよ。 だからこそ、『福島原発から日本の明日を考える』というブログを立ち上げたのですよ。

つまり、山崎豊子さんやケイトーのように日本の未来に危機感を覚えて、ブログを立ち上げたと思うのォ~?

当然ですよ。 だから僕も、その危機感を今日のタイトルにしたのですよ。

日本の良心は停止したの?

でもねぇ、僕のブログを読んでくれて、まず間違いなく共感して。。。、だからこそ足跡を付けてくれた。 その人が『福島原発から日本の明日を考える』というブログを書いている。 やはり、賞賛される日本人は居るのですよ。

われわれ日本人が世界中から賞賛される素晴らしい民であると言う事実に改めて気づくことができたことであろう。
身を犠牲にして人々を津波から守ろうとした勇者たち、そして忍耐強く秩序を守り、自力で立ち上がろうとする人々、苦しい中でも思いやりと助け合いの心を行動で示す被災者たち……。
世界のメディアが賞賛し、世界中に共感と支援の輪が広がった。

それなのに、なぜ、日本が先進国の中で、いつまでたっても遅れをとっているのか?

なぜなのォ~?

やだなあああァ~。。。シルヴィーは知らない振りをするの?

いえ。。。別に知らない振りをしているわけじゃなくて、ケイトーが結論を言い易く手助けしているだけよ。 うふふふふ。。。。

あのねぇ~、当然のことだけれど、東日本大震災の日本政府の対応と福島原発の事故処理をバンクーバーから眺めていると、大企業のトップの体質と日本政府のお偉方の体質が昔も今も変わっていないのですよ。

一人一人の日本人は賞賛されるのに、どうして日本の政治家たちは批判されるの?

政府に入った人間は政治屋になり切ってしまうからですよ。 右を向いても左を向いても、自分の事しか考えない政治屋ばかり。。。そのような中にいれば、神様でない限り、悪い考え方に染まってゆくものですよ。

朱に交われば赤くなる

日本には、このような諺があるのですよ。

英語にも似たような諺があるわね。

One rotten apple spoils the barrel.

なるほどォ~。。。樽に入ったリンゴが一つ腐ると、やがて樽に入っているすべてのリンゴが駄目になるってしまうと。。。なるほどォ~。。。つうことわああァ~。。。日本の国会議事堂に入ると、良い日本人も腐った政治家になってしまうと言うことだねぇ。

でも、その事は昨日の記事の中でケイトーがすでに言ったことなのよ。 これ以外にアメブロの会員が共感したことってぇ、他にないのォ~?

ありますよ。

足跡を付けたアメブロ会員の誰かがコメントでも書いたの?

いや。。。誰もコメントを書いてくれなかったけれど、どうして54個の足跡が付いたか僕には思い当たることがありますよ。

だから、もったいぶらないで早く言ってよ。

当然、次の箇所ですよ。

御巣鷹山事故は1985年の8月だけれど、私が遭遇した事故は、その3年前の1982年の6月よ。 当時、私の妹のマリアがマレーシアのクアラルンプールに住んでいる叔母と一緒に暮らしていたの。

シルヴィーは確かラトビアのリガ市に住んでいたんだよね。 小学校の先生をしていたと聞いた覚えがあるよ。


(baltic10.jpg)


(riga10.jpg)

ラトビアの首都・リガの旧市街

そうなのよ。 ラトビアのリガ市に住んでいた姉夫婦の家に同居しながら小学校の先生をしていたのよ。 でも、その姉夫婦がオーストラリアに移住することになったの?

シドニー? それともメルボルン?

いいえ。。。西海岸の方のパース(Perth)よ。

シルヴィーもオーストラリアに移住することになったの?

違うのよ。。。、私は1986年に古巣のカナダに戻ることになるのだけれど、それまでリガ市の友達とアパートをシェアしていたの。

じゃあ、1982年当時、まだリガ市で小学校の先生をしていたんだ?

そうなのよ。 5月下旬に休暇をとってクアラルンプールの妹と一緒に姉夫婦の住んでいたパースに行こうということになったの。

それでクアラルンプールへ行ったわけ?

そうよ。。。叔母の家で再会を果たしてから6月になってパースに向かったの。 ブリティッシュ・エアウェイ(British Airway)のジャンボジェエトに乗ったのよ。 機内はそれほど混んでなくて快適な空の旅になるはずだったわ。 ところが、クアラルンプールを立ってから1時間もしないうちに恐怖のどん底にたたき下ろされたの。

御巣鷹山事故のようにジャンボが回りながら落ちていったわけ?

いいえ。。。機体が不安定に回転して、ノートに文字が書けなくなるほどではなかった。 意外に乗客は静かだったのを覚えているわ。 もう夜だったし、機内は薄暗かったからかもしれないわ。 でも、内心では死に逝く我が身を考えながら気持ちが動転していることだけは確かだったわ。

ジャンボのエンジン4基がすべて止まったという機長のアナウンスがあった時は機内はどうだったの?

どう理解していいのか戸惑っているというのが本音よね。 一人だけ泣き出した女性が居たけれど、その人が乗客240人を代表して泣いているようなところがあって、他の乗客は意外に静かだったのよ。 と言うよりも、ほとんどの人が死に直面して、どう考えていいのか呆然として、もう内心では気持ちが動転していたのだと思うわ。 涙も声も出なかったと言うのが本音よね。

でも、恐怖のどん底に落とされたような気分だったんでしょう?

そうよ。 私と妹はしっかりと手を握り合っていたわ。 1基でもエンジンが動いていれば助かると聞いていたけれど、4期すべてのエンジンが止まったら、もう駄目よね。 後で知ったことだけど、その時ジャンボは 11、500メートルの高度を飛んでいたらしいのよ。 4期のエンジンが止まってから16分の間に 7、500メートルも落ちたのよ。 飛んでいた高度の半分以上も落ちたわけよね。

そのときの気分は。。。?

高速のエレベーターに乗って落ちてゆくような感じよ。 私は気持ちが動転したと同時に貧血を起こしていたと思うわ。 顔が冷たくなって、体全体がスーと水の底に引き込まれるような恐怖を感じて。。。、

機長は4基すべてのエンジンが止まった原因は何だと言ったの?

そんな説明はなかったわ。 「緊急事態が発生して目下懸命に1基でもエンジンが始動するように全力を尽くしています。 シートベルトを着用して以後はフライトアテンダントの指示に従って欲しい」と言うようなアナウンスが流れたわ。

キャーとかギャーとか言う声は起こらなかったの?

一人の女性の泣き声が聞こえていたけれど、他の乗客は意外に静かだったのよ。 飛行機が高度を下げていたので気圧の関係から耳がおかしくなっていたのかもね。 とにかく、奇妙に静かだったわ。 でも、私の気持ちは動転していたのねぇ。 なぜなら不安や恐怖を体はしっかり感じ取っていたのよ。

どういうこと。。。?

ジャンボが高度をグングン下げている時、私は気づかなかったのだけれど、失禁していたのよ。

失禁ってぇ。。。おもらし。。。お漏らし?

そうなのよ。。。ケイトーがときたま谷岡ヤスジさんのマンガを貼りつけるでしょう!?

このマンガを見ると私は、いつもあの事故の時の失禁した時の事がオツムに思い浮かんでくるのよ。 男の人は、めちゃセクシーな女性に出会うと無意識に鼻血が出てくるのかもしれないわね。 ちょうど、受け入れることができないような恐怖に出遭うと、人間ってぇ、おしっこを漏らしてしまうように。。。上のマンガを初めて見た時、ばかばかしいと思いながらも、そういうことなのねと、自分のお漏らしの経験から、悟ったのよ。 うふふふふ。。。

。。。で、4基のエンジンが止まってから16分後にエンジンが始動したわけ?

もちろん、どういうことになったのか? 乗客は全く解らなかったと思うわ。 16分と言えば、それほど長い時間じゃないけれど、私はもっと長かったような気がするのよ。 30分。。。いえ。。。1時間ぐらいかな? 時間的な感覚と言うよりも、恐怖の中にすっぽり包み込まれて、時間は流れていなかったような感じよね。 死ぬと言うことは冷たい水の底に引き込まれていって、自分の体が小さく小さくなって。。。やがては消滅してゆくのかな?。。。朧(おぼろ)な意識の中で、そのようなことを感じていたわ。。。気を失おうとしていたようなのよ。。。それから、ふと気づいたら機内が明るくなって、エンジンの音が聞こえてきたの。 

それで。。。?

