Archive for the ‘オランダの歴史・文化・生活’ Category

また塩野七生批判

2017年6月9日

 

また塩野七生批判

 


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 また、塩野七生批判!?

  マジで。。。?

 


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ケイトー。。。、塩野七生(ななみ)さんが批判されてるのォ~?


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そうらしい。。。

どうして、そうらしいということが判るのォ~?

ちょっと次のリストを見てくださいよ。。。


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『拡大する』

『なぜ塩野七生批判』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で6月2日の午後1時52分から午後6時8分までの約4時間の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。

あらっ。。。 6月2日の午後2時41分にYAHOO!で検索してケイトーのブログの『なぜ塩野七生批判』を読みにやって来たのねぇ~。。。

そういうことです。。。 塩野七生さんが批判されているので、“なぜ塩野七生が批判されてるの?”と、不思議に思いながら僕の記事を読みにやって来たわけですよ。。。 このリストでは、東京都文京区にある株式会社イートンで働いている伊藤 奈美代(いとう なみよ)さんがやって来たことが記録されているのです。。。 次のように検索して『なぜ塩野七生批判』を読んだのですよ。


(yah70604a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「塩野七生批判」と入れて検索したのねぇ~。。。 でも。。。、でも。。。、株式会社イートンで働いている伊藤 奈美代(いとう なみよ)さんが読んだと、どのようにして突き止めたわけぇ~。。。?

次のようにIPアドレスを調べたのですよ。。。


(ip177166b.png)

『拡大する』

あらっ。。。 マジで「株式会社イートン」が出てくるのねぇ~。。。 でも。。。、でも。。。、プライバシーを保護するためにアクセス者の名前まではゲットできないようになっているのよ。。。 ケイトーは不正アクセスして個人情報をゲットしたのォ~?

僕は、そのような犯罪まがいのことはしません。。。 当然のことながら、伊藤 奈美代(いとう なみよ)さんというのは仮名ですよ。。。

つまり、ケイトーの記事を読んで塩野七生さんを批判した内容に共感してメールでも寄越したと言いたいのォ~?

その通りですよ。。。 シルヴィーには、どうして僕が言いたいことが判るわけぇ~?

当て付けで、そう言ったまでのことよ。。。 でも、伊藤 奈美代(いとう なみよ)さんが読んだというだけで、塩野七生さんが批判されていると判断するには、イマイチ説得力がないわよねぇ~。。。

シルヴィーがそう言うだろうと思って次のリストも用意しましたよ。。。


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『なぜ塩野七生批判』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で6月3日の午後4時46分から6月4日の午前2時59分までの約10時間の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。

あらっ。。。 6月3日の午後5時48分にマイクロソフトのBINGで検索して ケイトーのブログの『なぜ塩野七生批判』を読みにやって来たのねぇ~。。。

そういうことです。。。 

新宿区に住んでいる石野 菜穂子(いしの なおこ)さんが次のようにBINGで検索して『なぜ塩野七生批判』を読んだのです。


(bin70604a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「塩野七生 批判」と入れて検索したのねぇ~。。。 で、IPアドレスを調べて石野 菜穂子(いしの なおこ)さんが新宿に住んでいると突き止めたと言いたいのォ~?

そうです。。。 IPアドレスを調べると次のようになるのですよ。。。


(ip98200b.png)

『拡大する』

アクセスポイントが渋谷区であることは確定できるけれど、アクセス者が石野 菜穂子(いしの なおこ)さんであることは、プライバシーを保護するために、公開されてないのだわァ~。。。、それをゲットしたということはケイトーが不正に個人情報をアクセスしたことになるのよ。。。 それって、犯罪だわよう。。。

シルヴィーは、意外に厳しいツッコミを入れるんだねぇ~。。。 あのねぇ~、石野 菜穂子(いしの なおこ)さんも、僕が記事に中で 塩野七生さんを批判した内容に共感してメールを寄越したのですよう。。。

それってぇ、ちょっとばかり出来過ぎているのよねぇ~!? この記事を読んでいるネット市民の皆様も、ケイトーの言うことを素直には受け取っていないと思うわァ~。。。

シルヴィーは、かなり猜疑心が強いのだねぇ~。。。 疑えば限(きり)がないし、この記事が長くなるだけだから、ここは僕の言う事を素直に聞き流してください。。。、先へ行きたいと思うのですよ。。。 どうですか?

ケイトーが、そう言うのであれば仕方がないわァ~。。。 素直に、聞き流すとして、いったい今日は塩野七生さんの何を批判しようというのォ~。。。?

あのねぇ~、たまたまバンクーバー図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

欧米を敵にまわしてはいけない


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「一方、インドネシアや中国など日本軍の占領下にあった地域では、兵士が現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す供述が、連合国の戦犯裁判などの資料に記されている。 インドネシアでは現地のオランダ人も慰安婦にされた」

私の頭の危険信号が点滅し始めたのは、欧米がこの慰安婦問題を突いてくるとすればこの箇所だ、と思ったからである。
「インドネシアでは現地のオランダ人も慰安婦にされた」と記された箇所である。
当時のインドネシアは長年にわたってオランダの植民地であったから、オランダ人を主として欧米の女や子供たちも住んでいたのである。

半世紀にもなるヨーロッパでの生活で、苦い現実でも直視することを私は学んだ。
欧米人の多くには、口に出して言える考えと、口に出しては言えないが胸の内では持っている思い、の二つがあることを学んだのである。

建前と本音、とするのでは少し違う。
原理原則である建前に対してわれわれは、少しばかり距離を置くのに慣れているのだが、欧米人とはしばしば、建前と本音の双方ともを心から信じる人種でもある。
だからこの二者のちがいは彼らにとって、口に出して言うか言わないか、にしかない。

それで、口に出して言える考えとは、彼らにとっては何か、だが、人道的に許せない、とか、異なる宗教を信じている人も認めるべき、とかである。

一方、口には出せないが胸の中では持っている想いとは、キリスト教徒、それも女子供が迫害されるのは許せない、であり、さらにこの人々が白人種であればなおさら許せない、である。

前者を知るには政府の公式発表や記者会見やマスコミの論調で充分だが、後者まで知りたければ、ネット上の意見なりフリーの作家やジャーナリストの記事まで追う必要がある。

 (中略)

われわれ日本人にとって、欧米を敵にまわすのは賢いやり方ではない。
オランダ人の女も慰安婦にされたなどという話が広まろうものなら、日本にとっては大変なことになる。
そうなる前に、早急に手を打つ必要がある。

「朝日新聞の“告白”を越えて」
(『文藝春秋』2014年10月号)
by 塩野七生 (作家・在イタリア)

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


212-214 ページ
『「従軍慰安婦」 朝日新聞 vs.文藝春秋』
編者: 文藝春秋
2014(平成26)年10月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

この上の小文を読んでケイトーは、更に塩野七生さんを批判したくなったわけぇ~?

そうです。。。 いけませんか?

言論の自由・表現の自由があるから、誰を批判してもかまわないけれど、言った事に対しては責任を持って言ってよねぇ~。。。 そうじゃないと誹謗・中傷で訴えられるかもよ。。。

分かってますよ。。。 分かってますよう。。。

それで、上の文章のどこが気に喰わないわけぇ~。。。?

欧米を敵にまわしてはいけないと言ってるんだよ。。。 僕にも、その理由は解るのだけれど、彼女は更に、オランダ人の女も慰安婦にされたなどという話が広まろうものなら、日本にとっては大変なことになる、と書いている! だったら、白人じゃない中国人の女性や、韓国人の女性や、日本人の女性が慰安婦にされたら大変なことにならないのォ~? という人種差別に絡んだ素直な疑問が僕のオツムを刺激したのですよ。。。

なるほどォ~。。。 そう考えるのも、もっともだわねぇ~。。。 

でしょう? インドネシアで生まれたシルヴィーは中国人とオランダ人の血も混じっているのだけれど、上の小文を読んで、何か感じるものがなかったのォ~?

でも、戦前に、もしもよ オランダ人の女性を現地人の普通のインドネシア人がレイプしたら、相手が現地人の女性の場合と比べたら、大変なことになったと思うわァ。。。

つまり、植民地だったから、本国の白人の女性をレイプしたら、大変なニュースになったということォ~?

そうよ。。。 例えば、北朝鮮も韓国も戦前は日本の植民地だったでしょう? 当時、現地の韓国人が日本人の女性をレイプしたら、やっぱり大変なことになっていたと思うわァ。。。

なるほどォ~。。。 シルヴィーが言った事は、当時とすれば、当然の成り行きだったかもしれない。。。 大変なことになっていたかもしれないよねぇ~。。。 でもさァ~、当時の考え方を現代に当てはめて考えるというのは時代錯誤だと思うんだよ。。。 早い話が、南北戦争前にはアメリカでは黒人が奴隷だったわけだよ。。。 その時の考え方を、現在でも通用させて 黒人の女性は“奴隷の子孫”だからと言って、レイプしたら、それこそ大変なことになる!

確かに、そうねぇ~。。。

つまり、僕が言おうとしていることは、塩野七生さんがオランダ人の女も慰安婦にされたなどという話が広まろうものなら、日本にとっては大変なことになる、と2014年の時点で言うのは、時代錯誤じゃないのォ~!と言う事ですよ。。。 それに、塩野七生さんが次のように言うのは、ちょっと可笑しいと思う。


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欧米人の多くには、口に出して言える考えと、

口に出しては言えないが

胸の内では持っている思い、

の二つがあることを学んだのである。

ケイトーは、上のどこが可笑しいと言うのォ~?

これは何も欧米人に限ったことじゃないですよ! 次のように言うのが真実です。。。


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どの国に住んでいるかに関わらず

人間には、口に出して言える考えと、

口に出しては言えないが

胸の内では持っている思い、

の二つがある。

“半世紀にもなるヨーロッパでの生活で、苦い現実でも直視することを私は学んだ”と塩野七生さんは言っているけれど、実質的にはイタリアだけで その半分の25年ぐらいの生活をしてきただけなのですよ。。。 通算すると日本に滞在した時間も長い!

