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熟女ブームなの?

2012年4月21日

 
 
 
熟女ブームなの?

デンマンさん。。。熟女ブームってぇ、カナダでのことですか?

いや。。。日本でのことですよ。

でも、熟女ブームなんてテレビのワイドショーでも話題になってませんわ。

僕はインターネット社会のことを言っているのですよ。

ネットでは熟女ブームなのですか?

そうですよ。

でも、私はネットでそのようなブームを感じたことがありませんけれど。。。

あのねぇ~、女性はたぶんファッションとか化粧品ブームとかグルメには敏感だけれど、男性に比べて性的イメージにはあまり拘(こだわ)っていないと思うのですよ。

だけど、ファッションも化粧品も性的イメージと関係しているでしょう?

確かに、そうなんだけれど、男の目線から見た性的イメージということですよ。 例えば、ロリコンなんてことが言われたけれど、ロリコンというのは男の目線から見た女性の性的イメージですからね。 だから女性について「花子さんはロリコンだ」とは言いませんよ。 それと同じように「花子さんは熟女好みだ」とは言わないものですよ。 花子さんがレスビアンならば話は別だけれど。。。

つまり、熟女ブームというのは男性がロリコンから熟女志向に成長したということですか?

いや。。。ロリコンの人はいつまでもロリコンでしょう。 熟女に目を向けても、心のどこかにロリコンが巣くっていると思いますよ。

デンマンさんはロリコンとは無縁なのですか?

男ならば誰でもロリコンの要素を持っていると思うのですよ。 でも、年とともに熟女の魅力に惹かれてゆくというのが僕の持論ですよ。

日本の社会が高齢化に向かっているので、それで男性の目線で見た場合にティーンエイジャーよりも興味が熟女に移っているということなのでしょうか?

うん。。。確かに、そうかもしれませんよ。

でも、どうして熟女ブームだと判ったのですか?

次の検索キーワードのリストを見てください。


(ame20411d.gif)

これはアメブロの僕のブログ(http://ameblo.jp/barclay/)で調べたのだけれど、4月11日の「検索ワード」のリストです。 検索エンジンから上のキーワードを入れて検索して僕のブログを読みにやって来た人が10人居たのですよ。 そのうちの4人が「熟女」に関連したキーワードを入れて検索したのですよ。

10人ってぇ、少ないですわね。

あのねぇ、僕のアメブロのブログは常連さんが多いのですよ。 4月11日は 延べ246人が僕のブログを読みにやって来たのですよ。


(ame20411.gif)

246人の内の10人が検索エンジンからやって来たのです。

でも、検索エンジンからやって来た人が常連さんではないと、どうして判るのですか?

それは次の「アクセス元URL」のリストを見ると判るのですよ。


(ame20411e.gif)

上の10人はGOOGLE と Yahoo!の検索エンジンからやって来た。 アメブロの常連さんはアメブロの検索エンジンを使うのです。 例えば上のリストの14番のリンクをクリックすると次のような検索結果が表れます。


(yah20421.gif)

でも、次の記事はアメブロの記事ではありませんわ。

『40代女性のヌード』

http://denman705.wordpress.com/taliesin/nude/

(2011年11月17日)

あのねぇ、僕がこの記事を書くために確認した時は、4月11日からすでに10日経っていたのですよ。 だから、順位が変わってしまっていた。 アメブロに投稿した同じ記事は次のように2ページ目に追いやられていたのですよ。


(yah20421b.gif)

あらっ。。。同じ記事なのにどうして順位がこのように大きく違ってしまうのですか?

あのねぇ~、サイトによって自動的にキーワードを「概要」の中に書き込む場合があるのです。 それにサイド・バーにタイトルを表示する場合も多い。 特に Denman Blog にはサイドバーの中にこれまでのすべてのタイトルが表示されるのですよ。 そのタイトルの中に「中年女性」がけっこう入っている。 それで、Denman Blog の記事は上位にランクされることが多い。

他のサイトではどうなのですか?

僕の18のブログと1つのウェブサイト(Beaverland Web)をまとめた「デンマン・シンジケート」全体の検索キーワードリストがあるから見てください。


(hg111-03b.gif)

これは去年(2011年)の11月から今年の3月までの5ヶ月間の人気キーワードリストですよ。 「中年女性」、つまり、熟女が2位なのですよ。 しかも、熟女に関連したキーワードが上位を占めている。

。。。で、『中年女性のヌード』の他にどのような記事が読まれているのですか?

Denman Blog の「人気記事リスト」を見てください。


(wp20409b.gif)

4月9日までの3ヶ月間の人気記事リストです。 『中年女性のヌード』がやっぱり熟女関連の記事ではダントツで読まれているのですよ。 次の2つの記事はその次によく読まれている。

『熟女ヌードとデンマン』

(2011年11月29日)

『中年女性の愛の生活』

(2010年3月19日)

ところで、上のリストにはどうして同じタイトルが2度出てくるのですか?

実は、Denman Blog はブログだけではなく、ウェブページ(ホームページ)のスペースも提供している。 ブログの記事の URL には日本語のタイトルが入ってしまうので引用する時に使いにくい。 ウェブページではすべてアルファベットの URL に統一することができる。 引用し易いのですよ。 それで僕はブログの記事をホームページにも書いている。 上のリストはブログとホームページを合わせた記録なのですよ。 それで同じタイトルが2度表示されると言うわけです。

デンマンさんは、このページの冒頭に私の写真を貼り付けていますわね。 私と「熟女ブーム」が関係あるのですか?

ありますよ。 だから小百合さんの写真をこのページの始めに貼り付けたのですよ。 上の Denman Blog の人気記事リストには出てないけれど、検索エンジンからやって来た訪問者が小百合さんを「魅力ある熟女」として特に選んで次の記事を読んだのですよ。

『軽井沢タリアセン夫人の憂鬱』

(2010年4月8日)

信じられませんわ。

信じてくださいよ。 「信じる者は救われる」と言うでしょう!? うへへへへへ。。。

どのような訳で私が選ばれたのですか?

「リンク元URL」のリストをもう一度見てください。


(ame20411e.gif)

小百合さんを「魅力ある熟女」として選んだ訪問者は 10番の URL からやって来たのですよ。

ヤフーの検索エンジンですわね。

そうですよ。 10番のリンクをクリックすると次のような検索結果が表示されるのですよ。


(yah20421c.gif)

あらっ。。。「おばさんパンツ」を入れて画像検索したのではありませんか!

そうなのですよ。 うしししし。。。 それでおばさんパンツを穿いた「魅力的な熟女」として赤枠で囲んだ小百合さんを選んだのですよ。

どうして、そうだと判るのですか?

画像をたどって、その訪問者は次の記事を読んだからですよ。。。小百合さんがどんな人かマジで知りたくなったのですよ。。。


(ame00408.gif)

Subj:小百合さん、おはよう!

夕べは小百合さんの肉声を聞いて

生きていることの喜びを

かみしめましたよう!

きゃはははは。。。

Date: 01/04/2010 12:52:37 PM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 4月2日(金)午前4時52分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com

小百合さんの声を聞いて生きていることの喜びをかみしめた、と僕が言うと、次のような返事が返ってくるでしょうね。

いつもオーバーですね。

「ルンルン気分で、

きゃはははは。。。」と言うのと

変わりがないわよう!

日本に居ると、

毎日ルンルン気分でなんて

居られないわ。

小百合さんは、そう思ってしまうかもしれないけれど、でもねぇ、3月31日の「軽井沢タリアセン夫人とどん兵衛鴨だしそば」それに、4月1日の「軽井沢タリアセン夫人と麺職人」を読んでみてね。
小百合さんは生き生きとルンルン気分で生きていますよう。

『軽井沢タリアセン夫人と

どん兵衛鴨だしそば』

(2010年3月31日)

『軽井沢タリアセン夫人と麺職人』

(2010年4月1日)

今の小百合さんは、役所のヤらしいおっさんのために、うんざりとした生活を送っている。
まさに日本の腐った社会の中に、どっぷりと浸(つ)かって暮らしている。
小百合さんは選択の道がないので、仕方なく日本に居ると思っているようだけれど、どの人の人生にも、必ず問題があるものです。
そういう問題や“しがらみ”を何とか片付けて、自分の生活の場を定めている。
それが僕にとってバンクーバーなのです。

バンクーバーに暮らしている日本人をたくさん知っているけれど、やっぱり、誰もが、それなりの“しがらみ”を持っている。
でも、人生は一度だ!と決心してバンクーバーに生活の場を決めている。

僕の目には、小百合さんが、わざわざ腐ったりんごのカゴ(日本)の中に戻ってしまったように思える。
そして、役所のヤらしいおっさんにいじめられている!

日本の教育制度やスキーやスケートや、スノボをするにも金がかかる仕組み。
好きなことが自由にできない日本の社会。

カナダの人口は、おそらく日本の5分の1以下でしょう!
でも、好きなことができる社会になっている。
いい学校を出ていなくても、まともに暮らせる社会になっている。

スノボが好きな人は、十分に時間をとって、お金もかからずにスノボをすることができる。
日本のように、いい学校に行き、いい会社に勤めようとすれば、そうはゆかない!

カナダには自由がある。
だから、日本の人口の5分の1ぐらいしか人が居ないのに、冬季オリンピックで金メダルが14個も取れる!
そういうカナダ人が育っている。

日本はどうか?
経済的にはカナダよりも豊かかも知れないけれど、文化的にも、精神的にも、スポーツの面でも、教育の面でも貧困ですよう!
しかも、生き生きのびのび暮らせる生活の場がない!
小百合さんがカナダに居れば、ルンルン気分で暮らせるのに、今の小百合さんは過呼吸になって、うんざりしている!

最近の小百合物語の中の小百合さんを見てください。
生き生きしている小百合さんが出てくる!

でも、小百合さんと夕べのように電話で話ができる幸せが残っていることを僕は本当に喜んでいますよ。
これも、神様が居るならば、神様が僕を小百合さんに回(めぐ)り逢わせてくれたのですよ!
その感謝の気持ちで小百合物語を書いているのです!
きゃはははは。。。

だから、小百合さんも時間があったら小百合物語を読んでみてね。
僕の感謝の気持ちを感じ取ってね。

小百合さん、ありがとう!
軽井沢タリアセン夫人、万歳!


『軽井沢タリアセン夫人の憂鬱』より
(2010年4月8日)

画像検索した人は上の記事をマジで読んだのかしら?

小百合さんのおばさんパンツ姿を見て魅力を感じたからこそ記事を読みたくなったのですよ。 「どんな人だろうか?」という好奇心が頭をもたげたわけです。 それで上の記事を読んだのですよ。

そうかしら。。。?

信じてくださいよ。 上の記録に残っているということが何よりの証拠じゃないですか! 僕がデッチ上げた記録ではないのですよ。 信じられないのなら小百合さん自身で確かめたらいいではありませんか!

でも、おばさんパンツ姿で選ばれたなんて。。。、なんだか気恥ずかしいですわ。

あのねぇ~、その訪問者は小百合さんがマジでどんな人なのか? 更に詳しく知ろうとして「軽井沢タリアセン夫人」で検索してたくさんの記事を読んだはずですよ。


(gog20415sa2.gif)

どうしてそう思うのですか?

だってぇ、画像検索して、魅力的な熟女の小百合さんを発見して、更に『軽井沢タリアセン夫人の憂鬱』まで読んだのですよ。

だから。。。?

当然、他の記事も読むはずです。 小百合さんのメールアドレスを突き止めて確認するために。。。それで小百合さんにメールを書くはずです。

どうして。。。?

「小百合さんが近所に住んでいたらぜひ一度会いたい」と。。。こういう内容のメールですよ。

だから、私はブログに書かれるのが嫌だと言ったのですわ。 デンマンさんは私をすっかり有名にしてしまったのですわ。

大丈夫ですよ。

大丈夫ではありませんわよ。 私は吉永小百合さんの次にネットで有名になっているのですわ。 次の検索結果を見てくださいな。


(gog20415sa.gif)

9,290,000件の3番目に「小百合物語」が表示されるのですわ。 吉永小百合さんのホームページよりも上なのですわ。 ストーカーに狙われたら、私は外へ出られないではありませんか!

そんなに心配する必要はありませんよ。

デンマンさんは知らないかもしれませんけれど、埼玉県の桶川市で女子大生がストーカーにしつこく追いかけられて、挙句の果てに殺されてしまったのですわ。

あのねぇ~、大丈夫ですよ。 その訪問者は小百合さんのおばさんパンツが欲しいだけなんだから。。。おばさんパンツを差し出せば命までは奪(うば)いませんよ。

デンマンさん!。。。んもお~♪~。。。いい加減にしてくださいな。 私の命が危険にさらされているのですわ。

大丈夫ですよ。 次の記事を読んでくださいよ。 

『生パンツ強盗に思う事。。。』

(2006年4月28日)

日本では最近、生パンツを奪う人が増えているのですよ。

でも。。。、でも。。。、私は心配ですわ。 私が生パンツを差し出すと命が助かるという確証でもあるのですか?

ありますよ。 思い出してくださいよ! その訪問者は、そもそも「おばさんパンツ」を検索して小百合さんを探し当てたのだから。。。小百合さんの生パンツは盗っても命まで奪(うば)おうとはしません!
 

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~
バカバカしい!
あなたはデンマンさんの言うことが信じられますか?
信じることができないでござ~♪~ましょう?

なんだか、あたくしも心配になってきましたわ。
デンマンさんにおばさんパンツを穿かされた画像がネットにたくさんで出回っているのですもの。。。

ええっ。。。これは「おばさんパンツ」じゃなくてダサい「かぼちゃパンツ」だから、あたくしはストーカーに狙われないとあなたは言うの?
「ダサい」だけ余計でしょう!?
んもお~♪~!

とにかく、次回も、面白い話題が続きそうでござ~♪~ますわ。
だから、どうか、またあなたも読みに戻ってきてくださいましね。
では。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

ズロースという和製英語があります。

もともと英語の drawers から日本語になったものです。

ドロワーズ とか ドロワース と言う方が

英語の読み方に近いのですけれど、

日本では圧倒的に「ズロース」と言う女性が多いようです。

でも、戦後そのように言う女性は少なくなったようですね。

最近では死語のようになっています。

誤って「かぼちゃパンツ」と呼ばれることもありますが、

「ズロース」とはちょっと違います。

かぼちゃパンツはズボンの一種です。

比較的ルーズフィットで横サイドが長めであり、

穿き込みが非常に深いものを指します。

また、かぼちゃパンツ同様、

ブルマーとも混同されがちですが、

ブルマーとはイギリスの貴婦人が考案した

トルコ風ズボンを元にした丈の短いものであり、

ズロースとは別物です。

パンティーとズロースの中間的なものとして

ショートズロース(カットズロース)といった

バリエーションもあります。

戦後、綿のメリヤス製のズロースが

最高級品として日本国中を席巻し、

スタンダードな下着として日本人の間に普及しました。

でも、最近では中高年の世代が着用するだけで、

衰退しつつあるようです。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。

パリ夫人

2011年11月11日

 

パリ夫人
 

 
 

Subj:小百合さん、おはよう!

夕べ小百合さんの夢を見ましたよう!

きゃはははは…

From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 28/11/2010 5:29:09 PM
Pacific Standard Time
日本時間:11月29日(月)午前10時29分

 
 

パリのセーヌ川の右岸を小百合さんと一緒に歩いているのです。
空は抜けるように青くて
どこからともなくイヴ・モンタンの歌う「枯れ葉」が聞こえてくるのですよう。
もう、僕は感激ですよう!

