ひねくれた大人


 
 
ひねくれた大人
 

「ふるえる手」から

(ローマの)ゴヴェルノ・ヴェッキオ街から、サンタ・マリア・デル・アニマ街に出る。
この道の突きあたりには魂のサンタ・マリアを意味する名の教会があるのだけれど、ここを通るたびに、私は、ちろちろと赤く燃える火の玉に出会いそうな気分になる。
色とりどりの提灯などを吊るしたディスコやアイスクリーム屋があったりして夜は若者たちで賑う。
そもそもどういう由来でこんな名の教会ができたのだったか。
そこからもう一本、路地をぬけると、二千年まえ、ローマ皇帝の競技場だったという高貴なナヴォーナ広場、それを横切って上院の建物がある広小路に出た。
左手を見るともなく見ると、これまでに何度か来ては、運わるく扉が閉まっていてそのまま通りすぎてしまった、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会の、正面のではない、わきの小さな扉から、旅行者らしいよそおいの人たちが三々五々出入りしている。

サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会
(フランス人たちの聖者ルイ教会)

これもまた長い名の教会だが、フランス人たちの聖者ルイ、すなわち、十字軍をひきいて二度も地中海を渡ったあげく、とうとうチュニジアでペストにかかって死んだ十三世紀のフランス王にささげられている。
そういう名だからここでフランス人が集まるようになったのかどうかは知らないが、この教会はローマにいるフランス人カトリック信者たちの集会所にもなっていて、となりにはフランス語の書籍が買える店もある。
ローマで勉強していたころは、なんどか足を運んだことがあったが、この教会には一度も足を踏み入れたことがなかった。
教会の奥まった祭壇のひとつに、カラヴァッジョの『マッテオの召出し』という有名な絵があることを知ったのも、ごく最近のことだ。
キリストの十二人の使徒のひとりマッテオは、人にいやしまれる収税人だった。
その彼のところに、ある日、イエスがはいってきて、ついてこい、という。
彼はたちどころに「なにもかも」捨ててイエスに従ったと聖書にはある。
その呼びかけの場面をえがいた十六世紀の作品で、一見の価値がありと友人が教えてくれた。

カラヴァッジョという画家の作品をはじめて見たのは、ローマの学生時代から何年もあと、ミラノのアンブロジアーナ美術館で出会った彼の静物画だった。
横長の画布にシンメトリカルな構図で、こぼれるように籠にもられた果実が、黄色の勝った色調で描かれていた。
近代静物画の草分けといってよい作品なのだそうだが、歴史的、あるいは宗教的な画題しか描かれなかった時代に、果実という日常的なものを中央に据えた構図はたしかにめずらしかったのだろう。
でも、当時の私にはごく平凡な静物としか見えなかったし、それ以上の興味をさそわれる絵画というのでもなかった。
彼の本名がミケランジェロ・メリージだというのは、そのとき覚えたし、カラヴァッジョというのは、この画家が生まれた町の名で、ミラノの東、二、三十キロのところにあることも車で走っていてぐうぜん知った。
はてしなく広がるポー河の平野の、なんということはない小さな町だ。

もしもその日、教会の扉がこれまでとおなじように閉ざされていたのだったら、私はそのまま通りすぎていただろう。
二十人ほどの旅行者の群れが出てくるのを見て、気持ちがうごいた。
せっかく開いているのなら、カラヴァッジョを見て行こう、ぐらいの軽い気持ちだった。

入っていくと、『マッテオの召出し』がある左手の祭壇は、窓になっているはずの壁面も二幅の絵でふさがれているために、外光が完全にさえぎられて、まっ暗なものだから、壁にとりつけた鉄製の小箱に二百リラのコインを入れると、ぱっと照明がつく仕掛けになっている。
祭壇を幾重にもとりまいた見学者たちが神妙にガイドの説明に耳を傾けているので、私はうしろで待つことにした。
カラヴァッジョの絵は、祭壇をかこむようにして三点、どれも使徒マッテオの生涯の、とくに劇的な場面を描いたものだ。
三枚の絵をぐるりと見まわしたとき、まるで見えない手にぐいと肩を押されたみたいに、『マッテオの召出し』とよばれる絵だけが、私をひきつけた。