塩野七生


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塩野 七生(しおの ななみ)は、日本の歴史作家、小説家である。
名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。

東京市滝野川区(現・東京都北区)生まれ。
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。

1963年からイタリアで学び、1968年に帰国すると執筆を開始。
『中央公論』掲載の「ルネサンスの女たち」でデビュー。
担当編集者は塙嘉彦であった。

1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。
同年から再びイタリアへ移り住む。
フィレンツェやローマに在住し、ローマ名誉市民を経てイタリア永住権を得ており、ローマに在住。

イタリア中心に、古代から近世に至る歴史小説を多数執筆。
またエッセイや時事批評、1970年代にはエンリコ・ベルリンゲルが進めたユーロコミュニズムで支持者を増やしていたイタリア共産党を批評する文章を書いているほか、後藤田正晴との対談なども行っている。

 

評価

一連の著作を通して、日本において古代ローマ史やイタリア史、イタリア文化に対する関心を高めたことは高く評価されており、2000年にはイタリア政府よりイタリア共和国功労勲章グランデ・ウッフィチャーレ章を受けた。

一方で、塩野の意思とは関係なく、著作が小説ではなく歴史書として受容される傾向が強いことはしばしば問題視されている。
坂口明は、『ローマ人の物語』が書店や図書館などにおいて「歴史書」として配置されていること、また学生や市民講座の受講者によって「歴史書」として読まれていることを指摘した。

坂口は『ローマ人の物語』について、根拠のない断定や重大な誤りがあることを指摘し、批判的な検証が必要であるとした。

小田中直樹は、南川高志の著作と『ローマ人の物語』の比較を通して、塩野の著作を「歴史書」として扱うことに問題があることを示した。
小田中は、「『ローマ人の物語』は、史料批判や先行研究の整理が不十分であり、歴史学の方法論に基づいていない」と指摘する。
そのため、小田中は「叙述の根拠が著者の感想にとどまっているため、歴史書ではなく歴史小説として読むべきだ」と述べている。

また、叙述に考古学的成果がほとんど用いられていない点を問題視する者もある。
なお、塩野は自らの著作を「歴史書である」と自称したことはない。

 

家族

父親は詩人・小学校教師の塩野筍三(1905年 – 1984年)で、神田神保町の古本屋から軒並み借金をするほどの読書好きであった。
フィレンツェ大学医学部に勤務していたイタリア人医師と結婚(後に離婚)
息子アントニオ・シモーネとは共著がある。


出典: 「塩野七生」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

塩野七生さんは「歴史は所詮は人間だ」と、当然のことを言ってるけれど、欧米人の多くには、口に出して言える考えと、口に出しては言えないが胸の内では持っている思い、の二つがあることを学んだのであると間違った観察をしている! 34カ国を放浪してカナダで人生の半分以上を過ごしている僕からすれば、マジで、どの国に住んでいるかに関わらず 人間には、口に出して言える考えと、口に出しては言えないが胸の内では持っている思い、の二つがあることを僕はこれまでの海外生活経験からはっきりと言うことができますよ。。。

ケイトーは、けっこう厳しいことを言うのねぇ~。。。

シルヴィーほどではありませんよ! それにねぇ~、塩野七生さんはオランダ人の女も慰安婦にされたなどという話が広まろうものなら、日本にとっては大変なことになる、と書いているけれど、すでに欧米人でも知っている人は知っているのですよ!

スマラン慰安所事件


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スマラン慰安所事件とは、日本軍占領中のオランダ領東インドで日本軍の軍令を無視した一部の日本軍人がオランダ人女性を監禁・強姦した事件のこと。
別名、白馬事件。オヘルネ事件とも。

1944年2月、南方軍管轄の第16軍幹部候補生隊が、オランダ人女性35人を民間人抑留所からスマランにあった慰安所に強制連行し強制売春させ強姦した容疑で、戦後、国際軍事裁判において当該軍人・軍属(請負業者)たちに有罪が宣告されている。

オランダ領東インドの軍事裁判の報告を調査した吉見義明によれば、以下のことが判明している。

■当時スマランには既に慰安所があったが、性病の蔓延から新たな慰安所の設置が計画された。慰安所設置を要請された幹部候補生隊長は、慰安所には自由意思の者だけ雇うようにというジャカルタの第16軍司令部のガイドラインを無視した。 ガイドラインは未発見であるが証言やスマトラの第25軍の類似の通達からそのように考えられている。

■複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所から17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を強制的に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行した。

■3月1日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。給料は払われず、暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。週に1度医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われなかった。

■しかし自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖した。 小田島大佐の視察は、事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司令部に移管したためのもの。 吉見は、軍は責任者を「少なくとも厳罰に処してはいない」としている。

■終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされた。罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦である。有罪者は、軍人および慰安所を経営していた日本人業者等であり、責任者である岡田慶治陸軍少佐には死刑が宣告された。 また、中心的役割をはたしたと目される大久保朝雄(仙台出身)陸軍大佐は戦後、日本に帰っていたが軍法会議の終了前に自殺した。 裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと認定された。

一方、オランダ人女性の強力な抵抗により若い女性が連行されることを防いだ抑留所(スモウォノ・バンコン・ランペルサリ)もあった。
年上の女性たちが志願することで、若い女性が助かった事例もあった。
これらの身代わりとなった女性は「志願者」と呼ばれた。
この件では戦犯裁判で無罪。

1994年のオランダ政府の報告書では、オランダ領東インド各地の慰安所で働いていた200〜300人のオランダ人女性のうち少なくとも65人は絶対確実に強制売春の犠牲者だったとされている。

1990年に対日道義的債務基金(JES)が結成され、日本政府に対し、その法的道義的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償を支払うよう求める運動が始まった。
これに対し日本政府は、アジア女性基金により総額2億5500万円の医療福祉支援を個人に対して実施し、2001年オランダ人女性に対する「償い事業」が終了した。

しかし2007年、オランダ議会下院で、日本政府に対し「慰安婦」問題で元慰安婦への謝罪と補償などを求める慰安婦問題謝罪要求決議がなされた。
2008年に訪日したマキシム・フェルハーヘン外相は「法的には解決済みだが、被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。
オランダ議会・政府は日本当局に追加的な意思表示を求める」と述べ、日本側の償い事業の継続を求めた。

また同2007年、アメリカ議会での慰安婦聴聞会にこの事件の被害者・証人としてたったジャン・ラフ・オハーン(ジャンヌ・オヘルネとも表記)は、当時19歳だった42年、日本軍占領後、収容所に入れられ、「日本式の花の名前が入った名前を付けられ、髪が薄い日本軍将校が待つ部屋に連れて行かれた。彼は刀を抜いて‘殺す’と脅した後、服を破り、最も残忍に私を強姦した。その夜は何度強姦されたか分からない」「一緒に連行されたオランダ人少女らと3年半、毎日こうした蛮行にあい、飢えて苦しみ、獣のような生活をした」と証言し、「日本は95年にアジア慰安婦財団を作って私的な補償をしたというが、これは慰安婦に対する侮辱」とも主張。

日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならない」と求めた。
「日本人は私たちが死ぬのを待っているが、私は死なない」とし、日本が正式に謝罪するまで闘争を続けるとした。


出典: 「スマラン慰安所事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オランダ人女性35人を民間人抑留所からスマランにあった慰安所に強制連行し強制売春させ強姦した事件については、戦後、国際軍事裁判において当該軍人・軍属(請負業者)たちに有罪が宣告されて事件はほとんど解決したのですよ。。。

でも、日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならないはずよ。。。

それは、そうでしょうねぇ~。。。

つまり、戦後の、この裁判を通じて欧米人でも知っている人は知っていた、とケイトーは言いたいわけねぇ~。。。

そうですよ。。。 塩野七生さんの認識不足、勉強不足ですよ!

ケイトーは、やっぱり言うことが厳しいわよゥ。。。

いや。。。 シルヴィーほどではありません。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは デンマンさんのお話を信じますか?

昔の人は“信じる者は救われる!”と言いましたが

あなたもその気になりますかァ~?

話は変わりますけれど、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


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『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』


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『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』


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『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』


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『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

『イングナさんを探して』

『美しい日本語 チェーホフ』

『横の道@ニコライ堂』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事


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■ めれんげさんの『極私的詩集』

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■ “JAGEL – Soft Japanese Bagel”


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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

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イングナさんを探して

2017年4月24日

 

イングナさんを探して

 


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ケイトーはイングナさんを探しているのォ~?


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イングナさんに会えるのであれば会いたいです。。。

だから、探しているのでしょう?

いや。。。 実は、僕が探していたわけではないのですよ。。。

じゃあ、誰が探しているのォ~?

アムステルダムに住んでいる編巣 照子(あむす てるこ)さんが探しているのですよ。。。


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あらっ。。。 とってもきれいで可愛い人なのねぇ~。。。 ケイトーがアムステルダムでナンパした女性なのォ~?

どうして僕がアムステルダムで編巣 照子(あむす てるこ)さんをナンパしなければならないのですか?

私がその理由を訊いているのよ。。。

だいたいアムステルダムまで行って編巣 照子(あむす てるこ)さんをナンパする必要がないでしょう!

考えてみれば そうよねぇ~。。。 あそこには世界的に有名な“飾り窓の女たち”がたくさんいるものねぇ~。。。


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あのねぇ~、今日はアムステルダムの“飾り窓の女”の話ではないのですよ。。。

だってぇ~、ケイトーがわざわざアムステヅダムに住んでいる編巣 照子(あむす てるこ)さんを持ち出してくるから、“ナンパ”か“飾り窓の女”に行き着いてしまうのよ。。。 そもそもイングナさんというのは“飾り窓”と関係があるのォ~?

もちろんイングナさんは“飾り窓の女”ではありません。。。

だから、どういう人なのよォ~?

シルヴィーは忘れてしまったようだねぇ~。。。

忘れてしまったってぇケイトーは言うけれど、私にイングナという知り合いはいないわよう。。。

あのねぇ~、かつてイングナさんのことを記事で取り上げてシルヴィーと語り合ったことがあるのですよ。。。

マジで。。。?

とにかく、次のリストを見て欲しい。。。


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『拡大する』

『実際のタグのページ』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の 日本時間で4月16日の午前7時38分から午後4時52分までの約9時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。。。

あらっ。。。 GOOGLEで検索して“人間の鎖”のタグが付いて記事を読んだのねぇ~。。。 でも、このGOOGLEはどこの国のものなのォ~?

赤いアンダーラインが引いてある「リファラ」をクリックすると次のページが出てきます。


(gog70417a.png)


『拡大する』

『実際のページ』

あらっ。。。 オランダのGOOGLEじゃないのォ~。。。

“飾り窓”が話題に飛び出したのだから、オランダ以外に考えられないでしょう!

。。。で、どのようなキーワードを入れて検索したのォ~?

編巣 照子(あむす てるこ)さんは次のようにして検索して“人間の鎖”のタグのページを見つけたのですよ。。。


(gog70417b.png)


『拡大する』

『実際のページ』

あらっ。。。 「人間の鎖 イングナ」と入れて検索したのねぇ~。。。

そうです。。。 すると、トップから8番目に“人間の鎖”のタグのページが表示されるのです。

ところで、編巣 照子(あむす てるこ)さんがアムステルダムに生んでいると、どのようにして情報をつかんだのォ~?

IPアドレスを調べたのですよ。。。


(ip14885b.png)

『拡大する』

確かに IPアドレスを調べれば、アムステルダムからアクセスしていることは判るわァ~。。。 でも、アクセスした人物が編巣 照子(あむす てるこ)さんだということはプライバシーを守るために確定できないことになってるのよゥ。。。

だから、僕も個人情報を保護するために仮名にしたのですよ。。。

でも、写真まで貼り付けたということは、どういうことなのよォ~。。。

写真があった方がシルヴィーだって、僕と語り合うのに気分が乗ってくるでしょう!?

別に、写真があろうがなかろうが、そんなことは関係ないわァ~。。。

あのねぇ~、この記事を読み始めたネット市民の男性のイマジネーションとインスピレーションを妨害するようなことを言わないでねぇ~。。。

つまり、写真に写っている編巣 照子(あむす てるこ)さんの美しさと可愛さに惹かれて 男性読者が この記事を読み続けている、とケイトーは独断と偏見で思い込もうとしているのォ~。。。?

いけませんかァ~?

いけないわよう! この記事を読んでいる男性のすべてが アムステルダムへ行くとケイトーのように“飾り窓の女”に会いに行くというような考え方は、独断と偏見以外の何モノでもないわァ!

シルヴィーこそ、独断と偏見で“飾り窓の女”と僕を結び付けているじゃありませんかァ!

とにかく、ここでプライベートな話をこれ以上続けると、ここまで読んできたネット市民の皆様が他のブログへ飛んでいってしまうのよゥ。。。 だから、いい加減に本題に戻ったらどうなのォ~?

シルヴィーが“飾り窓の女”を持ち出してきたからこういうことになるのですよ。。。 んもおおおォ~。。。!