「シャンソン - 枯葉」

ロマンチックでもあり、またメランコリックでもあり、
何とも言えなく いいですよねぇ~。

僕は、当然、小百合さんの腰に手を回すのですよう。
うししししし。。。

「デンマンさん!くすぐったいから、お尻に手を当てないでねぇ~」
小百合さんは、半分白けたように僕を見つめて、そう言うのですよう。
でも、僕は何と言われようと、もう、うれしくて、うれしくて仕方がないのですよう。
パリのセーヌ川のプロムナードを小百合さんと一緒に散歩しているのですからねぇ。
これ以上のロマンはないのではないかと、僕はもうウキウキ、ドキドキ、ウハウハしているのです。
きゃはははは。。。

夢を見ているのに、僕自身はマジで現実のつもりなのですよう。
夢を見ているなんて、僕自身は少しも思っていない!
そのくせ、夢の中で、「これは夢じゃないの!?」
そう思っているのだから、今から思い出すと、しまりのない夢でしたよう。

「小百合さん、せっかくパリにやって来たのだから、この辺で Hよりも感じるハグをしませんか?」
僕が、そう言うと、小百合さんはニッコリするのだけれど、僕が抱きしめようとすると、するりと僕の腕から抜け出てしまうのですよう。
「小百合さん。。。そのように恥ずかしがらなくてもいいではありませんか? 僕も小百合さんもパリに居るのですから。。。さあ、記念に心を込めてハグしましょうね」
僕がそう言うと、小百合さんは、ちょっとムカついて言うのですよう。

「デンマンさん! 日本人の団体の観光客の人たちがジロジロ見てるわ。 ほら、あそこ。。。だから、おやめになってぇ~」
小百合さんの指差す方を見ると、旗を振っている添乗員の後を、山梨県の山奥の方からやって来た、団体のおじさん、おばさんたちが、僕と小百合さんを確かにジロジロ見てるのですよう。

やっぱり、パリも日本人の観光客の人たちで、ごった返しているのですよう。うもお~~。

「あらっ。。。デンマンさん。。。こんな所にインドカレーのお店がありますわ」
小百合さんが、そう言ったので指差す方を見ると、なんと、利根川を渡った所にある千代田町の本場のインドカレーの店があるではないですか!
小百合さんは、パリでも本場のインドカレーが食べられると、大喜びで店の中に入ってしまいました。

パリに来てまでインドカレーはねえだろう!?

僕は、カレーを食べ飽きているので心の中で、そう叫びましたよう。
でも、小百合さんが店の中に入ってしまったので、僕が一人で外に居るのもバカバカしいので、仕方なく入りましたよう。
そしたら、なんと千代田町のあの店に居たナナさんが居るではありませんか!
ナナさんは、インド生まれインド育ちなのに、日本語がうまいのですよう。
小百合さんと楽しそうに再会を喜び合っているではありませんか!

「ナナさん、いつパリに支店を出したの?」
「あらっ。。。デンマンさんもパリにやって来たのですか? パリのこのお店が本店で、日本の千代田町にあるお店の方が支店なのですわよう」
相変わらず愛嬌があって、ニコニコと笑顔を振りまいている様子は、インドの「愛の女神」かと思うほど、彼女の愛の精神が伝わってきますよう。

「デンマンさん。。。あの時は“激辛”を食べたのに、あまり辛くはないと言ってましたよね。 だから、今日は“超激辛”を食べてみてくださいな」
もう、こうなったら、“超激辛”でも、“めちゃ超激辛”でも、ナナさんの薦める物を何でも食べようと思いました。

その時、近くのテーブルで食べている女性二人が楽しそうに笑いながら僕を見ているのに気づいたのですよう。
なんと、ブルックリンのマリアさんと、カナダのマルサの女・ナンシーさんですよう。
いくらなんでも、これはできすぎているよ!

パリに千代田町のインドカレーの店があり、
しかも、ナナさんが居るのは偶然としても、
こともあろうに、ブルックリンのマリアさんが居るのは偶然にしてはできすぎている。
さらに、小百合さんがパリにやって来たのをかぎつけて、カナダのマルサの女・ナンシーさんまでがパリにやって来たなんて、絶対に信じられない。

「小百合さん。。。これは絶対に夢だよう! 夢か現実か?見極めるために、ちょっと僕のほっぺたをつねってみてよ」
僕は小百合さんに向かって、そう言ったのです。
「分かりましたわ」 小百合さんは、そう言うと思いっきり僕のほっぺたをつねったのですよう。んもお~~。。。
その痛さで目が覚めたと言う訳です。
うしししし。。。

考えてみたら、小百合さんにメールを書いてまで話すような夢ではなかったですよね。(爆笑)

でも、夢の中で小百合さんに会えてうれしかったですよう。
小百合さんも、軽井沢タリアセン夫人になりきって、たまには僕の夢でも見てね。
きゃはははは。。。

じゃあねぇ。
 


『パリの空の下で』より
(2010年12月1日)

デンマンさん、どうして去年のメールなど持ち出してきたのですか?

あのねぇ~、小百合さんが軽井沢タリアセンにある「睡鳩荘(すいきゅうそう)」や雲場池のそばにあった「ニューグランド ロッジ」になぜこだわるのか? 行田の水城公園にやってくると、僕の「足袋御殿」の話に興味を抱いた。 なぜなのか? 僕はちょっと不思議に思ったのですよ。

睡鳩荘

ニューグランド ロッジ

足袋御殿

その事とタイトルの「パリ夫人」が関係あるのですか?

あるのですよ。 考えてみると、どの建物も庶民が住んだり、滞在するような建物ではないのですよ。 「貴族社会」というか、「上流社会」というか? あるいは「裕福層」の人々たちが住んだり、滞在したりする建物なのですよ。

「パリ夫人」で思い出しましたけれど、デンマンさんは「舶来夫人」という記事を書いたばかりですわね。

『舶来夫人(2011年11月7日)』

よく覚えてますね。

だってぇ、上の記事を書いたのは、まだつい最近ではありませんか!

「舶来夫人」というタイトルにしたのも、もとをただせば小百合さんの上流志向というか? 豪華なものというか? そのようなものに寄せる思いが気になったからなのですよ。

それで、今度はどう言う訳で「パリ夫人」なのですか?

あのねぇ~、考えてみたら僕にも「上流社会」を垣間見たような思い出があったのですよ。

その思い出ってぇ。。。?

かつて卑弥子さんと「上流社会」について話したことがあるのですよ。 ちょっと読んでみてください。

今日は上流社会についてお話なさるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。でもねぇ、僕は上流社会だとか下層社会だとか。。。そう言うようにレッテルを貼る事は嫌いなのですよう。

どうしてでござ~♪~ますか? デンマンさんは下層社会に生まれて育ったので、上流社会に対して嫉(そね)みとか、妬(ねた)みを感じているのでござ~♪~ますか?

ほらねぇ~。。。十二単を着ていると、そのような事を言うのですよねぇ~。。。僕はそのように言われるのが一番イヤなのですよう。

つまり、あたくしが本当の事を申し上げたので、デンマンさんは頭に来て、ムカついているのでござ~♪~ますわね?

ますます僕の気に障る事を卑弥子さんは、わざと言うのですか?

わざとではござ~♪~ませんわ。 あたくしは思ったとおりの事を言っているのでござ~♪~ますう。 常日頃からデンマンさんが本音で生きなさいと言っているので、あたくしはデンマンさんの助言どおりに、心に浮かんだ事をズバズバと申し上げているのでござ~♪~ますわ。

心に浮かんだとしても、言わなくていい事まで言う必要は無いのですよう。

でも、上流社会についてデンマンさんがお話になるのですから、あたくしの申し上げている事は決して脇道にそれているとは思いませんわ。

でも、卑弥子さんは、まるで日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように、わざと僕の気持ちを不愉快にさせていますよう。

いいえ、それはデンマンさんの誤解でござ~♪~ますわ。 あたくしは『小百合物語』のホステス役としてデンマンさんのお手伝いをしているだけでござ~♪~ますわ。 おほほほほ。。。

だったら僕を不愉快にさせるような事を言わずに、今日の話題に沿った事を言ってくださいよう。

分かりましたわ。。。んで、デンマンさんにとって上流社会とは、どのようなものなのでござ~♪~ますか?

実は、僕は思いがけなく、子供の頃に上流社会を垣間見た事があるのですよう。

どのようにして、でござ~♪~ますか?

ちょっと次の写真を見てください。

実はねぇ、この写真は僕がコラージュして作ったものですよ。 僕が小学校1年生か2年生の頃覗き見た別世界のイメージですよ。

行田ですか?

そうですよ。行田の町は戦前、足袋で知られた町だったのですよ。日本の足袋生産の7割から8割を占めていたと言われたほどです。行田の町を歩くと、どこからとも無く、次のような音が聞こえてくると言うのですよ。

フンジャトッテ、カッチャクッチャ

フンジャトッテ、カッチャクッチャ

フンジャトッテ、カッチャクッチャ

何ですか、これは。。。?

足袋を作る女工さんがミシンを踏む音ですよ。フンジャとは、ミシンを踏んで、トッテとは、給料を貰って、カッチャで、行田のフライを買って、クッチャでフライを食べるわけですよ。それで、ミシンを踏む音がフンジャトッテ、カッチャクッチャと聞こえると言うのですよ。

つまり、“行田のフライ”と言うのは、女工さんのための食べ物だったのでござ~♪~ますか?

調べてみると、どうも、そうらしいのですよう。

。。。んで、上のカッチャクッチャは、デンマンさんが語呂合わせで作ったのですか?

違いますよう。 昔から行田で言い伝えられています。ところが太平洋戦争後、アメリカからナイロンの靴下が入ってきて、足袋産業はすっかり落ちぶれてしまった。 僕が小学生の頃には足袋を履いて学校へ行く生徒なんて全く居ませんでしたよ。

それで、足袋と白いドレスを着た女性の写真は、一体どのような関係があるのでござ~♪~ますか?

行田の本町(ほんちょう)通りと言うのが町のメインストリートなんですよ。その通りには足袋で財を成した人の大邸宅と工場が建っていた。 でも、僕が小学生の頃はほとんどの工場が足袋を作らず、学生服だとか作業衣を作るようになっていた。 でも、つぶれてゆく工場が後を絶たなかった。その一つが上の写真ですよ。

つまり、足袋で財を成した人の大きな邸宅があったのですわね?

そうですよ。でも、僕が小学校へ行く道筋にあったその邸宅は、いつも大きな門が閉まっていた。門が開いているのを見たことが無かった。

それで。。。?

いつも大きな門が閉まっていて中が見えない。 子供心に、この家の門の中はどのようになっているのだろうか?好奇心が湧いてきたのですよう。

それで、デンマンさんは覗いてみたのでござ~♪~ますか?

そうですよ。 がっしりとした大きな門も風雪に晒されてガタが来て隙間ができていました。 それで、その隙間から覗いたのですよ。

そうして見たのが上の写真のイメージだったのですか?

そうですよ。 びっくりしましたよ。 白いドレスを着ている人なんてアメリカ映画でしか見たことが無い。 それに晴れているのに白いパラソルなんかさしている。 “晴れているのに、なぜ傘をさしているのだろう?” それまで、パラソルをさしている女性を見たことが無かったのですよ。 とにかく、幻想的というか、初めて見る夢のような光景に、別世界と言う感じがしたものですよ。 白いドレスと、白いテーブルに椅子、日本人離れしたイデタチの女性。 僕はフランスに行ったような錯覚に囚われたのですよ。 フランスに行けば、おそらくこのような光景を見るに違いない。。。そう思ったものですよ。

それで、なぜ、デンマンさんが小学生の時に見た貴婦人は結婚式でもないのに、結婚式の時に着るような白いドレスを着ていたのですか?

確かに、普段、着るようなものじゃないですよね。

それで、貴婦人は一人っきりで居たのですか?

実は、少なくとも二人居たのですよ。相手は同じ年頃の男の人でしたよ。 二人はテーブルに腰掛けてコーヒーか紅茶を飲んでいたのですよ。

他にも人が居たのですか?

テーブルに座っていたのは二人だけでした。 でも、ちょっと離れたところに人が居たようにも記憶しているのですよ。

一体何をしていたのでござ~♪~ますか?

だから、僕と小百合さんが白いテーブルに座って大仏を見ながら、いろいろと取り留めの無い話をしていたように、そのカップルもお互いに気心が知れているように気兼ねなく楽しそうに話をしているように見えましたよ。

ただ無駄話をしていただけでしょうか?

なぜ、あのような白いドレスを着て周りの世界とはあまりにもちがった“外国”でお茶を飲みながら談話していたのか? 僕にだって、なぜなのか断言できませんよ。 想像を膨らませる以外には答えようが無いですね。

デンマンさんはどう思われるのですか?

僕は“最後の晩餐”ならぬ、“最後の茶会”だったのではないだろうか? 今、考えてみると、そのように思えるのですよ。 つまり、華麗で豊かな時代が終わったのですよ。 行田の足袋産業は斜陽化していた。すでに繁栄の時代の終焉は見えていたのですよ。 その女性は30代の半ばだったかもしれません。 一緒に居た男性は夫だったかも知れません。 二人はハネムーンにパリに行ったのかもしれません。

女性は、パリで着たドレスを出してきて身につけたのかもしれませんよ。工場も邸宅も人手に渡ってしまった。それで最後の茶会を夫と二人で楽しんでいたのかもしれません。

でも、その邸宅は、いわば風雨に晒されて朽ち果てるような佇(たたず)まいだったのでござ~♪~ましょう?

そうですよう。 工場は操業していなくて、廃業に追い込まれていたようです。 大きな門もペンキがはげて、かなり傷(いた)み始めていましたよ。 でもねぇ、二人の思い出の中では、真新しい邸宅のままだったかもしれませんよ。

もしかして、その二人は幽霊なのでは。。。?

まさかぁ~。。。僕は学校が終えてから通りがかりに覗いたのだから午後3時半か4時ごろでしたよ。 晴れ渡っていて、雲もほとんど無くイイ天気でした。 芝生の色が鮮やかに記憶に残っていますよ。 第一、幽霊だったら、足が無いでしょう?僕の見たその二人には足がちゃんとありましたよ。 だいたい幽霊ならば、晴れ渡った昼下がりに出てきませんよう。

それで。。。男の人はどのような服装をしていたのでござ~♪~ますか?

それが。。。やっぱり普段着ではないのですよ。 タキシードのようなパシッと決めた服装をしていましたよ 。とにかく、アメリカ映画の中でしか見かけないようなカップルでしたよ。 その前にも後にも、行田では見たこと無いような、とびっきりハイカラな格好をしていましたよ。

もしかして、デンマンさんが夢を見て。。。その夢を現実と混同していたのではないですか?

もし夢ならば、20年も30年も記憶に残りませんよ。 あの鋳鉄(ちゅうてつ)でできた白いテーブルと白い椅子ね。。。これが、とにかく印象的に僕の脳裏に焼きついたのですよ。

そんなモノがですか?

卑弥子さんは、“そんなモノ”と言うけれど、当時小学生の僕は『名犬ラッシー』にハマっていたのですよ。

『名犬ラッシー』

ラッシーは、元来は、イギリス系アメリカ人の作家であるエリック・ナイト(Eric Kngiht 1897-1943)が創造し、短編として、1938年のサタデー・イブニング・ポスト紙上で掲載された話「名犬ラッシー 家路 Lassie Come-Home」の主人公である。
1940年には単行本の小説として出版された。

ナイトのオリジナルの話では、英国ヨークシャーに住む幼い少年が、類い希な美しさと気高さを持ったラフコリーを所有していたが、少年の一家が経済的な困窮に直面したとき、やむをえず、ラッシーを金持ちの貴族に売却した。
少年と犬は別離を悲しみ、わけても新しい所有者が、自分の領地のあるスコットランドへと、何百マイルもの彼方にラッシーを連れて行ったため、悲しみはいやましに増大した。
しかしラッシーは、コリーの持つ本能と勇気で逃げだし、小説は、ラッシーが故郷へと、彼女の愛する少年のいる土地へと、家路を辿る苦難の旅を描いている。

1954年-1974年には、アメリカでTVドラマ・シリーズとして製作され、放映された。
このドラマは、日本では、「名犬ラッシー」として、1957年11月3日 – 1966年4月23日、TBS系列で放映された。


出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

庭にある洒落(しゃれ)た鋳鉄製(ちゅうてつせい)の白いテーブルと白い椅子は『名犬ラッシー』の中でしか見たことが無かったのですよ。 言わばそれは僕にとってアメリカを象徴しているようなものだった。 それが、大きな門の隙間から覗いた向こう側の庭にあった。 そこにアメリカを覗き込んだような驚きでしたよ。 ショックと言った方が的確かもしれませんよ。 それほど衝撃的に小学生だった僕のオツムのスクリーンに焼きついてしまったのですよ。

それほど衝撃的だったのですか?