レンブラントを思わせる暗い画面の右手から一条の光が射していて、ほぼ中央にえがかれた少年の顔を照らしている。
一瞬、その少年がマッテオかと思ったほど、光に曝された顔の白さが印象的だった。
もっと近くから見たい。
そう思った途端、照明が消えた。
二百リラ分の観覧が終わったのだ。
観光客がざわめいて、だれかがもう一回コインを小箱に入れる音がした。
そういうことがなんどか繰り返されて、そのたびに、見物人がざわざわと入れかわった。
こんどこそ前に出ようと思うのだが、団体客の壁にはばまれて、私はいつもうしろにとりのこされる。
数回、そういう具合だったので、それ以上そこにとどまるのをあきらめた。
ホテルから遠くないのだから、と私は思った。
ローマを発つまでに、もういちど来ればいい。
できることなら、だれもいない時間に、ひとりで絵のまえに立ちたかった。

教会を出ると、雨はほとんどやんでいた。
ぽっと明るみのもどった歩道に下りたときはじめて、私は、たったいま、深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、まれな感動にひたっている自分に気づいた。
しばらく忘れていた、ほんものに接したときの、あの確かな感触だった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)


(pp.205-208) 『トリエステの坂道』
著者・須賀敦子(すが あつこ)
1996年5月20日 第4刷発行
発行所: みすず書房

デンマンさん。。。 ずいぶん長い引用ですわね。 この部分が「ひねくれた大人」と関係あるのですか?

もちろんですよ。 でもねぇ、この上の文章には「ひねくれた大人」はまだ登場してないのです。

それなのに、どうして長々と引用したのですか?

須賀敦子さんがたったいま、深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、まれな感動にひたっているのですよ。 そしてしばらく忘れていた、ほんものに接したときの、あの確かな感触を味わったのです。

だから。。。?

小百合さんにも同じような経験があるでしょう?

そうですわね。。。 あるような。。。 ないような。。。

まるで須賀敦子さんと同じような体験が全く無いような言い方ですねぇ~。。。?

だってぇ~。。。

だってぇも、とっても、あさってもないですよう。 実は、小百合さんにも須賀敦子さんのように人生の本質に触れて、深いところでたましいを揺り動かすような感動に浸ったことがあるのです。

あらっ。。。 そんなことがデンマンさんに解るのですか?

やだなあああァ~。。。 小百合さんとの付き合いも10年以上におよぶのですよ。 

あらっ。。。 もう、そんなになりますのォ~。。。?

やだなあああァ~。。。 小百合さんは、まだ、それ程激しく物忘れをするような年ではないでしょう!?

でも、すぐには思い出せませんわ。

じゃあ、次のメールを読んでみてください。

Subj:長い電話お疲れ様でした

Date: 01/10/2007 1:52:14 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 2007年10月1日 午後5時52分 
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com

長い電話お疲れ様でした。
良くわかりました。

経理をしなくてはいけない。
それも13年分。
誰にたのもうか?
レシートもなくてと迷って朝方まで寝られない夜が毎晩だった時、デンマンさんと話して、ここまで経理が進んだことをホットしてます。

いくら 請求がきても カナダに納めるのならいいやと思いはじめました。 
バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした。

あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。

実父の病気に、もう自分勝手にしていては駄目だ。
と今年決意しました。

こんな私でも欲しい物があります。
別荘です。
場所は長野です。
買ったら元家主の藤田桃子さん夫婦も招きたいです。
よかったらデンマンさんも。

日本だったら、親をおいていくことなく、ゆけます。

でも、29才からバーナビーで夏休みを過ごすことができた事は私の人生にとって良かったと思います。
ではまた。。。

小百合より


『ロマンと悪妻』(2008年7月31日)より

どうですか、小百合さん。。。 こうして人生の本質に触れて、小百合さんも「バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした」と言って、深いところでたましいを揺り動かされて感動に浸っていたのですよ。

それは、あくまでもデンマンさんの個人的な受け留め方ですわ。

でも、「毎年私の支えの時間でした」というのは、深いところでたましいを揺り動かすような言葉ですよ。

デンマンさんがドラマチックに解釈しているのですわ。。。 ところで、「ひねくれた大人」はどうなったのですか?