「ねえ~。。。シルヴィー。。。どうやら助かったようよ。。。」 妹のマリアが涙を眼にいっぱい溜めながら私の顔を覗き込んだのよ。 それからだわ。 急に泣き出す人が、あちこちに現れたのよ。 嬉し涙よね。 死に逝く恐怖から開放されて嬉し涙がこみ上げて自然に泣き出してしまったのでしょうね。 とにかく、誰も怪我(けが)がなく無事だったのよ。 まるで、悪夢よね。 悪夢から平常に戻ったのよ。

。。。んで、原因が判ったのは。。。?

それから1ヶ月ぐらいしてからだわ。 インドネシアのジャワ島にある標高2,168メートルのガルングン山(Mount Galunggung)が大爆発を起こしたと知ったのよ。 


(galung02.jpg)

ガルングン山(Mount Galunggung)の噴火

もちろん、当時、乗客も機長もその事を知らないのよ。 運が悪く、ジャンボ機が大爆発の上空を飛んでいたのよ。 風下を飛んでいる時にエンジンが火山の大爆発の噴煙・粉塵・火山灰を吸い込んだために一時的に4基が止まってしまったの。 判ってしまえば原因は簡単なことなんだけれど、当時の機長やクルーは原因不明のエンジンストップに、重大な責任を感じたでしょうね。 乗客の私たちよりも精神的なストレスを20年分ぐらい感じたと思うわ。

それで無事にパースに着いたの?

いいえ、インドネシアのジャカルタ空港に緊急着陸したのよ。 パースに向かったのはそれからだわ。

全員無事でよかったね。

ホントよね。 今でも、時々その時の夢を見るわよ。 あの事故は全くの悪夢だったわ。 でも、御巣鷹山の悲惨な事故を知ると、あの事故に遭った乗客はマジでラッキーだったと思うわ。

あのねぇ~。。。人為的なものが全く加わっていなかったからですよ。 つまり、大爆発も自然界の出来事ならば、ジャンボ機のエンジンが止まって16分間降下している間に、風圧の関係でエンジンに吸い込まれていた火山灰や粉塵が吹き飛ばされて、エンジンがまた動き出した。 それも自然界のなした業(わざ)ですよ。 つまり、自然界に身を置いた場合には、すべてを自然界に任せておけばうまくゆくのですよ。 人間が下手に手を加えると悲劇を生む。

例えば。。。?

例えば、車や工場から吐き出す二酸化炭素が温室効果を生み出す。 人間がやらかしたことですよ。 それが地球温暖化の原因になった。 そのために、大きなハリケーン・カトリーナを生み出して人間に大きな被害をもたらす。 つまり、「天に唾する者は、その唾を自ら受けねばならない」と言う宿命ですよ。

御巣鷹山の悲惨な事故は人為的なものだったとケイトーは言うの?

その通りですよ。


『ジャンボのエンジンが全部停止!』より
(2012年5月15日)

この部分も反響を呼んだというの?

そうですよ。

どうして。。。?

あのねぇ~、かつて僕はFC2のコミュニティで「おもらし」を口にしたばっかりに、一騒動が持ち上がったことがある。 しかも、その事が2ちゃんねるでも取り上げられて話題になってしまった。


(2ch20428.gif)

『【毒舌】バークレーのブログのヲチ【自己増殖】』

それは「おもらし」が問題だったのではなくて、ケイトーが17歳の女の子に「怖い話をしてやる。 おもらししてパンツびしょびしょになるぞ」と言ったのがいけなかったのよ。 要するに「おもらし」よりも「パンツびしょびしょ」が問題にされたのよ。 きっと。。。

そうかなァ~。。。? 「おもらし」も「パンツびしょびしょ」も同じようなものだと思うけれど。。。

。。。で、わたしが「おもらし」したことが反響を呼んだ、とケイトーは思うの?

あのねぇ~、「おもらし」が問題であれ、「パンツびしょびしょ」が問題であれ、女の子にとって、少なくとも日本では、そのような事を話題にされることは気分の良いものではないと言うことなのですよ。 それを2ちゃんねるでは僕が「セクハラ」したと騒いだのですよ。

たいしたことではないと思うのだけれど、「おもらし」はそれ程日本人の女性にとって、言われてはまずい言葉なのかしら?

僕も、たいしたことではないと思ったから言ったのですよ。 でもねぇ、一部の日本人の耳には「セクハラ」のように聞こえるらしい。 だから、シルヴィーがお漏らしの経験談を率直にネットで話すのを見ると、一部の日本人にとっては驚きに値するのですよ。

私は別に隠すほどの事もないと思うけれど。。。

だから、そのようなシルヴィーの素直さと言うか?素朴な性格と言うか? 一部の日本人にとっては、ちょっと考えられないくらい素直で純朴な性格をシルヴィーの経験談から感じとったに違いない! 僕はそう思ったわけですよ。

あらっ。。。そうだったの?

ついでと言っては何ですが、シルヴィーに一つ尋ねたいことがあるのですよ。

なあにィ~。。。?

その時、シルヴィーのパンツもびしょびしょになったのですか?

ケイトーは下らない事を訊くのねぇ~。。。びしょびしょになるほどもらさなかったわよ。 ジャンボのエンジンが始動してジャカルタに緊急着陸するまで判らなかったわ。 生乾(なまがわ)きのよな状態になっていて、尿意を催(もよお)した時に初めて気づいたのよ。

とにかく、そのようにシルヴィーがオシモの話題にもかかわらず、何でも平気でしゃべることに、54個の足跡を残したアメブロの会員は感心したと思うのですよ。 うししししし。。。 

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
確かに、お漏らしした事は女の口から、ちょっと言いにくいですわよねぇ~。
婚活しているあたくしにとって、口が裂けても言いたくない事ですわ。
うふふふふふ。。。

ところで、御巣鷹山のあの事故は電気配線が故意に切断されて起きたのでしょうか?
確かに1度あることは2度あると申しますわ。
それを日本航空のトップと日本政府がもみ消したと言うことでしょうか?

あたくしたち素直な日本人は、事故の原因をあいまいにされた形で「つんぼ桟敷」に追いやられたと言うことなのでござ~♪~ましょうか?
もちろん、日本航空の整備士さんたちは真面目で仕事熱心な方が多いと信じます。
でも、「あとでもみ消してやる」と言うトップの人間の差し金で働く悪い奴がやれば、電気配線を切断することなど簡単なことです。
だから、犯人が見つからないのですわ。
あたくしは、そう思います。
あなたは、どう思いますか?

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。


『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』

『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』

『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』

『文は人なり(2011年9月15日)』

『キモい戦争(2011年9月19日)』

『バカの歴史(2011年9月23日)』

『ムカつく検査(2011年11月1日)』

『アッシジからの平和(2011年11月5日)』

『中国からの怪電話(2011年11月9日)』

『気になる英単語(2011年11月18日)』

『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』

『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』

『山形とバンクーバー(2011年12月8日)』

『ねえ、ねえ、ねえ見て(2011年12月10日)』

『URL スパマー(2011年12月20日)』

『坂の上の平和(2012年1月4日)』

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『レモン戦争(2012年1月16日)』

『常連さん、こんにちは(2012年1月23日)』

『チョコレートと軍産複合体(2012年1月28日)』

『壁に耳あり障子に目あり(2012年2月3日)』

『チョコレートと世界銀行(2012年2月10日)』

『チョコレートと甘い権力(2012年2月22日)』

『CIAの黒い糸(2012年3月6日)』

『CIAの黒い手(2012年3月12日)』

『平和が一番(2012年3月29日)』

『オツムの中の英語(2012年4月17日)』

『誰?あなたなの?(2012年5月5日)』

『ジャンボのエンジンが全部停止!』
(2012年5月15日)

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあ、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

ところで「おもらし」あるいは「失禁」を

英語でなんと言うのでしょうか?

考えてみたことがありますか?

incontinence を使います。

形容詞形は incontinent になります。

ナンシーは、このところお漏らしすることがおおい。

これを英語に訳すと次のようになります。

Recently Nancy has often been incontinent.

でも、あなたは、お漏らししないようにしてくださいね。

ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

あなたの平和と幸福

2011年9月2日

 
あなたの平和と幸福
 
 

 

二度と負け戦はしない

憲法では戦争をしないと宣言しています、なんてことも言って欲しくない。
一方的に宣言したくらいで実現するほど、世界は甘くないのである。
多くの国が集まって宣言しても実現にほど遠いのは、国連の実態を見ればわかる。 ここはもう、自国のことは自国で解決する、で行くしかない。 
また、多くの国が自国のことは自国で解決する気になれば、かえって国連の調整力もより良く発揮されるようになるだろう。

二度と負け戦はしない、という考えを実現に向かって進めるのは、思うほどは容易ではない。
もっとも容易なのは、戦争すると負けるかもしれないから初めからしない、という考え方だが、これもこちらがそう思っているだけで相手も同意してくれるとはかぎらないから有効度も低い。

また、自分で自分を守ろうとしないものを誰が助ける気になるか、という五百年昔のマキアヴェッリの言葉を思い出すまでもなく、日米安保条約に頼りきるのも不安である。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


221 – 222ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

『女に冷たい女』に掲載
(2011年8月20日)

塩野七生が文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれる存在らしい、ということは薄々知らなくはなかったが、実態はかなり酷かったのだなと思う。

塩野自身はずっとイタリアにいたからわれ関せず、という風情だったようだが、日本にいたら相当きつかっただろうと思う。

ケイトー。。。また塩野七生さんのことを取り上げるの?