それよりも、アムステルダムに住んでいる編巣 照子(あむす てるこ)さんが なぜイングナさんを探しているのか?。。。 その理由を話しなさいなァ~。。。

分かりました。。。 あのねぇ~、検索結果の赤枠で囲んだ“人間の鎖”のタグのタイトルをクリックすると次のページが表示されるのですよ。。。


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『拡大する』

『実際のタグのページ』

つまり、このタグのページには2011年4月29日に投稿した『波乱の人生』という記事が出てくるのですよ。。。 そして上の画面にも書いてある通り、シルヴィーが登場する。。。 要するに、この記事はシルヴィーの波乱に富んだ人生についての記事なのですよ。

おくればせながら思い出したわよう。。。 でも、私はイングナさんとは会ったことがないのよ。。。

うん、うん、うん。。。 確かに、シルヴィーはイングナさんとは会ったことがない。。。 でもねぇ~、編巣 照子(あむす てるこ)さんはイングナさんと会ったことがある。。。

どこで。。。?

『波乱の人生』という記事の中の次の小文を まず読んで欲しい。。。

ラトビアからやって来た

イングナさん


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イングナさんは、安子さんが経営していた英語学校の生徒の一人だったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。僕は英語学校の仕事を手伝っていた関係から、イングナさんとも知り合いになったのですよう。

イングナさんがきれいだったのでデンマンさんは、ちょっかいを出したのでござ~♪~ますわね?

やだなあああァ~。。。人聞きの悪い事を言わないでくださいよう。イングナさんのお母さんがブティックを始めたのだけれど、税務が分からないからと言うので安子さんが僕を紹介したのですよう。

それで、イングナさんとは特に親しくしたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。ソ連崩壊のことには興味があったから、僕は当時の事をずいぶんとイングナさんに尋ねたものですよう。

それで。。。?

一つだけ不思議な事をイングナさんが言ったのですよう。

どのような事を。。。?

手をつなぎあってエストニアから、ラトビア、リトアニアのバルト三国を結んだと言うのですよう。


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手をつなぎあって三国を結ぶなんて冗談ならともかく、マジで考えるような事ではないのですよう。不可能ですよう。イングナさんは、まだ英語が充分に話せないので言い間違えたと僕は思ったのですよう。

それで。。。?

「手をつないでデモ行進したと言うのでしょう?」。。。僕は、そ~聞き返したのですよう。でも、手をつないでデモ行進したのではない!3つの国を手をつないで結んだんだと言い張るのですよう。

。。。んで、デンマンさんは納得したのですか?

もちろん、納得できませんよう。「あのねぇ~、3つの国を結ぶって、距離にしてどれくらいあるのォ~?」

イングナさんは、なんと答えたのでござ~♪~ますか?

約600キロメートルあるわ。。。と言うのですよう。。。600キロと言ったら、東京から大阪を越えて神戸を越えて明石の方までですよう。人間が手をつないで東京から明石まで並べるはずがないじゃないかア~!何を寝ぼけた事を言ってるのォ~!

そうしたら。。。?

イングナさんが学校のインターネット・コーナーのところまで僕を連れて行って英語版のウィキペディアを開いて見せたのですよう。

人間の鎖 (Baltic Way)


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人間の鎖は別名「バルトの道」といわれ、1989年8月23日当時ソビエト連邦支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の独立運動の一環として行われたデモンストレーション。

およそ200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600キロ以上の人間の鎖を形成した。
このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めたモロトフ・リッベントロップ(独ソ不可侵条約)秘密議定書締結50周年を期して行われ、三国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。

背景

旧ソ連ではゴルバチョフ政権のもとでペレストロイカ、グラスノスチが進められ、街頭デモが急増し、市民の支持も集めていた。

1986年、3国のそれぞれの首都で、一握りの人々が集まり抗議行動を行ったが、直ちに警察により解散させられた。
1987年には大規模集会が3国の首都で行われたが、当局者に非難され、逮捕者が出て終わった。

一年後、大規模抗議行動が初めて当局の認可を得て、平和裏に行われた。
この「人間の鎖」の一週間前にはソ連政府も秘密議定書の存在を認めたが、バルト3国が自主的にソビエト連邦に加盟したという点については譲らなかった。

集会の数日前、リトアニアの独立運動組織サユディスの委員会の170人のメンバーが、「ソビエト連邦の政治的、文化的、行政的支配を受けない」独立のリトアニア国家をめざすことを議決した。

抗議

「人間の鎖」は地元の共産党当局によって認可され、鎖が切れないよう、周到に計画された。
例えば、各都市や町には担当の場所が割り当てられ、他の交通手段を持たない参加者には無料バスを提供するよう指示された。
参加者は、現地時間午後7時から15分間手をつないだ。
この集会を調整するため、特別のラジオ放送も行われた。

人間の鎖にどれだけの人が参加したかは報道によって異なる。
翌日のロイター通信によれば、エストニア人70万人、ラトビア人50万人、リトアニア人100万人が参加したと報じている。


(riga10.jpg)

ラトビアの首都・リガの旧市街

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

いやァ~~。。。驚きましたよう。僕はマジで知らなかった。

あたくしも知りませんでしたわ。

僕は、これを読んでソ連の崩壊がバルト三国から始まったと言うのも分かるような気がしましたよう。やっぱり、民衆の力ってすごいよう。日本人も見習うべきだよね。


『波乱の半生』より
(2011年4月29日)

イングナさんが この“人間の鎖”に参加した時に、アムステルダムに住んでいる編巣 照子(あむす てるこ)さんは たまたまリガ市の日本人の友達の家に滞在していたのです。。。


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    編巣 照子さん


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  雅子さんと照子さん

それで、1989年8月23日に行われた“人間の鎖”に編巣 照子(あむす てるこ)さんも参加したわけなのォ~?

そうですよ。。。 照子さんの友人の川口雅子さんがイングナさんの親友だったのです。。。

ちょっと話ができすぎてるのじゃない?

シルヴィーは僕の言うことが信じられないのですか?

だってぇ~、そこまでケイトーがつじつまを合わせると、私としては疑わざるをえないのよう。。。

あのねぇ~、シルヴィーが僕を疑おうとする気持ちを僕は理解できます。。。 でもねぇ~、昔の人は“信じる者は救われる!”と言ったのですよ。。。 だから、僕の言うことを信じて シルヴィーも救われませんかァ~?


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは デンマンさんのお話を信じることができますか?

とにかく、“人間の鎖”というのは、実際にあったイベントです。。。

あなたのために、YouTube のクリップを貼り付けますね。。。

じっくりとご覧になってください。


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話は変わりますけれど、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』

『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
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■ “JAGEL – Soft Japanese Bagel”


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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


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カフカの銀河鉄道

2016年6月21日

 

カフカの銀河鉄道

 

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デンマンさん。。。 あんさんは、どないなわけで“カフカの銀河鉄道”を持ち出してきやはったん?


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あきまへんかァ~。。。?

かめへんけど、理由を訊いてますねん。。。 わたしはカフカのファンやけど、“カフカの銀河鉄道”なんてぇ、これまでに聞いた事があらへん。。。

そうやろなァ~。。。 わてかてぇ、聞いた事があらへんでぇ~。。。

それやのに、どないなわけで“カフカの銀河鉄道”というタイトルにしやはったん?

実は、ずいぶん前にバンクーバー市立図書館で借りていた本を読んで、マイクロソフトのノートパッドを使って、メモを残しておいたのやがなァ~。。。 そのメモ帳を久しぶりに眺めていたら、次の箇所に目が留まった。

銀河鉄道の夜


(ginga01.gif)

どこかで「銀河ステーション、銀河ステーション」という声がしたと思うと、目の前がさっと明るくなって、ジョバンニはなんべんも目をこすってしまいました。
気がつくと、彼は小さな列車に乗っていました。
夜の軽便鉄道の小さな黄色の電灯の並んだ車室に、窓から外を見ながら座っていたのです。

すぐ前の席にカムパネルラが座っています。
彼は丸い板のような地図を見ていました。
その中に、白く現れた天の川の左の岸に沿って一条の線路が南へ南へとたどっていくのでした。

小さなきれいな汽車は、ごとごとごとごとと、すすきの風にひるがえる中を、天の川の水や三角点の青白い微光の中を、どこまでも走っていきます。

 (中略)

車掌が検札に来ました。
ジョバンニのポケットには、いつのまにかどこへでも行ける緑色の切符が入っていました。

青年と女の子とその幼い弟が乗ってきました。
青年は自分たちが兄弟であり、乗っていた船が氷山にぶつかって沈んでしまったことを話しました。

次々と現れる車窓からの景色を見ながら、女の子と楽しく話をするカムパネルラを見て、ジョバンニは悲しくなってしまいます。
南十字の駅で三人連れが降りてしまい、ジョバンニが「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうね」と振り返ると、今までカムパネルラの座っていた席に、その姿は見えず、ただ黒いビロウドばかり光っていました。
ジョバンニは喉いっぱい泣き出しました。

 (中略)

彼は眠ってしまっていたのです。 (略) ジョバンニは、家に帰る途中、カムパネルラが川に落ちたことを知らされます。
川に落ちた級友を助けようと川に入って助けましたが、そのまま水の中に見えなくなったのです。

川の下流のほうには川幅いっぱい銀河が大きく映って、まるで水のないそのままの空のように見えました。
カムパネルラの父は、何も言えないジョバンニに、彼の父から元気な便りのあったことを教えてくれました。

ジョバンニはいろいろなことで胸がいっぱいになりながら、母親の待つ家に一目散に走りました。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


38-39ページ 『あらすじで読む日本の名著』 No.2
編者: 小川義男
2003年11月13日 初版第2刷発行
発行所: (株) 樂書館

『銀河鉄道の夜』という作品は、カフカが書いたものやのうてぇ~、宮沢賢治が書いたものですやん。

さすがに文学少女やった めれちゃんやなァ~。。。 ちゃんと上の作品を読んで 作者の名前がすらすらと出てくるやんかァ~。。。

“銀河鉄道の夜”というタイトルを見たら、文学に関心のある人やったら、誰かてぇ すぐに それが宮沢賢治が書いたものやとわかりますやん。。。

さよかァ~。。。?

それで、あんさんは どないなわけで“銀河鉄道の夜”を取り上げはったん?

あのなァ~、この作品はスケールの大きさや幻想の質、文体、根源的な特質において作者の代表作と言われておるねん。。。 作品は未完成箇所を残していたために、4度にわたって改編されたということやァ~。。。 上の作品に出てきよる“ジョバン二”は宮沢賢治で、“カムパネルラ”というのは、賢治の青春時代の親友ということやでぇ~。。。 上の作品には、親友との別れや妹のとし子との死別の影が描かれ、暗い孤独と悲しみの旋律が流れておるねん。。。 作者の幻想の世界と現実の世界、夢と目ざめ、死と生の境界を行ったり来たりしながら作品が書き進められておるねんでぇ~。。。

あんさんは、もしかして宮沢賢治の熱烈なファンやのォ~。。。?

いや。。。 熱烈なファンというほどではあらへん。。。 そやけど上の作品を読みながら、マジで共感するというかァ~。。。 衝撃的に甦(よみがえ)るものがあったのやがなァ~。。。、

衝撃的に甦ったモノってぇ、いったい何やのォ~。。。?

実は昨日、バンクーバー市立図書館で借りたDVDを観たのやァ。。。



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■『実際のリスト』

あらっ。。。 これまでに バンクーバー市立図書館で DVDを借りて 1337本の映画を観やはったん?

あきまへんかァ~?

かめへんけどォ~、ちょっと見すぎとちゃうん?。。。で、赤枠で囲みはった 1336番の映画を6月19日に観やはったん?