実は、須賀敦子さんの上の小文には更に続きがあるのですよ。 読んでみてください。

おなじ年の十一月、私は、もういちど、ローマに行く機会にめぐまれた。
一年に二度、ローマを見られるのはなんとも幸運なことだった。
とはいってもなにもかもうまく行ったわけではない。
もういちど、私は雨になやまされた。

 (中略)

雨のなかを、私は、もういちど、カラヴァッジョを見に行くことにした。
あの絵が、萎えた気持ちをなぐさめてくれるかもしれない。
四月の雨の日に訪れて以来、とうとう、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会を再訪する機会はなかった。
あの日、どうしてあの絵をもっとゆっくり見ておかなかったのかと、心残りでもあった。
あの翌日の午後も、そのつぎの日にも、扉はかたく閉まっていた。

まだ早い時間のせいか教会のなかには旅行者のすがたもなく、がらんとした薄闇だけが沈黙につつまれていた。
用意したコインをつぎつぎと箱に入れて、こんどこそおもいのままに時間がすごせるはずだった。

右手の戸口から入ってきたキリストが、しなやかに手をのばして収税人のマッテオを指さしている。
イエスの顔はほとんど闇のなかにあって、それが彼とわかるのは、糸のように細い光の輪が頭上に描かれているからにすぎない。
収税人マッテオは、私が最初、勘ちがいしたように、光を顔に受けた少年ではなくて、その横に、え、あなたは私に話しかけているのですか、というふうに、自分の胸を指さしている中年の男だ。
マッテオは、「人に好かれなかった」と聖書にあるのだが、それにしては、かなり「ちゃんとした」平凡な人物に描かれていた。

レンブラントやラトゥールに先立って、光ではなく、影で絵を描くことを考え付いたとされるカラヴァッジョの絵を見ていて、私は、キリストの対極である左端に描かれた、すべての光から拒まれたような、ひとりの人物に気づいた。
男は背をまるめ、顔をかくすようにして、上半身をテーブルに投げ出していた。
どういうわけか、そのテーブルにのせた、醜く変形した男の両手だけが克明に描かれ、その手のまえには、まるで銀三十枚でキリストを売ったユダを彷彿とさせるような銀貨が何枚かころがっていて、彼の周囲は、闇に閉ざされている。

カラヴァッジョだ。
とっさに私は思った。
ごく自然に想像されるはずのユダは、あたまになかった。
画家が自分を描いているのだ、そう私は思った。
伝承によると、この画家は一種の性格破綻者というのか、ときにひどく乱暴な行為に出た人であったらしく、作品の高い芸術性はみなに認めながらも、仲間にうとまれ、そのためにしばしば仕事をもらえないで、ついには、人を傷つけたのだったか、殺してしまったのか、まるで即興詩人やスタンダールの物語の登場人物さながら、北イタリアからローマに追放されたのだという。
そのあとも、さらにナポリに、はてはマルタ島からシチリアへと逃げたことが、方々に残された作品から推理されている。
でも、異様に変形した手がすべてのような男を、カラヴァッジョが安易に性格的な自画像としてえがいたはずがないようにも、私には思えた。
もしかしたら、顔に光を集めたような少年も、おなじふうに自画像なのではないか。
二人の人物の間に横たわる奈落の深さを知っているのは、画家自身だけだ。

左端にえがかれた人物は闇にとざされていながら、ふしぎなことに、変形した、醜悪なふたつの手だけが、光のなかに置かれている。
変形はしていても、醜くても、絵をかく手だけが画家に光をもたらすものであることを、カラヴァッジョは痛いほど知っていたにちがいない。

あいかわらず、二百リラ分の照明が切れるたびに、あわただしくつぎのコインを入れなければならない。
ちょうど照明が継目にかかったとき、ぴたぴたとにぎやかな小さい足音がして、小学生の一群が若い男の教師に引率されてはいってきた。
まだ画学生のように見える若い教師が絵の説明をするのを、子供たちは神妙に聴いている。
そのうちに、私は妙なことに気づいた。
照明が消えると、教師は、そっぽを向いたままで、私がコインを入れるのを待っているのだ。
そして照明がもどると、また子供たちに説明をはじめる。
なにやら鼻白んだ気持ちで、私はその場を離れることにした。
すると、もうひとつ、奇妙なことが起こった。
私の近くにいた何人かの子供が、おばさん、ありがとう、と小声でいったのだ。
知らんぷりをしつづける教師と、ていねいにお礼をいう子供たち。

そのとき、とつぜん、直線のヴィア・ジュリアと曲がりくねった中世の道が、それぞれの光につつまれて、記憶のなかでゆらめいた。
どちらもが、人間には必要だし、私たちは、たぶん、いつも両方を求めている。
白い光をまともに受けた少年と、みにくい手の男との両方を見捨てられないように。