いけませんか?

だってぇ、『女に冷たい女』ですでに取り上げたでしょう?

うん、うん、うん。。。でもねぇ、今日は違う角度から批判したいのですよ。

どうして塩野七生さんにこだわるの?

あのねぇ~、二度と負け戦はしない、という考え方が僕にはどうしても気になるのですよ。

なぜ。。。?

たとえば、もう亡くなってしまった作家の野上弥生子(1885-1985)さんは1937(昭和12)年の年頭の新聞に次のように書いていた。

たったひとつお願いごとをしたい。 今年は豊年でございましょうか、凶作でございましょうか。 いいえ、どちらでもよろしゅうございます。 洪水があっても、大地震があっても、暴風雨があっても、……コレラとペストがいっしょにはやっても、よろしゅうございます。 どうか戦争だけはございませんように……

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)

戦争はもう懲り懲りだから、戦争だけはありませんようにと、お願いしているのですよ。

誰だって戦争は嫌ですから当然でしょう!?

また前年の1936(昭和11)年2月14日、永井荷風さんの日記には次のように書かれていた。

日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。

政党の腐敗も軍人の暴行も、これを要するに一般国民の自覚に乏(とぼ)しきに起因するなり。

個人の覚醒せざるがために起こることなり。 然(しか)り而(しこう)して個人の覚醒は将来に於(おい)てもこれは到底望むべからざる事なるべし。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)

これを読むと現在の日本の事を言っているような気がするのですよ。

でも、日本には軍隊はないでしょう!?

ありますよ。 「軍隊」と言う人はめったに居ないけれど、日本には「自衛隊」という立派な軍隊がありますよ。 国防予算では世界で第4位ですよ。

でも、過激な軍人さんは現在の日本には居ないでしょう?

いや。。。いますよ。 たくさんの自衛隊員が。。。それに過激な軍人も居ましたよ。

誰ですか?

割腹自殺を遂げた三島由紀夫さんですよ。 「楯の会」と言う“私兵”を創設して市谷の自衛隊の総監を人質にして自衛隊員を本部の前に集めさせ、演説を行い、扇動してクーデターを起こそうとした。 もう、こうなったら過激で立派な“軍人”ですよ。

でも、失敗に終わったのでしょう?

もちろんですよ。 成功していたら日本は世界の国から“日本の自衛隊員は三島由紀夫と一緒に気が違ってしまったのか!”と呆れられてしまうところでしたよ!

。。。で、その三島さんと塩野七生さんが似ていると、ケイトーは言うの?

そうですよ。。。塩野七生さんは三島さんほど過激ではないにしても、二度と負け戦はしない、という考え方には、「どこの国と戦っても勝てるような強い軍隊を創設しましょう!」という三島さんが生きていれば喜びそうなことを言おうとしているのが見て取れますよ。

そのような考え方がケイトーには気に喰わないのォ~?

いや、僕だけではありませんよ! 野上弥生子さんが生きていたら塩野七生さんの上の文章を読んで「あなた、何を言ってんのよ!あなたは戦争の悲惨さを経験したことがないの?」と喧嘩を吹っかけると思うのですよ。

そうかしら?

やだなあああァ~。。。シルヴィーだって戦争は絶対に反対でしょう!?

もちろんよ! 私と家族はインドネシアの動乱をさけてオランダに移住したほどですからね。 動乱だとか、内乱だとか、戦争だとか。。。そういう血なまぐさい事は大嫌いなのよ。

だったら、僕の言おうとしていることが分かるでしょう?

でも、言論の自由、表現の自由があるのだから塩野七生さんの考えを公表することは許されることでしょう!?

もちろんですよ。 僕は黙っていろ! そのような馬鹿げた事を書くな!と言おうとしている訳ではない。

じゃあ、ケイトーはいったい何を言おうとしているのよ?

あのねぇ~、半藤一利さんが『昭和史』の中で次のように書いていた。

歴史に学べ

よく「歴史に学べ」といわれます。 たしかに、きちんと読めば、歴史は将来にたいへん大きな教訓を投げかけてくれます。 反省の材料を提供してくれるし、あるいは日本人の精神構造の欠点もまたしっかりと示してくれます。 同じように過(あやま)ちを繰り返させまいということが学べるわけです。 ただしそれは、私たちが「それを正しく、きちんと学べば」、という条件のもとです。 その意思がなければ、歴史はほとんど何も語ってくれません。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


503ページ 『昭和史(1926-1945)』
著者: 半藤一利
2009年6月11日 初版第1刷発行
発行所:株式会社 平凡社

つまり、塩野七生さんは40年も歴史を書いているけれど、「それを正しく、きちんと学」んでいないと、ケイトーは言いたいわけね?

いや。。。僕は塩野七生さんが正しいとか間違っているとか言おうとしているわけじゃない!

でも、塩野七生さんの考え方は正しくない!とケイトーは言おうとしているじゃない!

いや。。。そうではありませんよ。 正しいとか間違っているとかは時代によってコロコロと変わってしまいますからね。

まさかァ~。。。!

まさかじゃありませんよ! シルヴィーは次の名言を聞いたことがないの?

善悪不二(ぜんあくふに)

聞いたことないわ。 どういう意味なのよ?

あのねぇ~、簡単に言えば、「善悪の判断を越えて受け入れる」と言うことですよ。

「善悪の判断を越えて受け入れる」ってぇ、どういうことよ?

あのねぇ~、それを説明する前にシルヴィーに、もう一度尋ねたいのだけれど、次の名言を聞いたことがある?

人一人を殺して死刑になり、

人万人を殺して英雄となる

これならば聞いたことがあるわよ。

だったら、シルヴィーにも分かるでしょう? 善悪は時代によって違ってしまうのですよ。 戦争中には敵を一万人も殺せば必ず英雄になって勲章がもらえる。 でもねぇ~、平和の時には一人殺しただけでも死刑になってしまう。

でも、カナダには死刑はないわよね!?

死刑は廃止されました。 だから戦争のない世界だって作ろうと思えば作れる。

でも、戦争は無くならないでしょう!?

そう思ってしまうから戦争が無くならない。 死刑のない国も軍隊のない国もたくさんあるのですよ。

マジで。。。?

やだなあああァ~。。。シルヴィーは次の記事を読んだことがないの?

『軍隊のない国』

(2011年3月21日)

まだ読んでないわ。

ぜひ、読んでみてよ。 軍隊の無い国が結構たくさんあるのだから。。。

だけど、北朝鮮が日本へ攻めてきたらどうするのよ?

武器を持たずに無抵抗主義で対抗するのですよ。

どうやってぇ。。。?

あれっ。。。シルヴィーは知らなかったの?

何を。。。?

何をってぇ。。。エストニアは第2次大戦で旧ソ連に占領されてから独立を勝ち取ろうとして、結局、武器に頼らずに歌声で独立を勝ち取ったのですよ。

マジで。。。?

あのねぇ~、僕はたまたま昨日(8月31日)バンクーバー図書館でエストニアのDVDを観た。

『バンクーバー図書館カタログ情報』

このDVDを観るとねぇ、エストニア市民が旧ソ連によって歌ってはダメだと言われていた国民のフォークソングを歌いながら何十万人と集まって独立運動を盛り上げている。 旧ソ連は戦車を出動させて妨害しようとしたけれど、あまりにも人数が多いので結局戦車を出動させることができなかったと言う、いわくつきのシーンが出てきましたよ。 要するに国民の独立の歌声が戦車よりも強かったのですよ。 その時の様子が少しは次のYouTubeを観ると分かりますよ。

共産主義の崩壊-1989年

The downfall of communism

つまり、軍隊が無くても独立を勝ち取れるとケイトーは言いたいのね?