そうやァ~。。。 次のような映画やねん。。。


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■『実際のページ』

ヨーロッパ (映画)


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『ヨーロッパ』はラース・フォン・トリアー監督、ジャン=マルク・バール主演で製作された1991年のデンマーク映画。
トリアーによる『エレメント・オブ・クライム』、『エピデミック』に次ぐ「ヨーロッパ」三部作の最終作。

第24回シッチェス・カタロニア国際映画祭でグランプリ、第44回カンヌ国際映画祭で審査員賞、芸術貢献賞、およびフランス映画高等技術委員会賞を受賞した。
1945年のドイツを舞台に第二次世界大戦後のヨーロッパの不安を描く。

あらすじ

舞台は第二次世界大戦に敗戦した直後の1945年のドイツ。

ドイツ系アメリカ人のレオ・ケスラーは叔父に紹介されて鉄道会社ゼントローバに就職する。

ケスラーは中立的な立場からドイツの復興を手伝おうとしていたが、アメリカ軍情報部やゼントローバのオーナーであるハルトマン家は彼を利用しようとする。

ケスラーはカタリナ・ハルトマンと親しくなるが、やがて彼女が連合国に対する抵抗組織である「人狼」のメンバーであることを知ることになる。


(europa01.jpg)


出典: 「ヨーロッパ (映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この映画の予告編を上に貼り付けたけど、観れば解るように あの有名なスェーデンの俳優のマックス・フォン・シドーがナレーターとして 観客をアメリカ軍占領下の1945年のドイツへと催眠術をかけるようにして導くのやがなァ~。。。 

それが、どないやと、あんさんは言わはるのォ~。。。?

宮沢賢治が書いた『銀河鉄道の夜』も幻想の世界と現実の世界、夢と目ざめ、死と生の境界を行ったり来たりしながら作品が書き進められておるねんでぇ~。。。

つまり、それで あんさんは英語のコメントにも書いてあるけど、”In a nutshell, it is a thought-provoking Kafkaesque drama.(一口で言うなら、いろいろと考えさせられるカフカエスクなドラマです)”と書きはったのォ~?

そうやァ~、要するに、カフカの作品を思わせるような不条理で非現実的なカフカエスク(Kafkaesque、日本語では「カフカ風」「カフカ的」)な映画になっているのやがなァ~。。。

それで、何が あんさんにとって衝撃的に甦(よみがえ)りはったん?

あのなァ~、映画の中で主人公のレオ・ケスラーは列車の爆発とともに車両の中に閉じ込められてしまうねん。


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宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』では カムパネルラが川に落ちてしまう。 そして川に落ちた級友を助けようと川に入って助けましたが、そのまま水の中に見えなくなったのですというシーンが出てきよる。

つまり、そのシーンが あんさんにとっては衝撃的やったのォ~。。。?

そうやがなァ~。。。 かつて、わては次のような記事を書いたのやでぇ~。。。 めれちゃんも読んだやろう。。。

デンマンの死@玉淀



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つまり、上の本を読んでいたら“玉淀”が出てきて、それで急に衝撃的な“臨死体験”を思い出したのでござ~ますかァ~?

その通りですよ。 僕は“臨死体験”を少なくとも5回思い出として持っていた。。。 ところが“玉淀”での“臨死体験”をすっかり忘れていたのですよ。 実は、玉淀で死んで生き返ったのが、生まれて初めての“臨死体験”だったのです。

マジで。。。?

あのねぇ~、このような時に、わざわざデマカセで記事など書くわけないでしょう!

。。。で、いつ頃のお話でござ~ますか?

僕が行田中学の2年生の時でした。 夏休みに入っていて、清掃日かなんかで、その日は全校生徒が登校したのですよ。 久しぶりに顔を合わせたクラスメートと「どこか面白い所に泳ぎに行かないか!?」という話が持ち上がった。

デンマンさんが言い出したのですか?

いや、僕じゃなかったですよ。 仕立て屋の息子の岡田君あたりが言い出したのかもしれません。 彼は泳ぎが得意だった。 それから下忍地区から通っていた荻原君。 そして、溺れて僕が助ける羽目になるT君。 T君はクラスは違っていたけれど、行田中央小学校で一緒だった。 確か6名ぐらいで行くことになったのですよ。

つまり、行田市から寄居町の玉淀まで、わざわざ泳ぎに行ったのですか?

そうですよ。 海まではかなり遠いので、寄居町なら手ごろな距離だった。 秩父鉄道の電車で1時間ぐらいですよ。 日帰りで行ってこれる距離にあったのですよ。 

そのような行為が学校で許されていたのですか?

もちろん、川で泳ぐのは禁止されていた。 見つかれば問題になるはずだった。

デンマンさんが死にそこなったというのに問題にならなかったのですか?

ラッキーだったのですよう。 僕は6度も死にかけたのに、どの場合でも大きな問題にはならなかった。 本当に幸運だったといっていい。。。

それで、T君はどうして溺れたのですか?

彼は6名の内では川で泳ぐことに最も不慣れだったということが判明したのですよ。 それは、彼が溺れて初めて判ったことだけれど。。。

デンマンさんは友達すべてが泳ぎがうまいと知っていたのですか?

T君を除いて他の友達は、プールでの泳ぎなどを見ていたから、結構、泳ぎがうまいことを見ていた。 でも、T君の泳ぎは見たことがなかった。 だけど、T君は野球部に所属していたから、運動神経がいいだろうと思って、あとは彼の自慢話に載せられてしまった。

デンマンさんは泳ぎには自信があったのですか?

もちろんですよ。 僕は小学校対抗の水泳選手に選ばれたことがあったから、小学校6年生350人の内では泳ぎがうまかったわけですよ。 体育の先生が25メートルを泳がせてタイムを計ったのです。 僕は5番以内に入っていた。

。。。で、溺れたT君をデンマンさんが助けようとしたわけですか?

そうなのですよ。 

玉淀のどこで泳いだのですか?

次の地図の赤丸で囲んだ場所ですよ。


(tamamap.png)

。。。んで、T君は、どのようにして溺れたのですか?

玉淀の急流に巻き込まれて深みにハマッって 両手をバタバタやって沈んでゆくのが見えた。 上のビデオクリップを見ても解るけれど、けっこう流れが速く、危険な感じですよ。 速い流れと深みを経験してないと、ちょっとぐらい泳ぎがうまくてもビビッてしまうのですよ。

T君は、つまり、ビビッてしまったわけでござ~ますかァ~?

その通りです。 口ほどには泳ぎがうまくはなかったのですよ。 それまでは、問題なく泳いでいた。 ところが、急流に呑まれたように深みにハマッて驚いたのでしょうね。 たぶん。。。 それで、急に不安になって、ビビッて、手足が萎縮して心臓がパクパクして、もうどうにもならなくなって、両手をバタバタしていた。

それまでにデンマンさんは溺れた友達を助けたことがあったのですか?

もちろん、初めての経験ですよ。 でもねぇ~、僕は2年6組の級長だったのです。。。 やっぱり、責任を感じた。 バレれば、学校で大問題になりますからね。。。 もう、助けることができるとか、どうのこうのと言っている場合じゃない! とにかく、助けないことには大きな問題になる!

それで、見境もなく飛び込んだわけですか?

そうなのですよう。 ところが、僕は身長が162センチ。 体重が52キロぐらいだった。 T君は身長が172センチ。 体重が65キロもあった。 僕は救助訓練など受けたことがない。 とにかく、初めての経験で、とにかく助けなければ!という気持ちだけで飛び込んだ。

それまではどうしていたのですか?


(tamayo02c.jpg)

T君以外の友達は、僕も含めて ひと泳ぎして赤丸で囲んだ岩の上に座って休憩していたのですよ。 T君だけが一人で急流に泳ぎだしていった。

写真では、ほとんど流れがないように見えますけれど。。。

僕らが泳ぎに行った日は、増水していて、このような静かな感じではなかったのですよ。 ビデオクリップのようにかなりの流れがあった。


(tamayo02d.jpg)

それで、助けようとしたデンマンさんまでが溺れてしまったのでござ~ますか?

とにかく、助けたいという気持ちだけはあったけれど、僕は救助訓練など受けたことがない。 しかも、それまでに人を助けた経験もない。 さらに悪いことには T君は僕よりも身長が10センチも高く、体重は10キロ以上も重い。 僕が彼を助けようとして近づいたら、T君は必死で抱きついてくる。 もう、泳げるような状態じゃない。 とにかく、死に物狂いの馬鹿力は想像を絶するものでした。

。。。で、そのままデンマンさんは馬鹿力に圧倒されて諦めたのですかァ~?

もちろん僕だって必死に彼を助けようとしましたよ。 でもねぇ~、T君の馬鹿力には、もう どうすることもできない。 とにかく、彼は必死ですがり付いてくる。 僕の体重は52キロプラス65キロで、急激に増加して 117キロになってしまったようなものですよ。 泳げるわけがない。

それで、二人とも川底へ沈んで行ったわけですかァ~?

そうですよう。 他に、もうどうしようもないのだから。。。

つまり、デンマンさんも、死を覚悟して諦めてしまったのですねぇ~?

あのねぇ~、瞬間的に、「死ぬということは、こういうことなのかなァ~」という思いがオツムに浮かんできましたよ。 「でも、助けようとした僕が、どうして死ななければならないのォ~」という気持ちもすぐに追いかけるようにオツムに浮かんでくる。 でも、そう思う頃には、もう意識が薄らいでいる。

。。。で、デンマンさんは暗い川底に沈んでいったのですか?

そうなのですよ。 僕の意識は真っ暗闇の中に沈んでゆく。。。 どこからともなく“恨み節(うらみぶし)”が聞こえてくる。。。 「どうしてこうなるのォ~。。。どうして助けようとした僕が、こうなってしまうのォ~」 僕は薄れてゆく意識の中で、そんな風に思っている。


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上の映画は、あの有名な黒澤明監督の『羅生門』だけれど、妻を奪われ殺されてしまう貴族の男の証言を得るため、裁判の白洲で巫女が呼ばれる。 上の写真はそのシーンですよ。 ここで死んだ男は巫女の口を借りて“恨み節”をタラタラとしゃべるのだけれど、僕もちょうど気分的にはあんな感じですよ。 沈んでゆきながら、薄れてゆく意識の中で“恨み節”をつぶやいているのですよ。 「どうして。。。どうして。。。なぜ。。。こうなるのォ~。。。」

。。。で、そのまま意識が薄れてゆくと死んでしまったわけですよねぇ~。

その通りですよ。

T君は、デンマンさんに関わっていたら一緒に死んでしまうと思ったので、離れていったわけですよね。

そうですよう。。。 後で考えたら、まったく馬鹿馬鹿しい限りですよう。 要するに、T君は、僕にすがり付いていたらどうせ死んでしまうからというので、やっと自我に目覚めて 自分でどうにかしなければならないと思って、僕から離れていったのですよう。 全く、馬鹿馬鹿しいのですよう。

。。。で、デンマンさんはどうなさったのでござ~ますかァ~?

あのねぇ~、僕は神様を信じていないけれど、神様のような人が僕を見ていたのでしょうね。 T君を助けようとすれば 結果的に一緒に溺れてしまうのに、そんな事も考えずに反射的に自分よりも大きくて重たいT君を助けようとして、僕は無我夢中で速い流れに飛び込んで助けに行った。 その事を“神”さまは見ていたのですよう。

長い話はいいですから、一体何が起こったのですか?