教会の外は、あいかわらず雨だった。
雨のなかを歩きながら、私はもうすこし、絵のなかの男について考えてみたかった。
犯した罪の意識と仕事に侵蝕され、変形したあの手は、やはりカラヴァッジョ自身の手にちがいない。
なんともあてずっぽうな推測だったが、私は確実になぐさめられていた。
醜い自分の手を、ミケランジェロの天地創造の手を意識において描いたといわれるキリストの美しい手の対極に置いて描きおおせたとき、彼は、ついに、自己の芸術の極点に立つことができたのではなかったか。

ふと、寒さにこごえたようなカラヴァッジョの手のむこうに、四月、それが最後になった訪問のときにコーヒーを注いでくれたナタリア・ギンズブルグの、疲れたよわよわしい手を見たように思った。
鍋つかみのかわりにした黒いセーターの袖のなかで、老いた彼女の手はどうしようもなくふるえていて、こぼれたコーヒーが、敷き皿にゆっくりとあふれていった。


(pp.215-219) 『トリエステの坂道』
著者・須賀敦子
1996年5月20日 第4刷発行
発行所: みすず書房

なるほどォ~。。。 「ひねくれた大人」というのは子供たちを引率していた先生なのですわね。

そうですよ。。。 須賀敦子さんが深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、まれな感動にひたっているのですよ。 そしてしばらく忘れていた、ほんものに接したときの、あの確かな感触を味わっていたのです。 それなのに、素直な生徒たちとは裏腹に、教師は、そっぽを向いたままで、須賀敦子さんがコインを入れるのを待っているのです。 僕は読みながら、このダサい教師をぶっとばしてやりたくなったほどですよ。

それはデンマンさんの過剰な反応というものですわ。

小百合さんは読んでいてムカつきませんか?

私はそれほど感情移入して読みませんでしたから。。。

分かりました。 じゃあ、次の小話はどうですか?

映画を観に行って 混んでたから端の席になりました。
横にいたおばさんの携帯がなって、
あわてておばさんは私の前を通って出て行きました。
その時に、思い切り私の足を踏んで行ったのです。
痛かった。

そのおばさんが帰って来て、私に言いました。
『先ほど、私、おたくの足を踏んづけました?』 
『ええ、』と、私が答えました。 
そしたら、おばさん 
『あ~ら、良かった。 私、この列で間違いないんだわ』
って言いました。

うふふふふふ。。。

笑っている場合じゃないですよ。 このおばさんも「ひねくれた大人」ですよ。 僕の言おうとしていることが分かるでしょう?

確かに、足を踏んづけておいて『あ~ら、良かった。 私、この列で間違いないんだわ』はないですよね。

じゃあ、もっと「ひねくれた大人」の話を。。。

タレント知事のハレンチ行為の考察

「タレント知事って誰のこと?」

「本名を山田勇といい、芸名を横山ノックという、日本では全国的に知られ、お笑いで、一世を風びした漫才トリオのリーダー格の人だった」


(yokoya03.jpg)

「ロナルド・リーガンが芸能界出身でカリフォルニア州知事になったことがあるけれども、そんな、たぐいね」

「まあ、それに近いかな。スケールの違いはあるけれどね。とにかく、圧倒的な庶民の支持を得て大阪府知事に当選したんだ」

「それで、その人がハレンチ行為をしたの?」

「そうなんだ」

「具体的には、どんな行為をしたというの?」

「被害者は、泣き寝入りせずに訴えた。 被害者は次のように、ハレンチ行為を法定で証言している」


(skirtup2.jpg)

■選挙運動中、事務所に帰る際、横山知事(当時)は、別の車から自分の乗っていたワゴン車に移って来て自分の横に坐り、自分と知事の膝に毛布をかけて、その下で自分の下半身に手を延ばして30分ほど猥褻行為をした。

■運転手に助けを求めようか、と思ったが、運転手は事態を黙認しているようで、薄笑いを浮かべていたため、助けてくれそうもない、と断念した。


(sekuhara8.jpg)

■恐怖のあまりすくんでしまい、されるままになっていた。

■身をよじってかわそうとしたが、止めてくれなかった。

■横山知事のこういった行為については、前々から他の運動員の女性に警告を受けていて、「何かされそうになったら、トイレに逃げて」と言われていた。


(yokoya04.jpg)

■ガソリンスタンドの近くに来たとき、「トイレに行きたい」と言って、一旦車を降りた。そのとき知事も一緒に車を降りてトイレに行ったと思う。

■その後また車に乗り込み、さらに猥褻行為を受けた。

「もし、この女性の証言がほんとうならば、これはぜったいに強制ワイセツ行為だわ。それで、この事件が裁判になった経過というのは、どうなっているの?」

「平成11年(1999年)の秋、大阪府知事選挙に再選を目指して立候補した横山ノック氏は、選挙運動中、アルバイトの運動員の女性(21)に強制ワイセツ行為をした、として慰謝料1500万円を要求された」