その通りですよ。 仮に北朝鮮が攻めてきて日本が無抵抗で占領されてもエストニアのように独立を勝ち取ることはできるのですよ。

でも、夢物語のようね。

実際にエストニアくを含めたバルト三国は独立したではありませんか! だからねぇ、僕は次のように言いたいのですよ。

歴史に学べ

「歴史に学べ」という事を人はよく口にします。
確かに、きちんと学べば歴史は将来に、たいへん大きな教訓を投げかけてくれます。 反省の材料も提供してくれます。
戦争を繰り返すような過(あやま)ちを繰り返さないということが学べるわけです。

ただしそれは、私たちが「人類の平和と幸福のために、きちんと学べば」という条件のもとです。
その意思がなければ40年歴史を書いた作家と言えども、歴史はほとんど、その人に人類の平和と幸福の道を何も語ってはくれません。

 

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
そうですわよね。
軍隊が無くても戦争をしなくても独立を勝ち取ることはできるものなのですわよう。

でも戦争はなぜ無くならないのかってぇ。。。?

それわねぇ~、世の中には戦争をすると得をする人たちが居るのでござ~♪~ますわよう。
たとえば、ヒトラーのように権力欲に駆られた人とか
死の商人のように兵器をたくさん造っている人たちです。

このような人たちは、戦争が無くなっては困るのですわよう。
あなたにも分かるでしょう?

エストニアの人たちは独立運動を盛り上げる歌声で独立を勝ち取ったのでした。
だから、軍隊も兵器も要らないのでござ~♪~ますわ。
必要だと思っている人は、ヒトラーや死の商人のような人物の思惑に洗脳されているだけなのですわ。

とにかく、クソ暑いのですわよう。
戦争よりも、このクソ暑さをどうにかして欲しいものでござ~♪~ますわ。
京都は盆地なので夏は茹(う)だるような暑さなのですう。
あまり暑いので、あたくしは今日も冷し中華を食べたくなったのでざ~♪~ますわ。

あああァ~。。。「冷し中華」を思い浮かべただけで汗がタラタラと滲み出てきましたわ。
もういけません!
十二単を脱ぎ捨てて、すぐ近くの中華料理店へ走ってゆこうと思います。
うふふふふふ。。。

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。

『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』

『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』

『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

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『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』

こんにちは。ジューンです。

第41代および第43代米国大統領を生み出した

ブッシュ家は、軍産複合体を生業としてきました。

第43代米大統領の曽祖父のサミュエル・ブッシュは

オハイオ州で兵器を製造していた

バッキー・スティール・キャスティング社を

経営していました。
 
 

 
東京大空襲で焼け野原になった江東区
 
 
祖父のプレスコット・ブッシュは東京大空襲で

大量に使用された焼夷弾である

集束焼夷弾E46の製造を

行なっていたドレッサー・インダストリーズ社に

関与していたのです。

第41代ブッシュ大統領は

このド社の石油部門で働いていたのです。

その後、第41代ブッシュ大統領はCIA長官、

副大統領、大統領時代において、

海外との兵器貿易を押し進めており、

副大統領時代には

イラン・コントラ事件が起きています。

この事実だけを見ても、

「軍産複合体」の動きが見えてきますよね。

では、ここで面白いジョークをひとつ。

その大統領は誰?

アメリカのある高官が、イラク戦争についてのラジオ番組に出演した際に、こう語った。

「大量破壊兵器を使用した歴史を持つ恐怖の独裁国家は、国際社会から排除しなければならない。 あの強欲で無能な大統領を拘束することに成功した今、全世界はより安全で幸せになった」

番組終了後、ラジオ局には次のような問い合わせが殺到した。

「いつブッシュが捕まったんだ!?」


『バカの固定観念』より
(2011年5月26日)

ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

シルヴィーとネット革命

2011年5月6日

 
シルヴィーとネット革命

人間の鎖 (Baltic Way)

人間の鎖は別名「バルトの道」といわれ、1989年8月23日当時ソビエト連邦支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の独立運動の一環として行われたデモンストレーション。

およそ200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600キロ以上の人間の鎖を形成した。
このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めたモロトフ・リッベントロップ(独ソ不可侵条約)秘密議定書締結50周年を期して行われ、三国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。

背景

旧ソ連ではゴルバチョフ政権のもとでペレストロイカ、グラスノスチが進められ、街頭デモが急増し、市民の支持も集めていた。

1986年、3国のそれぞれの首都で、一握りの人々が集まり抗議行動を行ったが、直ちに警察により解散させられた。
1987年には大規模集会が3国の首都で行われたが、当局者に非難され、逮捕者が出て終わった。

一年後、大規模抗議行動が初めて当局の認可を得て、平和裏に行われた。
この「人間の鎖」の一週間前にはソ連政府も秘密議定書の存在を認めたが、バルト3国が自主的にソビエト連邦に加盟したという点については譲らなかった。

集会の数日前、リトアニアの独立運動組織サユディスの委員会の170人のメンバーが、「ソビエト連邦の政治的、文化的、行政的支配を受けない」独立のリトアニア国家をめざすことを議決した。

抗議

「人間の鎖」は地元の共産党当局によって認可され、鎖が切れないよう、周到に計画された。
例えば、各都市や町には担当の場所が割り当てられ、他の交通手段を持たない参加者には無料バスを提供するよう指示された。
参加者は、現地時間午後7時から15分間手をつないだ。
この集会を調整するため、特別のラジオ放送も行われた。

人間の鎖にどれだけの人が参加したかは報道によって異なる。
翌日のロイター通信によれば、エストニア人70万人、ラトビア人50万人、リトアニア人100万人が参加したと報じている。

ラトビアの首都・リガの旧市街

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


『小百合さんとワーグナー』に掲載
(2009年7月4日)

あらっ。。。偶然ねぇ~。。。私も「人間の鎖」に参加したのよ。 

知ってますよ。 シルヴィーは当時、小学校の先生をしていたのでしょう?

あらっ。。。ケイトーはよく知ってるわね?

その事については4月29日の記事の中で話したばかりじゃないですか!

『波乱の半生』

(2010年4月29日)

そうだったわね。

シルヴィーは、ラトビア語も話せるんだね。

そうよ、一生懸命勉強したのよ。

ロシア語に似ている?

ロシア文字じゃなくてアルファベットに近い文字を使っているから、ロシア語を覚えるのよりも簡単だと思うわ。

。。。で、ソ連が崩壊する前にバンクーバーへやって来たわけ?

そうよ。。。1986年から独立運動が表面化するようになって、また動乱でも起こるのじゃないかと思って、私は兄弟が残っているバンクーバーへやって来たと言う訳なのよ。 もう動乱なんてこりごりだったから。。。

。。。で、また小学校の先生をしたの?

いいえ。。。大学に行き直すのが面倒だったから語学力を活(い)かしてエアカナダのフライトアテンダントになったのよ。

すごいねぇ~。。。シルヴィーの半生は波乱の連続だよね。 つまらない小説を読むよりもシルヴィーの話を聞いている方がよっぽど面白いよ。

。。。で、ケイトーはどうして「ネット革命」なんていう話題を持ち出したのよ?

あのねぇ~、ソ連が崩壊したのもネットと関係しているんだよ。

まさかァ。。。?

いや、マジな話ですよ。 ソ連が西側からの情報を遮断しようとしたって、そんな事ができるはずもない。 ソ連の人たちの中には西側諸国の衛星放送を傍受したり、ネットを通じて密かに西側の情報をゲットしていた。 だから、ソ連の役人が言ってるよりも西側諸国の生活の方がはるかに豊かなことが見えてくる。

言われてみれば確かにそうだわよねぇ。 特に私なんて西側からラトビアに入ったでしょう。 やっぱり、西側と比べたら生活水準が良くないのよね。 でも、そう言う事を言える雰囲気ではなかったし、言っても信じてもらえないのよ。 だけど、だんだん西側の情報が少しずつ入ってきたわよ。

その西側の情報の何パーセントかは、ネットを通して東側に入ったわけですよ。

それで、ケイトーはマジでネット革命が人類に本当の平和と幸福をもたらすと信じているの?

もちろんですよ。 あのねぇ、僕は思うのだけれど、人間の文明と生活が飛躍的に進歩した背景には5つの大きな発見と発明があったと思うのですよ。

あらっ。。。ケイトーは、ここで文明論を繰り広げるつもりなの?

いや。。。文明論というほど大げさなものではありませんよ。

それで、その最初の発明・発見って何なのよ?

今から約百万年前に人類が火の利用を思いついたことですよ。 こればかりは他のどの動物も考え付かなかった。 火を利用することによって、それまでは動物的だったヒトが文化的な人間になったのですよ。

確かにそうかもしれないわ。 それで2番目の発明・発見って何なのよ?

今から約1万年前の貨幣の発明ですよ。 これによって人間は物々交換から商業社会、そして将来の国際貿易社会の萌芽(ほうが)を生み出したのですよ。

。。。で、3番目の発明・発見って何なの?