そうですよ。アメリカは僕にとってテレビの中の世界だった。言わば夢の世界だった。その夢の世界が大きな門の向こう側にあった。僕が知らずに毎日通っていた道の傍らに別世界があったのですよ。

どれぐらい覗いていたのですか?

どんなに長くても5分以上は覗いていませんでしたよ。

カップルが居たのは門からすぐ近くだったのですか?

門から20メートルほど離れていましたね。

デンマンさんが覗いていることは気づかれなかったのですか?

気づいている様子は全く無かったですね。楽しそうに夢中になって会話している様子でしたよ。

今でもその場所はあるのでござ~♪~ますか?

もう、20年近く前にその場所は取り壊されて新しい建物が建っていますよ。

行田のどの辺にあったのでござ~♪~ますか?

本町(ほんちょう)通りにあったのですよ。 この上の地図だと125号が本町通りです。 僕が小学校の頃の面影はほとんど無くなってしまいました。 “徳樹庵(とくじゅあん)”という居酒屋がありますが、ここにあったと思うのですよ。

今は居酒屋になっていますが10年ぐらい前は、この店は洋食屋だった。 まだ僕のオヤジが生きていた頃で、僕が帰省した時には家族でこの店に食べに行ったものですよ。 タバスコが食卓にあって、オヤジが“こういう物は初めて見るなぁ~”と言って興味深そうにカレーに振りかけて食べていたことがあった。 今、思い出しましたよう。

面白いお父さんでしたのね?ところで、小百合さんと一緒にパスタを食べたと言うお店は、上の地図ではどこにあるのでござ~♪~ますの?

大長寺の隣に赤い丸がつけてあるでしょう? ここがパスタの店ですよ。

大仏からすぐ近くでござ~♪~ますの?

すぐですよ。 ほんの目と鼻の先ですよ。 去年(2007年)の11月、この大仏の前に初めて白いテーブルと椅子を見たとき、小学生だった時のあの衝撃が再び僕のオツムに蘇(よみがえ)ったのですよ。 僕の実家はこの大仏を目指してやってくればすぐに分かりますからね、それで小百合さんにメールを書くときに僕は“ロマン・スポット”の事を書いたのですよ。

つまり、ロマン・スポットとは、鋳鉄(ちゅうてつ)でできた白いテーブルと椅子が置いてある場所でござ~♪~ますか?

そうですよう。 僕が、あの幻の上流社会の大邸宅の庭に見た白いテーブルと椅子ですよう。

Re: 10月22日 大仏のロマン・スポット
From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp
Date:Sun, 21 Oct 2007 7:16 pm

早いですねぇ~
。。。と言う僕も日本に来てから、たいてい6時半に目が覚めてしまうのですよ。
それで、もう一眠りと思って起き出すのが8時半から9時です。
今日は8時半に起き出して、NHKの朝の“おはよう日本”を見ながらゆっくりと朝食をとって。。。
もちろん、すべて自分で用意して食べますよ。

味噌汁は、お袋が夜寝る前に作るのです。
大体、できたものを温めて食べますね。
あるいは鮭やタラコ、メンタイコをチンして食べます。

そういえば、今思い出しましたが、日本へ来てからまだ納豆を食べていませんでしたよ。
明日の朝、食べようと思います。(^ー^*) 

では、小百合さんからのメールをお待ちします。

今度お目にかかる時には、ぜひ小百合さんを大仏のロマン・スポットにご案内しようと思いますよ。
お昼ごろ、昼ごはんを食べずにやってきてください。
でも、期待しすぎないように。。。
小百合さんにとっては、つまらないかもしれません。。。

by デンマン

\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。


『ロマンと小百合さん』より
(2007年11月24日)

このメールの中で書いた“大仏のロマン・スポット”こそ、僕にとって小学生の頃見た白いテーブルと白いドレスの女性を思い起こさせるロマンあふれるスポットなのですよ。

分かるでしょう? この白いドレスの女性がありありと思い出されてきたのですよ。 当然の事ですが、上のメールを書いているとき、僕のオツムの中で白いドレスの女性が小百合さんへと変身していったのですよ。

そうして僕はこのロマン・スポットで小百合さんと会うことになったと言う訳ですよ。うへへへへ。。。

それで。。。それでぇ~、。。。デンマンさんは小百合さんと。。。、あのォ~。。。この2つの椅子に。。。あのォ~。。。仲良く。。。仲良く腰掛けたのでござ~♪~ますかぁ~? そうやって。。。そうやって。。。恋人同士のように、年甲斐もなく若返って楽しい時間をすごしたのでござ~♪~ますかア?

ん?。。。年甲斐もなく若返ったぁ~。。。? それは。。。それは、余計なことでしょう?

余計な事ではござ~♪~ませんわ。 つまり。。。つまり。。。デンマンさんが妄想していたロマンの中に小百合さんを押し込めたのですわねぇ~?

やだなあああぁ~。。。僕は。。。僕は、別にロマンを妄想していたのではありませんよゥ。 実際に30年前に起こった事なのですよ。 僕は、はっきりとこの目で見たのですよ。

でも。。。でも。。。デンマンさんは白いドレスの女性の代わりに小百合さんをそのロマンの中に押し込めて、大仏の前の白い椅子とテーブルに置き換えて、ロマンを実現しようとしたのですわぁ~。

ちょっと。。。ちょっと。。。卑弥子さん!。。。あなたは、なぜかムキになっていますよねぇ。。。どういう訳ですかア?。。。そんなに感情的にならないでくださいよゥ。


  
 
『上流社会(2008年8月28日)』より

判りましたわ。。。それで、デンマンさんはパリにこだわるのですわね。。。つまり、私を「パリ夫人」にみたてて小学生の頃に垣間見た白いドレスの夫人を偲んでいるのですね。

うしししし。。。いけませんか?

別にいけないことはありませんけれど。。。このようなお話をしたところで読む方々は面白くも、なんともないと思いますわ。

あのねぇ~、そのように決め付けることはありません。 誰にでも似たような思い出というものがありますよ。 この話を聞いて小学生の頃の思い出を懐かしむ人だってきっと居ると思うのですよ。

そうでしょうか?

ところで、小百合さんにだって同じような思い出があるのではありませんか?

そうですわね。

ぜひ話してくださいよ。

デンマンさんのお話があまり長くなったので、その話はまたの機会にいたしますわ。

そうですかァ。。。残念だなァ~。。。

期待しないで待っててくださいな。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
小百合さんのお話がぜひ聞きたいものでござ~♪~ますわ。
あなただってぇ、小学生の頃に同様な思い出がおありでしょう?
ぜひ、コメントに書いてくださいね。
お待ちしておりますわ。

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいまし。
じゃあ、またねぇ。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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『アナクロニズム(2011年3月27日)』

こんにちは。ジューンです。

“旅の恥はかきすて”

日本では、よくこのような諺を耳にしますよね。

あなただって聞いた事があるでしょう?

もちろん外国でも

似たような諺がたくさんありますわ。

ところで、英語では何と言うのでしょうか?

考えてみた事がありますか?

A man away from home

need feel no shame.
 
文字通りに訳せば、

「家を遠く離れた者は恥を知る必要がない」

と言う意味です。
 
You can throw away all

inhibitions while on a trip.

「旅に出たら普段恥ずかしくって

できない事をやっていいのよ」

と言う意味です。

You can cut loose while traveling.

砕けて言えば上のように言うこともできます。

また、次のような言い方もあります。

Leave your sense of shame at home.

「(旅に出る時には)恥ずかしいなんて思う気持ちは

家においてくればいいの」

しかし、あまり人に迷惑をかけない方がよいですよね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

軽井沢再訪

2011年9月14日

    
軽井沢再訪

Subj: 小百合さん、おはよう!

北京ダックですよう!

きゃははははは。。。

Date: 18/05/2010 9:56:52 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 5月19日(水)午前1時56分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com

『北京ダックと軽井沢タリアセン夫人』

(2010年5月18日)

2008年には、こんなことを書いてたの?。。。と、小百合さんも、懐かしい!と思いながら、楽しく読めるように書きましたよう。
入れたてのコーヒーを飲みながらのんびりと読んでみてね。

今日のバンクーバーは久しぶりの雨ですよう。
母カラスが子供を守るようにしながっらじっと座って、雨からかばっているのです。
なんだか、けなげなようでありながら、哀れみを感じさせるような。。。
自然は動物にとって、やっぱり厳(きび)しいのだよね。

自然を克服したのは、どうやら人間だけのようです。
でも、その人間も、大気を汚染させて、地球温暖化を招いてしまった。
やっぱり、自然に逆らうと、しっぺ返しを喰らうようです。
きゃははははは。。。

5月20日の記事も小百合さんが楽しみながら読めますよう。
題して『夢の中華パン』です。

『夢の中華パン』

(2010年5月20日)

小百合さんとマジで対話しているような気持ちで書きました。
ぜひ読んでみてね。
きゃははははは。。。

それでは、いつものように、今日も小百合さんが軽井沢タリアセン夫人になりきって、楽しく愉快に、有意義に過ごせるように、応援しながら祈ります。

ラーメン。。。

きゃはははは。。。

じゃあね。


『思い出の軽井沢』より
(2010年5月26日)

デンマンさん。。。いつも、いつもメール、ありがとうございます。

でも、小百合さんは、あまりうれしそうではないですね。

分かりますか?うふふふふ。。。

本心はどうなのですか?

本心を言ってもいいのですか?

どうぞ、はっきりと言ってくださいよう。

実は、うっとうしいのですわ。

ん。。。? うっとうしい。。。?

そうですわ。

やだなあああァ~。。。そ~はっきり言われると、僕の極度に強い心臓も急に萎縮して、心臓麻痺になりかけたではありませんかァ!

それは、ちょっとオーバーですわ。デンマンさんは、すぐに悪乗りしますからね。

僕は思い出を大切にしているのですよう。

思い出を大切にするためにメールをたくさん書くのですか?

そうですよう。。。思い出を確かめるために。。。ちょうど小百合さんが食べて思い出を確かめるように。。。僕はメールを書いて思い出を確かめるのですよう。

それで、今日のタイトルを『軽井沢再訪』にしたのですか?

そうですよう。。。うしししし。。。いけませんか?

軽井沢・旧軽井沢・白糸の滝

鬼押し出し・浅間山

小百合さんも、こうしてビデオクリップを見ると軽井沢が急に懐かしくなるでしょう?

でも、上のビデオを見ると、なんだかあまりにも忙(せわ)し過ぎますわ。

つまり、もっとのんびりと。。。、ゆったりとした気持ちで軽井沢を散歩したいのですね?

そうですわ。

だったら、次のビデオクリップを見てくださいよ。 小百合さんものんびりとした気分でマジで軽井沢が懐かしくなりますよ。

秋の旧軽井沢銀座

ぶらり散歩

そうですわね。。。なんだか急に軽井沢に行きたくなりましたわ。

そうでしょう!?。。。これから秋の紅葉の季節になりますからね。 まだ残暑が厳しいけれど、軽井沢ではすでに秋の気配がしていると思うのですよ。

軽井沢の別荘で見た見事な紅葉

実は、(2008年)11月18日に軽井沢に行き、小百合さんの別荘で庭先の紅葉を見ながら僕はコーヒーをいただいたのですよう。

別荘といっても、小百合さんの別荘はマンションなんですよう。一階の一番奥にあるのです。この写真は夏に撮ったものだけれど、リビングの窓から庭の向こうに見える紅葉が実にきれいでした。

本当に、これほど見事だったのでござ~♪~ますか?

紅葉は上の写真ほど密集していなかったけれど、紅葉に夕日が差し込み始めて、その様子は黄金の空をバックに燃えるように映(は)える紅葉で。。。実にドラマチックで。。。ロマンチックで。。。

デンマンさん。。。あのォ~。。。ちょっと美化しすぎているのではござ~♪~ませんか?

うん、うん、うん。。。僕が話し始めれば、卑弥子さんは多分そう言うだろうと思っていましたよう。でも、筆舌に尽くしがたいほどの素晴しい光景だったのですよう。

それであのォ~。。。ロマンチックな気分に浸って。。。コーヒーを飲んだ後で小百合さんと萌え萌えになって、一年ぶりの再会を記念して熱い接吻を交わしたのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。卑弥子さんは熱い接吻に、ちょっとばかり、こだわりすぎているのではありませんか?

だってぇ~。。。これまでのデンマンさんと小百合さんのやり取りを読ませていただいたら、絶対にそうなるのでござ~♪~ますわ。

でもねぇ~。。。現実には、なかなか、そのようなロマンチックなシーンにはならないのですよう。

。。。んで、何をなさったのですか?

テーブルを見ると、小百合さんが町立図書館から借りてきた本が山のように積まれていたのですよう。

その一番上にあったのが「私の軽井沢物語」だと、デンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。この本のことは次の記事の中でも書きましたからね。

『軽井沢物語』

(2008年8月26日)

それで小百合さんは、デンマンさんとその本の事でお話しようと図書館から借りてきたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。

。。。んで、何をお話になったのですか?

いろいろと話題は尽きませんでした。でも、一つだけ僕と小百合さんで意見が分かれた話題があったのですよう。

それって、なんですの?

小野美津子さんという女性が「私の軽井沢物語」に登場するのですよう。名前は、もしかすると満津子あるいは満子だったかもしれません。

それで、どのように意見が分かれたのでござ~♪~ますか?

小百合さんは、その女性がオノ・ヨーコではないか?!そう言うのですよう。僕は絶対にそうではない!と思ったのです。結局、僕が後で調べてみる、という事でその話はそのままになったのですよう。

。。。んで、調べてみたのですか?

そうです。


『愛のプレゼント (2008年12月16日)』より

どうですか、小百合さん。。。?覚えているでしょう? 雲場池の紅葉もみごとでしたよ。
 
 
雲場池の紅葉
 
 

 
 

ええ、思い出しましたわ。 でも、私は万平ホテルでお茶を飲んだときのことが懐かしいですわ。
 
 
万平通り 万平ホテル
 
 

 
 
万平ホテル カフェテリア
 
 

 
 

僕はタリアセンヘ行って小百合さんと散歩したときのことが懐かしいのですよ。

何がそれほど懐かしいのですか?

塩尻湖畔を散策しながら「レストラン湖水」でロマンチックに食事をしようとしたら閉まっていた。。。きゃはははは。。。

軽井沢タリアセン
 
 

 
 

デンマンさんとご一緒に出かけた時には閉まっていましたわね。

 レストラン 湖水

小百合さんは、このレストランを知っていたのですか?

私は軽井沢タリアセンには子供をつれて何度か行ったことがありましたから知っていますわ。


 
 
 睡鳩荘(すいきゅうそう)


 
 

小百合さんと一緒に行った時には睡鳩荘(すいきゅうそう)を見て、それからレストラン・ソネットへ行ったのですよね。

 レストラン ソネット
(1階がレストランで2階は「深沢虹子・野の花美術館」)

そうでしたわ。 チーズケーキをいただきながらコーヒーを飲んだのでしたわね。

そうでした。 寒い日で、園内には数えるほどの人しか居なかった。 「レストラン湖水」 が閉まっていたのも納得がゆきましたよう。 確か11月の寒い日で、季節外れだったのですよね。

でも、またいつか行く機会があると思いますわ。

じゃあ、来年の秋に、小百合さんと一緒にブイヤベースを食べましょう。

ブイヤベースはないと思いますわ。 うふふふふ。。。

マジで。。。?