「それで?」


(yokoya02.jpg)

「横山氏は民事裁判での答弁を拒否、事実無根、と突っぱねたものの、『議会の審議進行に影響する』として、請求された慰謝料を支払うことで訴訟をかわそうとした」

「その辺から、もうおかしいわね。もし、ワイセツなことをしていないのなら、そんなことは決して言わないわ。これでは、ハレンチ行為を認めたのも同然でしょう?」

「ぼくも、これではクサイと思うね。そんなわけで、原告側は『強制猥褻行為』を主張して刑事訴訟を起した。その間横山氏は過労を理由に入院、さらに大坂府知事の座を辞任するなどして裁判を回避しようとする様子が見られた。しかし、相手方の主張は変らず、出廷を余儀なくされることになった。と、こういうわけだ」

「これでは、誰が聞いても、横山氏は初めから、ハレンチ行為を認めて、防戦に回っているようなものじゃないの?」

「確かに、そんなところが見受けられる。横山氏は民事裁判では答弁を一切拒否し、マスコミに対しても『事実無根』『陰謀』等のコメントを押し通してきた。しかし、刑事裁判では『猥褻行為』を認めた」

「この辺の意識なのよのね、あたしがいつも日本人にたいして不信感を持つのは。。。」

「それはまた、ずいぶんと手厳しいね」

「だって、そうでしょう?横山氏はウソをついてたわけでしょう。日本でも言うじゃない?『ウソは泥棒の始まり』だって?」

「それは、確かにその通り」

「しかも大坂府知事という、政治にたずさわる立場になったわけでしょう?そのような人が、公然とウソを言うなんて、これは欧米では、絶対に許される行為ではないわ。ハレンチ行為をしたかどうかの以前に、政治家としての、いいえ、人間としての、品格、人格の問題です」

「それは厳しいねェ」

「ちっとも厳しくなんかないわ。これは、あたりまえな問題よォ」

「ボーダレス社会になってきたんだから、確かにそんな風に受けとめるようにならねばならないんだろうけれど、まだ、日本ではそこまで割り切って物事を考える人がそう、多くはないようだ」

「ヘーェ、そうなの? あたし、そんなこと常識だと思うわ。それで横山氏はどう言っているわけ?」

「彼の主張はあくまでも『合意』によるもの、と主張して、原告である被害者の女性が嫌がっていたとは思わなかった、との見解を通していた」

「それは男の身勝手も、はなはだしいわ!被害者の証言したことをもっと真面目に聴くべきだわ。この女性は前々から他の運動員の女性に警告を受けていたのよ。『なにかされそうになったら、トイレに逃げて』と。もうはっきりしているじゃないの!この人は被害者だけに限らずに、他の女性にも、同様なことをしていたんじゃないの。日本の諺にもあるでしょう?『火のないところに煙は立たず』というのが」

「確かにそういう諺はある」

「この裁判では日本人の男の嫌らしさが、すべてさらけ出されている感じだわ。ウソはつく。女の反応を自分勝手に解釈する。悪いことを指摘されると、なんとかヘリクツをまくしたてて、逃げ惑っている感じ。あたしに言わせてもらえば、大阪という大都市を政治的に取りまとめてゆく人が、こんな考え方で凝り固まっているということが信じがたい」

「ジューンは、ホントに厳しィー見方をするねェ?」

「ちっとも厳しくないわ。あたし、あたりまえな事を言ってるつもりよ」

「まあ、まあ、そんなに興奮することは、ないじゃないか?」

「デンマンさんは、どうして、こういう嫌らしい男の肩を持つの?」

「ちょっと待ってくれ。僕はなにも、この人物をかばっているんじゃない」

「でも、なんとなく、そんな風に聞こえるわ。もしかして、横山氏はデンマンさんの遠い親戚?」

「急に何ということを言い出すんだい? 僕の一族には、ハゲは居ないんだ」

「あらァー、ハゲって、差別用語じゃないの?」

「日本では最近そういうことになっているようだね。僕が子供の頃は、あたりまえの言葉として通用していたんだけれど。しかし、どうしてジューンはそんなことまで知っているんだい?」