今から約550年前のグーテンベルクの活版印刷術の発明ですよ。 これによって情報が爆発的に世界に広がるようになった。

つまり、情報社会の曙(あけぼの)ってわけね?

そうですよ。 王侯貴族や聖職者だけの手書きの本だったものが、印刷技術によってミーちゃん、ハーちゃんも本を買って読めるようになった。

それで4番目の発明・発見って何なの?

今から約150年前、ジェームズワットによる蒸気機関の発明ですよ。 つまり、産業革命ですよ。 これによって自動化や大量生産が夢ではなくなった。 物を安く生産できるようになって、アッという間に現在のような豊かな物質社会が出現するようになった。

。。。で、5番目の発明がインターネットというわけ?

そうですよ。

ネットによって国際化がますます広まり、ミーちゃん、ハーちゃんが何千キロも離れているのに、まるで隣に住んでいる隣人同士のように交信・交際することが可能になったのですよ。

マジで。。。?

もちろん!

その証拠でもあるの?

ありますよ。 次の画像を見てください。

http://blog.livedoor.jp/barclay1720/

これはねぇ、4月25日の僕のライブドア『徒然ブログ』の記事なのですよ。

これがその証拠なの?

そうですよ。 ちょっと左のサイドバーを見てください。  Live Traffic Feed という表示が見えでしょう? ここに僕のブログを読んだ最新の10人が表示されるのですよ。

たったの10人だけ?

もちろん、もっと多くの人を見たい場合には、 Real-time view Menu をクリックすると次のような詳しい情報を見ることができるのですよ。

あらっ。。。たくさんの国の人がケイトーのブログを読んでるのね!?

そうなのですよ。 このリストにはバンクーバー時間で4月24日の午前11時29分から午後1時38までの約2時間に訪問した読者が表示されているのです。 このリストのトップの訪問者は僕自身ですよ。 カナダのバンクーバーと表示されてますよ。 その下のカナダからの訪問者はトロントに住んでいる人です。 その下にはアメリカのミズーリ州のセントルイスからやって来た読者が表示されています。

その下の国旗はフランスなの?

いや。。。タイの国旗ですよ。 Alajuela州の Zapote市から僕のブログを読みにやって来たのですよ。 その下にはアメリカのコネチカット州のブリッジポート市の読者が見えます。

韓国のソウル市からやって来た人もいるわね!

そうです。 たぶんソウル市で日本語を勉強している人ですよ。 その下がフランスの国旗です。。。で、その下がこのリストでは一番下だけれど、イギリスのリバプールからやって来た人ですよ。

つまり、アメリカ人やイギリス人もケイトーのブログを読んでいると言いたいの?

いや。。。そこまでは判らない。 おそらく、アメリカやイギリスで読んでいる人は日本人の留学生か駐在員だと思うのですよ。 もしかすると移住者かも。。。とにかく、たった2時間の記録を見ただけでも、これだけ国際色が豊かになっている。 つまり、僕の考えに賛成するか反対するかは別問題としても、僕が言おうとしている事が記事を投稿してから数時間の内に日本語が分かる世界中のネット市民の皆様の目に触れるというわけですよ。 これが国際化でなくてなんであろうか!? 約550年前にドイツのグーテンベルクが印刷した本が当時の日本人の手に渡るまでには、多分4,5年がかかったかもしれない。 でも、現在では地球のどこに居てもネットがある限り 2,3時間で550年前には考えられないほど多くの人に僕の考えを簡単に伝えることができるのですよ。 これは、まさに革命の名前に値しますよ。 シルヴィーもそう思うでしょう?

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
確かに、そうなのでござ~♪~ますわよ。
あたくしはビートルズの熱烈なファンなのですわ。
うふふふふふ。。。

“キャ~ 素敵ィ~♪~”

もし、ビートルズが550年前のグーテンベルクの時代にイギリスに登場したならば、絶対に日本には熱狂的なビートルズファンは出現しなかったと思いますわ。
あなただって、そう思うでしょう?
そう考えれば、現在の情報革命・ネット革命は、確かにすごいことですわよ。

リバプールで始まったビートルズの熱狂は、日本も含めて世界中に熱狂的な嵐を呼び起こしたのでござ~♪~ますわ。
まるで、その事を物語るように
リバプールの人がデンマンさんのブログを読みやって来ているのですわ。
うふふふふふ。。。

世界がこの数百年の間にものすごく狭くなっているということですわよね。
つまり、国際化がますます加速されているということですわ。

国際化によって日本語が分かる人が、これだけ世界に居るということです。
そうでないとしても、日本人がこれだけ多く世界に飛び出しているということですわよ。

ところで、あたくしは最近何度も何度もビートルズの夢を見るのですわ。
だから、軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うのでござ~♪~ますう。

滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、

このカフェテラスに下りてきたのですよ。

わたしたちに「おはようございます」と

日本語であいさつしたものですわ。

いつも庭に面した一番奥の席にすわって、

他のお客様には背を向けるような格好で

腰掛けていました。

ジョン・レノンのお気に入りは

ローヤルミルクティーでしたわ。

『幸福の谷』より
(2008年4月6日)

あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ~♪~ますう。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。おほほほほほ。。。

われわれの記憶が、

真実と作りものによって

構成されていることに似ている。

記憶というのは時間とともに

どんどん変化していく。

横尾忠則さんがこのようにおっしゃったのでござ~♪~ますわ。
そうですよね。
時として記憶というのは変化してゆくものなのですわ。

でも、国際化だけは間違いなく、これからますます進んでゆくと思います。
それに従って世界のネット市民の声が世界の隅々まで浸透してゆき、世界市民のための本当の平和と幸福がもたらされる社会が築かれてゆくと、あたくしも思うのでござ~♪~ます。

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

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『畳の上の水練(2011年3月15日)』

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『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』

こんにちは。ジューンです。

国際化・グローバル化という言葉が

しばしばマスコミに登場していますけれど、

確かにインターネットの普及は

国際化・グローバル化をすさまじい勢いで

促進しているように見えますわ。

あなたも、そう思いませんか?

もう、猫も杓子(しゃくし)も、

ミーちゃんハーちゃんもネットですものね。

デンマンさんのブログの訪問者を見ただけでも

たった2時間の記録の中に国際化が

塗りこめられているように見えます。

世界のネット市民の皆さんが

戦争の無い平和で幸福な社会を望み

やがてネットの世界で「人間の鎖」が広がり

戦争の無い平和で幸福な世界が

実現することを望みたいものです。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてくださいね。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ

波乱の半生

2011年4月29日

 

波乱の半生

 


(cute0026.jpg)


(sylvia16.jpg)

あらっ。。。ケイトーって見かけによらずに女性に対して、かなり積極的なのねぇ~?


(kato3.gif)

それは、もう20年以上も前の話ですよ。

今はもう積極的ではないのォ?

ブログを書くのが忙しくってねぇ~。

マジで。。。?

そうですよ。。。だから、こうして図書館に毎日のようにやって来て記事を書くようになったのですよ。

自分の家のパソコンでは書かないの?

ボッコわれてしまったのですよ。

あらっ。。。そうだったの? なるほどォ~。。。それでねぇ~。。。納得したわァ~。。。

何を納得したのですか?

あのねぇ~。。。実は、私はあなたと会うのは初めてではないのよ。

ん。。。? 初めてではない。。。?

そうなのよ。。。私はあなたと何度も会っているのよ。

まさか。。。?

いえ。。。マジで。。。

でもねぇ、シルヴィー。。。僕は今日あなたと面と向かって初めて話をしたのですよ。

ええ、そうだわ。。。でも、私はあなたと何度も会ってるのォ。

冗談でしょう!?

マジよ。。。あなたが気づかなかっただけなのよ。 私の話を聞けばあなただって納得するわ。 その前に、私、ちょっと。。。おトイレにいってくるから。。。ここでじっとして待っててね。 じゃあねぇ。 うふふふふふ。。。


『図書館deロマンス』より
(2011年4月27日)

シルヴィー,…ずいぶん長かったねぇ~。。。

あらっ。。。そうかしら?。。。30分ぐらい、どうってことないでしょう? ちょっと気に入った本を見つけたから1章だけ読んでいたのよ。 ケイトーだってぇ、他に何もすることがなかったのでしょう?