デンマンさんは、何かといえばブイヤベースですわね? 他に気のきいた料理の名前を覚えてないのですか?

もちろん、他にも料理の名前ぐらい覚えていますよう。。。でもねぇ、ブイヤベースの響きが、なんとなく格調高くありませんか?

そうでしょうか?


『しんみりした曲ですね』より
(2010年12月27日)

小百合さんは、それまでに睡鳩荘に入ったことはなかったのですか?

ありませんでしたわ。 デンマンさんとご一緒に見たのが初めてでした。

そうですか。。。そう言えば「軽井沢物語」を読んで小百合さんは朝吹登水子(あさぶきとみこ)さんの生い立ちや軽井沢での生活に興味を持ったのでしたよね。

デンマンさんは良く覚えていますわねぇ?

もちろんですよう。 僕はそのことで次の記事を書きましたからね。。。

『軽井沢物語(2008年8月26日)』

朝吹登水子さんが生前、夏を過ごしたという山荘“睡鳩荘”を一度見てみたい。。。確か、そんな事を小百合さんは言ってましたよね?

そうでしたわ。。。それにしても、デンマンさんはよく覚えていますねぇ。

僕にとっても、その時の事は懐かしい思い出になっているのですよ。

マジで。。。?

もちろんですよ。 このような時にデマカセを言うつもりはありません。 あの時、睡鳩荘の前で2羽の番(つがい)の白鳥が僕と小百合さんを出迎えてくれたのですよう。

そのような事があったかしら?

やだなあああァ~。。。小百合さんは忘れてしまったのですか?

覚えていませんわ。

小百合さんは高校時代に冷(さ)めた女になろうとした後遺症が今でも続いているのですね?

そのような事はありませんわ。

だったら、僕の感動を次の記事から読み取ってくださいよう!

朝吹登水子さんが生前、夏を過ごしたという山荘“睡鳩荘(すいきゅうそう)”を小百合さんと見に行った時のことですよう。 現在、その山荘は中軽井沢の塩沢湖の畔(ほとり)に移築されて建っているのだけれど、その睡鳩荘の前で2羽の番(つがい)の白鳥が僕と小百合さんを出迎えてくれたのですよう。 もう。。。何と言うか。。。できすぎているとしか言いようが無いですよう! 小百合さんも、そう思いませんか?

でも、それって。。。やっぱり偶然だと思いますわ。

偶然にしては、できすぎていませんか?

そうですね。

もちろん、睡鳩荘の前で出迎えてくれた2羽の白鳥が行田の実家の近くに居た2羽の白鳥だったと言うつもりは無いですよう。。。でも、妙にロマンチックと言うか。。。違う白鳥だとしても、なんだか小百合さんと僕の再会を祝福してくれているようで。。。

デンマンさんって、何でも美化してしまうのですね?

いや。。。美化しているつもりではないのですよう。。。でも、これまで小百合さんとどこへ行っても2羽の白鳥に縁があるのですよう。

だから。。。それって。。。私は偶然だと思いますわ。

小百合さんは、ロマンチストではないのですね?

だってぇ~、現実と向き合う時、夢のようなお話は消えてしまいますから。。。

しかし、これだけ白鳥との縁を思うと、なんとなく2羽の番(つがい)の白鳥が僕と小百合さんを象徴しているような。。。うしししし。。。そんな風に感じられるのですよう。。。小百合さんは、そう感じませんか?

別にィ~。。。とりわけロマンに結び付ける気持ちはありませんわ・・・

そうですか。。。小百合さんは僕と再会できた事をそれほどロマンチックだとは思っていないのですね?

ロマンチックだと言う意味がデンマンさんと私では少し意味合いが違っているのだと思いますわ。 でも、私はデンマンさんと再会して十分に楽しんでいますわ。

ほう。。。そうですか・・・でも、ロマンチックではないのですか?

デンマンさんはロマンにこだわっているのですね?

そうですよう。 もう何度となく書いているけれど、小百合さんは僕にとって夢とロマンの女神なんですからね。

夢とロマンの女神

小百合さん、バンザ~イ!

それって、絶対に私を美化していますわ。

小百合さんは僕の気持ちや考え方が分かっていますよね?

分かっているつもりですわ。 でも、ブログでこのように書いても、誰もこのような会話がデンマンさんと私の間でなされたと信じる人は居ませんわ。


『乙女の夢とロマン』より
(2008年11月22日)

デンマンさん!。。。このような事を書かないでくださいな!

どうして。。。?

だってぇ、読まされている私こそ恥ずかしいですわ。

やだなあああァ~。。。喜んでくださいよう!

このような事は第三者の読者にとっては面白くもなんともないのですわ。

いや。。。だから、軽井沢の通り一遍の観光案内を読むのよりも面白いと思うのですよ。

中には余計な事を読まされてムカつく人も居ると思うのですよ。

そういう人は無理して読みません。 ここまで読んできた人は面白いと思うから読んできたのですよ。

そうでしょうか?

ムカつくと言えば。。。僕は思い出したけれど、あの寒さの中で見たクリスマスのイルミネーションね。。。あの時の寒さは身にこたえましたよ。。。未だにはっきりと覚えています。
 
 
軽井沢のイルミネーション


 
 

確かに、あの時は寒かったのですわ。 それにお腹もすいていましたから。。。

でも、30分ほどイルミネーションを見ながら店が開くのを待って軽井沢駅近くの焼き鳥屋に入った時には生き返るような気がしましたよ。

デンマンさん。。。それはちょっと大げさですわよ。
 
 
軽井沢駅の景色
 
 

 
 
軽井沢 プリンス ショッピング プラザ
 
 

とにかく、懐かしいですよ。 寒い思い出。。。暖かい思い出。。。忘れられない思い出。。。小百合さんとの出会いがなかったら、僕は軽井沢でこれほどの思い出を作ることができなかったと思うのですよ。

たくさんの思い出ができてよかったですわねぇ。

小百合さんはどうなのですか?

もちろん、素敵な思い出がたくさんできましたわ。

そうですか。。。それを聞いて安心しましたよ。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
あたくしにも軽井沢の思い出があるのでござ~♪~ますわ。
ええっ。。。どのような思い出かってぇ~。。。?

軽井沢のジョンレノンですわよ。
あたくしはビートルズの熱烈なファンなのでござ~♪~ますもの。。。
うふふふふふ。。。

“キャ~ 素敵ィ~♪~”

でもねぇ~、日本も含めて世界中にビートルズの熱狂的な嵐が吹き荒れたのは、あたくしが生まれる以前のことでしたわ。
ところが何度も何度も、あたくしはビートルズの夢を見るのでござ~♪~ますわ。
軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うような気が、マジでするのでござ~♪~ますう。

滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、

このカフェテラスに下りてきたのですよ。

わたしたちに「おはようございます」と

日本語であいさつしたものですわ。

いつも庭に面した一番奥の席にすわって、

他のお客様には背を向けるような格好で

腰掛けていました。

ジョン・レノンのお気に入りは

ローヤルミルクティーでしたわ。

『幸福の谷』より
(2008年4月6日)

あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ~♪~ますわ。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。
おほほほほほ。。。

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。

 
メチャ面白い、

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『ゴダイヴァ夫人のチョコ』

こんにちは。ジューンです。

あなたは軽井沢に出かけたことがありますか?

私はデンマンさんとご一緒に

一度だけ訪れたことがあります。

この湖は“Swan Lake”という

英語名がついているのですわ。

昔、宣教師の方が軽井沢に

別荘を持っていたのですって、

その家族の人たちが名づけたらしいのですわ。

10月でしたが、紅葉が見ごろになっていました。
 
 
軽井沢・雲場池の紅葉


 
 
まだ冬景色には程遠かったのですけれど、

湖にしては小さなその池のほとりに立ったら、

どこからともなく白鳥が飛んできそうな

感じがしましたわ。

そう言えば、バンクーバーの

クイーン・エリザベス・シアターで

デンマンさんとご一緒に

バレー『白鳥の湖』を見たことがありましたわ。
 
 

 
 

 
 
あの時のチャイコフスキーの曲が

聞こえてきたものですわ。

それで、私はいつになく

感傷的になったことを覚えています。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。

イタリア夫人

2011年8月16日

  
イタリア夫人
  

[491] Re:小百合さんのために作った
『夢とロマンの軽井沢』のサイトに、
たくさん記事を書いて、
もっと読み応えのあるサイトにしますからね。
 \(^_^)/キャハハハ。。。

Name: さゆり E-MAIL
Date: 2009/01/20 22:54
(バンクーバー時間: 1月20日 午前5時54分)

デンマンさん!

そこに 座っていたら ダメです。

もっと外を歩いて下さい。

どこかの なんとか老人に

なってしまいますよ。


『軽井沢タリアセン夫人』より
 (2011年8月12日)

デンマンさん、今日はイタリア夫人のお話ですか?

そうです。

でも、イタリア夫人って一体誰のことですの?

小百合さんは判っているでしょう?

私がすでに知っている人ですか?

もちろんですよ。 小百合さんの用事で TD 銀行に歩いて行っかなかったら、おそらく「イタリア夫人」について書くこともなかったでしょう。

あらっ。。。マジで。。。?

TD 銀行で用事を済ませてから僕はバンクーバー図書館に行ったのですよ。

そこで日本語の本を10冊借りてきたのです。

つまり須賀敦子さんがイタリア夫人なのですか?

いや。。。須賀敦子さんだけではないのですよ。

でも、どうして須賀敦子さんの本を読もうと思ったのですか?

日本語図書の本棚で、まず目に付いたのが青枠で囲んだ「須賀敦子のミラノ」だったのですよう。 小百合さんの見えない手が僕の肩をぐいと押して、その本の前に立たせたとしか言いようがないのです。

実は、須賀さんの本と言えば赤枠で囲んだ「トリエステの坂道」しか僕は知らなかった。 「須賀敦子のミラノ」という本は読んだことが無い。 須賀さんが書いたのだと思ったら大竹昭子さんと言う人が書いている。

それで興味を持って借りる事にしたのですか?

そうです。 写真がたくさん貼ってある。 久しぶりに「トリエステの坂道」も読もうと思って、それも借りた。 そうしたら、須賀さんが共著で書いた「ヴェネツィア案内」という本も目に付いたので、それも借りてきたのです。

「トリエステの坂道」は何度も読んだのですか?

初めて僕がこの本を読んだのは2003年でした。 それから3度か4度読んだでしょうか。。。2008年1月に短い書評を書きました。

『「トリエステの坂道」 読後感』

 (2008年1月11日)

この写真の中の人物は須賀さんとイタリア人の夫・ぺッピ-ノさんですよう。 1967(昭和42)年に御主人は41歳で亡くなりました。

まだ若いのに。。。須賀さんは力を落としたことでしょうね?

そうですよう。 その時、須賀さんは、まだ38歳でした。 僕が日本で暮らしていた時には、もちろん、須賀さんを知りませんでした。 須賀さんが日本語で書いた自分の本を出版したのは1990(平成2)年です。 『ミラノ 霧の風景』と言う本でした。 その年、須賀さんは61歳でした。

デンマンさんは、当時、須賀さんが生きていると信じていたのですか?

そうなのですよう。 「須賀敦子のミラノ」の本に略年譜があって、それを読んで須賀さんが1998年3月20日に心不全で亡くなっていた事を知ったのです。 69歳でした。 つまり、2003年に僕が初めて須賀さんの『トリエステの坂道』を読んだ時には、須賀さんはすでにあの世の人だったのですよう。 生きていると思い込んでいた人が、すでに長い間あの世の人だった、と言う事実を知るのは奇妙なものです。 小百合さんの用事が無かったら、今でも僕は須賀さんが生きていると思い込んでいたでしょう。

それで、須賀さんの冥福を祈るようにして『トリエステの坂道』を再度読んでみたのですか?

そうです。 しみじみと読み直しましたよ。 それまで、それ程印象が強くなかった章が、衝撃的な意味を持って僕の目の前に現れたのです。

それが、このページの冒頭に引用した「ふるえる手」というエッセーなのですか?

そうです。 あっ。。。これだ! 僕は、そう思いましたね。 須賀さんは次のように書いている。

ぽっと明るみのもどった歩道に下りたときはじめて、私は、たったいま、深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、まれな感動にひたっている自分に気づいた。
しばらく忘れていた、ほんものに接したときの、あの確かな感触だった。

著者の須賀さんにとっては、メチャすっご~い感動だったのですよ。

でも、私にはそれ程の感動が伝わってきませんわ。

あのねぇ~、須賀さんが味わった感動を理解するには、実は、次の部分も読む必要があるのですよ。 同じエッセーの後半部です。

おなじ年の十一月、私は、もういちど、ローマに行く機会にめぐまれた。
一年に二度、ローマを見られるのはなんとも幸運なことだった。
とはいってもなにもかもうまく行ったわけではない。
もういちど、私は雨になやまされた。

 (中略)

雨のなかを、私は、もういちど、カラヴァッジョを見に行くことにした。
あの絵が、萎えた気持ちをなぐさめてくれるかもしれない。
四月の雨の日に訪れて以来、とうとう、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会を再訪する機会はなかった。
あの日、どうしてあの絵をもっとゆっくり見ておかなかったのかと、心残りでもあった。
あの翌日の午後も、そのつぎの日にも、扉はかたく閉まっていた。

まだ早い時間のせいか教会のなかには旅行者のすがたもなく、がらんとした薄闇だけが沈黙につつまれていた。
用意したコインをつぎつぎと箱に入れて、こんどこそおもいのままに時間がすごせるはずだった。

右手の戸口から入ってきたキリストが、しなやかに手をのばして収税人のマッテオを指さしている。
イエスの顔はほとんど闇のなかにあって、それが彼とわかるのは、糸のように細い光の輪が頭上に描かれているからにすぎない。
収税人マッテオは、私が最初、勘ちがいしたように、光を顔に受けた少年ではなくて、その横に、え、あなたは私に話しかけているのですか、というふうに、自分の胸を指さしている中年の男だ。
マッテオは、「人に好かれなかった」と聖書にあるのだが、それにしては、かなり「ちゃんとした」平凡な人物に描かれていた。

レンブラントやラトゥールに先立って、光ではなく、影で絵を描くことを考え付いたとされるカラヴァッジョの絵を見ていて、私は、キリストの対極である左端に描かれた、すべての光から拒まれたような、ひとりの人物に気づいた。
男は背をまるめ、顔をかくすようにして、上半身をテーブルに投げ出していた。
どういうわけか、そのテーブルにのせた、醜く変形した男の両手だけが克明に描かれ、その手のまえには、まるで銀三十枚でキリストを売ったユダを彷彿とさせるような銀貨が何枚かころがっていて、彼の周囲は、闇に閉ざされている。

カラヴァッジョだ。
とっさに私は思った。
ごく自然に想像されるはずのユダは、あたまになかった。
画家が自分を描いているのだ、そう私は思った。
伝承によると、この画家は一種の性格破綻者というのか、ときにひどく乱暴な行為に出た人であったらしく、作品の高い芸術性はみなに認めながらも、仲間にうとまれ、そのためにしばしば仕事をもらえないで、ついには、人を傷つけたのだったか、殺してしまったのか、まるで即興詩人やスタンダールの物語の登場人物さながら、北イタリアからローマに追放されたのだという。
そのあとも、さらにナポリに、はてはマルタ島からシチリアへと逃げたことが、方々に残された作品から推理されている。
でも、異様に変形した手がすべてのような男を、カラヴァッジョが安易に性格的な自画像としてえがいたはずがないようにも、私には思えた。
もしかしたら、顔に光を集めたような少年も、おなじふうに自画像なのではないか。
二人の人物の間に横たわる奈落の深さを知っているのは、画家自身だけだ。

左端にえがかれた人物は闇にとざされていながら、ふしぎなことに、変形した、醜悪なふたつの手だけが、光のなかに置かれている。
変形はしていても、醜くても、絵をかく手だけが画家に光をもたらすものであることを、カラヴァッジョは痛いほど知っていたにちがいない。