「あたし、日本語学校で勉強したのよ。先生がそう言ってました」

「そういうことは、よく覚えているんだね?」

「他のことだって覚えてますよ。それより、裁判はどういうことになったの?」

「翌年、つまり、平成12年(2000年)の6月20日、論告求刑公判で、検察側は、『執ようで、悪質この上ない』として、被告に懲役1年6ヶ月を求刑した」

「そうですよ、それが当然ですよ。それで判決は?」

「8月10日に裁判の判決が出た。判決は有罪、求刑通りの懲役一年六ヶ月、但し執行猶予三年がついた」

「当然といえば、当然だけれど、あたしには、それでも軽いという感じだわ」

「ジューンは厳しい!彼は知事の座を辞職し、民事で慰謝料1100万円を支払い、刑事訴訟で有罪となり、ということは前科者になったわけだ。その上、前回、知事を務めた際の退職金5千数百万円の返還まで求められている。充分、罰を受けたと思うよ」

「庶民の政治家に対する信頼と期待を裏切ったということを考えれば、あたしは当然の報いだと思うわ」


『タレント知事のハレンチ行為の考察』より
(2002年12月27日)

ハレンチ行為をしていたのにやってないとウソをついて、被害者の女性が“陰謀”で嫌がらせをしているなどと言い立てるのは「ひねくれた大人」じゃなくて、『執ようで、悪質この上ない大人』だと思うわ。

小百合さんもジューンさんのように手厳(てきび)しいんですね。

結局、悪事は隠し切れないものなのよ。 「ひねくれた大人」は圧倒的に男の方が多いと思うわ。

いや。。。決して男ばかりというわけじゃない。

その証拠でもあるの?

ありますよ。 上のハレンチ事件で女性たちの多くがムカついた。 次の小文を読んでみてください。

横山ノックに対する抗議運動は、ここを拠点に始まった。
「ノックさんの事件を足掛かりにして、『女性の人権を蹂躙されていく』ということをやりたかったんです。 まさかホントにノックさんが辞めさせられるとは思わなかった」

 (中略)

さあ、みんなで怒りを表現しよう。
ノック事件とは「原告女子大生のくやしさを、怒りをそしてその涙を代理体験してみる機会なのだ」(前出「怒る女たちの会ニュース」)

彼女らは集会を開き、駅前で抗議ビラを配り、裁判を傍聴し、府議たちにセクハラに関するアンケートを実施し、大阪地検に1800枚もの告発ハガキを送った。
これを新聞は連日「府民の怒り」として報道したのであった。
そしてノックは在宅起訴。

 (中略)

それぞれの胸算用にすっかりはまりこんだ67歳の山田勇(ノックの本名)さんは、こうして芸人としても政治家としても生命を絶たれた。
「すぐ謝ってくれればこんなことしなかったのに」
怒る女たちの会のあるメンバーは同情する。
おばさんたちも「やったなら謝らなあかんで」とあきれた様子。
結局、彼は皆が期待する「アホ」を貫けなかったのである。
それだけで知事だったのに。

被害者の女子大生は「心の傷」の代償として1100万円を一括で受け取った。
その内訳は、猥褻行為に対して200万円。
名誉棄損800万円。
弁護士費用100万円、ほとんどはノックの行為というより、「大騒ぎ」によって社会的に受けた傷に対して支払われたものである。

そんなごっつ儲かるんなら、わたしもケツさわらしたる
大阪のおばさんは怒る。
おばさん世論のオチは強烈である。

(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)


219-222ページ 『からくり民主主義』
著者: 高橋秀実
2002年8月2日 第5刷発行
発行所: 株式会社 草思社

分かるでしょう、小百合さん。。。!? 「そんなごっつ儲かるんなら、わたしもケツさわらしたる」と言うおばさんがいる。 つまり、女性にも「ひねくれた大人」がいるのですよ。

デンマンさん。。。それは半分冗談ですわよ。

半分冗談としても、あとの半分は本音ですからね。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
あたくしが被害者ならば、ノックさんが手を出した時にパンチを喰らわせますわよ!

ええっ。。。? でも、そうされた時には気が動転して女は体が動かなくなってしまうのですってぇ~。。。?

いいえ。。。 あたくしの場合には、猛烈にムカついて反射条件で手が飛び出すのですわ。
だから、なかなか結婚相手が見つからないのでござ~♪~ますう。
うふふふふふ。。。

とにかく、興味深い話題が続きますわァ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。
じゃあ、またねぇ。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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ところで、英語の面白いお話を集めました。

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では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

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