あのねぇ~、僕は意識が薄れるままに川底に沈みながら流されていったのですよ。。。 そして、意識がなくなろうとするその瞬間ですよ。 ゴツッ! 一撃を腰に喰らったのですよ! イテッ~~! 痛いのなんのってぇ~。。。 これからグッスリと永遠の眠りにつこうとしている僕を神様が起こしたのですよう。 気づくと川底の岩に腰をぶつけた僕がいる。 意識が戻って、ハッとした時には水面に顔を出していた。 つまり、岩に腰をぶつけたときに浅瀬に乗り上げていたのですよう。

偶然ですわねぇ~。

そうですよう。。。 今から考えれば偶然なのですよう。 しかし、川底の深みが続いていたら僕もT君も、間違いなく死んでいたのですよう。 とにかく、助かったという思いは意識に戻ってきたけれど、しばらくは死んだも同然で、話すこともできず、歩くこともできず、真っ青な顔をしてしばらく横たわっていたそうですよ。

。。。で、わざわざ この記事を書く気になったのはどうしてでござ~ますか?

あのねぇ~、人が溺れて助けようとする時には、絶対に飛び込んで助けようとしては駄目だということですよう。

じゃあ、どうすればよいのでござ~ますか?

縄か紐か、木の枝でもいい。。。 とにかく、子供を助けるならばいざ知らず、水の中に入って大人が大人を助けるのは無理です。 溺れる者の馬鹿力は想像を絶するものですからね。。。 だから、縄か紐を投げて溺れたものを引き寄せるか、枝を差し延べて、つかまらせて引き寄せるか。。。 そうでもしないと、二人とも力が尽きて死んでしまうのですよう。 とにかく、僕が力尽きて、川底に沈んでゆく時に、T君が やっと僕から離れてゆく時には、後で考えたら、馬鹿馬鹿しいほど人間というのは自分勝手なものだと しみじみと思いましたよゥ。


『デンマンの死@玉淀』より
(2014年6月17日)

ああらっ。。。 デンマンさんもT君も助かったのですやん。。。

めれちゃん!。。。 わてが助かったことが なんかァ不満そうやなァ~。。。?

そないに 深く考えんでもええやんかァ~。。。 あんさんは きっと幸運な星の下に生まれやはったのやねぇ~。。。?

そうやと思うでぇ~。。。 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読み。。。 『ヨーロッパ』の映画を観て、わては“天の川”の中の幸運な星の下で生まれたと、しみじみと感じたのやがなァ~。。。 

それってぇ~、やっぱり Kafkaesque やねぇ~。。。

めれちゃんも、そないに思うかァ~。。。


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【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。

確かに、デンマンさんはラッキーだったようですわねぇ~。。。

『銀河鉄道の夜』のカムパネルラも、『ヨーロッパ』のレオ・ケスラーも助からなかったのですわァ。


(lib60619b.png)

■『実際のリスト』

ところで、あたしは上のリストの緑の枠で囲んだ 1329番の映画『王妃の紋章』を観ました。


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『王妃の紋章』(原題:満城尽帯黄金甲)は、2006年の中国映画。

張芸謀(チャン・イーモウ)監督。

周潤發(チョウ・ユンファ)、鞏俐(コン・リー)主演。

原作は曹禺の代表作『雷雨』。

第79回アカデミー賞の衣装デザイン賞にノミネートされたが、受賞はならなかった。

あらすじ

西暦928年、中国は五代十国の時代。

後唐王国は戦もなく、民は平和に過ごしていた。

しかし、国王と王妃の間は冷え切っており、黄金に輝く王宮の中には嵐が吹き荒れていた。

医官に命じて王妃に毒を盛る王。

血の繋がらない皇太子と密通する王妃。

王妃と関係しながら、医官の娘を愛する皇太子。

母を慕う実直な第2王子。

その幼さゆえにないがしろにされ、不満を募らせる第3王子。

王への過去の恨みから王妃の密偵となる医官の妻…。

様々な人間の愛憎が渦巻く中、王の王妃への殺意を知った第2王子は、城一面が菊の花に覆われ、豪奢な宴が催される重陽の節句の日に父への謀反を企てる。

そして、惨劇の幕が開いた…。


出典: 「王妃の紋章」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

すごくチョー豪華な映画で、アクションもハラハラ、ワクワクさせるものでしたァ。

中国の映画も、ここまでハリウッド映画に近づいたのかと

感心しながら観ましたわァ。

ところで、話は変わりますけれど、

かつて、めれんげさんの熱烈なファンがたくさんいたのでした。

でも、うっかり めれんげさんが会費を滞納したために、
サイトを削除されてしまったのですわ。

けれども、2013年の6月にライブドアで『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよね。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。
でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


(gog30928a.png)

でも、現在は、5位です。

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。


(seo001.png)

『おばさんの下着に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


(hand.gif)


(surfing9.gif)

メチャ面白い、

ためになる関連記事


(linger49.gif)


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

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『今をだきしめ想いかなえし』

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『めれちゃんがいいね』


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『愛はスミレの花のように』

『思い出の夕顔』

『スミレの花咲く頃』

『クリスマスのコメント』

『消え行く愛など無く』

『ひとりかも寝む』

『レモンと性と愛』

『少女と下着の秘密』

『いとしき言葉』

『無我の愛と自我の愛』

『めれちゃんde人間失格』

『愛@文明開化』

『愛と共感とストレス』

『愛欲と空海』

『きみはやさしく』

『愛の擬人法』

『めれちゃんと南方熊楠』

『めれちゃんの人気再び』

『愛はスミレの花よ』

『肥後ずいきで検索』

『加賀の千代』

『千代に再会』


(june24b.jpg)

こんにちはジューンです。

卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ


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オランダ移住

2015年5月27日

 

オランダ移住

 


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デンマンさん。。。 どうして“オランダ移住”を取り上げたのですか? 

あのねぇ~、バンクーバーはオランダと似ているところがありますよ。

どういうところが似ているのですか?

思い出してください。。。 5月3日の日曜に、真由美ちゃんと一緒に“コール・ハーバー (Coal Harbour)”の ”Lift Bar & Grill” でブランチを食べたでしょう。。。

ええ。。。 そうでしたねぇ~。。。 


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真由美ちゃんは、この Bar & Grill が気に入ったようでしたよねぇ~。。。

ええ。。。 素敵なところでしたわァ。。。 なんだか、マジで優雅な生活をしているような気になりましたわ。。。 でも、ここがオランダと似ているのですか?

似てますよ。。。 アムステルダムにも、こんな感じのカフェがあるのですよ。 次の写真を見てください。


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なるほどォ~。。。 アムステルダムにある運河沿いのカフェですねぇ~。。。

そうです。。。 感じが似てるでしょう!?

確かに、言われてみれば、似てますわねぇ~。。。 でも、偶然に似ているだけではありませんかァ~。。。

あのねぇ~。。。 他にも似ているところがあるのですよ。。。 ”Lift Bar & Grill” でブランチを食べてから 真由美ちゃんと一緒にスタンレーパークをそぞろ歩いて、The Teahouse に行ったでしょう!?

ええ。。。 そうでした。。。、そうでしたわァ~。。。


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この The Teahouse の感じが風車のそばで チューリップを見ながらティー飲むことができる 次の写真のカフェに似ているのですよ。


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The Teahouse と 上のカフェが似ていますか?

真由美ちゃんは似てないと思うのですか?

似ていると思えば似ているようでもあり、似てないと思うと似てないようにも見えますわァ~。。。 なんだか、デンマンさんが無理やり結び付けているように思えますわァ~。。。

じゃあ、他にも似ている場所を紹介しますよ。 次のカフェもアムステルダムにあるのです。


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このテラスのあるカフェが真由美ちゃんと一緒にブランチを楽しんだ バンクーバー美術館の裏のカフェと 実によく似ていますよ。


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つまり、たまたまアムステルダムのカフェが バンクーバーのカフェや Teahouse に似ているので、“オランダ移住”というタイトルにしたのですか?

もちろん、それだけじゃありません。。。 ちょっと次のリストを見てください。


(wp50523c.png)

これは僕の Denman Blog の5月23日の「人気検索キーワード」のリストですよ。。。 赤枠で囲んだキーワードに注目してください。

あらっ。。。 「オランダ移住 調理師免許」と入れて検索して Denman Blog にやってきた人が二人いたのですわねぇ~。

そうです。。。

上のキーワードを入れて検索すると Denman Blog のどの記事が表示されるのですか?

あのねぇ~、実際に「オランダ移住 調理師免許」と入れて GOOGLE で検索してみました。 その結果を見てください。


(gog50523p.png)

『現時点での検索結果』

42,700件ヒットするのだけれど、3ページ目に Denman Blog の記事が出てくるのですよ。

でも、記事のタイトルは『真由美ちゃんのカナダ移住』ではありませんか!


(wp40710e.png)

『実際の記事』

どうして「オランダ移住 調理師免許」と入れて検索したのに、“カナダ移住”の上の記事がヒットするのですか?

だから、さっきも説明したように、オランダのアムステルダムとカナダのバンクーバーは似ているところがあるのですよ。

つまり、オランダにもカナダにも 似ているカフェや Teahouse があるので、検索エンジンが“オランダ移住”と“カナダ移住”を混同してしまったと、デンマンさんは言うのですか?

たぶん。。。

マジで。。。?

いや。。。 冗談です。。。 そういうことはありませんよ。 (微笑)

じゃあ、どうして検索エンジンが『真由美ちゃんのカナダ移住』を表示したのですか?

だから、記事の中に「オランダ移住 調理師免許」が含まれているからですよ。

でも、デンマンさんは“オランダ移住”について記事を書いたことがあるのですか?

ありません。

それなのに、どうして「オランダ移住 調理師免許」で検索すると、『真由美ちゃんのカナダ移住』がヒットしてしまうのですか?

ちょっと次のページを見てください。


(wp40710f.png)

『拡大する』

ブラウザの find 機能を使って「オランダ」が『真由美ちゃんのカナダ移住』の記事の中に含まれているかどうかを調べてみたのですよ。

「オランダ」は含まれていない、という結果が出てますねぇ~。。。

その通りです。 僕は『真由美ちゃんのカナダ移住』の記事の中では「オランダ」については何も書いてないので、当然のことだけれど、「オランダ」は記事の中には出てこないのですよ。

それなのに、GOOGLEで「オランダ移住 調理師免許」と入れて検索すると、どうして『真由美ちゃんのカナダ移住』がヒットするのですか?

ちょっと次のページを見てください。


(wp40710g.png)

『拡大する』

find の小窓に「オラ」を入れて検索すると 1個見つかるのですよ。 「ンダ」を入れて検索すると、次のように3個見つかる。


(wp40710h.png)

『拡大する』

つまり、検索エンジンは「オランダ」が見つからないと、「オラ」と「ンダ」に分けて別々に探してみるのですか?

そうです。。。 それで、「オラ」と「ンダ」が、それぞれ一つでも見つかれば、「オランダ」が見つかったことにして、記事のタイトルを検索結果に表示してしまうのですよ。

それを防ぐには、どうすればよいのですか?

半角のダブルクオート(“)で、次のように囲んで ”オランダ移住” をGOOGLE の検索窓に入れればいいのです。

「オランダ移住」も、結構 人気があるのですか?

それを調べるために ”オランダ移住” と入れて検索してみました。 その結果を見てください。


(gog50526a.png)

『現時点での検索結果』

4,380件ヒットするのですねぇ~。。。

次に ”カナダ移住” と入れて検索してみましたよ。


(gog50526b.png)

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 36,400件もヒットするのですわねぇ~。。。 ”オランダ移住”の8倍から9倍ですわァ~。。。

これだけの比較でカナダ移住の方が オランダ移住よりも人気があると断定することはできないけれど、少なくともネットでは、圧倒的にカナダ移住の記事やニュースが出回っているのですよ。

カナダ移住の方がより話題性があるということですかァ~?