あいかわらず、二百リラ分の照明が切れるたびに、あわただしくつぎのコインを入れなければならない。
ちょうど照明が継目にかかったとき、ぴたぴたとにぎやかな小さい足音がして、小学生の一群が若い男の教師に引率されてはいってきた。
まだ画学生のように見える若い教師が絵の説明をするのを、子供たちは神妙に聴いている。
そのうちに、私は妙なことに気づいた。
照明が消えると、教師は、そっぽを向いたままで、私がコインを入れるのを待っているのだ。
そして照明がもどると、また子供たちに説明をはじめる。
なにやら鼻白んだ気持ちで、私はその場を離れることにした。
すると、もうひとつ、奇妙なことが起こった。
私の近くにいた何人かの子供が、おばさん、ありがとう、と小声でいったのだ。
知らんぷりをしつづける教師と、ていねいにお礼をいう子供たち。
そのとき、とつぜん、直線のヴィア・ジュリアと曲がりくねった中世の道が、それぞれの光につつまれて、記憶のなかでゆらめいた。
どちらもが、人間には必要だし、私たちは、たぶん、いつも両方を求めている。
白い光をまともに受けた少年と、みにくい手の男との両方を見捨てられないように。

教会の外は、あいかわらず雨だった。
雨のなかを歩きながら、私はもうすこし、絵のなかの男について考えてみたかった。
犯した罪の意識と仕事に侵蝕され、変形したあの手は、やはりカラヴァッジョ自身の手にちがいない。
なんともあてずっぽうな推測だったが、私は確実になぐさめられていた。
醜い自分の手を、ミケランジェロの天地創造の手を意識において描いたといわれるキリストの美しい手の対極に置いて描きおおせたとき、彼は、ついに、自己の芸術の極点に立つことができたのではなかったか。

ふと、寒さにこごえたようなカラヴァッジョの手のむこうに、四月、それが最後になった訪問のときにコーヒーを注いでくれたナタリア・ギンズブルグの、疲れたよわよわしい手を見たように思った。
鍋つかみのかわりにした黒いセーターの袖のなかで、老いた彼女の手はどうしようもなくふるえていて、こぼれたコーヒーが、敷き皿にゆっくりとあふれていった。


(pp.215-219)
『トリエステの坂道』 著者・須賀敦子 みすず書房
1996年5月20日 第4刷発行

じっくりと読んでみましたけれど、お恥ずかしい事に、私には須賀さんが味わったと言う「深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、まれな感動」が感じ取れませんわ。

うん?。。。感じ取れない?

そうです。。。感じ取れませんわ。

う~ん。。。よくある事ですよう。 悲観しないでくださいよう。 上の須賀さんのエッセーを読んだほとんどの人が漠然とした感動を受けるだけで、須賀さんが受けた感動を100%実感する事は不可能です。

どうして?

須賀さんと同じ体験を持つことができないからですよう。 また、仮に須賀さんと同じような教養と経験を持っているとしても100%の感動を味わう事は不可能です。

なぜ?

司馬遼太郎さんがかつて次のように言ってました。

“作品は作者だけのものと

違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが

作品なんやでぇ~”

つまり、名作と言われるものは常に名作とは限らない。 読む人が教養もなく人生経験も乏しかったら、どんな名作も“猫に小判”ですよう。

要するに、私には須賀敦子さんの感動を共感するだけの美術的な教養が欠乏しているとデンマンさんはおっしゃるのですか?

いや、小百合さんには美術的な教養があると思いますよう。

それなのに、どうして私には須賀さんの感動が感じ取れないのですか?

あのねぇ~、上のエッセーを理解しようとすれば、どうしてもナタリア・ギンズブルグさんと須賀さんの心温まる人間関係を知らなければならないのですよう。 でも、長くなるから僕はその部分を削除してしまったのです。(中略)と書いてあるのがその部分です。 実は極めて重要な部分です。

それなのに、どうして削除してしまったのですか?

カラヴァッジョの絵とは直接関係無いからです。 でも、エッセーを理解するにはナタリア・ギンズブルグさんを語らない訳にはゆかないのですよう。

どうして。。。?

エッセーのタイトル「ふるえる手」というのは、ナタリア・ギンズブルグさんのふるえる手のことです。 一口で言ってしまえば、ナタリア・ギンズブルグさんという人は、あの有名な『アンネの日記』の著者(アンネ・フランク)が生きていれば、こうなるだろうな?というような人です。

須賀さんが、もしナタリア・ギンズブルグさんの作品を読んでいなければ、本を書くことはなかっただろう、と言うほど須賀さんが強い影響を受けた人です。

そのナタリアさんのふるえる手がそれ程重要なのですか?

重要なのですよう。 ナタリアさんと須賀さんの心温まる人間関係がその「ふるえる手」に象徴されているのです。

どう言うこと。。。?

あのねぇ~、須賀さんは、上のエッセーの中で「醜くゆがんだ心」と対比して「良心」を謳(うた)いあげたかったのだと僕は思うのですよう。

どちらもが、人間には必要だし、
私たちは、たぶん、いつも両方を求めている。
白い光をまともに受けた少年と、
みにくい手の男との両方を見捨てられないように。

。。。

知らんぷりをしつづける教師と、
ていねいにお礼をいう子供たち。

「醜くゆがんだ心」とは、みにくい手の男であり、知らんぷりをしつづける教師です。「良心」とは、白い光をまともに受けた少年と、ていねいにお礼をいう子供たちで象徴されている。

それで。。。「ふるえる手」とは。。。?

ナタリア・ギンズブルグさんは須賀さんにコーヒーを入れてあげるとき、本当は安静にしていなければならないような状態だった。 でも、心から須賀さんをおもてなししたかった。 ナタリアさんが亡くなったことを知り、須賀さんはハッと思い当たった。

もう死ぬかもしれないほど体が弱っていたのに、ナタリアさんは心から須賀さんをおもてなしした。 その事を須賀さんは知ったのですか?

そうです。 その事が須賀さんに上のエッセーを書かせたのですよう。 僕には、そう思えるのです。

分かりましたわ。 「ふるえる手」とは、ナタリアさんの心のぬくもりであり、ナタリアさんの「良心」だったのですわねぇ。。。それで。。。、それで、デンマンさんも、その事に感動したのですか?

ん。。。? その事。。。? いや。。。僕が感動したのは違うところですよう。

違うところってぇ。。。いったい、どこですか?

実は、僕にも須賀さんの感動が理解できました。 それは次の部分です。

私は、たったいま、深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、まれな感動にひたっている自分に気づいた。
しばらく忘れていた、ほんものに接したときの、あの確かな感触だった。

でも、この感動を僕の言葉に置き換えると次のようになるのですよう。

僕は、たったいま、深いところで

たましいを揺りうごかすような女性に

出会ってきたという、

まれな感動にひたっている

自分に気づいた。

しばらく忘れていた、

自分が探し求めていた

女性に接したときの、

あの確かな感触だった。

つまり。。。つまり。。。この女性は。。。?

そうですよう。 うしししし。。。 小百合さんなのですよ。 軽井沢タリアセン夫人なのですよう。。。

つまり、この事が言いたいために、わざわざ「イタリア夫人」を持ち出したのですか?

いや、違いますよ。 僕はたまたま次の記事を読んだのですよ。

叩かれる塩野七生

塩野七生が文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれる存在らしい、ということは薄々知らなくはなかったが、実態はかなり酷かったのだなと思う。塩野自身はずっとイタリアにいたからわれ関せず、という風情だったようだが、日本にいたら相当きつかっただろうと思う。いくら叩かれても全然めげないから叩く側はよけい憎悪を募らせていたんだろうけど。なんかこういうところは日本人の本当につまらない情けない部分だなと思う。

塩野によると、デビュー当時は哲学なら田中美知太郎、歴史学なら林健太郎、会田雄次といった大先生方に認められていて彼らがいる間は大丈夫だったのだが、80年代から90年代にかけて、その下の世代が学会に主流になったら大変だったのだという。『マキャベッリ全集』を出すので月報を書いてほしいと依頼が来て、OKを出したら訳者の学者たちが塩野が書くなら我々は書かないと言い出して、結局塩野が降りたのだという。

またNHKでウフィッツィを取り上げるときに案内役をしてくれと頼まれてこれも引き受けたら、ルネサンス関係の学者たちが塩野が案内役なら自分たちは以後協力しないと言い出したのだそうだ。あまりのケツの穴の小ささに腹を抱えて笑い飛ばしたくなる。(卑語失礼)

 (中略)

マルクス主義が影響力を持つ時代が終わってしまって、学者としてのアイデンティティが研究方法の次元で問われる時代に突入した。
結局、そのアイデンティティは研究のディテールに認めるほかなくなってしまった。だから、研究対象をなるべく細分化して、他の領域には手を出さないという、一言で言ってしまえば、タコツボ型がはびこったということだと思います。

これは、ルネサンスとかローマ史とか、つまり学者自身のイデオロギーがほとんど問われない分野においては全くその通りだと思う。
近現代史ではまだまだマルクス主義とは言わないまでもイデオロギー的な部分が幅を利かせているが、それ以前の歴史学では趣味オタクの世界に近づきつつある一面は否定できない。そうなるとオタクの特性であるディテールへの異常なこだわり、異分子への排他性などが悪い形で噴出し、実社会においてもてはやされる塩野七生など最も叩きごろの存在になるだろう。

もう一つ三浦の指摘で面白いと思ったのは、塩野が小林秀雄の影響を受けているといっていることだ。塩野自身は「?」という感じだが、小林が「歴史は神話である」、と言っているのを受けて塩野が「歴史は娯楽である」と言っている、と三浦は解釈しているわけだ。

 (中略)

塩野は確かにそういうふうに歴史と言うものを書いているから、逆に学者からすれば自分たちのやっていることの存在意義を脅かされるような、馬鹿にされているような感じがしてしまうのも分らなくはない。

しかし、その違いを制度としての学問にこだわるか、人間存在そのものを問うために学問を使うと言う立場に立つかの違いだとするならば、私はやはり後者の立場に立ちたい。その方が生きてて面白いと思うんだけどなあ。


出典: 『塩野七生が叩かれる理由』
    (2008年4月4日)

つまり、塩野七生さんも「イタリア夫人」の一人だと。。。?

その通りですよ。 僕は人生の半分以上を海外で暮らしているけれど、塩野七生さんは人生の半分以上をイタリアで暮らしている。 だから、「イタリア夫人」と呼んでも決して間違いではないと思うのです。

それで、デンマンさんは塩野七生さんが日本で叩かれていた事を知らなかったのですか?

知らなかったのですよ。 むしろ人気作家の一人だと思っていたのですよ。 実は、僕は記事の中で塩野さんの文章を引用したことがある。

二度と負け戦はしない

憲法では戦争をしないと宣言しています、なんてことも言って欲しくない。
一方的に宣言したくらいで実現するほど、世界は甘くないのである。
多くの国が集まって宣言しても実現にほど遠いのは、国連の実態を見ればわかる。 ここはもう、自国のことは自国で解決する、で行くしかない。 
また、多くの国が自国のことは自国で解決する気になれば、かえって国連の調整力もより良く発揮されるようになるだろう。

二度と負け戦はしない、という考えを実現に向かって進めるのは、思うほどは容易ではない。
もっとも容易なのは、戦争すると負けるかもしれないから初めからしない、という考え方だが、これもこちらがそう思っているだけで相手も同意してくれるとはかぎらないから有効度も低い。

また、自分で自分を守ろうとしないものを誰が助ける気になるか、という五百年昔のマキアヴェッリの言葉を思い出すまでもなく、日米安保条約に頼りきるのも不安である。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


221 – 222ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

『地球の平和』に掲載
(2011年8月9日)

私も『地球の平和』を読みましたわ。

おおォ~。。。小百合さんも読んでくれたのですか?

ええ。。。読んだ感じでは、デンマンさんは塩野さんをかなり批判的な目で見ていると思ったのですが。。。

そうなのですよ。。。僕は個人的には塩野さんに恨みだとか憎しみの感情は持っていないのですよ。 むしろ、彼女の出世作とも言える『ルネッサンスの女たち』はマジで楽しく読んだ記憶があります。

それなのに、どうして急に批判的な目で見るようになったのですか?

あのねぇ~、多分感性の違いだと思うのですよ。 こればかりは十人十色だからどうしようもない。

。。。で、デンマンさんの感性とは。。。?

次の小文を読んでみてください。

終戦時の悲話

アメリカの空襲を受けて、東京をはじめ都市部はどこも焼け野原。
おまけに政府は戦争を続けるために国債を大量に乱発していたので、敗戦直後はものすごいインフレになった。
物価は数十倍になって、戦前に貯めていた貯金や財産は無に等しくなった。
おまけに空襲で家をなくし、人びとは食糧不足で苦しんだ。

1945年3月の東京大空襲で

焼け野原になった江東区。

「約310万人が死んだ」とか簡単にいうけれど、一人の人間が死ぬことは、遺族や縁者に、大きな傷を残すことだった。
作家の夢野久作の長男だった杉山龍丸という人は、敗戦直後に復員事務の仕事に就いていたときのことを回想して、こう述べている。

「私達は、毎日毎日訪ねてくる留守家族の人々に、貴方の息子さんは、御主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた」。
「留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装が多かった」。
杉山はある日、小学校二年生の少女が、食糧難で病気になった祖父母の代理として、父親の消息を尋ねにきた場面に出会った経験を、こう書いている。

私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島(フィリピン)のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは—」
といいかけて、私は少女の顔を見た。 やせた、真っ黒な顔。
伸びたオカッパの下に切れの長い眼を、一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。
私は少女に答えねばならぬ。
答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです。」
といって、声がつづかなくなった。
瞬間 少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。

…しかし、少女は、
「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。 おとうちゃまが、戦死していたら、係りのおじちゃまに、おとうちゃまが戦死したところと、戦死した、ぢょうきょう(状況)、ぢょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの。」

私はだまって、うなずいて……やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
涙一滴、落さず、一声も声をあげなかった。
肩に手をやって、何か言おうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを血が出るようにかみしめて、カッと眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、
「おひとりで、帰れるの。」と聞いた。

少女は、私の顔をみつめて、
「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。 だから、行けるね、となんども、なんども、いわれたの。」
…と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。 帰る途中で私に話した。

「あたし、いもうとが二人いるのよ。 おかあさんも、しんだの。 だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。 あたしは、泣いてはいけないんだって。」
…と、小さな手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
どうなるのであろうか、私は一体なんなのか、何が出来るのか?

(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました)


84 – 88ページ 『日本という国』
著者: 小熊英二
2006年3月3日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 理論社


『漫画家の壁』に掲載
(2011年3月10日)

この文章を読んだら「二度と負け戦はしない」じゃなくて「二度と戦争はしない」という気持ちになると思うのですよ。 しかも、塩野さんは 1937年生まれだから、ちょうど上の文章の中の女の子と同じ世代なのですよ。 

つまり、塩野さんの感性が太平洋戦争を経験して「二度と負け戦はしない」という受け止め方に表れているとデンマンさんは思うのですか?

そうですよ。 一方、塩野さんと同じ世代であり、イタリアで長年暮らしたことのある須賀敦子さんの感性は?

塩野さんとは全く異なっていると、デンマンさんは思うのですか?

そうですよ。 僕の感性は須賀敦子さんの感性に共鳴するのですよ。 少なくとも須賀さんのエッセーを読むと、なんだか僕の心に素直に伝わってくるものがある。

私は、たったいま、深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、まれな感動にひたっている自分に気づいた。
しばらく忘れていた、ほんものに接したときの、あの確かな感触だった。

つまり、このような感じですか?