待っててねぇ、とあなたが言ったじゃないですかァ!。。。僕はシルヴィーの話を早く聞きたいと思っていたから、1時間ぐらい待っていたような気がしますよ。

それってぇ、ちょっとオーバーよ。

とにかく僕は今日シルヴィーに会ったのが初めてなんですよ。

でも、私はケイトーにマジで何度も会ってるのよ。

だけど僕には記憶が全く無いよ。

そうかもねぇ。。。あなたはいつだってパソコンとにらめっこしていたからよ。 私はウェストエンドの分館で、あなたが記事を書いていたのをちょくちょく見かけていたのよ。

ウェストエンドの分館で。。。?

そうよ。。。あなたはいつもDianeの隣で記事を書いていたじゃない!

あれっ。。。シルヴィーはダイアンを知ってるの?

知ってるわよ。。。Dianeとは、ずいぶん前からの友達なのよ。 あの人ときたらケイトーと同じで、英国系カナダ人には珍しく勤勉なタチなのよ。。。日曜日は教会へ行くからパソコンに向かわないけれど、月曜日から土曜日まで毎日決まった時間にパソコンに向かい合うでしょう。 Dianeだけかと思っていたら、今年の1月頃からケイトーが加わったじゃない。 しかも、決まってDianeの隣に座って、澄ました顔して記事を書いていたじゃないの。。。それも不思議に決まった時間にDianeと隣り合わせでキーボードに向かって打ち込んでるじゃない。。。いったい、どういう事なのかと初めの頃はとっても興味深かったわよ。。。うふふふふふ。。。

知らなかったなあああァ~。。。ネットをやる場合、ウェストエンドの分館ではパソコンは1時間だけしか使えないんだよ。 1時間では、とっても足りないんだよ。。。それで中央図書館にも足を運ぶようになった。 ここでは2時間使えるからね。 でも、1日3時間でもまだ時間が足りない。 それで僕はダイアンともほとんど話をしないで、わき目も振らずに記事を書いていたと言う訳なんだよ。。。だから、近くにマリリンモンローがビキニ姿で座っていたとしても、じっくりと眺めている暇が無いほど僕は集中していたんですよ。

そうよねぇ~、だから、私も、もし停電しなかったとしたら、あなたに声をかける気にならなかったと思うわ。

なるほどォ~。。。

何がなるほどなのよ?

停電で他に何もすることがないからシルヴィーが話しかけてきたとは思うけれど。。。それでも、急に畳み掛けるようにして話してきたから、ずいぶんと社交的な女性だと思って僕は内心ではビックリしていたんですよ。

あらっ。。。私、ちょっと積極的過ぎたかしら。。。?

いや。。。ダイアンと友達だったと聞いて僕も納得しましたよ。。。で、シルヴィーはバンクーバーで生まれて育ったの?

そう見える?。。。でも、違うのよ。

。。。つうことわァ~。。。もしかして移住者?

そうなのよ。。。ケイトーは私がどこの生まれだと思う?

まあ。。。そうだねぇ~。。。シルヴィーの表情から察して、多分英国系だと思うけれど。。。イングランドか? スコットランドか? アイルランドか? ウェールズか?。。。恐らくその内のどれかだと思うよ。

まったく違うわ。。。。実は、私はインドネシアで生まれたのよ。

マジで。。。? インドネシアは太平洋戦争前にはオランダの植民地だったから。。。もしかしてシルヴィーの両親はオランダ人?

そうなのよ。。。私の父はオランダ人。 母はオランダ人と華僑のハーフだったのよ。 つまり、私には4分の1の中国人の血が流れているのよ。

なるほどォ~。。。よく見るとシルヴィーの表情には、どこかに東洋系の特徴があるよ。。。 まず、髪の色が黒っぽい。 鼻があまり高くない。 丸顔がなんとなく東洋系の女を思わせる。。。で、インドネシアからカナダに移住してきたの?

違うのよ。。。実は、私がまだ小さかった頃。。。、1965年にインドネシアには動乱があったのよ。 私は大きくなってから父に聞かされたのだけれど、1963年にマラヤ連邦が北ボルネオをイギリスから譲り受けてマレーシアが建国されると、スカルノ大統領はこれをイギリスによる新植民地主義のあらわれであると非難して「対決政策」を宣言したのよ。

1965年の動乱(9月30日事件)


(indone65.jpg)

インドネシアはボルネオ島全域の領有を主張して、マレーシア領へ侵入するなど、一触即発の事態となった。
これは1964年に領有を主張するフィリピンも含めた3者が東京で会談するなどで、現状維持で落ち着いた。
この対決政策によって、インドネシアはアメリカとIMFからの経済援助を停止され、国際社会から孤立していった。
スカルノ大統領は急速に中国に接近し、そして1965年1月7日、国連を脱退した。
さらに1965年の独立記念日(8月17日)には、世界銀行とIMFからも脱退した。

そのようにして対外政策がすすんでいるあいだにも、インドネシア国内の経済状態は悪化し、インフレによる物資高騰は民衆の生活を苦しめた。
こうした状況に国軍主流派や一部の政党政治家、経済テクノクラートらは危機感を強め、スカルノ大統領と共産党に対する不満が高まっていった。
このように緊張した政治環境の中で発生したのが9月30日事件だった。

この事件は、1965年9月30日深夜から翌未明にかけて、共産党シンパの国軍部隊と、共産党傘下の組織が国軍幹部の6将軍を殺害したことに端を発する。
陸軍戦略予備軍司令官だったスハルトがこれをすぐに鎮圧したため、左派勢力による政権奪取は失敗し、クーデター未遂事件として終わった。
共産党に肩入れしていたスカルノ大統領は苦しい立場に追い込まれ、事態を回復するための一切の権限をスハルトにあたえることになった。
これを受けてスハルトは共産党員およびそのシンパを殺害、拘束し、国内の左派勢力を物理的に解体した。
東南アジアで最大規模を誇ったインドネシア共産党が壊滅したことは、国内政治のみならず、冷戦期におけるこの地域の勢力図を一変させた。

その後、スカルノ大統領は事件への関与を疑われるきびしい立場に追い込まれ、国軍が煽動する反スカルノの民衆運動によって辞任への圧力をうけた。
1967年3月、スカルノは終身大統領の地位を剥奪され、1968年3月、スハルトが第2代大統領として選任された。
また、1966年9月にインドネシアは国連に復帰した。

この動乱がシルヴィーと関係あるの?

もちろんよ。。。スカルノ大統領は、国民をオランダの植民地支配から解放したということでインドネシア建国の父と呼ばれていたの。 国民的英雄だったわ。 でも、その一方で、植民地時代の遺産の完全否定を宣言して経済的には疲弊をもたらしたのよ。 大統領は、外国企業の資産を接収し、新たな外資の導入も禁止したのよ。 それに、植民地時代から経済分野で優勢な地位を固めていた華僑を差別したわ。 私の家族の場合には2重に風当たりが強かったのよ。 なぜなら、父がオランダ人。 昔の植民地主義者だと思われ、しかも、母の実家が華僑でしょう。 

つまり、スカルノ大統領から目の敵(かたき)にされたわけだ。。。

そうなのよ。。。スカルノ大統領が共産主義に近づいていったのよ。 当然のことながら、それまでインドネシアの独立を支持していたアメリカもスカルノ大統領に対して不快感を強めていったのよ。 そう言う訳で、今ではスカルノ政権の転覆を図るためにアメリカのCIAが9月30日事件を策謀したという説も出ているのよ。 スハルト将軍は、政治的野心がないと思われていて、スカルノ大統領から信頼されていたのよね。 大統領は共産党寄りになっていたので、事件と関係があると疑われて厳しい立場に追い込まれたわけ。。。

それで大統領に代わってスハルト将軍が治安回復に乗り出したというわけ?

そうなのよ。 大統領がスハルト将軍に権限を委譲したのよ。 この後、スハルト将軍はアメリカ寄りの態度をとったわけ。。。それで、クーデター首謀者や共産主義者や、その仲間と関係したと疑われた一般の人々の集団虐殺が広がっていったのよ。 20世紀最大の虐殺の一つとも言われたものよ。

何人ぐらいが虐殺されたわけ?

50万人ぐらいと言われたけれど、歴史家の中には、最大推計では300万人とも言われているのよ。 今でも正確には把握されていなわ。 私の家族はジャワに住んでいたのだけれど、残虐に巻き込まれそうになったので父の親戚を頼ってオランダに逃げたのよ。

なるほどねぇ~。。。それからオランダで暮らしたというわけだ。

そうなのよ。 アムステルダムに着いたのよ。 私はまだ小さかったけれど、ホッとしたわ。 子供心に、あの動乱の殺伐とした雰囲気を肌身に感じていたから天国にやって来たと思ったわ。


(hollmap5.jpg)


(amster6.jpg)


(amster3.jpg)

話には聞いていたけれど、アムステルダム(Amsterdam)って、とってもきれいな街なのよね。 なんだかおとぎ話の国に来たような気持ちだったわ。

ほおおおォ~。。。おとぎ話の国ねぇ~。。。 僕は“飾り窓の女”を思い出すけれど。。。


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ケイトー!。。。あなたは、そういう事しか興味を持たないのォ~?