そういうことでしょうねぇ~。。。


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【真由美の独り言】


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私は小さい頃の夢が叶ってバンクーバーにやって来ました。


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現在、移住を目指して頑張っているところです。

幸運にも、ボランティアでカーネギーセンターのキッチンで働くことができました。

でも、これは無報酬のお仕事です。


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お給料をもらいながらパン職人、ベーグル職人、
あるいは調理師として働くためには、
どうしても語学ができないと駄目です。

私も一応、そのために日本で英会話を勉強しましたが、
実際にバンクーバーにやって来てみると、
私の英会話の能力では、
面接の受け答えには不十分だということが実感できました。

もし、あなたが、オランダ移住や、カナダ移住を目指しているならば、
ぜひ、語学力をしっかりと身につけてから、渡航してくださいねぇ。

どの程度の語学力が必要なの?
あなたは、そのような疑問を持つかも知れません。

それは、カナダ大使館、あるいはオランダ大使館のウェブサイトを見れば解るはずです。

私は、残念ながら 渡航する前に、語学力のことを充分に調べませんでした。
現地の人とコミュニケーションが充分にとれないと、
大きなハンディーを 最初から背負うことになります。

とにかく、語学力が大切だという事を身にしみて理解することができました。

ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?
とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー


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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんも バンクーバーにやって来たことがあります。
2008年の元旦の2週間ほど前に来たということです。
クリスマスをバンクバーで過ごして、
それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのですってぇ~。。。


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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?
ところが気温は2度ぐらいだったそうです。 
水の中の方が暖かかったとか。。。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。
あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

デンマンさんが、また興味深い、面白い記事を書くと思います。
だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
では。。。


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If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:



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“My Name is Mayumi”

“Mayumi’s Bagels”

“Mozzarell & smoked chicken

Bagel Sandwich”

“Bagels@Granville Island”

“Matcha Bagels”

“Scones & Puddings”

“Lox and Bagels”

“Oyster Bagel Sandwich”


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“ついに会えました”

“お天道様が見てます”

『真由美ちゃんのカナダ移住』

『真由美ちゃんのカナダ就活』

『ロマンと夢が広がる』

『カナダ就活と英語』

『カナダへの履歴書』

『真由美ちゃんの夢とベーグル』

『真由美ちゃんの命の力』

『迷い、決断、そして行動』

『夢と希望の光』

『下着女装に負けない真由美ちゃん』

『真由美ちゃんの就活面接』

『真由美ちゃんのリクエスト』

『真由美ちゃん@とんでん』

『バンクーバーで面接』

『海外で面接』

『真由美ちゃん、読まれてるよ』

『真由美ちゃん@面接英会話』

『真由美ちゃん@教会』

『真由美ちゃん@バンクーバー渡航』

『真由美ちゃん@バンクーバー』

『心温まるスープ』

『大切な第一印象』


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『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』

『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』


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菊ちゃん、知恵伊豆、忠秋

2015年1月19日

 

菊ちゃん、知恵伊豆、忠秋

 


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松平信綱


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デンマンさん。。。 今日も菊ちゃんと歴史上の人物の話ですか?


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小百合さんは つまらなそうですねぇ~?

いいえ。。。 別につまらないというわけではありませんわ。。。 ただ、この記事を読んでいるネット市民の皆様がつまらないと思います。

あのねぇ~、つまらないと思ったら、ここまで読んできませんよ。。。 上の写真を見て、なんとなく興味を持った人が小百合さんと僕の話を聞こうとしているのですよ。。。それに、これまでに菊ちゃんの話を読んだ人は、更に面白いエピソードが読めるのではないか? そう思って、ワクワクしながら読み始めたのですよ。


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『毘沙門堂と菊ちゃん』

『菊ちゃんと阿部忠秋』

。。。で、今日は“知恵伊豆”と呼ばれた松平信綱が登場するのですわね。

あれっ。。。 小百合さんは松平信綱が“知恵伊豆”と呼ばれているのを知っているのですね。

その程度のことは歴史を勉強したら誰でも知っていますわよ。

そんな事はありませんよ。 この記事のタイトルを見て、つまらないと思って他のサイトへ飛んでしまった人は、知らないはずです。

つまり、ここまで この記事を読んできた人は松平信綱が“知恵伊豆”と呼ばれているのを知っているのですわね。

もちろんですよ。。。 じゃなかったら、とっくに他のサイトへ飛んでます。 (微笑)

菊ちゃんのことをこれまでに記事で読んだ人は“忠秋”が阿部忠秋だということを知っていると思うのですけれど、松平信綱がどうして菊ちゃんと関係あるのか? 不思議に思っているはずですわァ~。。。

あのねぇ~、実は、阿部忠秋は 松平信綱が忍藩から川越藩に移った後で第4代の忍藩主になった人なのですよ。


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忍城は代々国人領主の成田氏の居城であった。
上杉氏と後北条氏の係争地だったため、重要拠点として整備され、低湿地の沼沢を濠とし、その中に浮かんだ島を曲輪として利用した堅城になった。
そして、成田氏は永禄12年(1569年)の越相同盟によって正式に後北条氏に属することになった。

天正18年(1590年)の小田原征伐の際には石田三成率いる豊臣軍の攻撃を受けたが、落城することはなかった(小田原落城後に開城)。

後北条氏滅亡後、関東に入った徳川家康は忍城に四男の松平忠吉を10万石で入れた。
しかし忠吉は11歳という幼年であったため、松平家忠が1万石で入る。

家忠は三成の水攻めのために荒廃した忍城と城下町を修築し、代官の伊奈忠次の助けも受けて領内に検地を実施した。
文禄元年(1592年)に家忠は下総国上代1万石に移され、忠吉は忍に入ったがまだ若年のため、家老の小笠原吉次が実際の政務を代行した。
吉次は兵農分離、家臣団編成、新田開発、利根川の治水工事で手腕を見せた。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、忠吉は井伊直政と共に島津義弘軍と戦って負傷しながらも武功を挙げたため、尾張尾張藩52万石に加増移封された。
その後しばらく、忍藩は廃されて天領となり、代官の忠次や大河内久綱らが治めた。

寛永10年(1633年)、『知恵伊豆』で有名な松平信綱(久綱の子)が3万石で入る。
信綱は老中に昇進して島原の乱鎮圧では総大将として幕府軍を率いて乱を鎮圧し、寛永16年(1639年)にはその武功により武蔵川越藩6万石に加増移封された。

代わって信綱と同じく徳川家光のもとで小姓から老中にまで栄進した阿部忠秋が5万石で入る。
信綱・忠秋が相次いで老中に就任した結果、忍藩は「老中の藩」として政治的・軍事的にも幕府の重要拠点と見なされるようになったが、これが逆に藩主家の経費増加にもつながり、次第に忍藩の年貢は重くなっていったと言われている。
忠秋は正保4年(1647年)に1万石、寛文3年(1663年)に2万石を加増され、合計8万石を領する大名となった。


出典: 「忍藩」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

こういう経緯(いきさつ)で忠秋さんが第4代の忍藩主になったわけです。

。。。で、菊ちゃんと“知恵伊豆”との関係は。。。?

その話をするには、まず信綱さんが忍藩から川越藩へ移るきっかけとなった“島原の乱”に注目する必要があるのですよ。


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島原の乱と松平信綱


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寛永14年(1637年)10月末に肥前国島原や肥後国天草郡などでキリシタン一揆が発生した(島原の乱)。
信綱ら首脳陣は当初、板倉重昌と石谷貞清を派遣し、さらに日根野吉明や鍋島勝茂、寺沢堅高、松倉勝家ら九州の諸大名に鎮圧と加勢を命じた。
しかし一揆勢は原城に立て籠もって抗戦し、戦闘は長期化した。

当初、幕府軍の総大将は板倉重昌であり、信綱は戸田氏鉄と共に一揆鎮圧後の仕置・戦後処理のために派遣されていた。
だが寛永15年(1638年)1月1日に重昌が戦死。
石谷貞清も重傷を負ったため、代わって信綱が幕府軍の総大将に就任することになった。


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1月11日には篭城する一揆軍に対してオランダ船のデ・ライブ号に要請して援護射撃をさせた。
1月28日に副将格の戸田氏鉄が負傷するなど一揆の抵抗も激しく、信綱は兵糧攻めに持ち込んだ。
この結果、2月下旬には一揆の兵糧はほぼ尽きてしまい、2月28日までに原城を陥落させた。
信綱は一揆の総大将である天草四郎の首実検を行ない曝し首とした。
このとき信綱の家臣6名も戦死し、手負い103名であった。
3月1日には原城を破却して捕らえた者は斬首して曝した。
また松倉勝家・寺沢堅高両名も一揆を招いた責任ありとして処罰を言い渡した。

幕藩体制の完成

戦後、一揆鎮圧の勲功を賞され寛永16年(1639年)1月5日には3万石加増の6万石で(忍藩から)川越藩に移封された。
信綱は城下町川越の整備、江戸とを結ぶ新河岸川や川越街道の改修整備、玉川上水や野火止用水の開削、農政の振興などにより藩政の基礎を固めた。

島原の乱後、信綱はキリシタン取締りの強化や武家諸法度の改正、ポルトガル人の追放を行なった。
またオランダ人を長崎の出島に隔離して鎖国制を完成させた。

寛永15年(1638年)11月に土井利勝らが大老になると、信綱は老中首座になって幕政を統括した。
寛永16年(1639年)8月に江戸城本丸が焼失すると、その再建の惣奉行を務めた。
慶安元年(1648年)4月に養父の正綱が死去した際には銀100枚を賜ったが、その遺領は実子の松平正信や松平正朝に継がせて自らは拒絶した。
この頃は家光実父の台徳院(秀忠)、生母の崇源院の法事奉行を務めている。


出典: 「松平信綱」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あのねぇ~、上のYouTubeのクリップを見れば解るけれど、“島原の乱”は決して九州の片隅で起こった ちっぽけな乱ではないのですよ。 まかり間違えば、オランダ、スペインまで巻き込んだ大戦争になるかもしれなかった。 幕府軍が負ければ、日本はキリスト教国になっていたかもしれないのですよ。

そうならなかったのは松平信綱さんの功績なのですか?

僕は、そう思いますね。。。 だからこそ、歴史上“知恵伊豆”として“あの男の頭の良さは人間を越えている”と言われるように、日本を救ったとして有名になったのですよ。

。。。で、菊ちゃんと知恵伊豆さんの関係は。。。?

あのねぇ~、その話をする前に、どうしても信綱さんと忠秋さんの性格の違いを話さないといけないのです。

デンマンさんの話は いつも回りくどくて、それで記事が長くなってしまうのですわ。 細木数子さんのように ズバリ!ズバリ!と話すことはできないのですか?

あのねぇ~、細木数子のように ズバリ!ズバリ!と話を進めると誤解を与えてしまうのですよ。。。 だから、苦情がテレビ局に殺到して 細木さんはテレビ局のお偉方に睨まれ、番組から降ろされてしまったのです。 そう言うわけで、僕は誤解を与えないように、誰もが良く理解できるように話さなければならないと思っているのですよ。

解りましたわ。。。 では、なるべく手短にお願いします。

信綱さんは“知恵伊豆”と呼ばれるように、確かに頭の回転が速くて、“島原の乱”では日本を危機から救った。 でもねぇ~、政治と言うのは頭だけでやっては失敗することもある。 そういう意味で忠秋さんが老中となって江戸幕府の閣僚に加わったことは日本のために良いことでした。

。。。で、忠秋さんは、信綱さんと比べると、どういう人だったのですか?