そうですよ。 日本で「塩野七生さんが文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれる存在らしい」のは、むしろ彼女の感性が同世代の人たちの感性からかけ離れているからではないだろうか?! 僕には、そう思えるのですよ。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
そうですよね。 確かに塩野七生さんの感性はユニークなのかもしれませんわ。
でも、感性は十人十色です。
違っていて当たり前だと思うのでござ~♪~ますわ。

ただし、日本に住んでいるとユニークな感性を持ち続けることはとても難しいと思いますわ。

「長いものには巻かれろ」

「出る釘は打たれる」

このような諺もござ~♪~ますわ。

どうしても、周(まわ)りの見方考え方が気になるのですわ。
そのような雰囲気の中で塩野さんがユニークな感性で文章を書けば、当然、文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれるかもしれません。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、次回も、ますます面白くなりそうですわ。
あなたも、どうか、また読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。

 

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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何と言うのでしょうか?

telling phrase と言います。

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次のように言います。

Jim chats up Mary in his apartment.

ジムは彼のアパートでメアリーを口説く。

Jonny makes a move on Sandra.

ジョニーはサンドラを口説く。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

軽井沢タリアセン夫人

2011年8月12日

  
軽井沢タリアセン夫人
  

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デンマンさん…「軽井沢タリアセン夫人」の検索結果を持ち出してきて自慢したいのですか?

いや。。。別に自慢したいわけではないのですよ。

じゃあ、どうして検索結果などを持ち出してきたのですか?

あのねぇ~、自分が書いた記事がネットの上でどれだけ存在感があるのか?。。。たまには、ちょっと調べてみようという気になるのですよ。 こうして僕が書いた多くの記事がネット上に存在していると思うと、やっぱり小百合さんと話している事が無駄ではないという気になって、うれしくなるのですよ。

つまり、自己満足ですわね?

小百合さんは、かなり皮肉な事を言うのですね!?

。。。で、 24、300件の記事をすべてデンマンさんが書いたのですか?

もちろん僕がすべて書いたわけではありません。 でもねぇ~、トップページに書き出された記事はすべて僕が書いたものですよ。

つまり、その事を自慢したいのですか?

やだなあああァ~、だから。。。僕は自慢したいわけじゃないと言ったでしょう!

でも、わざわざ 24,300件を赤い枠で囲んでいるのは、それを強調して自慢したいように見えますわ。

まあ。。。、小百合さんがそう思いたいなら、それでもかまいませんよ。

。。。で、どうして『軽井沢タリアセン夫人』について 共通テーマ・ライブドアブログを赤枠で囲んだのですか?

小百合さんに注目して欲しいと思ったので囲んだのですよ。

やっぱり、デンマンさんは自慢したいのですわね?

あのねぇ~、自慢したいわけじゃないと言ったでしょう!

分かりましたわ。。。で、何が言いたいのですか?

だから、小百合さんにも『軽井沢タリアセン夫人』について 共通テーマ・ライブドアブログを見て欲しいのですよ。

『あなたが読んでいる現時点での「共通テーマ」のページ』
(  ↑ ここをクリック!)

あらっ。。。デンマンさんはライブドアブログの「共通テーマ(軽井沢タリアセン夫人)」に私のことを411件も記事に書いたのですか?

軽井沢タリアセン夫人については僕がほとんど書いてますからね。 これからも、多分僕だけが書き続けると思うのですよ。

恥ずかしいわア。

なぜ小百合さんが恥ずかしがるのですか?

だってぇ、「共通テーマ」なのに書いているのはデンマンさんだけですもの。。。

いや。。。そのうちに他の人も書くと思うのですよ。

いえ。。。そのような事は考えられませんわ。

どうして。。。?

だってぇ、上のリンクをクリックして『軽井沢タリアセン夫人』について 共通テーマ・ライブドアブログを見るとデンマンさんだけがムキになて書いているのですものォ~。。。ずらずらと並んでいるデンマンさんのアイコンを見たら、ほとんどの人が呆れて無視しますわよ。

小百合さんは、そのように消極的にしか考えられないのですか? 少しは積極的に考えてくださいよ。 せっかく僕は小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」として尊敬しながら記事を書いているのだから。。。

でも、こうして『軽井沢タリアセン夫人』について 共通テーマ・ライブドアブログを見ると、デンマンさんが自己満足のために書いているとしか思えませんわ。

どうして、そう思うのですか?

だってぇ、「投稿者ランキング」のご自分のお名前を赤枠で囲んでいるでしょう! ランキングで一番になったのを自慢しているように見えますわ。

やだなあああァ~。。。あのねぇ~、そのような小さなことで僕は自慢しませんよ。

では、いったい何のために赤枠で囲んだのですか?

だから、そのような小さな事で自慢する事がいかに馬鹿げたことかをここで語るためですよ。

でも、デンマンさんは、そう言いながらも自慢しているではありませんか!?

小百合さんはくどいなあああァ~。。。僕は「自慢してない!」と言っているでしょう!

では、どうして自慢しているようにしか思えない検索結果などを持ち出してきたのですか?

あのねぇ~。。。なんだか急に小百合さんと過ごした軽井沢が懐かしくなったのですよ。

どうして。。。?

次のビデオクリップを見たからですよ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

あらっ。。。私も、なんだかマジで懐かしくなってしまいましたわ。 うふふふふふ。。。

そうでしょう!。。。だから、僕は小百合さんとの懐かしい思い出を共有するために、「軽井沢タリアセン夫人」で検索してみたのですよ。

つまり、バンクーバーに住んでいるデンマンさんが、ふと懐かしくなって軽井沢を思い出したのですか?

いや。。。実は、軽井沢が懐かしくなったのではないのですよ。 僕はたまたま塩野七生さんの書いた本を読んだのですよ。

女に冷たい女性作家

歴史を書いて40年になるが、昔から非難されてきたことが一つある。 それは、私という作家は同性に対して冷淡で、女の立場になって書かないというのだ。…女の作家ともなれば同性を書くほうが商業的に有利であるというのは、出版界の常識であるらしい。 実際、そう主張する編集者の意見を容れて書いた最初の作品は『ルネッサンスの女たち』だから、女が女を書くのが私のデビュー作ではあったわけだ。 だが、商業的には有利であろうと、その路線は第一作のみで捨てた。

なにしろ、中世のイタリアも古代のローマも、男たちの時代なのである。 男の世界での女は所詮は脇役で、歴史の脇役を書きつづけているといずれはゴシップに落ちる。 処女作だけは女たちを書く理由を、歴史の脇役を通して時代を書く、ということに見つけて自分を納得させたが、それで以後もつづけるにはやはり限界があった。
というわけで二作目からは男に乗り換えたのだが、その理由は、男の時代だから男たちを通してそれを書く、ということに加えてもう一つ、あまり自慢にならない本音もあったのである。

それは、女の胸のうちを巧みに書くという評判の男性作家がいるんだから、男の思いに迫る女性作家がいたっていいんじゃない、というものだ。
とはいえ所詮は女の世界に興味がもてないというにすぎなく、一億円出すといわれても、女たちの間で繰り広げられる嫉妬や羨望やその他もろもろの感情について書くことだけは、私には無縁でありつづけるだろう。

作家は絶対に、書く対象に影響される。 対象に乗り移るくらいの想いで対さないかぎり、それを書ききることはできない。 私の場合は、自分自身が女なのに、わざわざ他の女に乗り移るほどの情熱を感じないということなのかもしれない。 また、男たちは業績で評価している以上、女に対してもそれと同じ基準で評価したい、というのが私の考え方でもある。
というわけで私が下した評価が冷淡だったと非難された歴史上の女たちの中での典型が、クレオパトラだった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


29 – 31ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

塩野七生さんが書いた本と軽井沢が関係あるのですか?

いや。。。直接の関係があるわけじゃない。 でもねぇ~、この塩野さんは主にイタリアで暮らしている。 つまり、人生の半分以上を海外で暮らしているという点で僕と似ている。 しかも歴史を書いて40年になると言う。 歴史馬鹿である点も僕と似ているのですよ。

。。。で、塩野さんも軽井沢に別荘を持っているのですか?

いや。。。僕が知る限り塩野さんは軽井沢に別荘を持ってません。

それなのに、どうして塩野さんを取り上げたのですか?

あのねぇ~、かつて僕はイタリアに長く住んでいる作家のことで「小百合物語」として記事を書いたことがある。 ところが、ど忘れして作家の名前が浮かんでこない。

それで、どうしたのですか?

だから、GOOGLEで検索してみたのですよ。 その結果を見てください。

でも、ちゃんと「須賀」と入れて検索しているではありませんか!?

もちろん苗字は、おぼろながら分かっていた。 でもその下の名前までは思い出せなかった。

。。。で検索した結果から「須賀敦子」さんだと判ったのですか?

その通りですよ。 それで僕は、さっそく赤枠で囲んだページへ飛んでいったのですよ。 小百合さんのために、そのページをソフトカメラで撮っておいたので見てください。

上のページをじっくりと眺めていたら、なんと『軽井沢タリアセン夫人』について 共通テーマ・ライブドアブログで書いた記事が表示されたではありませんか!

『愛と動物(2011年7月17日)』

つまり、お馬さんのお話を書いたのですか?

確かに馬の写真が載せてあるけれど、実は「トリエステの坂道」を読んだ感想などを書いたのですよ。 それで急にイタリアの空が懐かしくなったと言う訳です。

【トリエステの思い出】

『イタリアの空の下で』

(2009年1月25日)
 

つまり最終的に、この記事にゆきついたのですか?

その通りですよ。 

「ふるえる手」から

(ローマの)ゴヴェルノ・ヴェッキオ街から、サンタ・マリア・デル・アニマ街に出る。
この道の突きあたりには魂のサンタ・マリアを意味する名の教会があるのだけれど、ここを通るたびに、私は、ちろちろと赤く燃える火の玉に出会いそうな気分になる。
色とりどりの提灯などを吊るしたディスコやアイスクリーム屋があったりして夜は若者たちで賑う。
そもそもどういう由来でこんな名の教会ができたのだったか。
そこからもう一本、路地をぬけると、二千年まえ、ローマ皇帝の競技場だったという高貴なナヴォーナ広場、それを横切って上院の建物がある広小路に出た。
左手を見るともなく見ると、これまでに何度か来ては、運わるく扉が閉まっていてそのまま通りすぎてしまった、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会の、正面のではない、わきの小さな扉から、旅行者らしいよそおいの人たちが三々五々出入りしている。

サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会
(フランス人たちの聖者ルイ教会)

これもまた長い名の教会だが、フランス人たちの聖者ルイ、すなわち、十字軍をひきいて二度も地中海を渡ったあげく、とうとうチュニジアでペストにかかって死んだ十三世紀のフランス王にささげられている。
そういう名だからここでフランス人が集まるようになったのかどうかは知らないが、この教会はローマにいるフランス人カトリック信者たちの集会所にもなっていて、となりにはフランス語の書籍が買える店もある。
ローマで勉強していたころは、なんどか足を運んだことがあったが、この教会には一度も足を踏み入れたことがなかった。
教会の奥まった祭壇のひとつに、カラヴァッジョの『マッテオの召出し』という有名な絵があることを知ったのも、ごく最近のことだ。
キリストの十二人の使徒のひとりマッテオは、人にいやしまれる収税人だった。
その彼のところに、ある日、イエスがはいってきて、ついてこい、という。
彼はたちどころに「なにもかも」捨ててイエスに従ったと聖書にはある。
その呼びかけの場面をえがいた十六世紀の作品で、一見の価値がありと友人が教えてくれた。

カラヴァッジョという画家の作品をはじめて見たのは、ローマの学生時代から何年もあと、ミラノのアンブロジアーナ美術館で出会った彼の静物画だった。
横長の画布にシンメトリカルな構図で、こぼれるように籠にもられた果実が、黄色の勝った色調で描かれていた。
近代静物画の草分けといってよい作品なのだそうだが、歴史的、あるいは宗教的な画題しか描かれなかった時代に、果実という日常的なものを中央に据えた構図はたしかにめずらしかったのだろう。
でも、当時の私にはごく平凡な静物としか見えなかったし、それ以上の興味をさそわれる絵画というのでもなかった。
彼の本名がミケランジェロ・メリージだというのは、そのとき覚えたし、カラヴァッジョというのは、この画家が生まれた町の名で、ミラノの東、二、三十キロのところにあることも車で走っていてぐうぜん知った。
はてしなく広がるポー河の平野の、なんということはない小さな町だ。

もしもその日、教会の扉がこれまでとおなじように閉ざされていたのだったら、私はそのまま通りすぎていただろう。
二十人ほどの旅行者の群れが出てくるのを見て、気持ちがうごいた。
せっかく開いているのなら、カラヴァッジョを見て行こう、ぐらいの軽い気持ちだった。

入っていくと、『マッテオの召出し』がある左手の祭壇は、窓になっているはずの壁面も二幅の絵でふさがれているために、外光が完全にさえぎられて、まっ暗なものだから、壁にとりつけた鉄製の小箱に二百リラのコインを入れると、ぱっと照明がつく仕掛けになっている。
祭壇を幾重にもとりまいた見学者たちが神妙にガイドの説明に耳を傾けているので、私はうしろで待つことにした。
カラヴァッジョの絵は、祭壇をかこむようにして三点、どれも使徒マッテオの生涯の、とくに劇的な場面を描いたものだ。
三枚の絵をぐるりと見まわしたとき、まるで見えない手にぐいと肩を押されたみたいに、『マッテオの召出し』とよばれる絵だけが、私をひきつけた。

レンブラントを思わせる暗い画面の右手から一条の光が射していて、ほぼ中央にえがかれた少年の顔を照らしている。
一瞬、その少年がマッテオかと思ったほど、光に曝された顔の白さが印象的だった。
もっと近くから見たい。
そう思った途端、照明が消えた。
二百リラ分の観覧が終わったのだ。
観光客がざわめいて、だれかがもう一回コインを小箱に入れる音がした。
そういうことがなんどか繰り返されて、そのたびに、見物人がざわざわと入れかわった。
こんどこそ前に出ようと思うのだが、団体客の壁にはばまれて、私はいつもうしろにとりのこされる。
数回、そういう具合だったので、それ以上そこにとどまるのをあきらめた。
ホテルから遠くないのだから、と私は思った。
ローマを発つまでに、もういちど来ればいい。
できることなら、だれもいない時間に、ひとりで絵のまえに立ちたかった。

教会を出ると、雨はほとんどやんでいた。
ぽっと明るみのもどった歩道に下りたときはじめて、私は、たったいま、深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、まれな感動にひたっている自分に気づいた。
しばらく忘れていた、ほんものに接したときの、あの確かな感触だった。


(pp.205-208)
『トリエステの坂道』 著者・須賀敦子(すが あつこ) みすず書房
1996年5月20日 第4刷発行

【デンマン注】

読み易いように改行をたくさん加えました。
また、小百合さんに注意を促すために赤字で強調した箇所があります。
しかし、文章自体には手を加えていません。
上の写真は本の中にはありません。僕が加えたものです。

須賀敦子さんのエッセーの一部ですわね?

そうですよう。

。。。で、上の文章の何がそれほどデンマンさんに強い印象を与えたのですか?

次の部分ですよ。

三枚の絵をぐるりと見まわしたとき、

まるで見えない手にぐいと

肩を押されたみたいに

『マッテオの召出し』とよばれる絵だけが、

私をひきつけた。

僕が須賀敦子さんの本を読みたくなったのは、まさに「見えない手にぐいと肩を押された」からですよう。

その「見えない手」とは。。。?

だから、小百合さんの手ですよう。

[491] Re:小百合さんのために作った
『夢とロマンの軽井沢』のサイトに、
たくさん記事を書いて、
もっと読み応えのあるサイトにしますからね。
 \(^_^)/キャハハハ。。。

Name: さゆり E-MAIL
Date: 2009/01/20 22:54
(バンクーバー時間: 1月20日 午前5時54分)

デンマンさん!

そこに 座っていたら ダメです。

もっと外を歩いて下さい。

どこかの なんとか老人に

なってしまいますよ。


『Re:「夢とロマンの軽井沢」のサイト』より
 (2009年1月20日)

これは小百合さんが2009年の1月20日に書いたメールですよう。 僕は小百合さんの用事で2008年12月30日にTD銀行に歩いて行ったのです。

つまり、私がデンマンさんに、できるだけ歩くようにと言ったので歩いてゆかれたのですか?