いや。。。、あのォ~、もちろん、オランダは江戸時代には日本と深いつながりがあったから、“飾り窓の女”以外にも、ずいぶんとオランダのことを勉強しましたよ。。。それで、どうしてカナダへやって来たの?

やっぱりねぇ~、なかなか思うように暮らしが立たず、インドネシアから戻ってきたと言うと、なんとなく肩身が狭いのよね。 当時カナダに移住することが話題になっていて、いっそのこと新規まき直しでカナダに行こうということに家族で決めたのよ。

それでバンクーバーにやって来たわけ。。。?

違うのよ。。。モントリオールへ家族とともに移住したのよ。

モントリオール!?。。。でも、まもなくモントリオールでは 1970年の動乱ですよ。

そうなのよ。。。皮肉といえば皮肉よね。 まさかモントリオールで1970年に動乱があるなんて考えもしなかったでしょう。 だから1967年の春に船でカナダに渡ったのよ。 今のように飛行機がポピュラーだったら直接バンクーバーへやって来ていたかもしれないわ。

それで、モントリオールの動乱に巻き込まれてしまったの?

そうなのよ。

オクトーバー・クライシス


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オクトーバー・クライシス(October Crisis)は、1970年10月にカナダのケベック州で発生した、ケベック解放戦線(FLQ)のテロリストによる2件の政府要人拉致事件の呼称。
当時のカナダ首相ピエール・トルドーが、(短期間ではあるが)戦時措置法を発動し、ケベック州とオタワにカナダ軍が展開された。

ケベック州首相のロバート・ブラッサ(Robert Bourassa)と、モントリオール市長のジャン・ドラポー(Jean Drapeau)が、カナダ政府に対して戦時措置法の発動を求めた。
カナダ首相トルドーは1970年10月に戦時措置法を発動。
強い力を与えられた警察は、分離主義者と判断した者すべてを保釈なしで留置した。

この時カナダ政府は、FLQのメンバーと他の過激な分離主義者、民主主義的な手法で独立を勝ち取ろうと啓蒙活動をしているケベック党(Parti Québécois)党員などを区別することを拒否した。
本危機が終結した後、特に1973年にケベック党の党員リストを手に入れるためにRCMP職員が不法に突入した事件などに対して、トルドー首相の指導によるRCMPに関する疑惑(Scandals surrounding the RCMP)が捜査された。

背景

1963年以降、ケベック州独立を唱えるケベック解放戦線(FLQ)によって仕掛けられた爆弾テロによって6名が死亡した。
特にこの爆弾の標的となったのは、裕福なアングロフォン(Anglophone、英語を話すケベック住民)が多く住むケベック州ウェストマウント(Westmount)の郵便箱であった。

1969年2月13日、モントリオール証券取引所で最大の爆発があり、これは負傷者27名という大規模な被害が出た。
FLQのメンバーは、軍事施設や産業施設から盗み出した数トンのダイナマイトを保有しており、自らの広報機関「La Cognée」を通じて更なるテロ攻撃の予告を行い、人々に脅威を与えた。

1970年までに、23名のFLQメンバーが逮捕・収監され、その内4名が殺人罪で有罪判決を受けた。

1970年2月26日、パネルトラックに乗った2人組がモントリオールで逮捕された。このとき彼らは、ソードオフ・ショットガン(銃身や銃床を短く切り詰めた散弾銃)と「イスラエル領事を誘拐する」という内容のコミュニケ(声明文)を持っていた。逮捕された一人はジャック・ランクト(Jacques Lanctôt)だった。

1970年6月、モントリオールから車で40分ほど北にあるローレンシャン高原の小さな町プレヴォスト(Prévost)で、警察が民家を急襲し、火器と弾薬、136kgものダイナマイトとその雷管、「アメリカ領事を誘拐する」というランサム・ノート(ransom note)を発見した。

戦時措置法の発効


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トルドー首相の「まあ見ていろ」発言から3日後の10月16日、彼はケベック州知事ロバート・ブラッサとモントリオール市長ジャン・ドラポーの要請により、戦時措置法を発効した。
午前4時ちょうどにこの法律は執行され、何百人ものFLQメンバーとその共鳴者たちと疑われた人々が睡眠中のベッドから追い出され、そのまま拘束された。
ケベック州およびカナダの他地域で行われた世論調査では、戦時措置法に対する圧倒的な支持が示された。
後のケベック党党首ルネ・レベックは、当時はそれが必要な事態であったため執行に同意した、と書き残している。
しかしそれ以降、平時における戦時措置法の施行は、それが警察に逮捕と捜査に関する大きな力を与えることになるため、カナダ国内において激しい議論の対象となった。

ケベックの外(主にオタワ地域)で連邦政府は、連邦オフィスとその従業員を守るためとして、自らの権限の下に軍を配備した。
戦時措置法によって増大する逮捕権と(ケベック州政府によって要求され制御されているものの)軍隊の配備という組合せは、どこから見ても戒厳令の施行を連想させるものであった。
重大な違いは、軍が行政当局(この場合はケベック当局)に対するサポート役のままであり続け、司法的な機能を演じることがなかったことである。
にもかかわらず、連邦議会の芝生に駐車された戦車という光景は、多くのカナダ人を当惑させるものであった。
さらに、警察官僚が権力を濫用し、著名なアーティストや知識人を証拠無しで拘留したとの説もある。

1971年2月3日、法務大臣ジョン・ターナー(John Turner)は、戦時措置法により497人が逮捕され、うち435人が既に釈放されていることを報告した。
その他の62人は拘留され、うち32人は重罪犯としてケベック州高等裁判所から保釈を拒否された。

結果とその余波

オクトーバー・クライシスは、現代カナダにおける最も深刻なテロ事件とされ、そして、連邦政府および地方政府による対応については、現在も激しい論争の種となっている。
しかし当時の世論が、ケベック州の戦時措置法施行を圧倒的に支持していたのは確かである。
新民主党のトミー・ダグラスら幾人かの批評家は、トルドー首相が市民の自由を停止するために戦時措置法を施行するのは行き過ぎであった、そして、このことが先例となること自体が危険であると考えた。

この時カナダ政府がとった強硬な手段に肯定的な者は、政府の積極的な対応があったおかげで、1970年以降には同様なテロ事件が発生していないとの主張を続けている。
その一方でより一般的な見解として、ケベック州市民の間でこういったテロリズムは不愉快かつ不必要なものと理解されたからといわれている。
これによってカナダからの独立を求める人々は、充分に民主的なプロセスで独立が達成されるべきであり、またそうでなければならないと意識するようになった。

ケベック分離主義者に対する支持は一時低下したものの、後には再び十分な支持を得るようになった。
分離政策を掲げるケベック党も1976年にケベック州与党となった。1982年にカナダは新憲法を採択するが、ケベック州はこれを拒み、1987年にはケベック州の地位を認めたミーチ・レーク合意が得られたが、これも各州の足並みがそろわず実施されなかった。
ケベック州はカナダの一州であるが、その政治的地位は微妙な状態のままにある。

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この時ケイトーは、バンクーバーに居たの?

いや、まだ僕は日本でのんびりと暮らしていましたよ。 でも、この動乱は日本でもテレビニュースで伝えられました。 僕はカナダに行こうと思っていたので、この時の動乱があったから、モントリオールではなくトロントに行こうと決めたのですよ。

じゃあ、ケイトーは初めにトロントへ行ったの?

そうですよ。 4年ほど暮らして、それから北極圏に近いイエローナイフの政府でコンピューターの仕事に就いたのですよ。。。で、シルヴィーは1970年に家族と共にモントリオールからも逃げ出したと言う訳?

そうなのよ。。。当時、ケベック州は独立するかもしれない、というウワサが飛び交って、そうなれば独立戦争になるかもしれないと思って家族で決断したのよ。

それでバンクーバーにやって来たわけだ。

違うのよ。。。私以外はバンクーバーにやって来たけれど、私の姉が結婚してラトビアのリガ市に住み始めたので姉の所に厄介になろうと思って出かけたのよ。

マジで。。。? ラトビアのリガ市に行ったの?

そうよ。。。どうしてケイトーはそれほどビックリした顔をするの?