信綱さんは、頭が鋭く、口も達者で、動きもきびきびして、処世術もかなりうまかった。 それに対して、忠秋さんは“石仏の忠秋さま”と言われるくらい、ほとんど口も利かない、動きもゆっくりしていた。 それに処世術にかけては全くだめだったらしい。 二人の性格を表すのにぴったりな こんなエピソードがあるのですよ。

家光は猟が好きだった。
よく鳥や獣を捕まえた。
そして、獲物をみんなで食べるのが楽しみだった。

ある日、江戸城の近くの鎌倉河岸の堀にカモがたくさん群れていた。
これを見た家光は家臣たちに「カモを捕まえろ」と言った。

平川門からお堀の方向、ここは昔は海でした。
ここから日本橋川に沿って神田橋まで歩けた。

今は首都高速に塞がれて目立ちませんが、江戸時代には海運の重要な河川でした。
鎌倉河岸の地名に名残が残っています。


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ところが、銃がないので、家来がまごまごしていると、家光は「石で打て!」と言った。
しかし、道はよく清掃されていて石もない。
困った家臣たちは、そばにいた忠秋と信綱を見た。

忠秋はぶすっとしたまま知らん顔をしていた。
信綱は突然、道路わきの一軒の魚屋を指差し、「あの店先にハマグリがある。あれを石の代わりにしろ」と叫んだ。

家臣たちは走り出し、魚屋から手に手にハマグリを掴んで堀に投げ始めた。
魚屋の主人は呆気に取られて、見守っていた。
カモがたくさん捕れ、家光も家臣もワイワイ言いながら行ってしまった。
忠秋だけが残った。

信綱が振り返って聞いた。
「阿部殿、どうされた?」
「いや。。。 なんでもありません。 どうぞお先に。。。」

全員が立ち去ると、忠秋は魚屋に入った。
そして、店主に向かって言った。
「すまなかったな、ハマグリの代金を払う。 いくらだ?」

店主は驚いて、忠秋をみつめた。
「とんでもない! 将軍様のお役に立っただけで光栄でございます!代金は要りません」
「そうはいかない。 お前たちの商売ものを石の代わりにしたのだ。 払わせてくれ」
そして、きちんと金を払った。
このことは城に戻っても、一切誰にも言わなかった。

城に戻ると、カモ汁で大宴会だった。


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酔った家光が小姓の一人に、「お前、櫓から飛んでみろ」と言った。
小姓は真っ青になった。
高い櫓から飛び降りれば死んでしまう。
助けを求めるように辺りを見回した。

ところが、みんな目を合わせるのを避けた。
「早く飛び降りろ!」家光はいら立つ。

この時 忠秋がふいと立ち上がった。
そして、廊下に出ると納戸から傘を一本出してきて 小姓に突き出した。
「おい、これをさして飛び降りろ」


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座はどっと笑い出し、家光も苦笑した。
そして「もうよい」と手を振った。

忠秋のとっさの機転は 家光にとっては痛烈な戒めだった。
忠秋は庶民の食べるハマグリを石の代わりに使って、その代金も払わずにさっさと帰ってしまう驕り高ぶった家光の神経に、無言で一撃を加えたのだった。

更に、臣下の命を座興の一つにするなどとは、とんでもないことだ、と忠秋は腹の中で思っていた。
家光の気持ちを荒立てないようにしながら 諭(さと)したのだった。

どうですか、小百合さん。。。?

なるほどォ~。。。 知恵伊豆の信綱さんは徳川家のため、将軍家光のためでなかれば、できるだけ関わらずに知らん顔をしているのですわね。

上のエピソードを読む限り、誰もが そういう印象を受けると思うのですよ。

それで、知恵伊豆の信綱さんと菊ちゃんの関係は。。。?

だから、菊ちゃんの“ひいおばあちゃん”の、そのまた“ひいおばあちゃん”にあたる、忠秋さんに拾われて育ち、女中をしていた“お菊さん”のことですよ。

そう言えば、そのお菊さんが忠秋さんの部屋の行灯(あんどん)に火をともしに行った時に、大嫌いなネズミが目の前を横切ったので、ろうそくの火を落としてしまったのですわねぇ~。


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そうなのですよ。。。 その火が あの“振袖火事”と呼ばれた“明暦の大火”の火元になったのです。

それで、忠秋さんは、どのように対処したのですか?

当時、忠秋さんは老中。。。、松平信綱さんは老中首座だった。。。 今で言えば、さしずめ江戸政府の首相と副首相のような立場にあった。

忠秋さんも、ホトホト困ってしまったでしょうね。

そうです。。。 二人の間には次のような会話が交わされたのですよ。


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拙者が全責任を負って腹を切り、土地・家屋、所領は幕府に返上いたします。 なにとぞ他の者には罪が及ばないようにしていただきたい。 この件については、左様に御承知していただけると、幸いに存じます。


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いや。。。それはならぬ。

。。。とおっしゃいますと、拙者の家族と縁者、すべての者が処罰されるということでございますか?

いや。。。幕府の老中の屋敷が火元とあっては、阿部殿の家族全員が死罪になったとて済む問題ではござらぬ。

。。。とおっしゃいますと。。。?

阿部殿も御承知のとおり、火事の火元に対しては幕府は厳罰主義で臨んでおります。 それゆえ幕府の老中が火元とあっては、幕府の権威は失墜してしまいます。 先年の“島原の乱”で、幕府の権威はいささか揺るいでしまいました。 今度の江戸の大火事の火元が老中の屋敷とあっては、更に反乱を誘うようなものでござる。

では、一体どうすればよろしいのでしょうか?

拙者に名案があります。。。 確か、阿部殿の屋敷の隣は本妙寺でしたな。。。

左様で。。。

それでは火元は本妙寺といたそう。

しかし、本妙寺の住職が承知いたしますまい。

ご案じなさるな。。。 幕府の方からもいろいろと手を尽くして説得に当たろう。。。 ついては、阿部殿からも、毎年供養料として相当額の寄付をしていただきたい。

金銭で済むものでしたら、住職の納得する額を毎年供養料として差し出す所存です。。。 しかし、どのような原因で火が出たとするのでございますか?

それについても名案があります。 次のような話を拙者の家臣に命じて江戸中に広めるつもりでござる。

江戸の町の一人の少女(17歳)が、偶然見かけた美少年に一目惚れ。
寝ても覚めてもその美少年のことが忘れられず、彼が着ていた服と同じ模様の振袖を作らせた。
その振袖を抱いては、彼のことを思う日々でしたが、恋の病からか、はかなく死んでしまった。

両親は憐れんで娘の棺にその振袖を着せてやった。
棺が持ち込まれた寺で働く男たちが その振袖をもらい受けた。

振袖は男たちによって売られ、別の17歳の娘の物になった。


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ところがこの娘も、しばらくの後に亡くなり、振袖はまた棺にかけられて寺に持ち込まれた。
寺の男たちもびっくりしました。
しかし、そんなこともあるだろうと、またそれを売り、振袖はこれまた17歳の娘の手に渡った。


(furisode0.png)

ところが、この娘もほどなく死んでしまい、振袖は またまた棺に掛けられて寺に運び込まれた。

ここに至って さすがに寺の男たちも気味悪がり、住職に相談。
死んだ娘たちの親も呼ばれて、この振袖を寺で供養することになった。
住職が読経しながら火中に振袖を投じる。

ところが、折しも強い風が吹き、振袖は火がついたまま空に舞い上がり、本堂の屋根に落ちた。
火は屋根に燃え移り、消し止める間もなく次々と延焼、翌日には、江戸城本丸天守閣まで類焼した。


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どうですかな、阿部殿。。。 庶民が飛びつくような話だとは思わぬか?

確かに。。。 さすがに“知恵伊豆”と呼ばれるだけあって、松平殿は戯作にも通じておるのですな。 (笑)

とにかく、これ以上幕府の権威を落としたくないのじゃ。。。 そう言う訳で、この一件は拙者に任してくだされ。

“知恵伊豆”の信綱さんは、何が何でも幕府の権威にこだわった。 それに対して忠秋さんは“お菊さん”を死罪にするには忍びなかったので、自分が腹を切って身代わりになろうとした。

そういうことですよ。。。 二人の性格が良く表れているとは思いませんか?

でも。。。、でも。。。、これは史実なのですか?

もし、上のエピソードが史実でなかったら、菊ちゃんは存在しなかったということですよ。 菊ちゃんが存在したということが、何よりの証拠じゃありませんか!


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
あなたは、このデンマンさんのお話を信じることができますかァ~?

“信じる者は救われる”と申しますが、あなたは、どう思いますか?

実は、デンマンさんが“お菊さん”の子孫である菊ちゃんにエロい事をしようとしたのですわよゥ。
どこかに、その記事があるだろうと思って探してみたら、見つかったのでござ~♪~ますう。
うふふふふふふ。。。

あなたも、もし関心があったら読んでみてくださいまし。


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『菊ちゃんと八ツ橋』

ところで、どうして小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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メチャ面白い、

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Forbidden Love

2014年11月27日

 

Forbidden Love

 


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Kato, are you involved in a forbidden love?


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Yes, I am.  What would you say?

Are you really, really getting into such an extraordinary affair?

What if I’m really absorbed in the kind of love that is, you belive, absolutely unacceptable socially?

Well …, we’re living in a free society and I’m reasonably open-minded.  So I might as well treat you as a friend, as I always did.

I’m glad to hear that, but I’m just joking. he, he, he, he, he… Actually, I borrowed a DVD from Vancouver Public Library and saw a movie about a forbidden love, which is called “A Royal Affair.”


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“Actual Catalogue Page”

I see… So you borrowed the DVD marked as “624” in the above list, huh?

Yes, that’s right.

Are you saying, that’s the 624th movie you viewed in the library?

Yes, I am.  Here are some details about the movie.


(lib41125b.png)

“Actual Catalogue Page”

So, you jotted down your comment after viewing it on November 18, huh?

Yes, I did.

There’re still four people waiting for the DVD, aren’t there?

Yes, you’re telling me, Diane.

Kato, tell me about the movie.

Well…, it is based on the true story.


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The passionate and forbidden romance between the mad Danish King, the royal physician, and the young but strong-willed Queen leads to a revolution that changes an entire nation.

…sounds quite interesting.

Have you ever heard of Christian VII of Denmark, Diane?

Is he the mad Danish King?

I don’t think he was really a mad king, but they say he was.

Christian VII of Denmark


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(29 January 1749 – 13 March 1808)

Christian VII was an Oldenburg monarch who ruled as King of Denmark and Norway and Duke of Schleswig and Holstein from 1766 until his death.
He was the son of King Frederick V and his first wife Louise of Great Britain.

Christian VII’s reign was marked by mental illness which affected government decisions, and for most of his reign Christian was only nominally king.
His royal advisers differed depending on who won power struggles around the throne.

In the late 1760s, he came under the influence of his personal physician Johann Friedrich Struensee, who rose steadily in power.
From 1770 to 1772 Struensee was “de facto” regent of the country, and introduced progressive reforms signed into law by Christian VII.
Struensee was deposed by a coup in 1772 after which the country was ruled by Christian’s stepmother, Juliane Marie of Brunswick-Wolfenbüttel,
his half-brother Frederick and the Danish politician Ove Høegh-Guldberg.