そうですよう。 TD 銀行に歩いて行ったあとでバンクーバー市立図書館に、更に歩いて行きました。
  

そこで日本語の本を10冊借りてきたのですよ。

。。。で、どうして須賀敦子さんの本を読もうと思ったのですか?

日本語図書の本棚で、まず目に付いたのが青枠で囲んだ「須賀敦子のミラノ」だったのですよう。 小百合さんの見えない手が僕の肩をぐいと押して、その本の前に立たせたとしか言いようがないのです。

実は、須賀さんの本と言えば赤枠で囲んだ「トリエステの坂道」しか僕は知らなかった。 「須賀敦子のミラノ」という本は読んだことが無い。 須賀さんが書いたのだと思ったら大竹昭子さんと言う人が書いている。

それで興味を持って借りる事にしたのですか?

そうです。 写真がたくさん貼ってある。 久しぶりに「トリエステの坂道」も読もうと思って、それも借りた。 そうしたら、須賀さんが共著で書いた「ヴェネツィア案内」という本も目に付いたので、それも借りてきたのです。

「トリエステの坂道」は何度も読んだのですか?

初めて僕がこの本を読んだのは2003年でした。 それから3度か4度読んだでしょうか。。。2008年1月に短い書評を書きました。

『「トリエステの坂道」 読後感』

 (2008年1月11日)

この写真の中の人物は須賀さんとイタリア人の夫・ぺッピ-ノさんですよう。 1967(昭和42)年に御主人は41歳で亡くなりました。

まだ若いのに。。。須賀さんは力を落としたことでしょうね?

そうですよう。 その時、須賀さんは、まだ38歳でした。 僕が日本で暮らしていた時には、もちろん、須賀さんを知りませんでした。 須賀さんが日本語で書いた自分の本を出版したのは1990(平成2)年です。 『ミラノ 霧の風景』と言う本でした。 その年、須賀さんは61歳でした。

デンマンさんは、当時、須賀さんが生きていると信じていたのですか?

そうなのですよう。 「須賀敦子のミラノ」の本に略年譜があって、それを読んで須賀さんが1998年3月20日に心不全で亡くなっていた事を知ったのです。 69歳でした。 つまり、2003年に僕が初めて須賀さんの『トリエステの坂道』を読んだ時には、須賀さんはすでにあの世の人だったのですよう。 生きていると思い込んでいた人が、すでに長い間あの世の人だった、と言う事実を知るのは奇妙なものです。 小百合さんの用事が無かったら、今でも僕は須賀さんが生きていると思い込んでいたでしょう。

それで、須賀さんの冥福を祈るようにして『トリエステの坂道』を再度読んでみたのですか?

そうです。 しみじみと読み直しましたよ。 それまで、それ程印象が強くなかった章が、衝撃的な意味を持って僕の目の前に現れたのです。

それが、このページの冒頭に引用した「ふるえる手」というエッセーなのですか?

そうです。 あっ。。。これだ! 僕は、そう思いましたね。 須賀さんは次のように書いている。

ぽっと明るみのもどった歩道に下りたときはじめて、私は、たったいま、深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、まれな感動にひたっている自分に気づいた。
しばらく忘れていた、ほんものに接したときの、あの確かな感触だった。

著者の須賀さんにとっては、メチャすっご~い感動だったのですよ。

でも、私にはそれ程の感動が伝わってきませんわ。

あのねぇ~、須賀さんが味わった感動を理解するには、実は、次の部分も読む必要があるのですよ。 同じエッセーの後半部です。

おなじ年の十一月、私は、もういちど、ローマに行く機会にめぐまれた。
一年に二度、ローマを見られるのはなんとも幸運なことだった。
とはいってもなにもかもうまく行ったわけではない。
もういちど、私は雨になやまされた。

 (中略)

雨のなかを、私は、もういちど、カラヴァッジョを見に行くことにした。
あの絵が、萎えた気持ちをなぐさめてくれるかもしれない。
四月の雨の日に訪れて以来、とうとう、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会を再訪する機会はなかった。
あの日、どうしてあの絵をもっとゆっくり見ておかなかったのかと、心残りでもあった。
あの翌日の午後も、そのつぎの日にも、扉はかたく閉まっていた。

まだ早い時間のせいか教会のなかには旅行者のすがたもなく、がらんとした薄闇だけが沈黙につつまれていた。
用意したコインをつぎつぎと箱に入れて、こんどこそおもいのままに時間がすごせるはずだった。

右手の戸口から入ってきたキリストが、しなやかに手をのばして収税人のマッテオを指さしている。
イエスの顔はほとんど闇のなかにあって、それが彼とわかるのは、糸のように細い光の輪が頭上に描かれているからにすぎない。
収税人マッテオは、私が最初、勘ちがいしたように、光を顔に受けた少年ではなくて、その横に、え、あなたは私に話しかけているのですか、というふうに、自分の胸を指さしている中年の男だ。
マッテオは、「人に好かれなかった」と聖書にあるのだが、それにしては、かなり「ちゃんとした」平凡な人物に描かれていた。

レンブラントやラトゥールに先立って、光ではなく、影で絵を描くことを考え付いたとされるカラヴァッジョの絵を見ていて、私は、キリストの対極である左端に描かれた、すべての光から拒まれたような、ひとりの人物に気づいた。
男は背をまるめ、顔をかくすようにして、上半身をテーブルに投げ出していた。
どういうわけか、そのテーブルにのせた、醜く変形した男の両手だけが克明に描かれ、その手のまえには、まるで銀三十枚でキリストを売ったユダを彷彿とさせるような銀貨が何枚かころがっていて、彼の周囲は、闇に閉ざされている。

カラヴァッジョだ。
とっさに私は思った。
ごく自然に想像されるはずのユダは、あたまになかった。
画家が自分を描いているのだ、そう私は思った。
伝承によると、この画家は一種の性格破綻者というのか、ときにひどく乱暴な行為に出た人であったらしく、作品の高い芸術性はみなに認めながらも、仲間にうとまれ、そのためにしばしば仕事をもらえないで、ついには、人を傷つけたのだったか、殺してしまったのか、まるで即興詩人やスタンダールの物語の登場人物さながら、北イタリアからローマに追放されたのだという。
そのあとも、さらにナポリに、はてはマルタ島からシチリアへと逃げたことが、方々に残された作品から推理されている。
でも、異様に変形した手がすべてのような男を、カラヴァッジョが安易に性格的な自画像としてえがいたはずがないようにも、私には思えた。
もしかしたら、顔に光を集めたような少年も、おなじふうに自画像なのではないか。
二人の人物の間に横たわる奈落の深さを知っているのは、画家自身だけだ。

左端にえがかれた人物は闇にとざされていながら、ふしぎなことに、変形した、醜悪なふたつの手だけが、光のなかに置かれている。
変形はしていても、醜くても、絵をかく手だけが画家に光をもたらすものであることを、カラヴァッジョは痛いほど知っていたにちがいない。

あいかわらず、二百リラ分の照明が切れるたびに、あわただしくつぎのコインを入れなければならない。
ちょうど照明が継目にかかったとき、ぴたぴたとにぎやかな小さい足音がして、小学生の一群が若い男の教師に引率されてはいってきた。
まだ画学生のように見える若い教師が絵の説明をするのを、子供たちは神妙に聴いている。
そのうちに、私は妙なことに気づいた。
照明が消えると、教師は、そっぽを向いたままで、私がコインを入れるのを待っているのだ。
そして照明がもどると、また子供たちに説明をはじめる。
なにやら鼻白んだ気持ちで、私はその場を離れることにした。
すると、もうひとつ、奇妙なことが起こった。
私の近くにいた何人かの子供が、おばさん、ありがとう、と小声でいったのだ。
知らんぷりをしつづける教師と、ていねいにお礼をいう子供たち。
そのとき、とつぜん、直線のヴィア・ジュリアと曲がりくねった中世の道が、それぞれの光につつまれて、記憶のなかでゆらめいた。
どちらもが、人間には必要だし、私たちは、たぶん、いつも両方を求めている。
白い光をまともに受けた少年と、みにくい手の男との両方を見捨てられないように。

教会の外は、あいかわらず雨だった。
雨のなかを歩きながら、私はもうすこし、絵のなかの男について考えてみたかった。
犯した罪の意識と仕事に侵蝕され、変形したあの手は、やはりカラヴァッジョ自身の手にちがいない。
なんともあてずっぽうな推測だったが、私は確実になぐさめられていた。
醜い自分の手を、ミケランジェロの天地創造の手を意識において描いたといわれるキリストの美しい手の対極に置いて描きおおせたとき、彼は、ついに、自己の芸術の極点に立つことができたのではなかったか。

ふと、寒さにこごえたようなカラヴァッジョの手のむこうに、四月、それが最後になった訪問のときにコーヒーを注いでくれたナタリア・ギンズブルグの、疲れたよわよわしい手を見たように思った。
鍋つかみのかわりにした黒いセーターの袖のなかで、老いた彼女の手はどうしようもなくふるえていて、こぼれたコーヒーが、敷き皿にゆっくりとあふれていった。


(pp.215-219)
『トリエステの坂道』 著者・須賀敦子 みすず書房
1996年5月20日 第4刷発行

じっくりと読んでみましたけれど、お恥ずかしい事に、私には須賀さんが味わったと言う「深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、まれな感動」が感じ取れませんわ。

うん?。。。感じ取れない?

そうです。。。感じ取れませんわ。

う~ん。。。よくある事ですよう。 悲観しないでくださいよう。 上の須賀さんのエッセーを読んだほとんどの人が漠然とした感動を受けるだけで、須賀さんが受けた感動を100%実感する事は不可能です。

どうして?

須賀さんと同じ体験を持つことができないからですよう。 また、仮に須賀さんと同じような教養と経験を持っているとしても100%の感動を味わう事は不可能です。

なぜ?

司馬遼太郎さんがかつて次のように言ってました。

“作品は作者だけのものと

違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが

作品なんやでぇ~”

つまり、名作と言われるものは常に名作とは限らない。 読む人が教養もなく人生経験も乏しかったら、どんな名作も“猫に小判”ですよう。

要するに、私には須賀敦子さんの感動を共感するだけの美術的な教養が欠乏しているとデンマンさんはおっしゃるのですか?

いや、小百合さんには美術的な教養があると思いますよう。

それなのに、どうして私には須賀さんの感動が感じ取れないのですか?

あのねぇ~、上のエッセーを理解しようとすれば、どうしてもナタリア・ギンズブルグさんと須賀さんの心温まる人間関係を知らなければならないのですよう。 でも、長くなるから僕はその部分を削除してしまったのです。(中略)と書いてあるのがその部分です。 実は極めて重要な部分です。

それなのに、どうして削除してしまったのですか?

カラヴァッジョの絵とは直接関係無いからです。 でも、エッセーを理解するにはナタリア・ギンズブルグさんを語らない訳にはゆかないのですよう。

どうして。。。?

エッセーのタイトル「ふるえる手」というのは、ナタリア・ギンズブルグさんのふるえる手のことです。 一口で言ってしまえば、ナタリア・ギンズブルグさんという人は、あの有名な『アンネの日記』の著者(アンネ・フランク)が生きていれば、こうなるだろうな?というような人です。

須賀さんが、もしナタリア・ギンズブルグさんの作品を読んでいなければ、本を書くことはなかっただろう、と言うほど須賀さんが強い影響を受けた人です。

そのナタリアさんのふるえる手がそれ程重要なのですか?

重要なのですよう。 ナタリアさんと須賀さんの心温まる人間関係がその「ふるえる手」に象徴されているのです。

どう言うこと。。。?

あのねぇ~、須賀さんは、上のエッセーの中で「醜くゆがんだ心」と対比して「良心」を謳(うた)いあげたかったのだと僕は思うのですよう。

どちらもが、人間には必要だし、
私たちは、たぶん、いつも両方を求めている。
白い光をまともに受けた少年と、
みにくい手の男との両方を見捨てられないように。

。。。

知らんぷりをしつづける教師と、
ていねいにお礼をいう子供たち。

「醜くゆがんだ心」とは、みにくい手の男であり、知らんぷりをしつづける教師です。「良心」とは、白い光をまともに受けた少年と、ていねいにお礼をいう子供たちで象徴されている。

それで。。。「ふるえる手」とは。。。?

ナタリア・ギンズブルグさんは須賀さんにコーヒーを入れてあげるとき、本当は安静にしていなければならないような状態だった。 でも、心から須賀さんをおもてなししたかった。 ナタリアさんが亡くなったことを知り、須賀さんはハッと思い当たった。

もう死ぬかもしれないほど体が弱っていたのに、ナタリアさんは心から須賀さんをおもてなしした。 その事を須賀さんは知ったのですか?

そうです。 その事が須賀さんに上のエッセーを書かせたのですよう。 僕には、そう思えるのです。

分かりましたわ。 「ふるえる手」とは、ナタリアさんの心のぬくもりであり、ナタリアさんの「良心」だったのですわねぇ。。。それで。。。、それで、デンマンさんも、その事に感動したのですか?

ん。。。? その事。。。? いや。。。僕が感動したのは違うところですよう。

違うところってぇ。。。いったい、どこですか?

実は、僕にも須賀さんの感動が理解できました。 それは次の部分です。

私は、たったいま、深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、まれな感動にひたっている自分に気づいた。
しばらく忘れていた、ほんものに接したときの、あの確かな感触だった。

でも、この感動を僕の言葉に置き換えると次のようになるのですよう。

僕は、たったいま、深いところで

たましいを揺りうごかすような女性に

出会ってきたという、

まれな感動にひたっている

自分に気づいた。

しばらく忘れていた、

自分が探し求めていた

女性に接したときの、

あの確かな感触だった。

つまり。。。つまり。。。この女性は。。。?

そうですよう。 うしししし。。。 小百合さんなのですよ。 軽井沢タリアセン夫人なのですよう。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
ぬけぬけと言うじゃござ~♪~ませんかア!

あたくしは。。。あたくしは。。。全面的に太田将宏老人に賛同いたしますわ。
かつて、太田将宏老人はデンマンさんが自分史を書いているのを見て

いいきなもんだねぇ~

と嘲笑(あざわら)っていましたわ。

■ 『愛と風と共に…(2008年4月16日)』

デンマンさんのキザな文句を読むならば、
太田将宏老人は、きっと次のように言いますわ。

あきれたもんだねぇ~

でも、一度でいいからデンマンさんがヌケヌケと言い放った甘~♪~い文句を殿方の口から聞きたいものですわぁ~。
うふふふふ。。。

あなたは、どう思いますか?
とにかく、このお話は、ますます面白くなりますわよう。
あなたも、どうか、またあさって読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあね。

 

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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『アナクロニズム(2011年3月27日)』

こんにちは。ジューンです。

なんだかデンマンさんが小百合さんに

“殺し文句”を聞かせようとしていますよね。

ところで“殺し文句”を英語で

何と言うのでしょうか?

telling phrase と言います。

macking phrase と言うこともできます。

女性を口説くって、どう言うと思いますか?

次のように言います。

Jim chats up Mary in his apartment.

ジムは彼のアパートでメアリーを口説く。

Jonny makes a move on Sandra.

ジョニーはサンドラを口説く。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

青山夫人と軽井沢タリアセン夫人

2011年7月5日

 
青山夫人と軽井沢タリアセン夫人

Subj:小百合さん、こんちわ!