あのねぇ~、実は、僕はラトビアのリガ市からやって来た女性と知り合いになったのですよ。 その事は記事にも書いたよ。

ラトビアからやって来た

イングナさん


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(himiko22b.gif)

イングナさんは、安子さんが経営していた英語学校の生徒の一人だったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。僕は英語学校の仕事を手伝っていた関係から、イングナさんとも知り合いになったのですよう。

イングナさんがきれいだったのでデンマンさんは、ちょっかいを出したのでござ~♪~ますわね?

やだなあああァ~。。。人聞きの悪い事を言わないでくださいよう。イングナさんのお母さんがブティックを始めたのだけれど、税務が分からないからと言うので安子さんが僕を紹介したのですよう。

それで、イングナさんとは特に親しくしたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。ソ連崩壊のことには興味があったから、僕は当時の事をずいぶんとイングナさんに尋ねたものですよう。

それで。。。?

一つだけ不思議な事をイングナさんが言ったのですよう。

どのような事を。。。?

手をつなぎあってエストニアから、ラトビア、リトアニアのバルト三国を結んだと言うのですよう。


(baltic10.jpg)

手をつなぎあって三国を結ぶなんて冗談ならともかく、マジで考えるような事ではないのですよう。不可能ですよう。イングナさんは、まだ英語が充分に話せないので言い間違えたと僕は思ったのですよう。

それで。。。?

「手をつないでデモ行進したと言うのでしょう?」。。。僕は、そ~聞き返したのですよう。でも、手をつないでデモ行進したのではない!3つの国を手をつないで結んだんだと言い張るのですよう。

。。。んで、デンマンさんは納得したのですか?

もちろん、納得できませんよう。「あのねぇ~、3つの国を結ぶって、距離にしてどれくらいあるのォ~?」

イングナさんは、なんと答えたのでござ~♪~ますか?

約600キロメートルあるわ。。。と言うのですよう。。。600キロと言ったら、東京から大阪を越えて神戸を越えて明石の方までですよう。人間が手をつないで東京から明石まで並べるはずがないじゃないかア~!何を寝ぼけた事を言ってるのォ~!

そうしたら。。。?

イングナさんが学校のインターネット・コーナーのところまで僕を連れて行って英語版のウィキペディアを開いて見せたのですよう。

人間の鎖 (Baltic Way)


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人間の鎖は別名「バルトの道」といわれ、1989年8月23日当時ソビエト連邦支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の独立運動の一環として行われたデモンストレーション。

およそ200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600キロ以上の人間の鎖を形成した。
このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めたモロトフ・リッベントロップ(独ソ不可侵条約)秘密議定書締結50周年を期して行われ、三国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。

背景

旧ソ連ではゴルバチョフ政権のもとでペレストロイカ、グラスノスチが進められ、街頭デモが急増し、市民の支持も集めていた。

1986年、3国のそれぞれの首都で、一握りの人々が集まり抗議行動を行ったが、直ちに警察により解散させられた。
1987年には大規模集会が3国の首都で行われたが、当局者に非難され、逮捕者が出て終わった。

一年後、大規模抗議行動が初めて当局の認可を得て、平和裏に行われた。
この「人間の鎖」の一週間前にはソ連政府も秘密議定書の存在を認めたが、バルト3国が自主的にソビエト連邦に加盟したという点については譲らなかった。

集会の数日前、リトアニアの独立運動組織サユディスの委員会の170人のメンバーが、「ソビエト連邦の政治的、文化的、行政的支配を受けない」独立のリトアニア国家をめざすことを議決した。

抗議

「人間の鎖」は地元の共産党当局によって認可され、鎖が切れないよう、周到に計画された。
例えば、各都市や町には担当の場所が割り当てられ、他の交通手段を持たない参加者には無料バスを提供するよう指示された。
参加者は、現地時間午後7時から15分間手をつないだ。
この集会を調整するため、特別のラジオ放送も行われた。

人間の鎖にどれだけの人が参加したかは報道によって異なる。
翌日のロイター通信によれば、エストニア人70万人、ラトビア人50万人、リトアニア人100万人が参加したと報じている。


(riga10.jpg)

ラトビアの首都・リガの旧市街

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

いやァ~~。。。驚きましたよう。僕はマジで知らなかった。

あたくしも知りませんでしたわ。

僕は、これを読んでソ連の崩壊がバルト三国から始まったと言うのも分かるような気がしましたよう。やっぱり、民衆の力ってすごいよう。日本人も見習うべきだよね。


『小百合さんとワーグナー』より
(2009年7月4日)

あらっ。。。偶然ねぇ。。。私も「人間の鎖」に参加したのよ。 当時、私は小学校の先生をしていたの。

マジで。。。? じゃあ、ラトビア語も話せるんだ。

一生懸命勉強したわよ。

ロシア語に似ている?

ロシア文字じゃなくてアルファベットに近い文字を使っているから、ロシア語を覚えるのよりも簡単だと思うわ。

。。。で、ソ連が崩壊する前にバンクーバーへやって来たわけ?

そうよ。。。1986年から独立運動が表面化するようになって、また動乱でも起こるのじゃないかと思って、私は兄弟が残っているバンクーバーへやって来たと言う訳なのよ。 もう動乱なんてこりごりだったから。。。

。。。で、また小学校の先生をしたの?

いいえ。。。大学に行き直すのが面倒だったからエアカナダのフライトアテンダントになったのよ。

すごいねぇ~。。。シルヴィーの半生は波乱の連続だよね。 つまらない小説を読むよりもシルヴィーの話を聞いている方がよっぽど面白いよ。

あらっ。。。パソコンが使えるらしいわよ。。。司書の人たちが電源を入れ始めているわよ。

やっとかァ。。。でも、シルヴィーの話をもっと聞きたいなあああァ~。。。

また、あとでねぇ。。。

【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
想い返せば、あたくしの半生は京都だけに閉じ込められていたようなものでござ~♪~ますわ。
命の危険だけには晒された事がありませんけれど、
なんだか、あまりにも平凡な半生を歩んできたようで、
シルヴィーさんがうらやましいですわ。


(beat44.jpg)

“キャ~ 素敵ィ~♪~”


(bmania22.jpg)


(bmania03.jpg)

日本も含めて世界中にビートルズの熱狂的な嵐が吹き荒れたのは、あたくしが生まれる以前のことでしたわ。
あたくしの生まれるのも遅すぎてしまって
上の女の子たちのように我を忘れてビートルズに熱狂することができなかったのですわよ。
本当に悲しい半生でござ~♪~ましたわ。

でも、何度も何度もビートルズの夢を見るのですわ。
軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うのでござ~♪~ますう。


(karuman52.jpg)

滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、

このカフェテラスに下りてきたのですよ。

わたしたちに「おはようございます」と

日本語であいさつしたものですわ。

いつも庭に面した一番奥の席にすわって、

他のお客様には背を向けるような格好で

腰掛けていました。

ジョン・レノンのお気に入りは

ローヤルミルクティーでしたわ。


(karuman62.jpg)

『幸福の谷』より
(2008年4月6日)

あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ~♪~ますわ。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。おほほほほほ。。。

われわれの記憶が、

真実と作りものによって

構成されていることに似ている。

記憶というのは時間とともに

どんどん変化していく。

横尾忠則さんがこのようにおっしゃったのですわ。
とにかく次回も面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。


(hand.gif)


(surfing9.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

ラトビアからやって来たイングナさんの愛犬は

とっても大きなニューファンドランド犬でした。


(newfy20.gif)

わたしの愛犬のチワワは

デンマンちゃんという名前です。

もちろんカナダのバンクーバーですから、

“デンマンちゃん”とは呼びません。

デンマン、デンマン、。。。と

呼びすてにするんです。

でも、カナダ人が名前を呼び合うように、

それで充分愛着がこめられていますよ。

そうすると、デンマンさんが

返事をすることがあるんですよね。

全く笑ってしまいます。

「ジューンさん、まぎらわしいから、

チワワの名前を変えたら?」

「デンマンさんこそ、ハンドル名を変えてくださいよ」

「そういうわけにもゆかないよ」

「バークレーを使えばいいじゃないですか?

ロブソンでもいいですよ。

わたしが知っているだけでも、

デンマンさんは4つハンドル名を

持っているのですから、

デンマンを使う必要はないでしょう?」

「たとえ、使わなくしても僕は長いこと

デンマンを使っているから、

ジューンさんに呼ばれれば、

つい返事をしてしまうよ」

というようなわけで、いまだにデンマンさんが

返事をすることがあります。

「もし生まれ変われることができるなら、

今度はジューンさんに可愛がられる

チワワのデンマンに生まれてきたいよ」

今でも、よくふざけてデンマンさんはそう言うんですよ。

でもね、そうなったら、チワワじゃなくて

猫を飼うかもしれません。(笑い)


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ところで、小百合さんが面白い記事をまとめて

小百合物語を作りました。

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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