From 14 April 1784 until Christian VII’s death in 1808, it was Christian’s son, later Frederick VI, who unofficially acted as regent.
This regency was marked by liberal and agricultural reforms, but also by the beginning disasters of the Napoleonic Wars.

Early life

Christian was born in the early hours of the morning on 29 January 1749 in the Queen’s Bedchamber at Christiansborg Palace, the Royal residence in Copenhagen.
His godparents were King Frederick V (his father), Queen Dowager Sophie Magdalene (his paternal grandmother), Princess Louise (his aunt) and Princess Charlotte Amalie (his grand-aunt).

A former heir to the throne, also named Christian, had died in infancy in 1747; therefore, great expectations were formed amid the birth of the new heir in 1749.

His mother Queen Louise died, just 27 years old, in 1751, two years after his birth.
The following year his father remarried to Juliane Marie of Brunswick-Wolfenbüttel.

All earlier accounts agree that he had a winning personality and considerable talent, but he was poorly educated, systematically terrorized by a brutal governor, Christian Ditlev Frederik Reventlow, the Count of Reventlow.
He seems to have been intelligent and certainly had periods of clarity, but suffered from severe emotional problems, possibly schizophrenia as argued in doctor Viggo Christiansen’s book Christian VII’s mental illness (1906).

Reign

After a longer period of infirmity, Frederick V died in the early hours of the morning on 14 January 1766, just 42 years old.
Later the same day, Christian was proclaimed king from the balcony of Christiansborg Palace, just weeks before his 17th birthday.
For his motto he chose: “Gloria ex amore patriae” (“glory through love of the fatherland”).

Marriage

The young King was betrothed to his fifteen year old cousin Princess Caroline Matilda.


(caroline2.jpg)

She was a sister of Great Britain’s King George III, who was anxious about the marriage but not fully aware that the bridegroom was mentally ill.
The dynastic marriage took place at Christiansborg Palace on 8 November 1766, the same year as the groom’s coronation.

After his marriage, he abandoned himself to the worst excesses, especially sexual promiscuity.
In 1767, he entered into a relationship with the courtesan Støvlet-Cathrine.

He publicly declared that he could not love Caroline Matilda, because it was “unfashionable to love one’s wife”.
He ultimately sank into a condition of mental stupor.
Symptoms during this time included paranoia, self-mutilation and hallucinations.

Struensee


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He became submissive to the progressive and radical thinker Johann Friedrich Struensee, his personal physician, who rose steadily in power in the late 1760s, to a “de facto” regent of the country, where he introduced widespread progressive reforms.

Struensee was a protégé of an Enlightenment circle of aristocrats that had been rejected by the court in Copenhagen.
He was a skilled doctor.
Having somewhat restored the king’s health while visiting the Schleswig-Holstein area, he gained the king’s affection.

He was retained as travelling physician (“Livmedikus hos Kong Christian VII”) on 5 April 1768, and accompanied the entourage on the King’s foreign tour to Paris and London via Hannover from 6 May 1768 to 12 January 1769.

He was given the title of State Councilor (“etatsråd”) on 12 May 1768, barely a week after leaving Altona.

The neglected and lonely Caroline Matilda drifted into an affair with Struensee.

Divorce

In 1772, the king’s marriage with Caroline Matilda was dissolved by divorce.

Struensee, following a deluge of modernising and emancipating reforms, was arrested and executed the same year.
Christian signed Struensee’s arrest and execution warrant under pressure from his stepmother, Queen Juliane Marie, who had led the movement to have the marriage ended.


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Caroline Matilda, retaining her title but not her children, eventually left Denmark in exile and passed her remaining days at Celle Castle in her brother’s German territory, the Electorate of Hanover.
She died there of scarlet fever on 10 May 1775, at the age of 23.

Christian’s marriage with Caroline Matilda produced two children: the future King Frederick VI and Princess Louise Auguste.
However, it is widely believed that Louise was the daughter of Struensee—portrait comparisons tend to support this hypothesis.

Later life

Christian was only nominally king from 1772 onwards.
Between 1772 and 1784, Denmark was ruled by Christian’s stepmother Queen Dowager Juliane Marie, his half-brother Frederick and the Danish politician Ove Høegh-Guldberg.

From 1784 onwards, his son Frederick VI ruled permanently as a prince regent.

This regency was marked by liberal and agricultural reforms, but also by the beginning of the disasters of the Napoleonic Wars.

Death and succession

Christian died at age 59 of a stroke on 13 March 1808 in Rendsburg, Schleswig.

Rumors began that the stroke was caused by fright at the sight of Spanish auxiliaries, which he took to be hostile, but Ulrik Langen, in his biography of the king, did not indicate that there was any external cause.

He was buried in Roskilde Cathedral and was succeeded by his son Frederick VI.


SOURCE: “Christian VII of Denmark”
From Wikipedia, the free encyclopedia

Kato, tell me.  How come you think Christian VII was NOT really a mad man?

First of all, the earlier accounts say that Christian VII had a winning personality and considerable talent.

But, Kato, they also say, he was poorly educated, systematically terrorized by a brutal governor, the Count of Reventlow.

That’s right. Christian VII might’ve looked like a mad man because he suffered from severe emotional problems caused by the brutal governor, I suppose.  So he appeared to be a crazy man for the eyes of an unknowing person.

I see…

Secondly, in 1769 Christian VII invited the Hungarian astronomer Miksa Hell (Maximilian Hell) to Vardø, a town and the administrative centre of Vardø Municipality in Finnmark county, Norway.

How come?

Obviously, Christian VII was interested in astronomy.  Otherwise, he wouldn’t invite the astronomer in the first place.  This event clearly tells you that at the age of 20, Christian VII had a winning personality and considerable talent.

And what did the astronomer do in Norway?

He observed the transit of Venus, and his calculations gave the most precise calculation of the Earth–Sun distance to that date—approximately 151 million kilometres.

I see.  So, Kato, you think that Christian VII was a man of some intelligence, don’t you?

I suppose so.  If Christian VII had been insane, he wouldn’t have taken any interest in astronomy.

Then, how come people in those days considered him to be a mad man?

There are two reasons, I suppose.  Firstly, Christian VII was a liberal man who hated a traditional way of life. In other words, he might have been considered a libertine. In this sense, Christian VII had been getting along quite well with Struensee, who was liberal-minded. Actually, Struensee introduced widespread progressive and liberal reforms such as:


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•abolition of torture

•abolition of unfree labor (corvée)

•abolition of the censorship of the press

•abolition of the practice of preferring nobles for state offices

•abolition of noble privileges

•abolition of “undeserved” revenues for nobles

•abolition of the etiquette rules at the Royal Court

•abolition of the Royal Court’s aristocracy

•abolition of state funding of unproductive manufacturers

•abolition of several holidays

•introduction of a tax on gambling and luxury horses to fund nursing of foundlings


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•ban of slave trade in the Danish colonies

•rewarding only actual achievements with feudal titles and decorations

•criminalization and punishment of bribery

•re-organization of the judicial institutions to minimize corruption

•introduction of state-owned grain storages to balance out the grain price

•assignment of farmland to peasants

•re-organization and reduction of the army

•university reforms

•reform of the state-owned medical institutions.

These are all admirable decisions even to the eyes of the present-day people like you and me.

I see… So, you think, Christian VII was a liberal-minded, rather modern man, huh?

That’s right.

And what is the second reason for the king’s insanity?

Well… The forbidden love between the queen and the king’s personal phycisian was so scandalous that the Danish government might have made up a “reasonable and acceptable motive” for the queen to have relation with the other man.


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Kato, are you saying, the government told the citizens that the king was a mad man so that the neglected and lonely queen drifted into an affair with Struensee.  Is that it?

Yes, I believe so.  That’s the reason people came to believe that the king was a mad man.


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【Himiko’s Monologue】


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Wow! What a forbidden love it is!
The above movie shakes my back bone with thrill, excitenment and amazement.

How abou you?
Have you seen the above movie yet?

Are you afraid of viewing such a scandalous film?

Oh, well… there are some other interesting movies.

For example, look at Number 625 in the above list.

It is called “Russian Ark.”


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【Trailer】

【Full Movie】

Kato jotted down his comment as follows:

It is a 2002 historical drama directed by Alexander Sokurov.

It was filmed entirely in the Winter Palace of the Russian State Hermitage Museum using a single 96-minute Steadicam sequence shot.

An unnamed narrator wanders through the Winter Palace in Saint Petersburg.

He is accompanied by “the European”, who represents the Marquis de Custine, a nineteenth-century French traveler.

The Marquis encounters various real and fictional people from various periods in the city’s 300-year history.

You see Peter the Great harassing one of his generals.

Catherine the Great watches a spectacular presentation of opera and then rushes to take a pee.

You also see an imperial audience in which Tsar Nicholas I is offered a formal apology by the Shah of Iran for the death of Alexander Griboedov, an ambassador to Iran.

Followed is the idyllic family life of Tsar Nicholas II’s children.

After that, a desperate Leningrader makes his own coffin during the 900-day siege of the city during World War II.

It is a magnificent and fascinating documentary-style presentation of Russian palace culture.

The above comment sounds quite interesting, doesn’t it?

In any case, I hope Kato will write another interesting article soon.

So please come back to see me.

Have a nice day!
Bye bye …


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If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


(juneswim.jpg)

“Go Bananas”

“Manwatching”

“Stanley Boardwalk”

“With Your Tiger”

“A Second World”

“Asexual Thought”


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“Stanley 125 Years”

“Sushi @ the Globe”

“Peace@Syria & Pentagon”

“Sweet Memory”

“Unforgettable Movies”

“Typhoon 26”

“Great Luck”

“Diane@World”

“Diane@Spam”

“Sabina”

“Happy New Year”

“Merange & Sabina”

“Beauty in Spa”

“Love @ e-reading”

“Troublesome Slang”

“World Family”

“Mari’s Bagels”

“Love & Loyalty”

“Another Cinderella”

“Amazing Two-legged Pooch”

“Delusive Romance”

“Royal Couple”

“Life with Music”

“Poutine@Canada”

“Glorious Summer”

“Biker Babe & Granny”

“Genetically Modified”

“Tyrannosaur”

“Love@Magic”

“Yellow Ball”

“Welcome Back”


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Hi, I’m June Adams.

I like animation, too.

For example, watch the above list in the article and look at Number 627, which is called “The Illusionist.”


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Kato jotted down his comment:

This is a 2010 British-French animation film directed by Sylvain Chomet.

The film is based on an unproduced script written by French mime, director and actor Jacques Tati in 1956.

Tati wrote the script of The Illusionist and intended to make it as a live action film with his daughter.

It was written as a personal letter to his estranged eldest daughter, Helga Marie-Jeanne Schiel, whom he had abandoned when she was a baby.

So, it’s not a romance but more like the relationship between a dad and a daughter.

In the film Alice discovers the affection of a handsome young man.

Once the illusionist sees them walking together, he opts to leave her with money and move on.

His final message is a letter that says “Magicians do not exist.”

Alice subsequently moves in with her new boyfriend.

The illusionist releases the rabbit on the verdant hillside of Arthur’s Seat, where many other rabbits are seen.

To the eyes of the illusioninst, therefore, Alice and the rabbit are the same.

He sets both of them free.

It is a tender, contemplative and somewhat poetic film.

…sounds interesting, doesn’t it?

Why don’t you see it?

ところで、愛とロマンに満ちた

レンゲさんのお話をまとめて

『レンゲ物語』を作りました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

『愛とロマンのレンゲ物語』


(renge730.jpg)

『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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