バンクーバーはカナダ晴れですよう。

きゃはははは。。。

From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: Mon, Jul 4, 2011 2:34 pm.
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 7月5日(火曜日)午前6時34分

小百合さん元気ですか?
バンクーバーはめちゃ素晴らしい天気ですう。
さっき Joe Fortes Library で『愛に揺れる女』を投稿したばかりです。

『愛に揺れる女』

 (2011年7月4日)

日曜日は5時まで図書館が開いてます。
あまりにも天気が良かったのでルンルン気分でスキップしたくなり、そのままマンションに帰らずにイングリッシュベイ(English Bay)にやって来ました。
遊歩道に沿った芝生には、もう目の保養になるようなビキニの女の子が築地の魚河岸のマグロのように芝生の上に転がっているのですよ。
とってもおいしそうな眺めです。
きゃははははは。。。

でも、刺激が強すぎるので、ビキニのマグロをしばらく眺めてからスタンレーパークのSeawall(遊歩道)に沿って歩いて、マグロが見えない静かなベンチを見つけて腰を下ろしたのでした。
すぐ目の前にはフォールスクリーク(False Creek)へと通じるインレット(入り江)が横たわり太平洋を感じさせる小波がそよ風につられて5,6メートル先の磯に打ち寄せています。
インレットを越えた対岸には、キチラノ(Kitsilano)の住宅地と海岸沿いの緑がまぶしくキラキラして見えます。

静かなベンチといっても目の前の遊歩道には1分間に10人ぐらいの割合で人が通りすぎて行くのですよ。
結構、人通りがあるのです。
スケートボードに乗ったアンチャン。
スクーターに乗ったガキたち。
ローラースケートをはいているおねえちゃん。
子犬を連れたカワイ子ちゃん。
いろいろな人が通り過ぎてゆきます。

でも、このメールを書いていると、それほど気になりませんよ。
磯に打ち寄せる波の音にかき消されて快い雑音になってます。
時たまインレットをモーターボートやジェトスキーが通り過ぎてゆきます。

面白いのは波があまりにも静かなのでサーフィンができず、
サーフボードの上に若いカップルが立ち上がってパドルでこぎながら、ゆっくりゆっくりと動いている2組のカップルが見えますよ。
本人たちは楽しいのでしょうね!?
見ているとウザイですよ。

そろそろ午後6時になるけれど、
日差しは東京の午後2時か3時ごろの感じです。
でも、気温は21度ですよ。
汗ばむほどではなく、実に快適です。

栃木の田舎では、もう梅雨は明けましたか?
多分、もう終わっているでしょうね!

小百合さんは軽井沢タリアセン夫人になりきって
ルンルン気分でスキップしながら「山の家」の庭ではしゃいでくださいね。
きゃははははは。。。

では小百合さんの楽しい便りを期待しながら、ブラブラ帰ろうと思います。
じゃあね。

私も若い頃バンクーバーのイングリッシュベイを散歩したことがありましたわ。

そうでしたか。。。懐かしいでしょう?

そうですわね。。。でも、子供がみんな大きくなるまで、しばらくの間バンク-バーへは行けそうにありませんわ。

でもねぇ~、人生は長いようで短いですからねぇ。 思いたった時にバンクーバーにぶらりとやって来ないと、暇ができた時には億劫(おっくう)になって海外に行く気がしなくなることだってあるのですよ。

そうですわね。

だから、暇を見つけて、ちょっと無理をしてでも命の洗濯と思って、癒しを求めながらバンクーバーにやって来たらどうですか?

最近、バンクーバーで何か面白い事でもありますか?

ありますよ。。。小百合さんがバンクーバーにやって来た頃よりも面白い人が増えていますよ。

マジで。。。?

小百合さんは僕の言う事を信用してないようだから、その証拠を見せますよ。 じっくりと見てください。

あれっ。。。これってぇ、イングリッシュベイの遊歩道ではありませんか!

そうですよ。。。このような、ちょっと変わったトンデる人が週に1度ぐらい現れて、面白いことをするのですよ。 (微笑)

どのへんですか?

小百合さんのために地図で教えますよ。


 

イングリッシュベイの所にピンクの丸があるでしょう。 ここにベンチがあって、そこで昨日、上のメールを書いたのですよ。 この上の可笑しな大道芸人は、そこから右下(南東)の方に100メートルほど歩いていった場所でやっていたのです。

。。。で、そこでデンマンさんはイングリッシュベイで青山夫人に出会ったのですか?

いや。。。僕が勝手に名前をつけたエッセイストの女性ですよ。

あらっ。。。そのような人とイングリッシュベイの遊歩道で出会ったのですか?

いや、ちがうのですよ。 たまたまバンクーバー図書館で借りて読んでいたら「青山夫人」に本の中で出会ったのですよ。 その箇所を読んでみてください。

「味の記憶装置」

店の名前というのは不思議なもので、みじかい語句のなかに味や空間、ひとの記憶がぎっしりと詰まっている。 たとえばしばらく足を向けていなくても、名前ひとつ耳にするなり、何年もまえのじぶんに遡ったり、いっしょに訪れたひとのことを思い起こしたり、味わったおいしさを蘇らせる記憶装置だ。
「Le Gaulois」
ガラス窓のこの堂々とおおきな文字は、ただ通りすがりに眺めるだけのときも、とてもなごませられる。

土曜日に娘と会ってのんびりお昼を食べようという約束があったから、久しぶりに「ル・ゴロワ」を訪れたくなった。 あのなごやかな空気に親しみが募ったのだ。 外苑西通りは、千駄ヶ谷に向かうにつれ、ゆったり空のほうへ開いていく。 神宮球場や千駄ヶ谷体育館のおおらかな空気に近づいてゆくからだろうか。 歩いていても、車に乗っていても、いつも晴れやかな開放感を味わう。

「ベルコモンズ」を折れ、「無印良品」「エミスフェール」「グランピエ」、左に「オンサンデーズ」「増田屋」……どれもなじんだ存在だから、目にするとなんとなく安心する。 15年前まで裏手にあった和食の店、とびきりだったな。 30年前、ここにあったイタリア料理の店にはずいぶん通った。 ここの焼肉店も古い店のひとつだ……今のこと、昔のこと、変わってしまったこと、変わっていないこと、あれこれ浮かんでは消え、消えてはまたつぎを浮かべる。 「UNION WORKS SHOEREPAIR & SUNDRIES」。 いかにも青山らしい新しいウィンドウを発見して、「いい店ができた」。 この通りは、じつは質のよいちいさな靴屋さんが何軒も軒を並べる通りでもあるのだ。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


74 – 75ページ
『焼き餃子と名画座』
著者: 平松洋子
2009年10月13日
発行所: 株式会社アスペクト

どうですか? 小百合さんも懐かしくなったでしょう? バンクーバーにやって来れなくても青山界隈にならば気が向いた時にベンツで行けるでしょう?

そうですわね。。。わたし、三菱の軽トラックで行きますわよ。

軽井沢タリアセン夫人なのだから、三菱の軽トラではまずいでしょう!

冗談ですわよ。 うふふふふふ。。。で、どうして「青山夫人」に目が留まったのですか?

「青山夫人」にとって食べる事とは「味の記憶装置」にスイッチを入れることなのですよ。 そう思ったら小百合さんのことを思い出しましてね。

私のことをですか。。。? どうして。。。?

小百合さんの場合には食べる事とは「思い出の記憶装置」にスイッチを入れることなのですよ。 そうでしょう!? かつて小百合さんは次のような事を書いていたではないですか!

おいしそうな写真ですねー。
最後のエッグタルトも好きですよ。

僕も、このエッグタルトは好きですよう。
子供のように、これには目がないのですよう。

小百合さんと一緒に仲良く食べたいよね。

チャイニーズベイカリーでは
いろいろなパンや甘いもの系が安く、
あんこの入ってる物もあったね、

へイスティングの通りで
PNEの遊園地あたりのパン屋によく行きましたよ。
ココナッツクッキーも 日本では 買えないですね。

ここは 皆が見るから この辺で。。。
メール届いてましたよ。

さゆり


『元気にお目覚めですか?』より

うん、うん、うん。。。
PNEなんて懐かしいよねぇ~。

RING OF FIRE RIDE

PNEの前の通りは何百回となく車で通ったのに一度も中に入った事がない!

PNE は英語で書くと Pacific National Exhibition
トロントにも同じようなものがあるのですよう。

CNE と言うのです。
Canadian National Exhibition の頭文字をとったのです。
トロントには3年半居ましたが、
CNEには何度か行きました。

CN タワーが見えます。
僕がトロントに住んでいる頃には、このタワーはまだできていなかった。
だから、昇ったことはありません。

展望台には回転レストランがあって、
値段も高いとか。。。

ところで、ココナツクッキーが小百合さんは好きなの?

white chocolate &

coconut cookies

僕はココナッツクッキーも好きだけれど、
なんと言ってもココナッツパン (coconut bun) が好き。

これがメチャ好き!
手前の黄色いのがクリーム入りのココナッツパンですよう!
口に入れた時の、ココナッツのシャキシャキ感が何とも言えないんだよねぇ~。
あああぁ~、ウマぁ~♪~
うしししし。。。

でも、小百合さんが“ココナッツクッキー”を持ち出すまで忘れてた。

この写真を見たら無性に食べたくなったので、買ってきて、今食べたところですう~!
あああぁ~、ウマ~♪~かったア!

最近、友達の家へ行く事が少なくなったけれど、
手みやげには、いつもチャイナタウンによって
チャイニーズのパン屋さんでココナッツパンを買ってゆくことが多かったですよう。
なぜなら、僕の好物だから!うしししし。。。
それに安い!

小百合さんのメールの中には食べ物がたくさん出てくるので、ついつい釣られて食べ物の事を書いてしまうのですよう。
でもねぇ~、考えてみれば、食べ物の嫌いな人が居ませんからね。
でも、小百合さんほど食べ物の事を書く人も珍しい!

おかげで、小百合さんとメールの交換をするようになってから、食べ物の事についてずいぶんと記事を書きました。
小百合さんとの出会いがなかったら、これほど食べ物の事を書くことはなかったでしょう。

バンクーバーは小百合さんにとってもグルメのパラダイスでしょう?
うしししし。。。
いつか、小百合さんがバンクーバーへやってきたら、僕のお気に入りのチャイニーズベーカリー・レストランへ案内しますよう。

とりあえず、今日は、小百合さんのために特に買ってきたから、この皿ごと食べてしまっていいからね。
本当に、うまそう!
 
小百合さんがいつかバンクーバーにやってきたら、一緒にココナッツパンを食べようね。
じゃあねぇ~。


日本時間: 2008年9月30日 午後2時48分
バンクーバー時間: 9月29日 午後10時48分

『パンとクッキーの話 – ココナッツパンと秋』より
(2008年10月3日)

どうですか、小百合さん。。。懐かしくなりませんか? 小百合さんの「思い出の記憶装置」にスイッチが入ったでしょう!?

そうですわね。。。わたし、マジで、今すぐにでもバンクーバーへ行きたくなりましたわ。

やって来てくださいよう。明日、成田から飛んできてもいいですよう。うしししし。。。 僕は小百合さんの好きなココナッツクッキーをたくさん買って待ってますよう。

でも、ココナッツクッキーを食べるためだけに行くのも。。。

だから、小百合さんの好きなエッグタルトも買っておきますよう。

エッグタルトもいいですけれど。。。

あのねぇ~、こうなったらカレーバンも買っておきますよう。。。うしししし。。。

おいしそうですわ。

そうでしょう?!。。。僕もカレーバンが好物なのですよう。

でも。。。、

小百合さんは、これだけでは、まだ物足りないのですか?

物足りないと言うよりも。。。

分かりました。 バンクーバー・エアポートに僕は小百合さんを迎えにいって、すぐにチャイナタウンへ直行しますよう。

チャイナタウンはデンマンさんが住んでいるダウンタウンのすぐそばでしたよね?

そうですよう。僕のマンションの裏通りにあるようなものですよう。 うへへへへへ。。。

それで、北京ダックをご馳走してくださるのですか?

当然ですよう。

うまそうでしょう?。。僕が薄く焼いた小麦粉の皮(バオビン)に味噌だれ(甜麺醤)とともにダックの肉と皮をのせて、手巻きにして小百合さんに食べさせてあげるからねぇ。 うしししし。。。

食べた後でシャノンの滝を見にゆくのですか?

そうですよう。

シャノンの滝は、このブリタニア・ビーチ(Britannia Beach)のすぐそばにあります。 国道99号線をはさんで反対側です。 初めて読む人は次の記事を読んでね。

『愛のブリタニア』

(2010年5月16日)

せっかくこの滝まで来たのだから、あと45分も車を飛ばせば冬季オリンピックで大回転やスキージャンプが行われたウィスラー・ブラックコーム(Whistler-Blackcomb)のスキー場ですよう。

夏スキーですか?

そうですよう。

せっかくバンクーバーにやって来たのだから、小百合さんがビキニでスノボをするのですよう。。。うししししし。。。

でも、バンクーバーに着いたばかりでは、スノボはちょっとォ~。。。

分かりました。。。それでは小百合さんが夏休みを過ごした思い出の湖畔の家に行きますよう。

件名:連休は、どうしても都合がつかず

バンクーバーには行けませんでした。

差出人: “sayuri@hotmail.com”
受取人: “denman@coolmail.jp”
日付: 2010/05/12 13:58
バンクーバー時間: 5月11日(日)午後9時58分

いろいろと忙しくて、とてもバンクーバーに行けるような状態ではありませんでした。
でも、デンマンさんが心配しているように
役所のヤラシいおっさんたちにイジメられて
自殺に追い込まれるようなことはありません。
大丈夫です。
死ぬ訳にはいきませんから…

何しろ忙しくて
バンクーバーに行きたいけれど
当分 そちらには 行けそうもナイです
そのうち電話します。

五月の鯉のぼりが泳ぐいい風が、ちょっと強めに吹いてます。
メープルの葉が、高いポプラの木がゆれて
涼しかった バーナビーの夏を 思い出します

やっぱり ディーア・レイク湖畔の“山の家”が懐かしいです。

そのうち、必ず時間を作って カナダに行きます。
そのつもりで 楽しみにしているのです。
では。。。

小百合より


『愛のブリタニア (2010年5月16日)』より

小百合さんも、こうして懐かしがっていましたからね。。。

とっても懐かしいですわ。。。いま、どうなっているのかしら?

あのねぇ~、あの家は改造して民宿(Bed & Breakfast)を始めましたよう。

あらっ。。。だったら泊まれるのですか?

そうですよう。

この Deer Lake (鹿の湖)は本当に懐かしいですわ。

うん、うん、うん。。。僕も初めてあの湖畔の家の応接間で小百合さんに会ったt時のことが懐かしいですよう。うししししし。。。

でも、デンマンさん。。。私は、やっぱり当分の間、時間ができそうにもありませんわ。

まさかァ。。。まさかァ。。。これだけ僕に予定をしゃべらせておいてぇ~。。。、結局、やって来ないのですかァ~?

ごめんなさい。。。私、マジで忙しくってぇ~、とても現在、バンクーバーに行けるような状態ではないのですわ。

う~~ん。。。やっぱり、駄目なのですかァ~~。。。残念だなァ~。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
なんだか、写真を見ているだけでもヨダレが出てきて楽しゅうござ~♪~ましたわァ。
あたくしも、またバンクーバーへ行きたくなってきましたわ。
イングリッシュベイで面白い大道芸人を見たいのですう。
あなただって風変わりな陽気な大道芸人を見たいでしょう?

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

“捕らぬ狸の皮算用”

あなたも聞いたことがあるでしょう?

「成功しそうだと思って

先走って喜んだりすると

期待通りにはならない」という

教訓ですよね。

好きな女の子からバレンタインのチョコが

もらえるだろうと思っていると、

たいてい、もらえないものですよね。

デンマンさんは自分の予定に

小百合さんを乗せたつもりになっていましたが、

やっぱり思い通りにはならなかったようです。

うふふふふ。。。

あなたにも経験があるでしょう?

さて、この諺を英語で何と言うのでしょうか?

次のように言います。

Don’t count your chickens

before they are hatched.

卵からヒナが孵(かえ)るまでは

卵を数えても当てにはならない。

次のような言い方もあります。

Catch your bear

before you sell its skin.

毛皮を売る前に熊を捕らえてね。

(熊を捕らえる前から

毛皮を売ることを考えないでね)

確かにその通りですよね。

ところで、英語の面白い記事を集めてみました。

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読んでみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で楽しい英語』

 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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